第60話:エース封じの罠と、前半戦のブザービーター
「神宮寺から、真正面でボールを奪った……だと?」
帝王山高校のベンチで腕を組んでいた名将・御子柴監督が、思わずパイプ椅子から身を乗り出して目を見張った。
これまで全国の強豪ディフェンダーたちをことごとく粉砕してきた、絶対的エースのプルアップジャンパー。それが、第2クォーター開始早々にあっさりと阻まれたのだ。
まぐれのスティールではない。如月蓮の滑り込みは、神宮寺が「そこで左足を軸に止まる」ことを最初から百パーセント確信している者の動きだった。
「ま、まぐれだ! たまたま手が当たっただけに決まってる!」
帝王山の選手たちが、自分たちの動揺を打ち消すように声を張り上げる。
だが、コート上の神宮寺本人だけは、背筋を走る悪寒の正体を正確に理解していた。
自分の左足がフロアを噛み、重心が固定された瞬間の、あの逃げ場のない感覚。死角から伸びてきた蓮の手は、まるで最初からそこに設置されていた罠のように寸分の狂いもなかった。
(偶然じゃない。あいつら……俺のステップの癖を完全に『データ化』して狙い撃ちにしてきやがった……!)
神宮寺の額に、じわりと冷たい汗が滲む。
そこから、黎明高校の怒涛の反撃が始まった。
神宮寺が左足軸のストップを警戒してドライブを躊躇すれば、黒木凌(179センチ)が百八十八センチの長いウイングスパンでパスコースを遮断し、24秒バイオレーション寸前のタフショットへと追い込む。
第2クォーター中盤、スコアは『30対34』。
最大十点あったはずのリードは、あっという間にわずか四点差へと詰め寄られていた。
「くそっ、外がダメなら中だ! インサイドで押し潰せ!」
帝王山のポイントガードが、外角の神宮寺へのパスを諦め、ゴール下の三年生長身センターへとボールを放り込んだ。
第1クォーターで黎明を苦しめた、純粋な重さとパワーの肉弾戦。
「オラァッ! どけ一年坊主!」
帝王山のセンターが、巨体を揺らして強引なバックダウンを仕掛ける。
ドスンッ! と鈍い衝突音が響く。
だが――ゴール下の白石岳(198センチ・110キロ)は、一歩も後ろへ下がらなかった。
「……なっ!?」
「悪いけど……葵ちゃんのテーピングと蓮くんの教えのおかげで、もう簡単には押し出されないよ!」
葵がインターバルで巻き直したキネシオロジーテープが、白石の大腿四頭筋と股関節のブレを物理的にサポートし、床への力の伝達効率を劇的に回復させていた。
さらに白石は、力で真っ向から押し返すのではなく、みぞおちを脱力させて骨盤を立て、相手の体重のベクトルを斜め下へと受け流して重心を浮かせたのだ。
「鮫島くん、今だ!」
「おうよォッ! ナイス壁だ岳!」
バランスを崩した相手センターの死角から、パワーフォワードの鮫島豪(186センチ)が猛禽のような素早さでダブルチームに飛び込んだ。
たまらず放たれた苦し紛れのフックシュートは、リングの鉄枠を激しく叩いて外れた。
「リバウンドォッ!!」
地上で完璧なボックスアウトを決めた鮫島が、真上への垂直跳びでボールを両手でもぎ取る。
「走れ、蓮ッ!!」
鮫島の咆哮とともに、黎明の選手たちが一斉にフロントコートへと疾走を開始した。
先頭を走るのは、司令塔・如月蓮。
「戻れ! 速攻だけは絶対に出させるな!」
神宮寺が鬼のような形相でバック走から反転し、蓮を追走する。全国屈指の身体能力を誇る神宮寺が、驚異的なストライドで蓮との距離を一気に詰めていく。
(追いついた……! このレイアップを叩き落とせば、流れは渡さない!)
神宮寺がブロックのために跳躍の体勢に入った、まさにその瞬間だった。
トップスピードでペイントエリアへ侵入していた蓮が、一切の減速も予備動作もなしに、ドリブルのバウンドをそのまま背後へと弾いたのだ。
指先のわずかな角度変化だけで軌道を殺した、ノールックのタッチパス。
「なっ……後ろだと!?」
神宮寺が空中で目を見開いた。
蓮の背後――スリーポイントラインの頂点に、シューティングガードの陣内誠(178センチ)がピタリと足を揃えて走り込んでいた。
帝王山のディフェンス陣は、蓮のドライブと両脇を走る黒木・鮫島に意識を完全に釘付けにされ、遅れて中央を駆け上がってきた陣内の存在を完全に視界から消されていたのだ。
蓮の空間支配と、陣内のシュートタイミングに寸分の狂いもなく合わせた極上のパス。
(膝を曲げない……足首のバネと背筋の連動だけで、真上へ!)
陣内はキャッチと同時に、流れるようなワンモーションで身体を浮かせ、指先からボールを解き放った。
――スパァァァンッ!!
乾いたネットの音がアリーナ中に響き渡る。
『33対34』。
ついに、わずか一点差。
「タイムアウト! 白、帝王山高校!」
たまらず御子柴監督がオフィシャルへタイムアウトを要求した。
ベンチへ戻ってくる帝王山の選手たちの顔からは、第1クォーターの王者の余裕が完全に消え失せ、得体の知れない焦燥感が張り付いていた。
「……監督。あの一年生ガードとベンチのアナリスト、俺のピボットとドリブルの癖を完全に数値化して網を張っています」
神宮寺が、タオルで荒く汗を拭いながら忌々しそうに吐き捨てた。
「個人の能力で止めているんじゃない。五人全員がデータに基づいて俺のコースを限定し、最も確率の低いタフショットを打たせるように誘導してやがる……!」
御子柴監督は苦虫を噛み潰したような表情で腕を組んだ。
「ああ。玄海商業戦のクロックマネジメントといい、このデータ分析の精度といい……あいつらは本当に創部一年目の一年生か? まるで、本場アメリカの戦術アナリストがベンチとコートにいるかのようだ」
一方、黎明高校のベンチは歓喜の熱気に包まれていた。
「よっしゃあああ! 一点差だぜ!!」
「葵ちゃんのドリンクとテーピングのおかげで、足がめちゃくちゃ軽いぞ!」
「涼香のデータもドンピシャだ! 神宮寺の野郎、完全にリズムが狂ってやがる!」
盛り上がる仲間たちの中で、蓮だけは静かに常温の電解質ドリンクで口を潤していた。
「みんな、浮かれるのはまだ早い。相手はインターハイ連覇の王者だ。このタイムアウトで、神宮寺は必ず強引にでも自分の癖を修正してくる。前半の残り三分、ここからが本当の我慢比べだ」
蓮の落ち着いた声に、一年生たちの表情がスッと引き締まった。
ピーーーーーッ!
タイムアウトが明け、前半残り三分間の激しい鍔迫り合いが始まった。
神宮寺は王者の意地を見せ、左足軸のストップを封印して強引なステップインからファウルをもぎ取り、フリースローで得点を積み上げる。
対する黎明も、白石のハイポスト配球から黒木のカッティング、陣内のミドルシュートで食らいつき、一歩も譲らないシーソーゲームを展開する。
キュッ、キュッ、ドガァン!
時計の針が、残酷なまでに前半終了へと近づいていく。
「残り十秒! スコアは45対47、帝王山が二点リード!」
「黎明ボール! これが前半のラストオフェンスだ!」
蓮がトップの位置でボールをキープし、時計の秒針を睨む。
目の前に立ちはだかるのは、エース・神宮寺。
「同点になんざ絶対にさせねえぞ、如月! 俺が直々に止めてやる!」
神宮寺が百九十五センチの長い両腕を広げ、極限のプレッシャーをかける。
残り六秒。
蓮は右の陣内へパスを振る。だが、陣内にもフェイスガードが張り付いており、シュートを打つ隙間はない。
残り四秒。
陣内から、フリースローライン(ハイポスト)の白石岳へボールが入る。
「白石、打てェッ!!」
鮫島の叫び声。
残り二・五秒。
白石がシュートフェイクを入れると、帝王山のセンターとフォワードの二人がブロックに跳び上がった。
だが――白石は打たなかった。
百九十八センチの高い打点から、跳び上がったディフェンダー二人の脇の下を抜くように、ゴール下へ向かって鋭いバウンドパスを落としたのだ。
残り一・二秒。
そこへ、神宮寺の一瞬のボールウォッチの隙を突いてバックドア(裏への抜け出し)で飛び込んできたのは――司令塔、如月蓮だった。
「なっ……蓮ッ!?」
神宮寺が血相を変えて反転し、驚異的なバネで後方からブロックに跳び上がる。
百九十五センチの長い腕が、蓮のレイアップを空中で完全に捉えたかに見えた。
だが、蓮は空中でシュートモーションに入ったまま、股関節と胸椎を柔らかく連動させて身体をグニャリと捻った。
――ダブルクラッチ。
第1クォーターで神宮寺が白石と鮫島のブロックをかわして見せた、あの空中でのタイミングずらし。
それを、蓮はバイオメカニクスに基づく完璧な重心移動で、神宮寺本人の目の前でそっくりそのままやり返したのだ。
ブォォォォォッ!!
前半終了を告げる長いブザーがアリーナに鳴り響くと同時に、蓮の左手から放たれた強いバックスピンのボールが、神宮寺の指先のわずか数センチ横をすり抜け――バックボードの角を優しく叩き、ネットの中へと吸い込まれた。
――スパァァァンッ!!
「ブザービーター!! バスケットカウント・グッドだぁぁぁッ!!」
「うおおおおおおおおぉぉぉぉッッ!!」
真駒内アイスアリーナが、屋根が吹き飛ぶかのような大歓声に包まれた。
電光掲示板の数字が『47対47』へと書き換わる。
インターハイ連覇の絶対王者・帝王山高校を相手に、一年生だけの黎明高校が、完全なる同点で前半戦を折り返したのだった。
「……俺のダブルクラッチを、やり返しやがっただと……?」
着地した神宮寺が、屈辱に拳を震わせながら蓮を睨みつけた。
蓮は荒い息を吐きながらも、涼やかな瞳で神宮寺の視線を真っ直ぐに受け止めた。
「いいお手本を見せてもらいましたからね。……盤面は振り出しです。後半戦も楽しみましょう、チャンピオン」
◇
――橘葵のマネージャーノートより。
一九九八年、八月某日。天候、晴れ。
全国高校総体バスケットボール男子三回戦、対帝王山高校。
前半終了、スコアは47対47の同点!
本当に、鳥肌が止まらないすごい前半戦だった!
十点差をつけられた時はどうなるかと思ったけれど、涼香ちゃんのデータ分析で神宮寺選手の「左足ストップの癖」を封じ込め、白石くんと鮫島くんがゴール下で体を張って、陣内くんのスリーポイントで一気に一点差まで詰め寄った。
そして、前半終了のブザーと同時に決まった、蓮くんのダブルクラッチ!
第1クォーターで神宮寺選手にやられた技を、最後の最後に完璧なフォームでやり返すなんて、会場中のお客さんが総立ちになって叫んでいたわ。
でも、ベンチに戻ってきたみんなのユニフォームは、絞れるくらい汗でびっしょり。
特に白石くんと黒木くんは、三年生の王者のフィジカルを止め続けたせいで、深部体温がかなり上がって息が荒くなっている。
帝王山は、後半戦、絶対にこのままじゃ終わらない。もっと恐ろしい攻撃を仕掛けてくるはず。
ハーフタイムの時間はわずか十分間。
この短い時間で、どうやってみんなの上がった深部体温を下げて、筋肉を冷やさずに疲労を抜くか。
宿舎から保冷ボックスで持ってきた「秘密兵器」を使う時が来たわ。
後半戦も、絶対に誰一人足をつらせない!
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