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『NBA直前で壊れた天才 〜二度目の人生は絶対に怪我をしない〜』  作者: beck2026


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第5話:絶対的支配と、二階席の視線

 ピーーーーーッ!


 タイムアウト終了を告げる甲高い電子ブザーが、静まり返った体育館に鳴り響いた。


 北陽中の選手たちが、監督の激しい叱責を受けて鬼のような形相でコートへ戻ってくる。

 その目には、試合前の侮りや油断は微塵も残っていなかった。

 開始三分で2対14という屈辱的なスコア。県大会ベスト8の看板を背負う彼らにとって、それは絶対に許されない悪夢だった。


「おい、いいか! あの15番のチビに好き勝手させるな!」

「ピックを使ってスイッチさせろ! インサイドで高さのミスマッチを突いて、力づくで粉砕するぞ!」


 北陽ベンチから飛ぶ指示。

 相手の狙いは極めて明確だった。

 百七十五センチの大型ガード荒井と、百八十センチを超える長身センターが連携し、強烈なスクリーンをかけて俺――如月蓮のマークを剥がす。消して、スイッチして現れる小柄なディフェンダーをフィジカルと高さで押し込む、現代バスケの王道『ピック&ロール』だ。


「蓮、来るぞ……!」

 隣の三井が緊張した面持ちで腰を落とし、拳を握りしめた。


「慌てるな、三井」

 俺は小さく息を吐き出し、穏やかに声をかけた。

「俺たちがやるのは、さっき指示した通りの『ドロップディフェンス』だ。スクリーンに無理に突っ込んでファウルをもらうな。木村はペイントエリアで両腕を垂直に広げて待て。荒井のシュートコースは、俺が後ろから追撃して塞ぐ」


「……応ッ!」

 木村が太い胸板を叩いてゴール下へと陣取った。


 北陽ボールのスローイン。

 荒井が低いドリブルでトップの弧へ侵入してくる。

 同時に、北陽の百八十センチを超える巨漢センターがゴール下から駆け上がり、俺の右半身へドスンと壁を作るようにしてスクリーンをセットしにきた。


「もらったァッ!」

 荒井が獰猛な笑みを浮かべ、スクリーナーの巨体の陰をすり抜けてペイントエリアへ猛然と突進する。


 並の中学生なら、スクリーナーの硬い肩に激突して足止めを食らうか、回り込もうとして完全に置き去りにされる場面だ。

 だが――。


 俺の身体は、スクリーナーの巨体が接触するコンマ数秒前、すでにしなやかに旋回していた。


 正面からぶつかって衝撃を受け止めるのではない。

 相手センターの背中側の空間へ、みぞおちを引いて骨盤を斜め前へ滑り込ませる。

 NBAのトップディフェンダーが実践する、バイオメカニクスに基づいた『ファイトオーバー』のステップ。


 体幹がミリ単位でもブレないため、トップスピードを一切落とすことなく、荒井の背後へ影のようにピタリと貼り付く。


「な……ッ!? 追いついてきてる……!?」


 背後からの気配に気づいた荒井の表情が、引きつったように凍りついた。

 前方には、ゴール下で両腕を天に向かって垂直に広げている木村の巨体。

 後方には、死角を完全に埋める俺のプレッシャー。


 突進の行き場を失った荒井は、パニックに陥りながらも、空中で強引に身体を捻ってタフなフローターシュートを放とうとした。

 無理な体勢、軸の崩れたジャンプ。

 着地の衝撃が、古傷を抱える右膝に集中する、最も危険で破壊的なフォームだ。


(愚かな……。そんな無謀な跳び方をすれば、外側半月板が耐えきれるわけがない)


 俺は跳び上がらなかった。

 空中でブロックを狙って不必要な接触ファウルを犯すリスクを避け、荒井がボールをリリースした瞬間、その指先の回転とリングへの入射角を冷徹に見極めた。


 ――ガンッ!


 案の定、軸のブレたシュートはリングのバックリムを激しく叩き、大きく後方へ弾け飛んだ。


「リバウンドッ!」

「アウト取れ!!」


 ゴール下で、北陽のセンターと木村が激しいポジション争いを繰り広げる。

 だが――落下地点の計算において、前世で何万回とNBAのシュート軌道データを解析してきた俺の右に出る者など、この場にいるはずがなかった。


 バックリムに衝突したボールのバックスピン、反発係数、そして放物線の減衰率。

 弾かれたボールが向かうのは、ゴール下の密集地帯ではない。


 俺は混戦のペイントエリアへ飛び込むことなく、フリースローライン付近のぽっかりと空いた空間へ、あらかじめ二歩分先回りした。


 ――バシィッ!


 まるで磁石に吸い寄せられたかのように、長い放物線を描いて落ちてきたボールが、俺の両手の平に吸い付くように収まった。


「嘘だろ……なんであんなところへ弾むんだよ!?」

 北陽の選手が呆然と叫ぶ。


「走れ三井! 石井、逆サイドを切れ!」


 着地した瞬間、俺の視界はすでに敵陣のフロア全体を捉えていた。

 ボールをキャッチしてから次の判断を下すまでのタイムラグは、コンマ一秒。


 ドリブルは一回も突かない。

 ボールを床に叩く時間は、すべて相手ディフェンスがバックコートへ戻る猶予になってしまうからだ。


 胸元から放たれたのは、両腕のバネと背筋の波を極限まで連動させた、ベースラインから逆サイドのエンドラインへと届く超長距離のチェストパス――いわゆる『タッチダウンパス』。


 空気を切り裂く低弾道の鋭いボールが、戻りかけていた北陽ディフェンスの頭上を鮮やかに越え、全力疾走していた石井の胸元へと狂いなく届いた。


「うおおおおッ!!」


 完全なノーマークでボールを受け取った石井が、そのまま軽快にステップを踏み、落ち着いてレイアップをねじ込む。


 ――バスッ!


『16対2』。


「タイムアウトを取ったのに、一本も止められない……!?」

「北陽が……あの県ベスト8の北陽が、手も足も出ないのかよ……!」


 二階ギャラリーで見守っていた控え部員や他校の生徒たちが、戦慄と興奮の入り混じった声を上げていた。


 南陽中のベンチでは、顧問の権藤が手にした竹刀を取り落とし、床のフローリングにカラン、カランと甲高い音を立てて転がっていた。

 落ちた竹刀を拾い上げることも忘れ、ただ口を半開きにして、コート上の背番号15番を見つめている。

『みっともないプレーを晒したら即刻退部』――その恫喝が、いかにピエロの戯言であったかを、コート上の圧倒的な現実が無慈悲に証明していた。


 試合はもはや、練習試合という枠組みを超えた『完全な戦術解体ショー』と化していた。


 北陽中がどれだけ体格とパワーでねじ伏せようとしても、南陽中は如月蓮という絶対的な司令塔のタクトによって、常にコート上のスペースと角度を支配し続けた。

 力任せの突進はすべて空転させられ、苦し紛れのタフショットを打たされては、無駄のない速攻を浴びる。


 第2クォーターが終わる頃には、電光掲示板の数字は信じがたい大差を刻んでいた。


『42対15』。

 27点差。


 前半終了のブザーが鳴り響いた瞬間、北陽の主将・荒井は、フロアに両手と両膝をついて激しく肩で息をしていた。

 全身から噴き出す汗。ユニフォームは重く肌に張り付き、右膝を庇っていた太ももは鉛のように張っている。


「ハァ……ハァ……化け物かよ、あいつ……」


 フィジカルでは圧倒的に勝っているはずの相手に、指先一つ触れさせてもらえない。

 何をしようとしても、すべて先回りされて罠に嵌められる絶望感。


 一方の俺は、汗をタオルで軽く拭いながら、涼しい顔でベンチへと戻っていた。

 心拍数は百二十八。呼吸の乱れはほとんどない。

 不必要な衝突を避け、運動エネルギーを無駄なく循環させる最先端のプレースタイル。疲労の蓄積は、計算通り極めて軽微だった。


「蓮! すげえ、マジですげえよ!!」

 三井が冷えたスクイズボトルを差し出しながら、興奮を隠せない様子で駆け寄ってきた。

「前半だけでアシスト何本出た!? 俺、こんなに気持ちよくスリー打てたの生まれて初めてだ!」


「ありがとう、三井。でも、後半はもっと楽になるよ。相手の足が完全に止まり始めている。後半の立ち上がり、あと二本スリーを沈めれば、相手の心は完全に折れる」


「おう! 任せろ!」


 部員たちが自然と俺の周りに円陣を作り、誰もが生き生きとした瞳で次の指示を待っている。

 そこには、かつての重苦しい空気や、怒号に怯える奴隷のような姿はどこにもなかった。


 その歓喜の輪から数歩離れた場所で、権藤が幽霊のように立ち尽くしていた。

 声を荒らげることも、竹刀を振り上げることもできない。

 三十年間、自分が信じ込み、生徒たちに押し付けてきた『気合と根性と暴力』のすべてが、目の前の十四歳の少年の持つ『知性と科学』によって、完膚なきまでに木っ端微塵に粉砕されたのだ。


「……後半、私はどう指示を出せばいいんだ……」


 蚊の鳴くような権藤の呟きを、拾う者は誰もいなかった。


 そんな中。

 俺はふと、体育館の二階ギャラリーへと視線を向けた。


 普段は保護者が数人まばらに座っているだけの薄暗い二階席。

 その手すりの影に、見慣れない一人の男が立っていた。


 年の頃は二十代半ば。

 清潔感のあるネイビーのポロシャツに、スラックス。

 首からは精密なストップウォッチを下げ、手元には分厚いバインダーと、手すりに固定された小型のビデオカメラが据えられていた。


(……あの男は?)


 男は熱心に自作のスカウティングシートへペンを走らせながら、食い入るように俺のプレーを見つめていた。

 ただの一般の観客ではない。

 ステップの接地角度、歩幅、視線のフェイク、守備のローテーションのタイムラグを、極めて専門的な視点で記録している者の眼差しだった。


 ふと、その男と二階席越しに視線が交錯した。


 男は俺の視線に気づくと、ハッとしたように目を見張り、それから――面白くてたまらないといった風に、口元を大きく歪めて不敵に微笑んだ。


(なるほど……。この田舎の中学の体育館にも、本物の目利きがいるらしい)


 胸の奥で、前世の血が静かに騒ぎ立った。

 古い昭和の檻に別れを告げ、世界の頂点へと駆け上がるための扉が、いま音を立てて開き始めていた。


読んでいただき、本当にありがとうございます!


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次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。


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