52.それぞれの戦い
首尾よくラングレを襲って満足したキャムネイ王とクレイア王女は、建物内にあらかじめ用意されていた目立たない服に着替え、自国から連れてきた兵団に守られながら町中の小道を抜け、港へ向かった。
二人とも、ラングレの死をきちんと確認したい気持ちはあったが、王を殺されて怒り狂った付近の住民たちに襲われては困る。安全確保のためには、ひとときでも早く移動し、港を攻撃しているザンガクム海軍と合流するべきだった。
町中の小道を急ぎ足で移動していくこの一行を、密かに追跡している者がいた。
灰色の髪、猫背の男、ゾンデ。
シドと別れ、大急ぎで王都エンテグアに戻ってきたゾンデは、シドへの援軍を頼める状態でないことをすぐに悟った。ただ事ではない葬列の様子に、ゾンデは、乗ってきた馬を付近の家に預け、混乱する葬列に徒歩で近づいて様子を探った。
すでに葬列が大きく崩れ、辺りは戦う兵たちだけでなく、我先に逃げようとする貴族や、葬列を見送るために街道に出てきていた一般人などでごった返しており、ザース王子の棺は道に放置されたままになっていた。瀕死で運ばれていくラングレ王の姿も遠目で見た。
──クレイア王女はどこだ。
ゾンデは、ラングレが運ばれてきた路地の方へ、別の道から目立たないように回り込んだ。シドの言葉が頭の中で繰り返される。
『クレイア王女が城から逃げ出したら殺せ』
──見つけたぞ。
ゾンデは獲物を見つけた獣のように目を細めた。標的が遠くにある。
──王女は確かに城から逃げ出した。軍を侵攻させ戦争を仕掛け、王を襲って、本来ならば人質になるはずだった女がこういう形で難なく城から出るとはな。うまいやり方だ。
ゾンデは攻撃方法を考えながら距離を置きつつ、王女たちの後を追った。
キャムネイ王たちは、守りの兵たちに囲まれている。これでは攻撃できない。この警備状況にひとりきりで切り込んでも自分が死ぬだけ。
ふと、彼らが足を止めた。
誰かが物陰から彼らに声をかけたようだ。
ゾンデは、報告の兵が来たのかもしれないと思い、建物の影に隠れ様子を伺った。報告内容を知りたいが、姿がようやく追えるほど離れていて、相手の声は届かない。これ以上近づくことは危険。
物陰から現れた人物は葬儀用の全身黒の姿で、フードをかぶって顔の半分を覆っていた。
ゾンデは、うっかり声をあげそうになった。
――まさか!
キャムネイ王たちを呼び止めた相手は、がっしりした体格で男性のようだ。
──いや、他人のそら似だ。
ゾンデは、目をしっかり開き、見間違いではないのかと、キャムネイ王と話している人間の顔を確かめた。
風が吹いてフードが大きく膨らみ、一瞬だけ男の顔から影がなくなり、額の短い黒髪がちらっと見えた。
──やっぱり!
王と話している人物は、どう見てもセヴォローンの警務総官で、ラングレ王の妹の夫でもあり、そしてシドの父親でもあり、ゾンデが幼いころから世話になっている家のあるじ、エフネート・ヘロンガルだった。しかも、そのそばに付き従っているのは、アンジェリンの裁判で不審な発言をしたマニストゥ。
――旦那様……それにマニストゥ先生も。
彼らのにこやかなやりとりをしばらく見ていたゾンデは、静かにその場を離れた。
もはや疑いの余地はない。エフネートはセヴォローンを陰で裏切っている。
――だからシド様は、旦那様と戦うことになるかもしれないとおっしゃったのだ。とにかく今はシド様の元へ戻ろう。
ゾンデは、ヘロンガル家に住み込みで仕えている下男夫婦の子として生まれ、幼いころから『シド坊ちゃん』の従者として常にそばにあり、そして彼の盾として命を懸けでシドを守るようにと言われ続けて大人になった。大切な『シド坊ちゃん』は今、命の危険を顧みず、国境付近の山の中で、ザンガクム兵と戦っている。父親が裏切ってザンガクムと通じていることを薄々知りながら。
──シド様と旦那様が戦うならば、俺はシド様をお守りする。旦那様を敵に回してもいい。シド様が旦那様を殺せと命じるなら、俺は迷わない。
ヘロンガル家の本宅には、今でもゾンデの両親が仕えていたが、ゾンデにはそんなことはどうでもよかった。体を張って守るべきものはシド坊ちゃんだけ。彼の命令には絶対服従。それは子供のころから刷り込まれた生涯の仕事。他の生き方は知らない。
街道を全速で馬を走らせる。シドは、すでに戦死してしまったかもしれない。
──シド様! どうか持ちこたえてください。俺が到着するまで。
◇
エフネートと別れたキャムネイ王の一行は、やがて、エンテグアの港近くにたどり着いた。
二人は、すでに占拠してあった建物の屋上に上がり、エンテグア城の様子を遠くから観察した。
「合図の旗はまだ出ておらぬか。遅い。セヴォローンの廃貴族たちは何をしておる。これだけの好条件をそろえてやったのに、すみやかな占拠もできぬとは」
キャムネイは目を凝らし、再び城の様子を確認したが、廃貴族たちが城を占拠した印となる黄色の旗は掲がっていない。
城内は遠目では何事もないように見え、ここからでは音も聞こえてこず、内部がどうなっているのかは全くつかめない。
「お父様、城内の勝敗はまだ決まっていないのかもしれませんわ。お城は広いです。もう少し待ちましょう」
「まあよい。内部からの城内制圧に失敗していても、港にいる我が兵が城を取り囲めば、王太子が籠城しても長くは持つまい。余分な兵力と手間がかかることは残念ではあるが」
「そうですわね。長期戦になれば我が方にもそれなりの損害を覚悟しないといけなくなりますわ。真冬の北風が強くなれば、我が海軍は動けなくなります。城は早急に攻略すべきです」
いつまでも上がらない合図の旗に、楽観的だったキャムネイも、ついにあきらめの言葉を口にした。
「いくらなんでも遅すぎる。廃貴族どもは王太子暗殺をしくじったのであろう」
「フェール様はあんな状態だったのに、いったいどうやって生き延びたのでしょう。重ね重ね、不愉快な男ですこと」
クレイアはエンテグア城からプイと顔をそむけた。「こんな寒いところでいつまでも待っていても無駄ですわね。廃貴族たちは失敗したのでしょう。あんなにわたくしががんばって、廃貴族の婦人たちを招いてお友達になってあげて、反乱をあおってさしあげたのに。あのばかげたお付き合いが無駄になりましたわ」
「その者達は、後程、我々が城を攻略してから全員みせしめに処刑すればよい。我々を裏切った者としてけじめをつけるのだ」
「ええ、もちろん、そうしますわよ。わたくしの思い通りに動けない者は、ひとりも要りません。ゆくゆくは、わたくしがこの国をまとめていくのですから」
「ここはそなたのものになる。我が国の勝利は決まっているのだ。そのうちに山を経由して別働隊が到着するはずである。そうすれば、一気に城を攻めることができよう」
山中を進む別働隊がどういう状況にあるのかは、まだ伝わっていなかった。
◇
そのころ、ザンガクムとの国境付近の山中にいたシドの方は、山中のザンガクム軍にかなりの損害を与えていたが、徐々に押され気味になってきていた。セヴォローン兵は人数が圧倒的に少なく、弓や火油も尽きかけている。
ザンガクム兵たちは、シドの兵が隠れている急な崖に次々に取りつき、数人が崖に登ることに成功。シドの兵たちは、よじ登ってくる敵兵たちを追い払っているうちに次の敵兵がどんどん崖を登って来てしまい、戦いそのものが困難になってきていた。崖の下から弓矢が飛ばされ、シドの兵はさらに数が減っていく。
「そろそろ限界だな」
シドは決断を迷わなかった。
「全軍、解散!」
シドの兵たちは、命令通り一斉に戦いを放棄し、敵のいない山の中へ勝手に散らばって逃げ始めた。
シドは、それを見届けると、急な崖をためらわずに下り降り、敵の先頭付近にいた馬を奪い取り、北へ向かって駆け出した。
敵兵たちが怒鳴り声を上げる。
「あれが指揮官だ! あいつを殺せ! 逃がすな!」
馬で街道をかけるシドの背後からいくつもの矢が飛んできたが、シドはそのまま馬を走らせた。
「今のうちにみんな逃げろよ。つっ!」
シドの皮の胴着を貫いて腰に矢が刺さった。
「痛い。俺はやられたことは根に持つ方でね」
シドは、胸元に入れていた黒い玉を背後に放り投げた。
「くらえ!」
背後で炎と悲鳴が聞こえる。
「ふん、思い知ったか。このシドに傷をつけた報いだ」
シドは後ろの様子を──
「うぁっ!」
振り返った拍子に、また飛んできた矢がシドの左目を射抜いていた。
「ヘロンガル隊長ー!」
誰かの悲鳴があがったが振り返る余裕はない。
「くっ!」
シドは思い切り馬の腹を蹴った。
強く蹴られた馬は、軽く飛び上がると、北へ向かって狂ったように駆けだした。
「おい、馬。おまえの好きなところへ行け。行く先はまかせるから」
身を伏せるように馬のたてがみにしがみつき、目を閉じた。
「……これまでか……」
すでに見える方の目もかすんできていた。腰に刺さった矢からの出血で下半身は、汗とは違う濡れ方をしている。手綱をつかむこの手は、そのうちに力が入らなくなるだろう。幸い誰も追ってきていない。大勢に囲まれて滅多打ちにされることはなさそうだ。
「フェール、すまん……これ以上は……俺はがんばった……おまえとの約束はたぶん守れない。俺とは生きて会うことはない」
いつか、王位を継いだ彼を支えるつもりでいた。正当なやり方で。父のような汚いやり方ではなく。
『おまえが王になったとき、俺が宰相をやる。俺はおまえの右腕として──』
『いやいや、王はザースがやるから、おまえはザースの宰相をやってくれよ』
まだ子供のころ、フェールとそんな話をした──。
過去のフェールの笑顔が頭をかすめていく。
『シドは私の親友だから、私が頼んだら、ザースの宰相をやってくれるんだろう? 私が王にならなくても』
──違う。王になるのはおまえだ。フェール、おまえしかいない。おまえの下ならば、みんなが自分から動く。必死でがんばるおまえを全力で支えたくなって。
「ぐっ……さらばだ、フェール……セヴォローンに光を……」
馬は血に染まったシドを乗せたまま、雪が舞う道を走り抜けていった。
山中のザンガクム軍は、シドの猛攻により三分の一の兵力を失ったが、作戦は変更されなかった。
天気が徐々に悪くなり、小雪がちらつき始めた中、ザンガクム兵たちは寒さに震えながらも、王都エンテグアにいるキャムネイ王の軍と合流すべく、寒い山道を突き進んでいった。
◇
一方、王妃マナリエナは、残った兵たちを連れて、サイニッスラ高原にある王家の別荘にいったん入ったが、そのままそこで待つことはしなかった。ラングレを火葬して骨壺に収めると、それを抱いて、付近の山間に散らばる山村に自ら足を運び、兵力と食糧、馬や武器などの提供を求めた。
「皆、聞いてください。わたくしはセヴォローンの王妃、マナリエナ」
小さな山村の人々は、こんな山中までやってきた王妃の姿に驚いて集まってくる。山村には、王や王妃の顔すら知らない者も多い。
冬を迎える山村では、若い者は出稼ぎに町に出ており、老人や子供しかいない家もある。それでもマナリエナは協力を求めた。ひとりでも戦力として必要。戦闘に向いていない老いた者でも、煮炊きや、火油用の玉つくりぐらいはできるし、寝具や馬など提供をしてもらえるだけでもありがたい。
王の遺骨を抱いた小柄な黒衣の王妃は、不思議そうに見ている人々の前で声を張り上げる。
「我が王や王子を残忍なやり方で亡きものにし、王都を血で汚した蛮人たちを許してはなりません。すぐにでも城へ戻るべきですが、わたくしひとりでは何もできません。皆の怒りと戦う勇気をわたくしに貸してください。セヴォローンから卑怯者を追い出し、平和をこの手に」
顔色も青白く、強風が吹けば倒れそうな姿をした小さな王妃の演説に、心打たれた山村の人々は、次々と協力を申し出た。
マナリエナは精一杯の力を振り絞り、休むことなくいくつもの村を巡った。
「皆で王都へ!」
マナリエナの元には、多くの人が集い始めた。
マナリエナは付近の山村を回っているうちに、ザンガクム軍が山中から近づいている、という報告を受けた。シドと戦ったザンガクム軍別動隊の生き残りが山間部を経由し、密かにエンテグアへ迫りつつあったのだった。
放置しておけば、ザンガクム別働隊は、昼過ぎにはエンテグアに到着しまう、と報告を受けたマナリエナは、すぐに、近衛隊長、白花隊長などを集めて協議した。
「今その軍と戦えば、わたくしたちは勝利できますか?」
「はい、王妃様。山中での奇襲ならば充分、勝ち目はあります。道に罠を仕掛け、彼らを足止めし、一気に襲えば勝利は可能です」
「うまくできるでしょうか。わたくしたちは、これ以上、人を失うわけにはいきません」
「犠牲が全く出ない、と言えばそれは嘘になりますが、我らの士気は高い。弓が得意な猟師が何人も志願兵になってくれました。谷筋で奇襲をかけ、ザンガクム軍の武器や食糧、そして、特に毛布などの防寒用品をうまく奪い取ることができれば、我が方の勝利にございます。この寒さの中、何もない山間部で物資を失えば、彼らは全滅します」
「わかりました。勝てる望みがあるなら戦いましょう。わたくしたちも物資が足りませんから、彼らの物資を全力で奪い、山へ追い込むのです。彼らを一兵たりとも王都までたどりつかせてはなりません」
雪が本格的に降り始めた中、マナリエナの寄せ集め軍は、山中を進むザンガクムに奇襲をかけた。長い山道歩きで疲れていたザンガクム兵たちは、奇襲に素早く対応できず、崖の上から降り注ぐ石や矢を避ける場所もなく、悲鳴を上げて狭い山道を逃げ惑い、谷へ転がり落ちる者が続出した。
◇
エンテグアの王城は港から離れ、内陸にかなり入った場所に建っている。港からは距離があるため、敵兵に港への上陸を許しても敵がすぐに城にたどり着く、というわけではない。城は堀も崖もない平地に建っているが、二重の高い壁に囲まれており、外壁を多少壊されたぐらいでは敵の侵入を許しはしなかった。
今、港は数多くのザンガクムの船が着岸し、港の警備兵たちと戦いが続いていた。その様子は城からでも確認できた。まだ城は包囲されていない。
フェールは城内から一歩も出ることはできなかったが、傷の痛みに耐えながら、王の代理として采配を振るい続けていた。
ラングレ王と宰相が殺害され、王妃が生き残りの全兵を連れてサイニッスラの別荘地へ逃げたという情報はすでに届いている。
港にいるザンガクム軍がさらに進攻し、この城が完全に包囲されて戦いが長期化してしまうと、この城は飢餓にさらされ、降伏せざるを得なくなる。
フェールは、ようやくできあがった城内にいる人の数を示す表をにらんでいた。
「戦える兵の数はこれだけか……武器はどれだけある? 食料はいつまで持つか」
その表には、アンジェリンがいる東の牢獄の欄に、女囚一、男囚二十八、と数字が入っていたが、フェールは気にも留めなかった。
その時、兵が報告に走ってきた。
「王太子殿下、エフネート・ヘロンガル警務総官が単独で帰城し、入城許可を求めておられます」
「単独? 今までどこで何をしていたのか。母上たちと一緒だと思っていたが違ったのか」
「それは存じませんが、今、お一人で門の外に来ておられます。全門閉門しておりますので、裏門から入っていただいてよろしいでしょうか」
「許可する。ただし、警務総官だけを入れたら即時閉門せよ。入ってもらったら、ただちにここへ通してくれ」
フェールはそう命じたが、エフネートは、なかなか姿を見せなかった。
昼過ぎに帰還したはずのエフネートが、フェールの元に参じたのは、冬の日が傾いてからのことだった。
フェールは、遅いと苛立ちながらも、表面上はおだやかに叔父を迎えた。
エフネートは、甥のフェールに王太子としての敬意を払って深く礼をした。
「王太子殿下、遅くなりまして申し訳ありませんでした。謀反人どもの処分に少々時間がかかっておりました。ご安心ください。城内の反乱者二十八名、すべて処刑完了しました。今、彼らの遺体を中庭に並べる作業をやっております。後程ご確認ください」
「なっ……反乱者全員を処刑……」
フェールは頬をひきつらせてエフネートを凝視した。




