28.村の英雄
海賊たちの中に薬師の村の人がいる!
アンジェリンは暗い道を走り出したが、すぐに大声で背後から呼び止められた。
ささやき亭のひげの亭主だった。
「暗くて危険ですよ。護身用にこれをお持ちください」
亭主は足を止めたアンジェリンの方へ駆けてきて、ランタンと短剣を渡してくれた。アンジェリンは、胸ポケットの中にイルカンの短剣を隠し持っていたが、せっかく持ってきてもらったので受け取った。
「ご主人はたぶん村の広場のあたりにいると思いますよ。すぐそこを右に曲がったら、その後は道なりに坂を上がった先です」
アンジェリンは礼を言うと再び走り出した。渡された短剣はアンジェリンのものではなく、血が付着しているように見えたが、そんなことを気にしている暇はない。
――早く!
心まで汗だくだ。
フェールがルウニ―の父親と戦っているかもしれない。
もちろんそれは、そういう可能性がある、というだけの話。
それでも、薬師の村の人が混ざっているならば、早く彼に伝えた方がいい。伝えてどうする、どうなる、ということは自分でもわからないが、小さな可能性は捨てたくなかった。
――チェペ村の方ですか? って聞いてみたら、相手は戦いの手を止めてくれるかも。
アンジェリンは、抜き身の短剣を手にしたまま通りを駆け抜けた。亭主に教えてもらったように、道はやがて登り坂になり、その先に複数の明かりが見えた。
坂道の傾斜が徐々に急になってきて、足が重くなり、途中から走れなくなってしまった。肩で大きく息をしながら必死で坂を上っていくと、坂の上から数人がかけ降りてくる。
――海賊? 村の人? どっち?
恐ろしい勢いで坂を下ってくる人々。十人ぐらいで、影は大きく、男性ばかりに見える。
アンジェリンは、危険を感じ、坂道途中にある建物の陰に隠れた。
「海賊を逃がすな!」
聞き覚えのある声に、壁の影からそっと顔だけを覗かせてみた。人々は土石流のように坂道を下っていく。
どうやら、先頭を走っている二人が海賊の一味で、それを数人が追っているようだとわかった。追手の中にフェールの姿があった。
アンジェリンが見ている前で、フェールは海賊たちに追いつき、その一人に背中から飛びかかり、相手をうつぶせに押し倒した。倒された海賊に他の人々がワッとたかって、ほうきや棒などで殴りつける。
フェールは相手が倒れるとすぐに身軽に身を起こし、さらに逃げているもう一人を追っていく。その相手にもすぐに追いつき、肩に飛びついた。飛びつかれた相手は転倒したが、フェールに掴みかかり、二人、もみ合ったまま坂道を転げ落ちていった。
相手の手に光る刃物を認めたとき、アンジェリンは声をあげてしまっていた。
「危ない!」
アンジェリンは建物の影から走り出た。亭主に借りた短剣を握りしめる。
――ルウちゃん、ごめんなさい。
相手は薬師の村の人であったとしても、愛する男の身が危険ならば、この剣を使うことをためらってはいけない。声をかけたら戦いを止めさせることができるかもしれないなどという小さな希望は、甘いだけの理想論だった。うっかり声をかけたことで、フェールの気が散って刺されてしまったら。
フェールは海賊と一緒に坂道の下まで転がっていってしまい、闇の中で姿が見えなくなった。
アンジェリンはもつれそうな足で坂を下り始めたが、突然、横道から大声がした。
「グフィワエネがまだここにいるぞ! 気をつけろ、女のようだが剣を持っている」
「えっ、私?」
アンジェリンは、あっという間に数人の男に囲まれてしまった。
「違うんです。私は海賊じゃなくて、夫にどうしても伝えたいことがあって」
アンジェリンは自分でもわかりにくい説明だと思った。どう説明すればいいのだろう。急がないとフェールが心配だ。
男の一人が、アンジェリンの顔に松明を近づけた。炎の熱に顔が照らされる。
「この村では見かけねえ顔だ。しかも、血の付いた剣を持っている。おい、女、その剣で誰を殺した。このグフィワエネめ! こんな貧しい村まで略奪に来やがって」
「剣は護身用に借りただけです。私は――っ」
フェールは、海賊の男と絡み合ったまま坂道の下まで転がり落ちた。ナイフを持っている相手は、なかなかしぶとく、手首を折れんばかりに強くつかんでもナイフを離そうとはしない。力を弛めれば刺される。
相手はうなり声をあげて体を左右に振り、フェールの拘束を全力で解こうとする。フェールは相手を下にして、全身で相手を押さえ込んだ。やがて、追いかけてきた村人たちが二人を取り囲んだ。
「私が抑えている今の内に、こいつの手足を縛り上げろ!」
フェールの声に応じた村人たちが、海賊の手先を蹴ってナイフを取り上げ、その手足に縄をかけた。海賊はあっけなく捕まり、フェールは、海賊から離れることができた。
「ふう……これで全部か?」
フェールは、立ち上がって服の埃をはらった。
村人たちは彼をほめたたえた。
「あんた、すげえ強いな。怪我してねえか? 肘が破れている」
「ああ、大丈夫だ」
人々は歓声を上げ、捕まえた海賊の体を坂道の上へ向かって運んでいく。
フェールも村人たちと共に、ゆっくりと坂を上り始めた。
「ん?」
フェールは首を回した。知っている声がどこかから聞こえた気がする。
「私は海賊ではありません! 離してください」
坂の上の方を見ると、縛られて引きずられていく人の姿が、人々の隙間から見えた。捕まって叫んでいるのは女性のようだ。
目を細めて確認した。
「アン!?」
「なぜ、こんなところに」
フェールは、急な坂道をものともせず、勢いよく駆けあがってくると、村人たちをにらみつけた。
「今すぐこの女性を解放しろ。彼女は海賊ではない」
アンジェリンを引きずっていた男たちはみんな、納得できない、という顔をした。
「海賊じゃねえってか? この女は血染めの剣を持って隠れていたんだぜ。誰かを殺したに決まっている」
アンジェリンは強く反論した。
「ですから、それはささやき亭のご主人から借りた剣だと何度も言っているじゃないですか。借りた時から血がついていたんです。あの酒場の中で怪我をした誰かの血だと思います。私は誰も刺していません」
フェールは人々の囲みを破り、アンジェリンのすぐ横に立つと、冷たい目で男たちを見据え、低くすごんだ声で言った。
「この女性は私の妻だ。妻を人殺しだと決めつけるならば、私は全力で皆と戦って妻を解放する」
フェールは腰の剣を抜き放った。
「妻を離すことができないと言うならば、私はこの剣を皆の血で満たす。大勢相手でも戦う」
人々は黙り込み、顔を見合わせた。
そのうちに、騒ぎを聞きつけてさらに人が集まってきた。
しばらくにらみ合いが続いたが、後からやってきた来た誰かが小さな声で証言した。
「この女の人は、グフィワエネとは無関係だと思うぜ。やつらが来る前から、ささやき亭で、この怖い兄さんといちゃいちゃしていたのを俺は見たんだなあ……」
その一言で、場の緊張は弛んだ。
「なあんだ、グフィワエネじゃなかったのか。勘違いして悪かったな」
村の男たちは、頭を下げたり、頬をポリポリかいたりしながら、アンジェリンとフェールに謝罪した。
「すまん。あんたの女房とは知らずに手荒に扱っちまった。みんな、気が立っていたんだ。見かけねえ顔だったから、絶対に海賊かと思っちまった」
フェールは謝る男たちを無視し、怒り顔のままアンジェリンの体に巻きついている縄をほどいた。
村人たちが広場の方へ去ると、アンジェリンとフェールはその場に二人だけになった。
「あの……ディン、お怪我は」
フェールは不機嫌丸出しで、唇を捻じ曲げている。
「そんなことどうでもよい。なぜ出てきた。私は、おまえに、待っていろ、と言ったはずだ。私が気が付かなかったら、おまえは海賊として治安兵に引き渡されてしまうところだった」
「すみません。どうしても伝えたいことがあったんです。ささやき亭で縛られていた少年から聞いたことですが」
アンジェリンは少年の話をかいつまんで伝えた。
「なにっ」
フェールは続けて何か言おうとしたが、喉に何かが詰まったように黙り込んだ。
「それで、その子の話によると、薬師の村の人は無理やり連れて来られて、家族を奴隷にされ、脅されて海賊をやらされているって」
「今更、そんな事実を突き付けられても、できることは何もない。今日戦った相手は、やさしい薬師の村の人々ではなく、グフィワエネと呼ばれる恐ろしい略奪集団だった。本気で戦わねば、こちらが殺されていただろう」
アンジェリンは言葉が見つからず、無言で下を向いた。
「宿に戻るぞ」
「はい……」
二人が歩き出したとき、坂の上から呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、そこのお二人さん、村長さんがお呼びだ。ちょっと上がってきてくれ」
坂を上がりきった場所は小広場になっており、ランタンやたいまつを持った人々が集まっていた。捕まった海賊たちと死体が並べられ、それを大勢の村人が取り囲んでいる。縛られて転がされている海賊は、ざっと見ただけで二十人ぐらいいた。その中には、死んでいると思われる動かない体が数体。彼らが乗ってきた馬たちも広場の端に集められていた。
「こちらへ」
アンジェリンとフェールが手招きされた先に行くと、恰幅のいい年配の男性がニコニコしながら寄ってきた。
男は自分が村長だと名乗ると、フェールの腕を引いて、アンジェリンから引き離すと、皆の前に連れ出した。
「皆の衆よ、このセヴォローンからの客人のおかげで、わしらはグフィワエネに勝つことができたのじゃ。わしらの中に怪我人はいても、命を落とした者はひとりもおらん。この方は、皆を統率し、連れ去られかけていた女性たちを救い、商店の破壊略奪行為を最低限に抑え、命を惜しまず戦ってくれた。この方はシャムアの神が遣わした英雄に違いない。皆、英雄に感謝するのじゃ」
フェールに注目が集まると、彼は軽く微笑み、片手をあげて制した。
「私は英雄ではない。皆が協力し合ったからこそ、勝利できたのだ。この村の皆、全員が勇敢で、すばらしかった。全員が英雄だ。今宵は皆で祝杯をあげようではないか。すべての英雄に乾杯しよう」
フェールの声に、人々はこぶしを挙げて湧きかえった。
アンジェリンは頬を紅潮させて見ていた。彼はやっぱり王族だ。彼は瞬時に作戦を立て、人々を勝利に導いた。たいまつやランタンに照らされた彼の姿は美しく、近くでその姿を眺めるだけで、心臓が大きく動いた。ずっと見ていたいと思うほど神々しい。明りに揺らされる彼の整った鼻筋。はっきり言葉を出す大きすぎない唇。しゃんと伸びた背筋。先ほどまでひどく怒っていたのに、そんな感情をまったく顔に出していない。
――『王太子殿下って素敵よねえ』
ココルテーゼの言葉がまた思い出された。
人々の囲みから解放されたフェールは、アンジェリンの元へ戻ってきた。
「やれやれ、思わぬところで人前に立たされてしまった。宿に戻ろう。これ以上目立つのは危険だ」
フェールは顎で遠くを指した。
暗い坂道の下から、ランタンの光が多数近づいてきていた。それは、濃い緑色の制服に身を包んだ治安兵たちだった。シャムアの国軍に属していると思われるこの兵たちは、どこから来たのかわからなかったが、この村には常駐していないことは間違いないようだった。兵たちは広場へ入ってきて、捕まっている海賊たちを取り囲んだ。
「あの……ディン、捕まった海賊たちはどうなるんでしょうね。酒場にいるグフィワエネの男の子の、お兄さんも、あの捕まっている人たちの中にいるはずです」
「彼らをどうするかはこの国が決めることだ。略奪行為を働いたのだから、牢に入れられるのは当然だろう。だが、家族のためにやむを得ず海賊をやらされていた者たちは、軽い罪の扱いで早期に解放される可能性はあると思う」
「それならば、すぐに薬師の村へ帰れる人もいるかも」
アンジェリンは希望をこめてそう言ったつもりだったが、フェールは重々しくつぶやいた。
「生きていれば、だ。ルウの父親を私が殺してしまったかもしれぬ。宿にいる、少年の兄弟も」
フェールは、アンジェリンの肩を抱いてさっさと歩き出そうとしたが、アンジェリンがうめき声を上げたためすぐに手を離した。
「すまぬ、肩を負傷していたのだったな」
フェールはアンジェリンの負傷していない方の手首をつかむと、早足で歩き始めた。
その時、背後から、治安兵の命令が聞こえた。
「息があるグフィワエネは全員、撲殺せよ」
広場を出かかっていた二人は、驚いて振り返った。
惨劇はいきなり始まった。
治安兵たちは、持っていた棒で、息がある海賊たちの後頭部を次々に殴りつけている。縛られたまま、いとも簡単に殴り殺される海賊たち。突然始まった死刑執行に、動けない海賊たちは絶叫し、必死に命乞いをするが、容赦なく棒で頭を強打されている。
あまりの残酷さに、取り囲んでいる村人の中にも悲鳴をあげる者もいた。
アンジェリンも思わず自分の手で口を押えた。
「アン、見るな!」
フェールがアンジェリンを抱き寄せ、顔を隠そうとしたが、アンジェリンは抵抗して、フェールの抱擁を振り払った。
「あれじゃあ、虐殺じゃないですか。裁判なしであんな――」
フェールは再び、アンジェリンの顔を覆い隠すように抱きしめた。
「気持ちはわかるが、私はこの国の兵に干渉する権限はない」
「でも」
「宿へ帰るぞ」
「このまま虐殺を黙認するんですか? ルウちゃんのお父さんがいるかもしれないんですよ? 私にはそんなことできません」
「アン! 待て!」
アンジェリンはフェールの抱擁を抜け出し、治安兵たちへ向かって全力で走り、海賊たちの間に入り込んだ。
「待ってください! どうしてこの人たちを殺すんですか。この中には仕方なく海賊をやらされていた人たちがいるらしいです」
指揮官らしき背の高い男が片手を挙げ、虐殺は一時中断された。
「これは任務です。確保したグフィワエネは収監せずにその場で殲滅せよと、国王命令が出ております。これはシャムアの平和を守るための正当な行為であります。ご理解ください」
「ですけど、まだ子供みたいな人もいるではありませんか。身元や年齢を確認することもせずに殺すなんてひどすぎます」
「今この場に海賊の一味として来ていた、ということが即刻処刑に値する罪です。我々も、内心ではこういうことはしたくないのですが、命じられた任務は遂行せねばなりません。あなたが我々の邪魔をするならば、我々はあなたまで処分せねばならなくなります。重ねて申し上げますが、ご理解のほどを。おどきください」
「どうして裁判で刑を決めないのですか」
しつこいアンジェリンに、兵の長は穏やかに対応してくれた。
「この者たちは河口の商船を襲うだけでは飽き足らず、こんな内陸の村まで出張して強奪に来た悪党たちです。今までのことを考慮すると、身元や年齢がどうあれ、個人の感情から情けをかけることはできません」
指揮官は眉を下げ困った顔をしたが、譲歩することはしなかった。
「お嬢さん、どいてください。さもないとあなたも同罪です」
「お願いします。この人たちを今ここで殺すのはやめてください。この人たちにも事情があるんです。それぞれ、ちゃんとお話を聞いてから刑を決めて――」
フェールがアンジェリンと指揮官の間に割って入った。
「妻の非礼をお詫びする。仕事を邪魔して失礼した」
フェールが無理やりアンジェンの手をひっぱり、兵たちの間から出すと、虐殺の続きはすぐに始まった。人を死に至らしめる鈍い音。海賊たちの悲鳴とうめき声が夜の中に広がる。
アンジェリンはフェールの腕にしがみつた。
「ああっ、ディン。みんな殺されて……」
フェールは苦悩を宿した顔で、アンジェリンを引っ張って歩き始めた。
「私に何でもできると思うな。ここはセヴォローンではない。あんなところで海賊たちを擁護したら、またおまえは海賊扱いされるということがわからないのか」
いらだちを含んだフェールの声は、震えていた。
「すみませんでした……でも」
「ルウの父親があの中にいないことを祈ろう。おまえの気持ちはわかるが、どうしようもない」
アンジェリンは怒っているフェールに、何を言っていいかわからなかった。彼を怒らせるつもりなんかない。ただ、涙が押し出されるようにどんどん出てくる。ルウニーの父親がいたかどうかの確認もできず、酒場にいる少年の、兄も助けることができなかった。
海賊たちが命を絶たれたいくつもの残酷な音は、胸の中に泥でも詰められたような後味の悪さを残し、頭の中にいつまでも残った。




