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『NBA直前で壊れた天才 〜二度目の人生は絶対に怪我をしない〜』  作者: beck2026


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第6話:終幕のスコアと、謎の接触者

 体育館の壁に貼られた『1998年度・夏季地区大会』の真新しいポスターが、むせ返るような熱気で僅かに波打っている。

 

 後半の開始を告げる長いブザーが、熱気のこもる体育館に鳴り響いた。

 コートへ戻ってきた北陽中の選手たちには、試合開始前のような威圧感や殺気は、欠片も残っていなかった。

 肩を大きく上下させ、足取りは鉛のように重い。

 県内上位の強豪として自負してきた自慢のフィジカルとスタミナが、如月蓮というたった一人の十四歳の少年の知性によって、前半の二十分間で完全に空転させられ、すり減らされていた。


「一本……まず一本返せ! 声を出せェッ!」

 北陽の監督がベンチから必死に怒号を張り上げるが、選手たちの耳にはもう届いていなかった。


 第3クォーターの立ち上がり。

 主将の荒井が、ぎこちないフォームでトップからドライブを仕掛けようとする。

 だが、前半の無理な着地で痛めた右膝を無意識に庇っているため、一歩目の踏み込みにキレがまったくない。足首の背屈が死に、膝のクッションが機能していないのだ。


 俺は身体をぶつけることもなく、荒井がボールを右から左へ切り替えようとしたその一瞬――指先の軌道へ、正確に左手を差し入れた。

 ――パシッ。


「あっ……!?」

 ボールは軽やかに弾かれ、俺の胸元へと吸い込まれる。

 またしてもスティール。

 荒井が慌てて追いかけようと床を蹴るが、過度な筋肥大と脱水によって乳酸が限界まで溜まった脚は言うことを聞かず、自らの足をもつれさせてフロアへ膝をついた。


「三井、走れ!」

 俺は落ち着き払った声でコールしながら、フロントコートへ駆け上がる三井の数歩先へ、完璧なスピンをかけたバウンドパスを放った。

 ボールが床を噛み、滑らかな勢いを保ったまま三井の胸元へ跳ね上がる。

 三井は立ち止まり、流れるようなリズムでシュートモーションに入った。

 俺が伝えた『踵に重心を残さず、母指球から垂直に抜く』というバイオメカニクスのフォーム。

 疲労の溜まった後半であっても、骨盤と背筋の連動さえ崩れなければ、シュートの弾道がブレることはない。


 ――スパァァァンッ!!

 体育館の天井まで突き抜けるような、心地よいネットの音が響いた。

 スリーポイントシュート成功。


「もう一本だ! ディフェンス、足を止めないぞ!」

 俺が声をかけると、南陽中の4人が「おうッ!」と地鳴りのような声で呼応した。

 もはやベンチの権藤の存在など、彼らの意識には一ミリもなかった。

 コート上の指揮官――如月蓮の統率のもとで、チーム全体がひとつの有機的な生命体のように連動していた。


 相手が焦って無理なロングシュートを打てば、計算通りのバックスピンを読んでリバウンドを回収。

 相手が慌ててインサイドを固めようとすれば、ハイポストへ飛び込んでディフェンスを収縮させ、逆サイドのコーナーへ針の穴を通すようなスキップパスを通す。

 第3クォーターが終了した時点で、スコアボードは『68対22』。

 第4クォーターに至っては、水分補給を絶たれた北陽中の選手たちの足は完全に痙攣を起こしかけ、もはや走ることすらままならなくなっていた。


 ピピーーーッ!

 試合終了の長いホイッスルが、夕暮れの体育館に鳴り響いた。

 電光スコアボードに刻まれた最終結果は――

『南陽中 88 - 31 北陽中』


 57点差。

 県大会ベスト8の強豪校を相手にした、歴史的な大勝劇だった。

 北陽中の選手たちは全員がフロアに突っ伏し、荒井はユニフォームに顔を埋めて肩を震わせていた。


「か……勝った……? 俺たち、あの北陽に……勝ったのか……!?」

 三井が自分の両手を見つめながら、信じられないといった様子で叫んだ。

「勝ったぞ! 勝ったんだぁぁぁッ!!」

「うおおおおおっ!!」


 ベンチにいた控えの後輩部員たちがコートへ雪崩れ込み、三井や石井、木村と抱き合って涙を流した。

 その熱狂の輪から静かに一歩引き、俺はタオルで首元の汗を拭い取っていた。


(心拍数は百二十四。右足首、膝、股関節――炎症反応なし。微小断裂の兆候もゼロ)

 自らの身体の内なる声に耳を澄まし、完璧なコンディションが保たれていることを確認する。

 これだ。

 前世でどれほど焦がれても手に入らなかった、『全力を尽くして戦っても、どこも痛まない健全な肉体』。

 胸の奥から湧き上がる静かな充足感に、口元が微かに緩んだ。


 整列の号令がかかり、両チームがセンターラインに並び立つ。

 北陽中の選手たちは一様に目を赤く腫らし、主将の荒井は俺の前に立つと、悔しそうに唇を噛み締めながら深々と頭を下げた。


「……15番。お前、名前なんて言うんだ」

「南陽中二年、如月蓮だ」

「如月……。来週の県大会予選、絶対にお前を倒しにいくからな」

「ああ。だがその前に、足のケアをしっかりして、万全の状態で来てくれ」


 俺は荒井の痛む右膝を見据え、静かに告げた。

「大腿四頭筋の外側ばかり使って、内転筋が眠っている。今夜は必ずアイシングをして、明日は内転筋とハムストリングスのストレッチを念入りにやれ。……無理な筋トレと脱水をやめなければ、お前のその膝は高校に上がる前に本当に壊れるぞ」


 淡々と返された俺の言葉に、荒井はぎょっと目を見張り、それから何かを悟ったように深く俯いた。

「……すまねえ。覚えておくよ」


 解散後。

 部員たちが歓喜に沸く体育館の隅で、顧問の権藤鉄蔵は、まるで抜け殻のように立ち尽くしていた。

 手にした竹刀は足元に転がったままで、拾い上げる気力すら湧かないらしい。

 見下し、退部処分にしてやろうと企んでいた万年補欠の少年にチームを完全に掌握され、強豪校を粉砕されたのだ。

 三十年間、生徒たちを恐怖で縛り付けてきた昭和の独裁者にとって、それは自らの指導者人生そのものを全否定された瞬間だった。


 俺は権藤に一瞥もくれず、タオルとスクイズボトルをバッグに詰め、体育館の通用口から外へ出た。


◇


 夏の夕暮れの心地よい風が、火照った肌を優しく冷ましていく。

 茜色に染まるグラウンドの脇の渡り廊下を歩き、校門へ向かおうとしたその時だった。


「――実に見事なアナリティクスだったよ、如月蓮くん」

 落ち着いた、しかし芯の通った若い男の声が、背後から呼び止めてきた。


 立ち止まり、振り返る。

 そこに立っていたのは――試合中、二階ギャラリーの手すりから食い入るように俺のプレーを記録していた、あの青年だった。

 間近で見ると、やはり若い。二十代半ばから後半。

 仕立てのいいネイビーのポロシャツに身を包み、知性的な銀縁眼鏡の奥から、鋭い観察眼を向けている。


「……どなたですか」

 俺が警戒を解かずに問いかけると、青年は人当たりの良い笑みを浮かべ、胸ポケットから一枚の名刺を取り出して差し出してきた。

「失礼。怪しい者じゃないよ」


 手渡された白い紙片。

 そこに刻まれていた文字を見て、俺はわずかに目を細めた。


『私立黎明(れいめい)高校 男子バスケットボール部 ヘッドコーチ 神崎(かんざき) 拓也(たくや)』


「黎明高校……」

 俺が呟くと、神崎は満足そうに深く頷いた。

「今年度から新設された中高一貫の私立高校だ。バスケ部は立ち上がったばかりで、まだ全国的な実績は何もない。……だが俺は、本気でこの国に世界基準の新しいバスケットボールのスタンダードを創るつもりで、アメリカの大学から帰国して指揮官を引き受けた」


 神崎の瞳が、夕暮れの光の中で爛々と輝いていた。

「君の今日のプレー、二階席からすべてビデオカメラとこのスカウティングシートで追わせてもらった。無駄な接触を避けるポジショニング、関節への負荷を分散させるスプリントフォーム、相手の重心を狂わせるスペーシング……。あんなものは、日本の中学生が独学で身につけられる技術体系じゃない」


 神崎は一歩、俺へと歩み寄った。

 その距離の詰め方は、かつてアメリカの大学やNBAのフロントが、ダイヤの原石をスカウトする時に見せていた『飢えた猛禽』のそれに酷似していた。


「単刀直入に聞く。君のそのバスケの理論は、どこで学んだ? まるで――全米トップカレッジやNBAのアナリストがコートの中に立っているようだった」


 夕風が二人の間を吹き抜けていく。

 蝉の声が遠のき、静まり返った渡り廊下で、俺は名刺をポケットにしまい、静かに笑みを浮かべた。

「どこで学んだかは、秘密ですよ。神崎コーチ」


「……そう言うと思ったよ」

 神崎は眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、不敵な笑みを返してきた。

「あの旧態依然とした体育館で、君の才能は完全に腐りかけている。あの無能な顧問の下にいては、君の身体がすり減るだけだ。……君は今、中学二年生だな」


 神崎は真っ直ぐに俺の目を見据えた。

「来年、君が中学を卒業して高校へ進学する時――うちの黎明高校へ来てくれないか。君を『コート上の実質的な参謀兼エース』として、特待生で迎え入れたい」

「高校のスカウトですか。ずいぶん気の早い話ですね」

「いい選手を獲るのに、早すぎるなんてことはないさ」


 神崎は手元のバインダーを軽く叩いた。

「君が中学バスケの舞台でどれだけのチームを作り上げるか、これから一年間、じっくり見届させてもらうよ。誰も怪我をさせず、科学の力で頂点を目指すんだろう? 来年の夏が終わった時、また話をしよう」


 神崎はそう言い残すと、颯爽と踵を返して夕闇の中へと歩み去っていった。

 手元に残された一枚の名刺。

 胸の奥で、前世の血が静かに、そして熱く騒ぎ立った。

 古い昭和の檻を壊し、誰も壊れない本物のチームを創る。

 そして一年後、高校という全国の舞台へ。


 中学二年生の夕暮れ。

 如月蓮の二度目のバスケットボール人生が、確かな未来の航路を見据えて、夕闇に染まる空へ静かに闘志を燃やしていた。


読んでいただき、本当にありがとうございます!


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次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。


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― 新着の感想 ―
私立開明高校って実在する中高一貫の私立学校ですが大丈夫ですかね? しかも、実際は新設校なんかじゃなく百年以上の歴史を持つ進学校という…
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