53.戦いの中で
エフネート・ヘロンガルが、東の牢獄にいた反乱者たち全員を勝手に処刑。
フェールに報告された情報は、反乱者三十人近くが東の牢に収容され、中には怪我人も複数おり、ザンガクム兵も混じっていた、ということだった。
フェールは、不快感を声に出さないように気をつけた。
──今、城内を仕切っているのは王太子である私のはずだが、私の許可もなく、しかも帰還の挨拶に来るよりも先に処刑か。叔父上は私を軽んじている。無能な私が王太子をやっていること自体、認めたくない、ということか。
フェールは、叔父の勝手な行動にむっとする気持ちを抑え、嫌味を言ってやった。
「死刑執行は王の許可が必要だったと私は記憶している。叔父上はそのことを知っておられたか?」
「それは存じております。陛下は身罷られ、王太子殿下の即位式はまだ行われておらず、この国に正式な王はいらっしゃらない今、城内の反乱の責任は、警務総官である自分、エフネート・ヘロンガルにあります。王政を揺るがす悪い種はすみやかに取り除くべく最大限の努力をいたしました」
「捕まえたザンガクム兵は、殺さずに捕虜として使う方法があったはずだが」
「捕虜の一人でもいたら、食料が必要になります。今、この城は包囲される危機に瀕しており、他国の兵を養うだけの食料の余裕はないと判断いたしました。兵力としての価値がなく食べるだけの敵は、一人でも減らした方がよろしいと存じます」
平然としているエフネートに、フェールは切り返すことができなかった。
確かにフェールはまだ正式な王ではない。
フェールはエフネートの勝手な処置を今ここで非難する意味はないと判断し、勝手に執行された処刑のことよりも、叔父に城外の様子を訊く方に頭を切り替えた。エフネートとマニストゥがどの程度のつながりなのかも探りたかったが、この場でマニストゥの話をするのはやめておいた。フェールがシャムアで怪我をしたことを知らぬ者もここには多数おり、今はそんなことを話題にしている場合ではない。
フェールは、エフネートが城へ戻るまでどうしていたのか説明させた。
エフネートの言い分によると……彼は、ラングレ王にとどめを刺そうとするザンガクム軍を追い払うのに精いっぱいで、王妃たちの方には合流できなかったのだという。怪我人の手当てなどを手伝っているうちに、ふと気が付くと混乱の中で自分ひとりになっており、動かせる兵もおらず、やむなく城へ戻った、と。
エフネートがもたらした城外の詳しい情報により、ザンガクムがいかにしてラングレ王を殺したかが明らかにされ、広間に集っていた者たちは皆、憤りの声を上げた。
誰もエフネートが言ったことに疑いを向けなかった。フェールも、この叔父とマニストゥとの関係が気にかかってはいたが、叔父を信じたい気持ちはまだ消えておらず、エフネートが最初から王殺しを手引きしたとの考えには至らなかった。
◇
ザンガクム軍はセヴォローンとの戦いを始める前に、エフネートから密かにひとつの情報を入手していた。
『セヴォローンはガルダ川の砦をシャムアから死守するため、砦に最も近い町イクスアランに兵を集める。当然、王都エンテグアの港の守りは手薄になる。その隙にザンガクム軍が海からエンテグアの港へ上陸し、王城まで一気に攻めればよい。その時点で王城内は廃貴族の反乱で混乱しているはずで、城門はすぐに開かれる』と。
ザンガクムのキャムネイ王と、クレイア王女は、マニストゥ経由で得たこの情報を信じ、ザース王子の葬儀の時間に合わせてセヴォローンに攻撃を仕掛けることを決定したのだった。
ところが、エンテグアの港に上陸したザンガクム軍は、思った以上に数が多いセヴォローン兵に手を焼き、なかなか内陸に進めなかった。しかも、町中の道のいたるところに、人が乗り越えられない巨大な板壁が建てかけられて軍の侵攻を阻む。板壁には泥が厚く塗りつけられ、火矢を放っても燃えない。板壁が置かれていない細い路地にはセヴォローン兵が潜み、突然弓を飛ばしてくる。
ザンガクム軍は伏兵を追い出すために一部の建物に放火したが、強めの北風が吹いており、港の南から攻めている自分たちの方が風下で、煙で視界を奪われ、よけいに進軍しにくくなってしまった。
キャムネイとクレイアは、港近くにあるセヴォローンの貴族の館を占領し、そこにザンガクム軍の本部を置いたが、その建物の中にも焦げ臭い煙の臭いは入ってきていた。
報告の兵が深く頭を下げている前で、クレイアは眉間にしわを寄せて怒り狂った。
「何ですか、あんなに多くの船を持って来ているのにまだ城にたどり着くこともできなくて、港の入口で小競り合いをやっているだけなんて」
「申し訳ございません。セヴォローン兵が町中に多く潜んでおり、手薄になっていると予想していた我らの読みがはずれてしまったのでございます」
「エフネートが、港は手薄になっていると教えてくれたのに普通以上に兵がいる? おかしいではありませんか」
「セヴォローン側が王都の異変を察するのが早く、イクスアランに駐留していた部隊の大半を動かして早々と戻ってきてしまったようで……予想以上の速い動きでございました」
「そういうことならば、作戦を変更して西のイクスアランの方を襲えばよいでしょう。ここにセヴォローンの兵の多くが戻って来ているということは、イクスアランが手薄になっているに決まっていますわ。それぐらいの機転をきかせなくてどうするのです。それに、ガルダ川の中にはわたくしたちの同盟国、シャムア軍もいるでしょうに。手を組めばイクスアランの町なんて簡単に燃やせたはずです」
怒りのクレイアに必死で頭を下げながら兵は続ける。
「それが、残念なことに、シャムア軍の姿が確認できませんでした。砦攻撃に出て来ていたのは、海賊船のみでございました」
「えっ、シャムアが一兵も出していないと言うのですか! そんなことがあるわけないでしょう。我が国とセヴォローンを分け合うと約束したのですから。シャムア軍が、ヌジャナフの基地に置いていた船の大半を失ったことはわかっています。それで船が足らなかったから、海賊の船を使っただけでしょう?」
「そうだとよろしかったのですが……炎上した海賊船から川に飛び込んだ者たちを、下流にいた我が軍は何人も引き上げて助けましたが、シャムア軍の制服を着た者はひとりもいませんでした。軍の配属部署を尋ねても、きちんと答えられない者ばかりで……みな、グフィワエネにさらわれて仕方なく戦わされていた、助けてほしい、と言うのです」
出兵を約束したシャムアが軍を出していない。川中の砦を襲ったのは海賊だけ。
信じられない事態が明らかになり、キャムネイ王をはじめとするその場にいた者たちはざわめいた。
川中の砦の戦いは、戦いらしきものはほとんどなかったようで、セヴォローン軍が川の上流から大量の発火油を流してあたりを火の海に変え、自分たちの砦ごと海賊たちを燃やそうとしたことが明らかになった。砦付近にいたセヴォローン軍は、砦を最初から守ろうとせず、さっさと王都へ駆け戻ったらしい。
クレイアは青筋を立てて、声を荒げた。
「川面が燃えていると言っても、川ですわよ? 流れはあるのだから、待っていれば、そのうちに油は流れていって火は消えるでしょう。ぐずぐずしていたから出遅れてしまったと言いなさい!」
キャムネイが横から口をはさんだ。
「まあよい、娘よ、怒りをむき出しにするな。その兵士に罪はない。西のことはシャムアに任せておけばよい。海賊はしょせん海賊。海賊が全滅したとしてもそれはシャムアの責任であり、我らには関係ない」
「シャムアが出兵してくれないと我が方の数としては弱くなりますわ」
「初めからシャムアなどあてにしておらぬわ。シャムアは西でセヴォローンの気を惹いてくれればそれでよし。我らは我らの戦いをすればよいだけである。エフネート・ヘロンガルが敵か味方かはわからぬが、我らは彼の手引きでラングレを屠ることに成功した。それに王子の一人もおまえが葬った。それだけで我らは優位に立っておる」
「ですが、お父様」
「心配するな。この港が今は不落でも問題ない。数日待てば、北の山経由の別動隊が到着する。さすればここの港を制圧できずとも城の背後から回り込み、攻め落とすことも可能である」
キャムネイが期待していたその別動隊は、シドの特殊部隊によって数を減らした上、その後、王妃マナリエナの兵の一団に奇襲をかけられて武器も食料も奪い取られ、山中を逃げ回っているうちに冬の強い風雪に遭い、さらに多くの犠牲者を数え、王都エンテグアに到着することは永遠になかったのである。
よって、ザンガクム軍は、いつまでたっても港付近で戦い続けて次第に疲弊し、エンテグアの王城を包囲する作戦はなかなか進まなかった。
◇
王城はザース王子の葬儀以来、城の周りの商店は閉められて人の気配もなく、不気味に静まり返っている。
城の牢獄に閉じ込められたままのアンジェリンにも、外の静けさは伝わってきた。廃貴族たちが出獄して以来、ここには新しい囚人は来ていない。以前には存在していた牢獄の見張りの兵も今はいないようで、業務的な話し声すら聞こえてこない。
アンジェリンは、ひとり、静寂の中で、小さな天窓を見上げた。
──あの人はどうしていらっしゃるのかしら。お怪我はよくなられたかしら。
胸をそっと押さえた。
想うだけで、胸の奥がキュッとする。
──あきらめたはずなのに。別れることは当たり前だって最初からわかっていたのに。
それでも、彼にもう一度会いたい気持ちはいつまでも静まらない。
──私って、本当に気持ち悪い女ね。死んでからも会いたいなんて、あきれるほどあの人に執着して。
離れれば離れるほど、想いが強まる。
「ディン……」
──会いたい。
泣きそうになる気持ちを押さえつけた。ここで泣いても何もいいことはない。
彼はきっと、前に進むために、アンジェリンのことを過去の女として位置づけ、忘れようとしている。
「会【いたい】、心が【痛い】、会いたくて痛いの」
彼に逢えたら、この駄洒落を披露してみたかった。
彼がいつか口付けしてくれた手の甲に、自分の唇を押し当てる。
かさついた唇の表面が、冷たく荒れた手に触れた。
思っていたような幸せな感触は得られなかった。
彼が求婚してくれた時の唇の暖かさとはほど遠く。
◇
川中の砦が焼け落ちてから十日目、見張りの兵がフェールの元に緊急連絡にやって来た。
「王太子殿下、正門のすぐ外に十人ほどの怪しい私服の集団が来ておりまして、それが、シャムア王からの正式な使者だと言い張って白旗をあげております。王太子殿下との面会を求めておりますが、いかがいたしましょう」
「シャムア? そうだとしたならどこから来たのだ。海にはザンガクム軍がいるし、山の吊り橋は封鎖されているはずだ。成りすましか?」
フェールは眉を寄せた。その使者が本者だという保証などなく、ザンガクムのまわし者かもしれない。しかし、偽者にしても、どんな話を持ってきたのかは興味がある。
フェールは『自称シャムアの使者』に会ってみることに決めた。
「代表者一名だけ入城を許す。ただし、城門は開けず、城壁から縄をつるし、代表の者だけ吊り上げて入城させろ。他の者が一緒に縄にぶら下がってきたら、全員を射殺すと伝えるのだ」
フェールの傷はまだ癒えておらず、素早く動けない今、相手が少人数でも、得体の知れない者を城内に入れることは危険だ。
フェールは、吊り上げた使者に服を貸して全身着替えを命じ、持ち物、肌着の下や靴の中まで点検させ、多くの警備兵を入れた部屋で『自称シャムアの使者』との面会に望んだ。
「王太子殿下、お会いできて光栄でございます」
黒髪の使者の顔を見るなり、フェールは息を飲んだ。
「そなたは!」
まだ若い。よく知っている男だった。




