55.王妃の帰還
ザース王子の葬儀から十五日が経過。
王妃マナリエナが多くの義勇兵を連れて王都エンテグアに近づいている、という伝令の矢文が王城に届き、ピリピリした雰囲気が続いていた王城内は、久しぶりの朗報に活気づいた。城はまだ完全包囲は免れているが、いまだ港はザンガクム軍が占拠し、人が逃げてしまった城下町は荒れ果て、壊された建物の間でセヴォローン軍との小競り合いが続いていた。
冬が進む中、山中の村を回って兵を集めていた王妃は、途中で体調不良で倒れてしまい、動けない日が続いた。そのせいで帰還に何日もかかってしまったが、体調が回復すると、多くの兵を従えて王都へなだれ込んだ。
ラングレ王、ザース王子、宰相、と重要人物の暗殺に加え、ザンガクムに港の一部が占拠されてしまった王都エンテグア。その惨状が、戦乱で王都を追われた人々の口からセヴォローン全土に伝えられると、人々は怒りの声を上げ、王都へ戻る王妃の軍には、次々と義勇兵が合流していった。
マナリエナは黒衣のままで軍の先頭に立ち、小さな体で声を張った。
「エンテグアの港へ! キャムネイ王とクレイア王女が占拠した館を取り囲むのです!」
エンテグアの港付近、占拠した貴族の館に滞在しているキャムネイ王とクレイア王女は、マナリエナの軍が近づいているという知らせを受け、二人とも顔をしかめた。
「お父様、王妃さまを逃してしまったのは失敗でしたわね。あのとき、追いかけてでも首をとっておけばよろしかったのに」
「政治に無関心だった王妃がここまでやるとは驚いたが、おびえることはない。どうせ素人の寄せ集めの軍。我々の脅威にはならないのだ。茶でも飲もう。何もやることがなく暇である」
こんな会話をしていた矢先。
「陛下、大変でございます!」
伝令の兵がキャムネイたちの部屋に駈け込んで来た。
「どうした。ついに王城の包囲が完了したか?」
キャムネイがのんびりと飲み物に口をつけながら兵に声をかけると、顔に大汗をかいてひれ伏している兵は、早口で報告した。
「武器を手に取った民衆の大軍がここへ押し寄せてきております。ここは危険です。すぐに退避のご準備を」
キャムネイとクレイアは顔を見合わせた。
クレイアは、飲んでいたカップを中身が半分入ったまま床にたたきつけた。カップが粉々になって床に飛び散るのも構わず、キッ、とした顔になり、兵に詰め寄った。
「退避ですって? おかしなことを言うと許しませんわよ。ここは我が軍の拠点。何重にも守りを置いていて安全なはずでしょう」
「相手の数が多すぎます。早くお逃げください。ここが襲われるのも時間の問題です」
どこかから物が壊れるような音と同時に悲鳴やうめき声が聞こえてきた。
『キャムネイ王を殺せ!』『王女のいる部屋はどこだ』『侵略者は全員死ね!』
キャムネイは、カップをテーブルに置くと、渋い顔で椅子から立ち上がった。
「敵が多すぎ……か」
「お父様? 逃げるのですか? そのようなみっともないまねはできませんわ」
「命を奪われてはどうしようもない。どうやら本当に危険らしい。ならば、この館からすみやかに退去である。港に置いてある船に乗り込んで沖に避難し、敵をやりすごせばよい。敵の数が多くとも、海の中までは追ってくることは無理である」
キャムネイ王の一行は少数の兵に守られながら貴族の館を裏門から出て、港に置いてあったザンガクム軍の船に乗り込もうとしたが──。
船の様子を見たクレイアは金切り声を上げた。
「これでは乗船できませんわ」
その日は冬の北風が強く吹き荒れ、船は大きな波でゆすられて、水上で激しく上下している。乗り込むことすら危険で、とても船を出せる状態ではなかった。
キャムネイとクレイアが港でもたもたしている間にも、セヴォローン軍はどんどん迫ってくる。町中で戦っていたザンガクム兵たちも、怒り狂った民衆の勢いに飲まれ、徐々に港へ押し戻されてきた。そう時をおかないうちに、エンテグア内に散らばっていたザンガクム軍は完全にセヴォローン軍に包囲され、港に追い詰められた。
セヴォローン軍の増大は止まらない。元々港にいた警備隊に加え、西のシャムアとの砦決戦のために集められたドイガー将軍の軍、そして王妃マナリエナの守護隊である白花隊、葬儀でラングレ王の守りをしていた近衛隊、付近の警備のため特別に城外に出ていた城の警備兵など。そしてマナリエナに同調する一般の民。すべてがマナリエナの声で心をひとつにし、怒りの塊となってザンガクム軍に押し寄せる。倒されるザンガクム兵の数はどんどん増えていく。
「陛下! 緊急連絡です。西のイクスアラン方面からシャムア軍が現れました。山の方から入国してきたようです」
港で立ち往生していたキャムネイは、厳しい顔を綻ばせた。
「おお、ようやくシャムアが来たか。ちょうど苦戦しているところである。助かった。数はどれぐらい来てくれたのか?」
「陛下、シャムアは残念ながら、セヴォローンと一緒になって我が軍を攻撃しております」
「なにっ!」
この報告に、さすがのキャムネイも色を失った。クレイアも呆然としてわめくことも忘れ、口をぽかんと開けて報告の兵を見ているだけだ。
「陛下、敵が迫っております」「我が方の将軍たちと連絡が取れなくなりました」「魚市場前の広場付近で多数の死傷者が出ている模様」
飛び交う声に、キャムネイはついに決断を下した。
「やむをえぬ。全軍撤退。船は捨ててゆけ。海路は使えぬ。全軍、陸路でザンガクムへ戻れ」
「しかし、陸路で安全な場所はありません。敵軍がそこまで迫っております」
「全力で突破せよ。道一本でも通せば逃げられる。多少の犠牲は仕方がなかろう。ここに留まれば全員が殺される。馬車を用意せよ。退路が開かれたら、全力で駆け抜けるのだ」
ザンガクム軍は多くの犠牲を出しながらも退路を開き、細い路地に逃げ道を確保すると、塊になって撤退を開始した。キャムネイとクレイアは馬車。その周囲を馬に乗った精鋭の兵士たちが必死で囲んで守る。
「キャムネイ王が逃げるぞ! 絶対に逃がすな!」
追い縋ろうとするセヴォローン兵たちの声が迫り、馬車に向けられた矢が飛んでくる中、馬車はどうにか町を抜け、のどかな田舎道を爆走していった。狭い町中を抜けさえすれば逃げやすい。
全速で走り大揺れしている馬車の中で、クレイアは自分のショールを噛んで引き裂いていた。
「くやしいですわ、お父様。わたくしたちは勝っていたはずですわ」
キャムネイはまずい食べ物でも口にしたような顔のまま、そんな娘を見つめている。
「娘よ、はしたないことをするでない。逃げることに成功したからよいではないか」
「追われているのに、そのようなのんびりしたことを言う気分にもなりませんわ」
「途中までは我が国は確かに勝っていた。ただ、山越えの別動隊の行軍が失策であった。山を歩かせたことは思った以上に兵に負担をかけてしまったらしい。今は時期も悪かったから、また出直せばよいではないか。フェール王太子を殺せば、王家の濃い血を持つものがいなくなる。求心力は下がり、セヴォローンは簡単に終わる」
クレイアは引き裂いたショールの残骸を強く握りしめた。
「フェール様を動けないうちに殺せばよかったのですわ。あんな男の子どもを産もうと思っていたなんて、今思えば気持ち悪いこと」
「終わったことをぐずぐず言うでない。それにしても……納得がいかぬのは、シャムアが寝返ったことである。教皇は何をやっているのだ。シャムア王は幽閉されているとうわさに聞いていたのだが、そうではないのかもしれぬ」
「シャムアはいったいどうなっているのです? これでは我が国がうまく踊らされただけですわ。肝心の時に出兵しなくて、セヴォローンに味方するなんて。こんな強風が吹き荒れる前にシャムア国軍が船を出してくれていたら簡単に勝てたのに」
「まあよい。これで我々はシャムアを攻める正当な口実を得た。シャムア王は我らに剣を向けたおのれの愚かさに泣きをみることになるであろう」
「シャムアもずるいし、それにあの男、エフネート・ヘロンガル! 絶対に殺してやりますわ。このわたくしを手玉に取ったとんでもない男。仕えるべき自分の王を犠牲に差し出してまでわたくしを信用させるなんて。そこまでして城を守る作戦なんて普通はやりませんわ。最初からあの男はわたくしたちの敵だったのですわ。廃貴族たちの反乱も本当にあったのかどうか。わたくしたちは利用されただけ」
「そうかもしれぬが、あの男の働きでラングレが死んだことは間違いない。それに、あの男の協力がなければ、ザース王子暗殺の件でそなたに嫌疑がかかることは避けられなかったであろう」
「ですが、お父様」
「あの男が何を考えていたのかは余にはさっぱりわからぬ。自分の息子シドを王位につけさせたかったから王都はできるだけきれいなままで守りたかったのではないかと考えることはできるが、それも推測にすぎぬ」
「エフネートって、ほんっとにいまいましい男! 今だって自分が滅ぼそうとした城に守られてのうのうと生きているなんて」
クレイアは眉の間にしわを寄せて口をとがらせた。
サラヤからの報告によると、エフネートは城に帰った後、城外の自宅には一度も帰っていないという。城は今、厳戒態勢で忍びこむ隙がなく、殺人養成所の出身のサラヤでも入り込めない。エフネートの自宅にいるはずの王妹アムネやシドの弟たちも、どこかへ避難したらしく、屋敷内に姿がないらしい。
「いつか必ずエフネートを捕まえてあの目障りな首をさらしてやりますわ。その時には、フェール様の首も一緒に吊るして、セヴォローン全土を火の海に。今のセヴォローンなんか、わたくしは欲しくありません。全部燃えてなくなればよいのですわ」
その時、馬車が、激しく揺れて傾いて止まり、キャムネイとクレイアは椅子から転がり落ちそうになった。
「なんですの? 敵は振り切れたはず」
馬車の外から大声が聞こえる。
「陛下、馬車を捨てて馬でお逃げください!」
キャムネイたちが何か言う前に馬車の扉は外から開かれていた。御者の男が怒鳴りつけるような大声で告げた。
「陛下、この馬車はもう無理です。車輪が折れてしまいました」
クレイアは、ぷうぅと頬を膨らませた。
「何をやっているの。整備はきちんとしてあったの? こんな時に壊れるなんて」
「とにかく早く馬でお逃げくださいませ。もたもたしていたらすぐに襲われてしまいます」
「乗馬しろと言われても、わたくしたちには手袋も帽子もありませんわ」
「それどころではありません。お命の危機でございます」
キャムネイとクレイアは、馬車から外された馬にしぶしぶまたがった。手がちぎれそうなほど冷たい風が吹く中、ザンガクムの王都コオサへ向かって駆けだした。
「お父様、手が痛いですわ。こんなのあんまりですわ」
「娘よ、耐えるのだ。復讐はきっとできる」
「やったー! ザンガクムを追い払ったぞー!」
「セヴォローンの勝利だ!」
冬は確実に進み、ザンガクム軍が撤退し、エンテグアが勝利に湧いたその日は、うっすらと雪が積もった。アンジェリンの牢獄にも、天窓から雪が舞い込んでいた。
城のあちこちから聞こえてくる喜びの声は、アンジェリンにも聞こえてきた。身を起こして耳をすます。どうやら、久しぶりに城門が開かれたらしい。
アンジェリンは、自分がここへ来て何日経っているのかわからなくなっていたが、城がずっと封鎖されていたことは知っていた。食事を運んでくる兵が、城が封鎖された影響で食材が思うように手に入らないと言っていたからだ。食事の質はひどく、野菜が欠片ほどしか浮いていないスープ一品だけの時や、一日に一度しか食事が運ばれてこない時も何度もあった。誰が料理を担当しているのか味も変で、空腹なのに喉を通らない時もあった。ちゃんとした料理人が城内にいなかったのかもしれない。
「このお城が無事だったってことは、あの人もきっと無事なはず。これで処刑する人もそのうち来てくれる。やっとこの寒さから解放されるわ」
ふと、エフネートの冷たく青い目を思い出した。
――結局、あの人はディンの敵だったのよね?
何もわからないまま生涯を終える。思わず、ふふっ、と一人笑いした。
「私が何も知らなくても誰も困らないわ。これでやっと魂だけになって自由に動けるの」
早くあの人の元へ。あの人がどうしているのか知りたい。体がなくなったのなら、空気の腕でそっとあの人を包んであげたい。あの人の呼吸に入り込んでひとつになりたい。
「手が【冷】たすぎて【爪】まで痛いこと。首元を【詰め】ても肩が【冷たく】て」
久しぶりに駄洒落が飛び出した。
王妃マナリエナは、ザンガクム軍の撤収を見届けたあと、王城に帰還した。
フェールは、広間でマナリエナを迎えた。
久しぶりに見る母親は、少しやつれていたが、しっかりした足取りでフェールの前に現れた。葬儀の時のままの黒服はすっかり白く汚れ、生地がよれよれしている。母親はずっと着替えていないのだろうとフェールは思った。
「フェール、王太子としてよくやってくれたようで、安心しました。話すことがたくさんあります。あとでわたくしの部屋に来なさい」
マナリエナはフェールを見ても愛想笑いすらせず、王の骨壺を抱いたままそれだけを一方的に言うと、さっさと白花館へ引き上げてしまった。
フェールはいつもと変わらぬ冷たい母親に少しがっかりはしたが、すぐに近衛隊長たちからの報告が始まり、母親の態度のことは頭から離れた。
ザンガクムが撤退しても、これで終わりではない。フェールの仕事は尽きない。
かつてないほど盛り上がるザンガクム討伐の民の熱をこのまま沈めることはできない。
準備が整い次第、ザンガクムへ報復出兵する。城内で何日も協議してザンガクム王家をつぶす作戦を練ってきた。ルヴェンソ王子の身柄をどうするかは未定だが、それも出発前に決めておく必要がある。
そして、重大儀式王位継承式を明日執り行う。
王妃が帰還したらその翌日に王位を継承すると決めていた。
フェールが王になるのは明日。




