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『NBA直前で壊れた天才 〜二度目の人生は絶対に怪我をしない〜』  作者: beck2026


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第34話:熱狂の代償、揺らぐ計算

 キュッ、キュッ、キュッ――!


 体育館のフロアを擦るバッシュの激しい摩擦音と、荒れ狂う呼吸の音が、幾重にも重なり合ってアリーナの空気を熱く濁らせていた。


 インターハイ県予選・決勝リーグ第1戦。

 県立海浜商業高校との戦いは、第3クォーターの終盤を迎え、白熱という言葉すら生温い、剥き出しの消耗戦へと雪崩れ込んでいた。


 スコアは『48対47』。黎明高校がわずか1点リード。


 だが、流れは完全に海浜商業へと傾きかけていた。


「走れ走れ走れェッ!! 相手の一年生は足が止まりかけてるぞ!!」

 海浜商業のベンチから、怒号のような檄が飛ぶ。


 古豪・海浜商業の選手たちの瞳は、死に物狂いだった。

 伝統ある自分たちが、創部一年目の無名新設校に負けるわけにはいかない。

 前半、如月蓮の計算されたタイムシェアに翻弄されかけた彼らは、後半に入り、戦術や効率をかなぐり捨てた「超肉弾トランジション」を仕掛けてきていた。

 ルーズボールに顔面から飛び込み、オフェンスファウル覚悟でゴール下へ突進してくる。


「くそっ……! どいつもこいつも、突っ込んできやがって!」

 ローポストでボックスアウトを試みた鮫島豪(186センチ)が、相手の190センチ近い上級生二人に挟み込まれ、フロアへ激しく転倒した。


 ドガァンッ!


「ファウルだろ今のはッ!」

 鮫島が床を叩いて吠えるが、主審の笛は鳴らない。ノーファウル。

 こぼれたボールを海浜商業のフォワードが泥臭く拾い上げ、そのまま力任せにゴール下へねじ込む。


 ――バスッ!


『48対49』。逆転。


「うおおおおぉぉぉッ!!」

 海浜商業の応援席から、地鳴りのような歓声が爆発した。


 自陣のエンドラインからボールを受けるため、俺――如月蓮はバックコートへと歩み寄った。

 息が、苦しい。


(酸素が……足りない……)


 口の中がカラカラに乾き、鉄の味が広がっていた。

 胸が激しく上下し、肺が焼けつくように熱い。

 前半から小林を挟んでタイムシェアを徹底し、心拍数と乳酸濃度のコントロールに努めてきたはずだった。

 だが――相手の計算を無視した泥臭い特攻が、こちらのポゼッションリズムを強引に狂わせている。


 十五歳の成長期にあるこの肉体。

 まだ大人のような分厚い筋持久力はない。

 いくら怪我をしない関節角度を維持していても、連続する激しいコンタクトと、フロアを往復するスプリントの負荷は、確実に俺の全身の筋肉を削り取っていた。


「蓮、一本! 落ち着いて一本返そう!」

 陣内誠(178センチ)が、汗でびっしょり濡れた前髪を振り乱しながら声をかけてくる。

 その陣内の右足も、踏み込みの瞬間にわずかなブレが生じていた。膝の痛みこそないものの、連戦による疲労で下半身のバネが明らかに鈍っている。


 ボールをフロントコートへ運ぶ俺の前に、海浜商業のエースガードが立ちはだかった。

 前半とは、目つきが違っていた。

 涼しい顔でパスを散らしていた男が、鼻血を手の甲で乱暴に拭い、獣のように獰猛な笑みを浮かべて間合いを詰めてくる。


「如月……! テメエの小賢しい理屈バスケなんぞに、ウチの3年間の汗が負けてたまるかよォッ!」


 ガツンッ!


 ドリブルのコースへ、相手ガードが己の肋骨をぶつけるようにして身体を割り込ませてきた。

 痛覚が、左脇腹から脳天へと走る。


(チッ……! 完全にチェックのタイミングを無視して突っ込んできている……!)


 前世のNBAヘッドコーチとしての脳裏に、いくつもの「論理的な解法」が浮かび上がる。

 相手が前傾姿勢で突っ込んできているなら、バックビハインドで切り返して逆サイドのオープンスペースへ逃げるのが確率的に最も安全だ。無理に接触を受ける必要はない。


 だが――その時。


 ピキリ、と。

 右足首の奥、アキレス腱の周囲に、針で刺されたような鋭い緊張が走った。


「っ……!?」


 全身の血が、一瞬で凍りついた。


 視界が暗転する。

 前世のあの日の記憶が、生々しい悪夢となって脳裏を焼き尽くした。

 満員の観客の悲鳴。

 足首の奥でゴムが弾け飛んだような、鈍く絶望的な断裂音。

 二度とコートへ戻れず、失意の中で夢を奪われた、あの凍りつくような冷たい夜。


(嘘だろ……腱が……硬直している……!?)


 ほんの一瞬。

 コンマ数秒の迷いと恐怖。

 絶対に怪我をしたくないという本能が、俺の足を、床へ縫い付けるように竦ませた。


「もらったァッ!!」


 相手ガードの伸びた手が、躊躇した俺のドリブルの手元を鋭く弾き飛ばした。


 バシィッ!!


 ボールが宙へ跳ね上がる。

 ターンオーバー。


「あっ……!」

 二階席の最前列で、綾瀬涼香が息を呑んだ。

 手帳に走らせていたシャーペンの芯が、パキリと音を立てて折れた。


「如月くんが……ボールを奪われた……!?」

「涼香ちゃん、違う!」

 隣で双眼鏡を握りしめていた橘葵が、悲鳴のような声を上げた。

「如月くんの足……! 今、右足を引いた瞬間、重心が変な方向に逃げたの! 怪我じゃない……でも、何かに怯えるみたいに、身体が竦んで――!」


 コート上。

 弾かれたボールに向かって、海浜商業の選手が手を伸ばす。

 完全なファストブレイク(速攻)の場面。このまま失点すれば、点差は3点に開き、試合の流れは完全に相手のものになる。


 俺の身体は、動かなかった。

 足首への過剰な負荷を恐れるあまり、一歩目が踏み出せない。

 前世の亡霊が、十五歳の俺の背中に冷たく張り付いていた。


(動け……! 動けよ、俺の足……!)


 歯を食いしばる俺の目の前を、砂煙を上げるような勢いで、一つの影が猛烈なスピードで飛び越えていった。


「どきやがれェェェッッ!!!!」


 地鳴りのような咆哮。

 鮫島豪だった。


 すでに4本のファウルを抱え、脇腹の打撲に脂汗を流していた186センチの野生児が、ボールの落下点めがけて、頭からフロアへダイブしたのだ。


 ズザザザザァッ!!


 床と皮膚が摩擦熱を上げる鈍い音。

 鮫島は相手の膝に顎を激突させながらも、転がるボールを両腕で抱え込み、胸元へがっちりと抱きかかえた。


「タイトボール! ヘルドボール!」

 主審のホイッスルが鳴り響く。

 ポゼッションアローは。黎明高校辛うじて、相手の速攻を阻止した。


「ハァ……ハァ……ッ! テメエ……何ボーッと突っ立ってやがんだ、蓮ンンッ!!」


 フロアに倒れ込んだまま、口から血を吐き捨てた鮫島が、血走った野獣の眼光で俺を睨みつけて怒鳴り散らした。


「ビビってんじゃねえぞコラァッ! 偉そうに理屈並べてた司令塔が、相手の当たりにビビって足竦ませてんじゃねえよ! 俺たちがテメエの指示に従ってんのはなァ、テメエが誰よりも勝ちてえ顔してコートに立ってるからだろうがッ!!」


「鮫島……」


 胸ぐらを殴りつけられたような衝撃が、俺の頭を揺さぶった。


 その隣で、黒木凌(179センチ)が無言で駆け寄り、床に倒れた鮫島の手を引っ張り上げた。

 黒木のユニフォームの肩口も、激しい接触で破れかけている。

 だが、その鋭い切れ長の瞳は、俺を真っ直ぐに見据えていた。


「如月。お前が俺たちを信じて声を出せと言ったんだ。……次は、俺たちの番だ」


 そして、陣内誠が俺の肩を両手で強く掴んだ。

 熱い手のひら。

 かつて膝を壊し、バスケを諦めかけ、恐怖に震えていた男の眼差し。

 その瞳に、いまや迷いは微塵もなかった。


「蓮。怪我が怖いのは当たり前だ。俺も、毎晩夢で膝が割れる音を聞いて飛び起きるよ」

 陣内は笑った。汗と涙でぐしゃぐしゃの、不器用で、熱い笑顔だった。

「でもよ、コートに立ったら、怖がってる暇なんてねえんだよ。お前が俺の膝を守ってくれたみたいに……お前の背中は、俺たちが守る。だから――思いっきり暴れてこいよ、キャプテン!」


 ――ドクン。


 心臓が、跳ね上がった。


 視界を覆っていた前世の暗い靄が、仲間たちの熱い体温によって、一瞬で吹き飛ばされた。

 何を怯えていたんだ、俺は。


 壊れないためだけにバスケをするんじゃない。

 生き残るためだけにコートに立つんじゃない。

 こいつらと、この泥臭い仲間たち全員で、あの眩しい世界の頂点へ駆け上がるために、俺は二度目の人生を始めたんじゃないのか。


「……すまない」


 俺は口元を手の甲でぬぐい、深く息を吸い込んだ。

 胸の奥で燻っていた冷徹な計算が、真っ赤な炎となって全身の毛細血管へと駆け巡る。


「みんな、集まれ」


 俺の声に、4人が即座に顔を寄せた。

 その瞳には、もう迷いも恐怖もなかった。


「第4クォーター、戦術を切り替える。相手は俺たちの一瞬の怯みを突いて、さらに前線からプレッシャーをかけてくるはずだ。……ならば、その前のめりの重心を逆手に取る」


 俺は戦術ボードを使わず、自らの手のひらを強く握りしめた。


「白石、お前がトップからドライブを仕掛けろ」


「えっ……!? 僕が……ドリブルで切り込むの!?」

 198センチの巨漢・白石岳が目を丸くした。


「そうだ。相手はお前を『パスしか出せない動かないセンター』だと思い込んでいる。お前の長いストライドなら、ワンドリブルでペイントエリアへ到達できる。相手のヘルプディフェンスが収縮した瞬間、コーナーの陣内へキックアウト、あるいは鮫島へロブパスだ」


 俺は4人の目を一人ずつ見据えた。

「綺麗なバスケは終わりだ。相手が泥を投げてくるなら、俺たちも泥にまみれて食らいつく。……絶対に、この初戦をもぎ取るぞ!」


「「「オオォッッ!!!!」」」


 5人の咆哮が、アリーナの天井をビリビリと震わせた。


 二階席で、涼香は手帳を抱きしめたまま、立ち上がっていた。

「……変わったわ」

「うん……!」

 葵が涙を浮かべながら、胸の前で手を握りしめる。

「如月くんの目……もう、竦んでない。あんなに熱い顔をするんだね……」


 ピーーーーーッ!

 運命の第4クォーター開始を告げるブザーが鳴り響いた。


 冷徹な計算機を脱ぎ捨て、魂を剥き出しにした少年指揮官・如月蓮の、本当の戦いが幕を開けようとしていた。


読んでいただき、本当にありがとうございます!


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次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。


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