砂を奔るもの
もっと進めるはずだったのですが…時間が…
少しだけ残酷描写があるかもしれませんのでご注意を
「…………」
オレアは何が起きたかわからず、家の中で呆然と立ち尽くしていた。視線の先には、またも散らかってしまった家具と、壁に吹き飛びもたれかかる男の姿。そして、自分の周囲を囲むように張り巡らされた光の壁。
見れば、オレアがつけた青い宝玉の胸飾りが光を放っている。どうやら光の壁はこの宝玉から発生しているらしかった。
「先生がつけろって言ったのは、このため……?」
家を出る前にネセブが残した言葉を、オレアは思い出していた。来客だからという理由でつけるよう言われたものだが、あるいは男に襲われる事態を彼は想定していたのかもしれない。この胸飾りにこうした力があるというのは、オレアも知らなかったことだが。
「悪意ある接触に反応する盾か……なるほど、なるほど」
「!?」
独り言めいた声に、男の存在から意識を外していたオレアは仰天した。壁に飛ばされて強かに体を打ったはずの男は、いつの間にか涼しい顔で立っていた。その背後の日干レンガの壁に、ひびが生じるほどの衝撃だったはずなのに。
「しかし、次の手はあるのかな? まさかこれしきで終わりなんて……ね?」
また一歩、男がオレアに近づこうとする。オレアを包む光の壁は未だ健在なのだが、男はまるで歯牙にもかけていなかった。不意打ちは食らっても、種がわかればどうとでもできるという余裕が見えた。
「…………!」
オレアは男に対して身構える。先程は男の話もあって混乱していたが、男が弾き飛ばされたことで生まれた時間がオレアに冷静さを取り戻させていた。しかも、ネセブが守ってくれた。それが何より心の拠り所になっていた。懐にあるはずの温かな石の在りかを指先で確かめ、願うことを心で念じ、叫ぶ。
「お願い!!」
彼女の叫びに呼応し、懐の石が輝く。そして閉ざした窓を突き破ってきたのは、大量の砂だった。
飛び込んできた砂はオレアの傍を通りすぎがてらに彼女の懐から石を奪い、その勢いのまま男へと殺到した。
「うっ!」
男がうめき声をあげて睨んだ眼前には、体が砂で出来た一角の獣――フィーが立ちはだかる。そして気がつけば、砂の石英が圧縮されて形成されたフィーの頭の鋭い角が、男の腹に深々と突き刺さっていた。
「オオオッ!!」
フィーが雄叫びをあげて首を持ち上げると、角の刺さった男の足は地面から離れ、男の自重によって角はますます深く刺さって男の体を貫通する。ぐったりとした男を角で持ち上げたまま、フィーは壁に向けて突進した。
ヒビの入っていた壁は、フィーの質量と馬よりも速い突進力によって容易く崩壊した。そのままフィーは男を外まで押し出すと、家からいくらか離れた場所で突進を急停止させた。その勢いによって男の腹から角が抜けて、その体は弓なりに宙を舞った後に、無造作に地面へと落ちて転がった。男の腕や足は、曲がるべきでない方へ曲がっていた。
そこへフィーが近づき、長い尾を振りあげる。鞭のようにしなる尾は、狙いを外さず男の首へと叩き落とされ、骨の砕ける耳心地の悪い音が辺りに響いた。更にもう一度とばかり、フィーは尾を上げてしならせた。
「フィー!? もういいよやめて!」
そこへ、慌ててオレアが駆け寄ってきた。フィーによって危機が去ったからなのか、光の壁はもう消えていて、オレアはフィーの首にすがりついて興奮するフィーをなだめようとする。
「…………」
フィーは一度振りあげた尾を、力を抜いてオレアの体を包むように巻きつけた。そして自分の体を男とオレアの間に置き、オレアに凄惨な姿になった男を見せないようにした。
「し、死んじゃった……んだよ、ね……?」
オレアは男に迫られた時とは別種の恐怖を覚えつつ、隙間から恐る恐る男の様子を覗きこんだ。だが、腹に穴を開けられ、壁が壊れるほど叩きつけられ、首の骨を砕かれる。普通ならばそんなことをされた人間など、確認するまでもなく死んでいるはずだ。
「…………ふふっ……ははは」
つまり、それだけの傷を負いながら吹きだすように笑いだしたこの男は、普通ではないということ。
「ひっ!?!?」
あり得ないはずの笑い声に、オレアは思わず悲鳴をあげていた。そんなオレアにますます恐怖を与えるように、男は折れたはずの足で軽々と立ち上がる。そして砕けたのどを手でさすりながら、フィーたちを見てにやりと笑った。
「随分と家族ごっこに執心してるんだなぁ……こんなものまで作って」
「…………!」
腹から流れる血も意に介さず嘲笑う男に、フィーは低く唸って威嚇する。オレアに巻きつかせた尾にも、密かに力がこもる。
それに感づいたのか、男も動きを見せる。星明かりが男を照らし、男の体に変化をもたらしたのだ。
「ちゃんと教えてあげなくちゃなあ……お前には、もう誰もいないんだって。誰かいちゃいけないんだって。私が教えなきゃあね」
男の肉体がボコボコと盛り上がり、腹の傷も折れた骨もみるみると回復していく。両手の手のひらからは鋭利な直剣が直接生えて、星の光に煌めく。その切っ先を、男はオレアに向けた。
「!!」
「わあっ!?」
フィーの反応は素早かった。即座に尻尾でオレアを持ち上げると彼女をその背中に乗せて、男から離れようと走り出す。下手に対峙してはいけない。フィーの経験がそう伝えていた。
男は二人を追おうとはしなかった。その代わり、手から生えた剣で夜空を指し、星たちに告げる。
「遊びたいならこの手に集え 今夜の遊びは二人きり 玩具はここに二つある」
瞬時に反応はあった。流星が一つ、男めがけて降ってきたのだ。
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「フィー! 先生の所に行こう! 行き先辿れる!?」
背に乗せたオレアからの問いに、フィーは鳴き声で応じた。男から逃げた瞬間から、既にフィーの足はネセブがいるはずの方向へと向かっていて、彼とオレアを合流させることを目的に行動していた。
「何なのあの人一体……どうして先生のことあんなに……先生も、大丈夫かな」
「…………」
自問めいて呟くオレアの言葉を、フィーは聞いていないように振る舞っていた。確かにネセブに対しても何らかの襲撃がある可能性は高い。しかし、ネセブがそれによって脅かされる程度の人間ではないこともフィーは知っている。
まずはオレアの安全を確保すること。そのためには、少しでもあの男から離れてネセブと合流することが最善だと、フィーは判断したのだった。
その時、フィーたちの背後で地響きがした。知覚できる地震にも似た体の芯まで震える音に、オレアは驚いて振り返った。
「何あれ!?」
オレアの声にフィーも思わず振り返る。そこにあったのは、砂漠から生えた大きな帆のようなものだった。夜の闇の中でも目視できる、地面に出ている部分だけでもオレアを乗せたフィーよりも背の高い物体。それが、地面を割りながら二人の跡を追ってきたのだ。
見る人が見るならば、その光景は獲物を狙う鮫の背びれを連想することだろう。事実、それは鮫の背びれそのものだった。しかし、鮫が砂漠を泳ぐはずがないし、何より海を知らないオレアたちにとって、それは未知の物体でしかない。そんな未知の恐怖が、恐ろしい勢いで迫ってくる。
「追いつかれちゃうよフィー!」
「……!」
フィーよりも速い速度で砂漠を進む背びれは、次第に距離を詰めてくる。オレアはフィーを急かしたが、今でも全速力のフィーにはこれ以上の速度は出せない。そのうちに、とうとうフィーの尻尾の先に触れられる所まで迫った背びれが、ざぶんと一度砂に潜って見えなくなった。
「えっ、きゃあぁっ!!」
咄嗟に、フィーは横に倒れて背中からオレアを投げ出した。突然のことにオレアは訳もわからず地面に落ちて、何度も転がり気を失う。
地面から飛びあがった巨大な異形の鮫にフィーが食われたのは、その直後のことだった。