54.シャムアの使者
フェールは使者の顔を凝視した。
『自称シャムア国の正式な使者』は、戸惑うフェールの前に跪いたままにっこりと笑った。
「シャムア国王の代理として参りました。わたくしは、シャムア国王の第七王子、ルヴェンソ・アミタトゥワでございます」
「ルヴェンソ……」
黒く短い頭髪。時にいたずらっぽく光る黒い瞳。シドにちょっと似ているこの男。どこからどう見ても、この男はフェールがシャムア軍にいた時の相棒だった。
シャムア王には多くの子どもがいることはフェールも知っていたが、それぞれの王子や王女の名前や年齢までは把握していなかった。軍の基地内にシャムアの王子がまぎれている可能性など思い浮かばなかった。そういう自分も王子でありながら他国の軍にまぎれていたのだから、他の王子がいたとしてもあり得ない話ではなかったわけだ。
フェールは引き締めていた顔を緩めて噴き出してしまい、事情を全く知らない多くの人に慌てて説明した。
「今ここにいるシャムアの使者ルヴェンソは、私がシャムア軍に潜入した際、一緒だった者だ」
ルヴェンソは王子としての態度は崩していないものの、フェールの反応に満足そうな笑みを浮かべた。
「やはり、あの時のディンは、フェール王太子殿下でしたか」
「ルヴェンソがシャムアの王子だったとは知らなかった。正直言ってとても驚いている」
フェールは、シャムア軍の基地から脱出しようとしていたとき、ルヴェンソが妙なことを言ったのを思い出した。
『おまえは教皇の命令で軍にまぎれこんだ暗殺者かと思ったけど、そうならば、なぜ俺を殺さない』
ルヴェンソは王子だったから、教皇の手の者による暗殺を警戒していたのだと、フェールは今さらながら理解した。シャムア国王が教皇と対立関係にあることは間違いなく、教皇側が密かに王子たちを葬ろうとする可能性は充分ある。
ただ、目の前のルヴェンソが本物の王子かどうかはわからない。ルヴェンソが王党派のひとりであることは確実だが、この場にいる者たちもフェールと同様に、数いるシャムア王の息子たちの顔、特に有名でもなく王太子でもない第七王子のことを知っている者はひとりもいなかった。シャムア王城に確認を入れるには時間がかかりすぎる。
フェールは警戒心を完全には解かず、質問を投げた。
「あの時の相棒がこのフェールだとわかっていたのか?」
「いいえ。ディンと名乗っていた相棒は、セヴォローンの王太子殿下に似ておられるとは思っておりましたが、まさかご本人が……いや、ご本人だからこそ軍に潜入していたのだと分かったのは、後になってからでございます。あなた様がシャムア軍を去られてからですが、セヴォローンの王太子殿下がご病気で何日も人前にお出ましになっておられない、という情報が耳に入りました。わたくしは、ああ、あの時、王太子殿下はシャムアに来ていたから、そしてその後はお怪我をなさったから、お出ましにならないのだと確信したのでございます」
「隠すことでもないな。ルヴェンソの言うとおり、確かに私はシャムア軍からの脱走時の戦いで怪我を負った。今はまだ自由に動けぬ体だ。こうして座っているのもやっとで、そなたが隙を見て襲い掛かれば、素手でも私を殺せるかもしれない。やってみるか? ここには腕利きの警備兵もたくさんいるが?」
フェールのすぐ横に立っている強戦士ピツハナンデが一歩前に出て、ルヴェンソを威嚇するように睨みつけた。他の兵士たちも緊張した面持ちで身構える。
「どうした、ルヴェンソ。私を殺しに来たのではないのか? 私さえ死ねば、貴国とザンガクムの勝利だ」
フェールは挑発的に口元だけで笑ってみせたが、ルヴェンソは動かなかった。
「わたくしは王太子殿下を殺すために参上したのではありません」
「では、フェールが生きているかどうかを確かめるために来たのか?」
「それも違います。おのれの身の危険を顧みずにここまで来たのは、父から預かった巻物を直接お渡しするため。こちらをお受け取りください。父の直筆にございます」
ルヴェンソは細長い木箱をうやうやしく差し出した。
「シャムアの国王陛下から?」
侍従が木箱を受け取り、中に入っていた紙の巻物をフェールの前で広げた。
長い巻物には、細かい字がびっしりと詰まっていた。
教皇一派の傍若無人な振る舞いを憂う内容で、近いうちに王党派が教皇派を粛清するから、その時に王党派に力を貸してほしい、セヴォローンは友好国、ということが強調されていた。
そして、セヴォローンへの友情の証として、砦を失ったことへ見舞金として多額の資金提供の約束と、海賊の本拠地を知らせる地図まで付いている。
「要するに、シャムアは我が国の敵ではなく、友好国として認めよ、川中の砦の破壊は海賊が勝手にやったことであり、貴国の意志ではなかった、砦を作り直す資金を提供する、だから、教皇ではなく国王を支えてほしい、という見解でよいのか?」
ルヴェンソは大きく頷く。
フェールはもう一度巻物を読み返した。
「ルヴェンソには嫌なことをいうようで申し訳ないが、砦のことで文句をつけて戦争を仕掛けようとしていたのは貴国の方だ。この争いに乗じて攻めてきたザンガクムと交戦状態の今、突然友好国になると言われても首をかしげたくなるうえ、こんな地図まで入れて、我が国に海賊退治を丸投げされても困る」
フェールの厳しい突っ込みにもルヴェンソの穏やかな表情に変化は見られなかった。
「海賊の地図は参考程度にしていただければと思い持参しただけで、貴国に海賊退治を促すものではございません。貴国と戦争をしたがっているのは、我が国における一部の宗教関係者だけだとご理解いただきたいのでございます。その中心である教皇は、王をないがしろにしております。それは信じていただけますか?」
「信じろと? それは無理なことだ。こうしてそなたが私の気を惹いている間に、シャムア軍はザンガクム軍と手を取り合って、この城を落とそうと動いているかもしれないのだからな」
「それはありません。貴国と大河で隔てられた我が国は、船なしでの戦いは考えられないのですが、これからの季節、波が荒くなる厳冬期に入ってしまいます。我が国が海難事故の危険を冒してまで船を出し、貴国と戦う理由はございません」
「だが、船が使えないなら山の吊り橋経由で進軍し、我が国を攻めることならできよう」
「吊り橋が落とされてしまえば、シャムア軍は簡単に分断され、逃げ場を失ってしまいます。船なしでの戦いではシャムアに勝ち目はありません」
「貴国に船がなくても、ザンガクム軍がたくさん船を持ってきているではないか。ザンガクムと組んで、我が国を騙そうとするのはやめてほしいものだな」
「父はザンガクムと同盟を組んだ、という正式な文書は一切交わしておりません。その証拠に、我が方は、今回の戦いでもいまだ一隻の船も出しておりません」
「シャムア軍が出て来ていないようだとの情報は当方でも確認済みだが、シャムア軍が兵士に制服を着せていないとなると全くわからない」
「そこは信じていただくしかありません。我が国は本当に一兵たりとも出しておりません。セヴォローンと我がシャムアは戦争状態にはなっておりません」
「だが、やっぱりわからぬ。ルヴェンソはよく知っていると思うが、私は貴国のヌジャナフの基地に損害を与えた。そのような者に友好を持ちかけること自体おかしなことだ」
「おおせのとおりですが、それでも我が国はセヴォローンと戦争状態にはしたくないのです。王太子殿下が基地破壊の実行者であろうとなかろうと、関係ありません」
「そなたの主張は理解できるし、私はそなたを嫌っているわけでもないが、国同士の話となると話は別だ。せっかく来てもらったが、話し合うことなど何もない」
「では、このルヴェンソがここで人質になります。これでも自分は王子のひとり。シャムアがやはりザンガクムと手を結んでいるとはっきりわかったなら、私を処刑すればよいでしょう。それでいかがですか?」
「これは国の将来を左右する重要事項だ。即答はできない」
「では、皆様方で話し合っていただけませんか? 我が父の望みは王権の完全なる復活。その巻物にも書かれていると思いますが、シャムアは今、王の権力の大半は教皇に奪い取られている状態にあります。教皇たちは海賊と結託し、彼らが一般人から略奪した宝を献上させ、私腹を肥やし続けております。教皇は、海賊を守りたいがために貴国の川中の砦を問題視しました。ザンガクムと組んでいるのはそういう宗教関係者たち。繰り返される海賊の非道なふるまいに、民たちは苦しんでおります。王太子殿下、どうか、罪なき民をお救い下さい」
フェールは頭を巡らせた。ルヴェンソは、どうやらここで人質になるつもりでやってきたらしい。シャムア王も切り捨て覚悟で王子たちの中からルヴェンソを選び、フェールと顔見知りならば話が通じやすいと判断したと思われた。
ゆっくり考えながら言葉を出していく。
「王国としてのシャムアが我が国と友好関係にありたいと望むならば、今後のザンガクムとの関係はどうするのか答えてもらおう」
「ザンガクムとは今まで通り普通の国交、たとえば物資の売買などができればそれでよいのです。繰り返し申し上げますが、我がシャムアは貴国と戦争状態にはなっておりませんし、今後も戦争をするつもりはありません。ザンガクムと手を結んでもいません」
「……」
「セヴォローンを乗っ取ってザンガクムと関係を結びたがっていたのは教皇たちですから、彼らを一掃すれば問題は解決できます。我が父はセヴォローンと戦う気など最初から全くなかったのでございます。父は今、監禁されていた城からの脱出にようやく成功し、自らの足で軍基地へ出向いて、王の名で命令が出されても勝手に出撃しないよう働きかけて頑張っております。だから我が軍は出兵しておりません。父の脱出が砦の期限に間に合って助かりました。教皇は今まで王の名で勝手に命令を出してきましたから、王の意志とは明確に違う命令で兵を動かすことは無理です。これが我が国の真実です」
フェールは、いったんルヴェンソを別室へ出し、数少ない官僚たちを集めて協議した。相談すべき父王の重役のほとんどは城外に出たままで、今城内にいる人材だけで知恵を絞るしかない。
エフネート・ヘロンガルは、ルヴェンソとその護衛たち全員の処刑を強く主張し、フェールと対立した。
「王太子殿下のお気持ちに逆らうようで申し訳ありませんが、この城にたとえ一人といえども敵を呼び込むことは危険でございます。ルヴェンソ王子を人質にしてここに留め置くと、シャムアがセヴォローンを攻めるのに絶好の口実になりましょう」
「このまま帰らせて様子を見てもよいが……」
「それでは我が国にとっては利がございません。あの自称王子に、王太子殿下が動けぬほど弱っていると広めさせるおつもりですか? 城外で戦い続けている我が軍の兵たちの士気の低下につながることは避けるべきです」
「では、白旗をあげているルヴェンソたち全員を一方的に処刑すればよいと言うのか」
「この城を守るためにはやむを得えません。警務総官としての意見でございます」
「彼を人質にすれば、シャムアの盾になる可能性はある」
「それはどうでしょうか。あの者が本物の王子とは確認できない以上、盾としての価値は低いかと」
「そうかもしれないが……何も悪いことをしていない彼らを処刑するのは……」
「それがシャムアの策略。だから王太子殿下と顔見知りの男が王の使者に選ばれたに違いありません」
フェールは自分の額を手で押さえた。頭が痛い。ルヴェンソは本当に王子なのか。それがわからぬ以上、盾としての価値はないと思った方がいいだろう。エフネートの考えは間違ってはいない。ただ、ルヴェンソをこの場で殺すのはどうかと思う。それこそ、シャムア王を激怒させることになりはしないか。
エフネートは、悩むフェールにさらに圧力をかけてきた。
「殿下、よくお考えください。彼らを人質としてこの城で引き取る、ということは、それだけ食料が必要になるのですぞ。この城は包囲の危機にさらされております。城外から食料を運び込むことができぬ状態の今、口はひとつでも少ない方がいいのです」
「食料事情が深刻なことは理解できる。だから警務総官は反乱者たちを急ぎ処刑したのだろう」
「御理解いただいているならば、今すぐあの自称王子を処刑すべきです」
「……食の事情が問題ならば、ルヴェンソ一人だけ人質にする、という案はどうだろう。それならば、食料事情に大きな支障はあるまい」
「ですから、それではシャムアがザンガクムと手を組んで参戦する口実を作ってしまいます。シャムアがあの自称王子の解放を求めて攻めてきたらどうなさるおつもりですか」
「そのときは私の首をやろう。そんな状況になったならば、どうあがいても我が国に勝ち目はない」
「殿下! 情に溺れず、よくお考えになってください」
「警務総官」フェールはエフネートをにらみつけた。「王になるのは私だ。即位式はまだしていないが、この国のことは私が決める。もちろん、必要があれば私がこの手でルヴェンソを処刑する」
会議は大荒れとなったが、結局フェールがエフネートを押し切り、シャムアに条件を出してルヴェンソひとりを人質にする、ということに決まった。城門の外で待つ彼の部下たちには、シャムア王への正式な返事──フェール直筆で手形付きのもの──を渡して返した。
『貴国シャムアが、本気でセヴォローンとの友好を望むのならば、エンテグアの港にいるザンガクム軍を追い払うのを手伝ってもらいたい。シャムア軍の力でザンガクム軍が撤退してくれたならば、セヴォローンはルヴェンソ王子を解放し、シャムア王を裏で支える約束をしてもよい。シャムアがザンガクムと手を組んでいると発覚した場合は、ルヴェンソ王子は即日処刑する』
ルヴェンソは自国の護衛兵たちから引き離されたまま、たったひとり、エンテグア城内にある高い塔の最上階に監禁されることになった。
そこは貴族専用の牢獄で、内部は、アンジェリンがいる東の牢獄とは大違いの豪華な造りだが、牢獄であることには変わりがない。鍵つき扉は二重構造で、内側の扉には格子が付いており、自由に出入りできないようになっている。この塔の上階まで侵入するにはいくつもの警備をかいくぐる必要があり、誰かが城内に入り込んでルヴェンソを脱出させようにも簡単には近づけない。
この牢獄まで付いてきたフェールは、人払いをして、外から鍵がかけられた扉越しにルヴェンソに詫びた。
「ルヴェンソ、すまない。しばらくここで暮らしてくれ。ザンガクムとのことが終わったら、必ずここから出して、きちんと来賓扱いにするから」
ルヴェンソは、以前のようにくだけた友の言い方に戻っていた。
「まあ、気長に待つさ。ディンが俺を殺せるわけがないからね。あの時、俺を殺すことができたのにしなかったじゃないか」
「おまえとは気が合って楽しかったから死んでほしくなかった。だが、シャムア軍がザンガクムと手を組んでいるとわかったら、私はおまえを処刑しなければならない。それは頭の隅に入れておいてくれ」
「大丈夫、俺の父上はセヴォローンを裏切ったりはしないさ。ディンも俺を殺せないし」
「いや、必要に迫られたらおまえを殺す。殺すしかない状況になったらな」
二人の間の空気が微妙に揺れた。
ルヴェンソは、それを払しょくするようにクスッと笑った。
「殺されるにしても、毒針で刺されるのは勘弁してもらいたいな。あれは結構きつかった」
「悪かったな。私も必死だったのだ。ところで、ひとつ先ほど聞き忘れたのだが、おまえが私の相棒になったのは、フェールだと疑っていたからか?」
「いや、偶然だよ。軍内での相棒は自分では選べない。おまえが来るまで俺の相棒だったやつは、急に別部署に派遣が決まって、ヌジャナフの基地から抜けたところだった。俺は、シャムア軍の実態を知るために密かにあそこにまぎれこんでいたんだ。父は知名度が低い第七王子の俺を使って、誰がどういう経緯で勝手に命令を出しているのかを突きとめようとしていたのさ。王子が二人もあの中にいてそれが組みになっていたって、笑えるなあ」
フェールもつられて笑ったが、心から笑えなかった。
「申し訳ないが、おまえの護衛たちは全員城外だ。彼らには事情を話して、国王陛下への手紙を託し、城門前から去ってもらったが、しばらくは彼らと連絡をとることも、出入りも差し入れも認めることはできない。そもそも彼ら全員が、シャムア王の元にたどりつけるかどうか。ザンガクムは、おまえがこの城に入ったのをおそらく見ている。おまえの護衛たちは襲われて、私の手紙は届かないかもしれない」
「心配ない。あの護衛たちは手練れぞろいだ。海がひどく荒れさえしなければ無事に帰れると思う。陸路でまずザンガクムへ入って、いちばん近い港から船で遠洋へ出て、海路で帰国するはずだ。行きもそうやってここへ来た。そんなことよりも、ディンはザンガクムに城を落とされないようにがんばってくれ。ここが陥落したら俺もディンも終わりだ」
「ああ、精一杯ここを守ってみせる」
「決着が早くつくことを願っているよ。ザンガクムとのことがうまく終わったら、おまえのかわいい奥方を紹介してくれよな。彼女はちゃんと待っていてくれたか? 新しい男と祝福式をあげていなかったか?」
久しぶりの軽い会話に心がほぐれかけていたフェールは、思わず下を向いてしまった。低い声で返す。
「彼女は死んだ。私と国外へ出た罪で処刑された」
格子越しのルヴェンソは、はっ、と頬をひきつらせた。
「そうか……ごめん、ディン。俺は、ディンとクレイア王女の結婚はなくなったから、これでディンは本当に好きな女性と正式に結婚できるって思っていたよ」
フェールはルヴェンソに背を向けた。
「私の名はディンではない。二度とその名で私を呼ぶな。その名で私を呼んでくれた妻はもういない。そんな名前の男はどこにも存在しないのだ」
フェールはよみがえった痛い思い出に胸が詰まり、ルヴェンソの元から静かに去った。
──そうだ。すべてがうまく行ったら、アンは私の隣に立つはずだった。彼女とエンテグアを出た日には、こんな未来は予想もしていなかったのだ……。
唇をかみしめる。強く願えば、どんな願いでも叶うと信じていた。彼女にもそう言った。だが、今になってそれは間違いだとわかった。世の中には、どんなに願っても叶わぬことが多くあるのだと思い知らされた。自分の甘さは認めたくなかった。
胸の痛みに体まで悲鳴をあげそうになる。急に傷の痛みが増し、フェールはうめき声をあげて膝をついた。気分が悪い。息が苦しい。
少し離れたところでフェールを待っていた大男ピツハナンデが駆け寄ってきた。
「殿下! いかがなさいましたか」
「疲れからか傷が痛む。少し休みたい。私を寝室へ運んでくれ」
フェールはピツハナンデに運ばれながら目を閉じた。今は何も考えたくない。辛かった出来事を思い出したくない。ただ、頭の中を真っ白にして眠りたかった。




