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51.最期まで王族らしく

 葬列から一時的に離脱した王妃マナリエナの一行は、民家のない森の中にいた。侍女も兵士も、マナリエナのそばにいるのは王妃直属の白花隊の者ばかりで、近衛隊や、葬儀に駆り出された城の警備兵などはいない。

 マナリエナは、日当たりのよい草地の上に敷かれた布の上に座り込んでいた。


「王妃様、お水はいかがですか?」

 マナリエナは、侍女が差し出す水の杯を受け取ったが、気分が悪すぎてのどを通らず、一口飲んだだけで返した。 

「皆には心配をかけてしまいましたね。息子の葬儀だというのに、きちんと歩けないなんて、わたくしは本当に駄目な母親です」

 マナリエナは、青白い顔に浮かんだ汗を侍女に拭いてもらうと、ゆっくりと立ち上がった。「葬列に戻ります」

「もう少しお休みになられた方が……お顔色がまだ……お時間ならまだ余裕がございます」

「心配いりません、多少はよくなりました。ザースのそばにいてやれる時間はあとわずかしかないのですから、貴重な別れの時間をこれ以上失うわけにはいきません。まいりましょう」

 侍女たちはすぐに移動の支度を始めた。

 そこへ血相をかえたセヴォローン兵が走り込んできた。

「大変でございます! 葬列が謎の集団に襲われ、脇道に避難した国王陛下が、ザンガクムの兵どもに──」

 その兵は、王都の港に敵兵が押し寄せているという情報も伝えた。


 言葉も出ないほど驚いていたマナリエナの前に、屈強な兵に背負われたラングレが運ばれてきた。血まみれのラングレは、全く動いておらず、大きな人形のようにぐったりと力が抜けている。

「陛下?!」

 担いでいた兵が、ラングレをその場に下して横たえると、マナリエナはそばにしゃがみこんで様子を確かめた。


 ラングレの顔は細かい切り傷だらけだった。片腕と片足には血が染み込んだ布が厚く巻かれている。

 付き添っていた近衛隊長は、低くかすれる声で告げた。

「陛下はついさきほど身罷られました。手足だけではなく、背中にも矢が刺さって、出血がひどく手の施しようがありませんでした。一緒におられた宰相閣下は、眉間を射抜かれて即死状態で……お体を運べる人手が足りず、その場に残されたままになっております」

「ザンガクムの兵士たちに襲われたと今報告がありましたが、本当ですか?」

「はい。葬列前方に現れた武装集団に、我々近衛隊が気を取られている間に、陛下が襲われてしまいました」

「それは、キャムネイ王の命令だったのですか? ザンガクム兵の一部が勝手に行動を起こした、ということではないのですか?」

「キャムネイ王の命令に間違いありません。キャムネイ王は、我らの陛下が射抜かれて倒れたとき、屋上から大声で『首をとれ』と叫んだのですから。陛下を暗殺するために、あらかじめ伏兵を配置してあった路地へ連れ込んだのでございます」

「……ザンガクムは最初から計画的だったと……クレイア王女は、その時どうしていたのです?」

「王女が我らの陛下を勝手に路地へお連れしたところまでは見ていたのですが、その後の王女たちの行方は存じません。我々は、前方の敵の排除だけで手いっぱいで、ザンガクム側の動きを確認する余裕はありませんでした」

「そうでしたか……」

「我々が付近の住民の通報により異変に気が付いて陛下の元へ駆けつけた時には、陛下はすでに何か所もお怪我をしておられました。それでも陛下は、力の限り敵兵を倒し続け、王の名に恥じないご立派な最期をむかえられたのでございます」

 近衛兵たちが一斉に膝をついて王妃に頭を下げた。

「我ら近衛隊、陛下のために存在しているにもかかわらず、陛下をお守りすることができず、申し訳ございませんでした。ザンガクムの卑怯すぎる裏切り、心の臓まで煮えたぎる思いでございます」

 兵たちの間からも、次々とわびの声が漏れる。すすり泣いている者もいた。

 近衛隊長は続けた。

「我が近衛隊からも死傷者が多数出ておりまして、生き残った我らは、敵と戦いながら陛下をお連れするだけで精一杯でした。敵を撲滅することはできておりません」

 マナリエナは、混乱しながらも、王妃らしく落ち着いた声で返した。

「よくがんばってくれましたね。そなたらの健闘を称えます」

「それから、ザース殿下の御遺体ですが、残念ながら、所在が未確認でございます。我らが前方の敵と戦っていた時には、棺を守る余裕はなく、棺は道に放置されていたのですが、お連れしようと思った時には、いつのまにか中にあったお体だけが消えていました」

「空の棺だけが残っていたということは、葬列の後部にいた警備隊か、参列していた貴族たちが安全な場所へ運んでくれたのでしょう。混乱の中で重い棺を持ち出すことは困難なこと。緊急事態の今は、遺体の所在を大急ぎで調査する必要はありません」

「さらにもうひとつ報告がございます。陛下は最期に『サイニッスラ』とおっしゃったのですが、なにぶん、お声が弱々しく、他の御言葉は聞き取れませんでした」

 ラングレの死に顔を眺め続けていたマナリエナは、ハッ、と顔をあげた。

「サイニッスラですって!」

「今我々がいるこの小道は、サイニッスラ高原につながっております。陛下は、サイニッスラ高原まで逃げよ、と命令なさるおつもりだったのかもしれません。我々は城への退路を塞がれており、いつ敵が襲って来るかわからない状況でございます。逃げ道は高原方面だけでございます」

「そう……かもしれませんね。今は城へ戻ることをあきらめて、サイニッスラ方面へ逃げよと……」


 サイニッスラ高原は、貴族たちの大きな別荘がいくつもあり、避暑地として人気の場所で、アンジェリンが幼いころを過ごした家もこの地の一角にあった。

 高原はいくつもの深い谷で分けられており、坂を上らないとどの別荘にもたどり着けない。道は限られており、攻めにくい構造で、押し寄せる大勢の敵から身を守るには好都合だと思われた。マナリエナ自身も、毎年その地を訪れており、特別な思い出がある土地だった。

 マナリエナは物言わぬ体になった夫の頬に指先で触れた。

 ――サイニッスラで起こった出来事のことで、わたくしと陛下の心は完全に離れてしまった……。

 夫の体はまだ生暖かく、つい先ほどまで生きていたのだとわかる。しかし、口元に手を当てても息はしていなかった。

 ――あなた、どうして、あの時……。あなたは最低の人。何年経っても、わたくしはあなたを許したわけではないけれど、でも、年齢を重ねれば、いつかまた、わかり合える日がくるかもしれないと思っておりましたのに。

 あふれてきたサイニッスラの思い出に気をやっていたマナリエナは、兵の声に過去の回想を切られた。

「王妃様、急ぎ、我らにご命令を。ここで迎え撃つか、それとも逃げるか、選択をお願いします。後方に見張りを置いてきましたが、それも数名しかおらず、このままここで何もせずにじっとしていては、危険でございます」

 マナリエナはすぐに決断した。

「城に帰れないならば、この道を北西に進み、サイニッスラ高原内にある王家の別荘へ向かいましょう。途中の村で食料や、武器、馬などの、物資の提供をお願いしてみます。城に残してきた王太子のことは心配ですが、今は体制を立て直し、城へ戻る準備をするしかないようですね。すぐに移動です」


 王妃を守る白花隊、そして、葬列から生き残った近衛隊と警備隊、そして王妃に付いている白花館の侍女や侍従など、一行は一丸となり、高原へ向かった。馬車どころか、馬も荷車もない。ここで敵を迎え撃つだけの武器も人数もいない。逃げるしかなかった。


 マナリエナは、体調の悪さを押し隠し、重い足を動かしながら歩いた。

 すぐ後ろにラングレを乗せた担架が付いている。

 ──本当に殺されてしまったのですね。クレイア王女は最初からこうするつもりで陛下に取り入って……。わたくしは何もできなかった。わたくしがこのラングレがやったことを許していたなら、そして、今もこの人の支えであり続けていられたなら、この人が王女に信用を寄せすぎることもなく、言いなりになることもなく、違った運命があったのかもしれませんね……。

 マナリエナは、ここにいる人々は、自分と一緒に全滅するかもしれないと、心の中で思った。誰もそれを口にはしない。サイニッスラ高原は、普通ならば馬車で行く場所。徒歩ならば丸一日かかると思われる。食料も武器もなく、追われるだけの冬の行軍。すべてに絶望の香りがした。

 ──それでもわたくしは王妃。王に代わってわたくしが、ここにいる者たちを守らなければ。最期までセヴォローンの王妃としてこの首が落とされる瞬間まで。

 気を引き締めると、涙など出てこなかった。今は泣くよりも先にやるべきことが数多くある。

 ──フェールにはこのことはまだ伝わっていないかもしれないけれど……あの子はあの子なりに考えて、城を守ってくれるでしょう。

 王都の港を犯すザンガクム軍の情報を入手していても、今はできることが何もない。

 ──フェールが負けて、エンテグアの城が陥落してしまったら、わたくしはこの身に剣を突き立てて、陛下の元へ参りましょう。



 この時点では、フェールは、父王の死はまだ知らず、アンジェリンと隣り合わせの石牢の中で深い眠りに落ちていたのだった。


 その時間のエンテグアの城内は、反乱兵と、それを阻止しようとする兵士同志の戦いで入り乱れていた。

 戦うすべを知らぬ侍女たちは、まとまって一つの侍女部屋に集まって鍵をかけ、身を守っていた。侍女たちと共に仕事をしている侍従たちは、ほとんどが葬儀の方に出ている。

 侍女部屋の中に、アンジェリンの同僚、ココルテーゼもいた。


 ココルテーゼは、不安がる他の侍女たちと励まし合いながら、騒動が収まる時を静かに待っていた。

 ──エフネート様がおっしゃっていたのはこのことだったのね。城内で異変があるかもしれないって。

 ココルテーゼのすぐ横の椅子に座っているマリラ侍女長がぶつぶつ怒っている。

「なんてことでしょう。こんな非常事態に反乱なんてあってはならないこと。弔問客のお食事の準備もお部屋の用意もまだ整っていないのに」

 ココルテーゼはマリラの愚痴を聞き流しながら、小窓から見える外に目をやった。人の悲鳴や怒鳴り声がどこかから聞こえてくる。

 ──おとなしく待っていれば危険はないと、エフネート様はおっしゃったわ。でも。

 ココルテーゼは茶金色のふわふわした髪をかきあげ、密かに眉を寄せた。

 ──エフネート様はどうして反乱が起きるって知っていらしたのかしら? 警務総官だから?


 侍女部屋にこもっていたココルテーゼたちは、騒ぎが収束すると、大広間に集められた。王太子直々に話があるという。

 ココルテーゼたちが、大広間に行くと、そこには手の空いている者たちが集められていた。玉座のすぐ横にある椅子にフェールが座っている。

「皆、聞け。我が国は、ザンガクムとシャムア、両方の国から同時に戦いを仕掛けられた。葬儀に出ている陛下とは連絡が取れない状態にある」

 フェールはゆっくりと立ち上がると、冷たい表情で、手にしていた剣を抜いた。

「私を殺したいと思っている者が、この中にまだいるならば、かかってこい。王家の血でその身を染めて目的を遂げるがよい」

 大広間はしんとして、みんなうつむいたままだった。誰も動かなかった。

「裏切り者はこの中にはいないと私は信じたい。今は城内で揉めている場合ではない。皆、心をひとつにして、全力でこの城を守るのだ」

 フェールは手にしていた剣を頭上に掲げた。

「皆がいる限り、セヴォローンの太陽は永遠に沈まない。セヴォローンばんざい!」

 ココルテーゼも頬を染めて、皆と一緒に声を上げた。

「セヴォローンばんざい! 王太子殿下ばんざい!」

 



 ◇


 アンジェリンは、外の喧騒とは全く関係なく、あいかわらず同じ牢獄の中で横になっていた。

 フェールだと思われる『高貴なお隣さん』が出獄した後、何人もの『反逆者』たちが牢獄に放り込まれ、静かだった牢獄は一気ににぎやかになった。

 アンジェリンのところからは他の部屋が見えず、何人が捕まっているのかはわからないが、牢獄は満室となったようで、ひとつの部屋に何人も一緒に入れられているようだ。

 あちこちの部屋から複数の話し声が聞こえる。声の種類から判断すると、かなりの数……少なくとも二十人前後はいそうだ。やはり、城内で反乱があったことは間違いない。


 退屈していたアンジェリンは、『隣人たち』の話に耳を澄ませた。

 男たちの声に耳をすませていると、アンジェリンの知っている名前が耳に飛び込んできた。

「畜生! エフネートめ。こんな寒いところに閉じ込めやがって。話が違うじゃないか」

 アンジェリンはさらに耳に神経を集中させた。

 ――捕まった人たちがエフネート・ヘロンガル様の悪口を言っているの?

 別の声が応じている。

「俺は最初から怪しいと思ったぜ。そもそも、警務総官をやっているようなやつがそんな話を持ってきたこと自体おかしかったんだ。陛下に反旗を翻すなんて……俺たちは嵌められた。武器庫の前には警備兵がずらりとお迎えだったじゃないか。先に計画が漏れていたに決まっている」

「エフネートのやつ、王太子殿下を殺せば、次の王はいなくなるから、議会政治が実現して廃貴族制度は完全に廃止できると言いやがったな。大嘘つきだ」

「これは俺たちのような廃貴族を全滅させる作戦だったんだ。ザース殿下を暗殺したのもどうせあいつだ。あいつ、今頃陛下たちを殺したんじゃないのか? 王族と俺たちをうまく排除してザンガクムに城を売り渡すつもりだ」

 アンジェリンは息をとめた。

 ――亡くなったのはザース様だった……陛下たちを殺す? ザンガクムが絡んでいるの?

 アンジェリンは、マニストゥの家での出来事をふと思い出した。あの家で死んだイルカンという若い男もザンガクムと言っていた。


 聞こえてくる話を拾ったアンジェリンは、状況がようやくつかめた。

 ザース王子が暗殺され、葬儀で国王夫妻や警備兵の多くが城外へ出た隙に、王太子を殺して城を制圧するよう、廃貴族の一部の人に、エフネートからの指示があった……。そしてエフネートは裏切り、計画に従い反乱を起こそうとした人々は捕まってこの牢獄へ。城外でラングレ王が本当に襲われたのかどうかはここでは確認できないが。

 捕えられている人々は、どうやら廃貴族ばかりらしい。

 ──あの中にレクトもいるの?

 彼が届けてくれた暖かい毛布を握りしめる。あんなにやさしいレクトでも、フェールを殺したいと思っていたのだろうか。多くの声が響いていて、レクトの声が混じっているかどうかの判別はできない。

 ――エフネート様は恐ろしい人。やっぱりザンガクムと通じている。

 アンジェリンは、裁判の前のエフネートの顔を思い出し、身震いした。彼が心まできれいな人間ではないということはすでに知っている。

 ――あのディンは今どうしているの? エフネート様が反乱を計画したことは知っているの? ザース様が亡くなられて、どんな思いを抱えているの? 王女様は敵なの? 政略結婚はどうなったの?

 さまざまな思いを吸い込ませるように、毛布に顔を埋めた。

 弟王子が亡くなった今、フェールはおそらく悲しみに打ちひしがれている。弟に王位を継がせると、彼はあれほど言っていたのだから。

 フェールの悲しそうな顔を想像すると胸が痛い。

 ──でもディンは、人前では悲しい顔はしていないと思うわ。心の中で泣いていらっしゃるはず。この状況をどうにかしようと、必死でがんばっているに決まっている。あんな深い傷を負っているのに。

 アンジェリンには想像できた。フェールは王太子をやめたいと言っていたが、今は、絶対に王太子の座を放り出して逃げたりはしない。意識がある限り、王太子としての務めを果たすだろう。

 ──あの人は私がまだ処刑されずにここにいることは知らないでしょうね。あの人の今後のためを思えば、それでいいけれど、今は、おそばにいて、そっと抱きしめてあげたかった……。


 牢の人々は愚痴を言い続けている。

「俺たちは処刑だろ? 遺書を書いておくべきだった」

「俺たちは騙されただけで、被害者だ。なんで死なないといけないんだ。騒ぎは起こしたけど、王太子殿下を殺していない」


 アンジェリンは、それ以上聞くことがつらくなり、毛布を頭からかぶった。

 ここに入れられている人々は、怪我で動けない愛する男性を本気で亡き者にしようとしていたのだ。彼を殺すことが正しいと信じて。


 反乱を起こしたと思われる多数の人々は、何日もここにいることはなく、やがて全員連れ出され、二度とここへ戻ることはなかった。


 牢獄は再びアンジェリンひとりきりの世界になった。

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