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27.海賊襲来

 酒場に緊張が走った。

 グフィワエネ……異国の言葉で「黒い神様」という意味の海賊。

 薬師の村を滅ぼしたのもこの集団。

 気持ちよく飲み食いしていた人々は皆、ざわめき、立ち上がったが、こういう状況の経験者はいないらしく、それぞれ不安そうに窓の外の闇を見つめた。


 フェールはひきしまった顔になり、すばやく剣を取ると、アンジェリンに命令した。

「すぐに二階に上がって、荷物と一緒に寝台の下に隠れろ。イルカンの短剣はあるな? それと毒針も」

 アンジェリンは頷いた。フェールが値切って買ってくれた高価な短剣は、逃げたマニストゥが持ち去ってしまっており、アンジェリン用の剣はイルカンの遺品しかない。それでも一本の剣でもあれば、安心感は大きく違う。


「いいか、命の危険を感じたら、相手を殺してもかまわない。建物に放火されたと思ったら、ただちに窓から飛び出すのだ。わかったら上へ行け」

「ディンは……ディンは戦うのですか?」

「戦いたくはないが、戦わないとどうしようもなさそうだ。馬で逃げるにしても、何人もいる盗賊相手に二人乗りの老馬で逃げ切れるとは思えない」

「でも」

「心配するな。私は簡単にやられはしない。やつらは、おそらく酒目当てだから、いきなり放火はしないと思う。やつらが入ってきたら殴り倒してやる」

「大丈夫でしょうか」

「いいから、早く行け! すべてが終わるまで灯りを消して隠れていろ。私が許可するまでは勝手に出歩くな」

 フェールの剣幕に、アンジェリンは飛び上がるように、二階へ駆け上がった。

 また足手まといになるわけにはいかない。


 アンジェリンは、宿泊している部屋の暗い寝台の下へ潜り込んだ。

 寝台の下はひどい埃だった。息を吸い込むたびに埃が口に入ってくる気がするが、一階の様子を知るために、埃まみれの床に耳をつけた。

 一階では、酒を飲んでいた誰かが外へ出ていこうとしたようだが、フェールがそれを止めているらしかった。


「今外へ出ると危険だ」

「なんであんたに止める権利がある。女房と子供が家にいるんだ。どけ!」

「落ち着け。外には軽く十五人ぐらいはいそうだ。あれでは自宅にたどり着く前にやられて終わりだ。家族をひとりも助けられないが、それでいいのか」

 男が黙ると、フェールは凛とした声で酒場を制した。

「聞いてくれ。ここにいる皆で協力すれば絶対に勝てる。やつらは金と酒を目当てに必ずここへ入ってくる。襲撃に備えて準備しようではないか」

 複数の声が応じた。

「そうだ、その人の言う通りだ。やつらに金を渡してたまるか」

「すぐに裏口を封鎖し、入り口も扉が開きにくい状態にするのだ。その入り口からひとりずつしか入って来られないようにしろ。やつらが一列になって入ってきたら狙いを定めておき、突然灯りを消して襲いかかってやればいい。各自、何番目に入って来たやつを担当するか決めよう」

 人々は相談しているようだった。「俺が」「じゃあ、俺は」などの声が聞こえる。しかし、戦うことに不安を覚えている者もいる。

「無理だ。相手はグフィワエネだぞ。俺らは戦士じゃないし、武器もない。戦う自信なんかない」

「戦いたくない者は、倒れた敵を素早く縛りあげる役をやればよい。亭主、敵をしばる紐をすぐに用意してくれ。相手に近づかれるのが怖いなら、酒瓶や皿を複数準備しておき、確実に投げられる位置につけ。うまく出来なかったら椅子を盾にして身を守れ。海賊を恐れるな。ここなら狭くて彼らも自由は効かない。急に室内を暗くして、やつらがうろたえたところを急襲すれば必ず勝てる。十人以上入って来ても勝つことは可能だ」

 誰かがフェールに反論した。

「その話し方、おまえ、セヴォローン人だな。外国人の若造が偉そうに命令するな。そんなにうまくできるわけがねえ。ここへ入って来ない海賊はどうする。やつらはたくさんいるんだぞ」

 フェールは即座に答えた。

「ここでやつらの数をかなり減らすことができれば、勝利の杯は我々の物になる。この村に来ているやつらは二十人以上いるかもしれないが、狭い場所ならば、相手が大勢いても関係ない。もちろん、勝てるかどうかは賭けと同じだ。とにかく時間がない。すぐにやつらは来る。他に名案があるなら出せ」

 相手は何も言わなかった。

 フェールは続けた。

「では、戦わずに黙って好き放題させるのか? 相手は残虐行為をためらいなくできる集団だ。物を盗られるだけで済むとは思えない。ぐずぐずしていたらここは放火される」

「……わかった。あんたの言う通りにしてみよう。みんな、この人に協力してやろうじゃないか」


 店内はフェールの指示で椅子などを移動させる音が聞こえ、そのうちに静かになった。

 どこかの家が襲われているのか、外からは悲鳴が聞こえる。アンジェリンは無意識に目をきつく閉じていた。女性の死に際のような叫び声が耳に刺さる。

 海賊は、近所の店の略奪が終わればここへ入ってくるだろうか。もちろん、誰も来ない可能性もある。その場合はどうしたらいいのだろう。フェールの作戦が無意味なものになってしまう。

 アンジェリンは耳を澄ませたが、一階にいる人々が、どの位置にいるのかはまったくつかめなかった。さらに床に耳を密着させて音をさぐろうと――

 階下でガチャリと音がした。扉が開かれたようだ。

 ――来たわ!


「なんだこの店は。狭い入口だし、暗い店だな」

 数人の靴音がした。何人かが外から中へ入ってきたようだ。

「おまえが亭主かよ。俺たちはグフィワエネだ。酒だよ、酒を全部よこせ。さっさと出さないと刺し殺すぞ。ついでに売上金もよこせ。ありったけの酒樽を出して、外の荷車に積め。出し惜しみするなら、ここにいる全員を殺して放火してやる」

「わかりました。お酒は全部さしあげますから、放火はかんべんしてください」

「おう、物分かりがいい亭主だな。すぐに出してこい」

「はい、ただいまご用意いたします。代表者の方はどなたでしょうか」

 亭主は打ち合わせ通り、誰が首領なのかをさりげなく確認している。入ってきた中に首領はいなかったようで、誰かが「外にいるぜ」と答えた。

 その後すぐに、首領らしき男が入ってきたようで、命令口調で海賊たちをけしかける男の声がした。

「やろうども、酒も金も全部奪い取れ。女がいたらそれもいただきだ。抵抗するやつは殺せ」

「おおっ!」

 亭主は物を壊されまいと、海賊相手に穏やかに対応している。

「酒樽を出しますから、どなたかこちらに入って手伝ってくださいませんか」

 人が移動する音。ここまではフェールの筋書き通り。敵は固まらず一人ずつに分かれ、こちらが戦いやすい体制が整ったと思われる。

 と、その時、バタンと音をたてて扉が閉まり、フェールの声が鋭く響いた。

「今だ、消せ!」

 声と同時に、酒場は戦いの場と化した。


 瓶が割れる音。複数の怒鳴り声。剣などの金属が合わさっていることがわかる。

 アンジェリンは寝台下で強く短剣を握りしめながらフェールの声を探した。複数の声が重なり合って聞き取れない。

「このやろう」「なにしやがる」「子供が混じっているぞ」「出て行け」「そこだ!」「海賊を捕まえろ」

 さまざまな怒鳴り声と人が殴られるような音と、悲鳴、そして、うめき声。

 ――ああ、ディン! 神様!

 とてもじゃないが、おとなしく聞いていられるものではない。

 彼は無事なのだろうか。こんなところで怪我をしてしまったらどうしたら。いや、怪我だけで済めばそれは運がいいのかもしれない。下は本当に戦場だ。断末魔のような恐ろしい絶叫も聞こえる。

 アンジェリンはカチカチと音がするほど震えてしまう歯を抑えるため、手にしている剣の柄を噛んだ。せり上がってくる泣き声を押し殺す。マニストゥの家での記憶が生々しくよみがえった。今、この瞬間にも下では誰かが死んでいるかもしれない。


 乱闘の中、誰かが走り出ていったようだ。

「逃がすな!」

 そう叫んだのは誰かわからない。

「追え! ここに来たやつらは全員負傷させたはずだ。首領は仕留めたし、手下のほとんどは弱っている。今ならば、皆で協力すれば絶対に勝てる。皆、行くぞ! 罪なき村人を救うのだ。相手は戦闘の素人ばかりだ。怖がることなどない」

 ――ディンの声? お怪我は?

 逃げた者を追うように、複数の足音が外へ抜けて行った。


 皆が出て行ってからは、酒場内の乱闘の音はしなくなったが、屋外からの喧騒は相変わらず続いていた。



 アンジェリンはそのまま寝台の下で、ずっとフェールを待ち続けた。

 彼はおそらく今は、酒場内にはいない。

 心配のあまり飛び出したい衝動を押さえ、ほこりまみれの寝台の下で、ひたすら待つ。

 今はこの通りではなく、もっと遠く、少なくとも通り一本以上離れていると思われる方向からかすかに戦いの音が聞こえてくる。馬のいななき、人々の叫び声。しかし、フェールの声が拾えない。



 さらに待ち続けていると、誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきた。アンジェリンは体を堅くした。

 ギシギシと床をきしませながら歩く音が徐々に大きくなってくる。まさか、全員がグフィワエネに負けてしまった、とは思いたくない。

 足音はアンジェリンの部屋の前で止まり、扉がたたかれた。

「奥さん、店の亭主です。御主人から伝言ですよ。下の怪我人の治療をするようにとのことです」


 緊張が一気に緩み、アンジェリンは泣き顔のまま寝台下から這い出た。

「あの人が怪我をしたんですか?」

「いいえ、ご主人は大丈夫です。いい薬をお持ちだそうですね。すみませんが、少し私にも使わせてもらえませんか」

 ひげ面の亭主は、左の二の腕が少し切れて血を流していた。

 アンジェリンは、セシャの塗り薬の小瓶を取り出して、手当てをしてやりながら、恐る恐る訊ねた。

「あの、私の夫は……」

「他の家を助けに行かれました。御主人、セヴォローンの軍人ですか? 命令することに慣れておられる。あの統率力、決断力、ただ者じゃない。おかげさまで助かりました。瓶や皿がいくつか割れて散らかっただけで、金も酒も盗られておりません」

 とりあえず、フェールは無事だったと聞き、アンジェリンは少しだけほっとした。しかし、彼はまだ戦っており、命を失う危険がなくなったわけではない。心配しつつも、亭主の手当を終え、急ぎ、一緒に酒場へ降りて行った。


 一階の酒場は、鼻をつくほどの酒の臭いが充満していた。さきほどまで平和だった場所は、めちゃくちゃに散らかっていた。床は散乱する割れ瓶と血とこぼれた酒で足の踏み場もない。椅子はあちこちに倒れ、壊れているのもある。入り口付近にしばられて転がされている男がうめき声を上げ続けていた。他にも倒れている男がいるが、そちらは全く動いておらず、首に紐が絡まり、顔がどす黒くうっ血していた。

 ――あれは、グフィワエネの人? 死んでいる……。

 店内には、この他に人はいなかった。


 亭主は、うめいている男に憐みの目を向けた。男の頭には大きな切り傷ができており、血が流れ続けていた。

「こいつはグフィワエネの一味としてここへ入ってきましたが、どう見ても子供です。かわいそうなこの子に薬を塗ってやってください」

「えっ、グフィワエネって子供もいるんですか?」

「私も、灯りをつけたらギョっとしましたよ。まさか、子供が混じっているとは」

 アンジェリンは、縛られて床に転がされているグフィワエネに近づいた。確かに子供にしか見えない。成長しきっていない体は細く小さい。薬師の村のルウニーと同じぐらい、十歳ほどか。

 亭主は、やりきれない、というふうに横に頭を軽く振った。

「こんな子供が海賊をやっているとは……昔、別れた女房が連れていった私の子がちょうどこれぐらいの年でしてね、一瞬、自分の子かと思いました。いくら海賊でも、こんな子供に手をあげることなど、私にはできません。捕まえて縛り上げるだけで精一杯でした。あばれるから床に散らかった割れ瓶で頭を切っちまったんですがね」


 少年は、荒い息を吐きながら、キッ、とアンジェリンをにらみつけた。

「俺はグフィワエネだからな! 俺たちに刃向ったおまえらなんか、全員殺されるんだぜ。今に見ていろよ、そのうちにこんな店なんか丸焼きさ」

 アンジェリンは、少年の脅しを無視して手当てにかかった。少年の黒っぽい巻き毛をかき分けて傷の位置を確認し、セシャが作ってくれた薬をしっかり塗り込む。

「痛え。もっと上手にやれよ」

「怪我人が偉そうにしないで、おとなしくして。ちゃんと傷を治しましょうね。海賊なんかやっているからこんな痛い目に遭うのよ」

「痛えって言っているだろ。ひでえよ……俺だってさ……俺だってこんなのは」

 少年はそう言ったとたん、大粒の涙をこぼし、大声で泣き始めた。

「もういやだ。うわあああん……」


 アンジェリンは手当てを終えると、しばられたままの少年の頭を自分の膝に乗せて抱きしめてやった。少年はアンジェリンの膝の上に大量の涙をこぼして泣き続けている。

「かわいそうに。辛かったのね」

「俺、家に帰りたい。この薬の匂い、母さんが作っていた薬と同じ匂いがする。母さん、もう会えないかもしれないんだ。母さんに会いたい。こんな暮らしはいやだよう、うぅ」

「なら、どうしてグフィワエネにいるの? こういう野蛮な海賊集団だって知らずに入ったの?」

「グフィワエネはみんな悪い人たちだって知っていたけど、お金がたくさんいるから」

「私が聞いていいことかどうかわからないけど、おうちに借金でもあるの?」

「母ちゃんがグフィワエネに捕まって奴隷にされて売られちゃったんだ。買い戻すには、お金がいっぱいいるって、グフィワエネの偉い人が言うんだ。いっぱい稼いで来たら、母ちゃんを買い戻して、俺たちも自由にしてやるって」

 アンジェリンは悲しい気持ちになりながら、少年の話を聞いていた。海賊たちはそうやって人を集め、こき使って資金を集めているのか。

「そう……じゃあ、あなたのお父さんは」

「父ちゃんは」

 落ち着きかかっていた少年の目から、再び大粒の涙があふれ出た。

「もういない。グフィワエネが突然俺の村に大勢でやってきて、抵抗した父ちゃんを馬で引きずりまわして殺した。俺の父ちゃん、血だらけになって死んじまった。でも今の俺は、同じようなことを人にやっている。俺、どうしたらいいかわかんねえよ。命令通りやらないと殺される」

 少年は悲しい過去を思い出し、声を上げて泣いている。アンジェリンは、少年の頭をやさしくなでてやりながら、薬師の村の母子の話を思い出していた。同じような話。この少年の故郷もあの村と同じ運命をたどったのだろうか。

「もしかして、あなた、薬師の村の子? チェペっていう山間の村のお話と似ているわ」

 しゃっくりあげていた少年は、黒っぽい目を開いて、驚いた顔をした。

「それ、俺の村だ」

 アンジェリンが、チェペ村へ行ったことを話してみると、少年はルウニーのことも知っており、彼女とは近所同士でよく知った間柄だったと言う。少年はなつかしむような目をして村での生活のことを語った。

「ルウとセシャおばさんは捕まらずにまだ村にいるのか。あの日、みんな捕まっちまったと思っていたぜ」

 アンジェリンは、そこで突然気が付いた。

 今フェールが戦っている相手の中に、この少年の他にも薬師の村の人がいるかもしれない。

 焦って早口で訊ねる。

「ねえ、そこに倒れている人も同じ村の人?」

「違う。そいつはいつもグフィワエネの偉い人に命じられて、俺たちを選んで連れ出す役をしていた」

「今日一緒に来た中には、同じ村の人はいないの?」

「俺の兄ちゃんもいたけど、もうだめだ、その人みたいにみんな死ぬ。何も盗らずに逃げ帰ったら、大勢の前で死ぬまで殴られるんだ」

「大変だわ! ちょっとごめんね」

 アンジェリンは少年の頭を膝からおろして立ち上がった。今、愛するフェールが戦っているのはこの少年の身内かもしれない。いや、身内が混じっているとこの少年ははっきり言っている。ルウニーの父親も来ているという可能性だってある。

 ――彼を止めないと。

 戦いをやめさせないといけないが、相手が襲ってくる以上、こちらも戦うしかない。

 ――どうしたら。

 アンジェリンは考えがまとまらないまま、ささやき亭を飛び出していた。


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