第20話「小さな祝祭」
――夜が明けた。
あれほど赤黒く染まっていた空が、いまは柔らかな青を取り戻している。
焼け焦げた大地には、朝露が光を宿し、廃都アルセリアの瓦礫の隙間から小さな芽が顔を出していた。
堕獣との戦いから、一夜。
廃都にようやく「朝」という言葉が似合う空気が流れ始めていた。
「……まさか、生きて迎えられるとは思いませんでした」
リアナ・エルセリアが、壊れかけた街路の上で静かに呟いた。
白いローブは煤で汚れ、ところどころ裂けている。
けれど、その表情にはもう、恐怖や絶望の色はなかった。
「人間ってのは案外しぶといもんだ」
ユウリ・アークライトが笑いながら答える。
肩には布を巻いた簡易包帯、手には修復途中の金属片。
彼は戦場跡に残された防衛装置の残骸を拾い上げ、《改造構文》で次々と修復していた。
「β、損傷箇所の報告を頼む」
《了解。北西区防壁・再構築率42%。居住区エネルギー循環、臨時稼働モードに移行中です……です、たぶん》
神託端末βの声が、やや心もとなげに響く。
改造によって半ば“人格”を得たAIは、どこか申し訳なさそうに語尾を濁すのが癖になっていた。
「β、よくやった。臨時でも動いてるなら上出来だ」
《……褒められました。少しうれしい、かも》
短い間のあと、端末の声に微弱な揺らぎが混じった。
ティアがすぐに顔を出して覗き込む。
「端末ちゃん、照れてるー!」
《照れてません》
「照れてる照れてるっ! ね、ご主人様っ、今“うれしい”って言ったよね!」
「お前、βまでからかうな……」
ユウリが額を押さえると、ティアは楽しそうにくすくす笑った。
戦いの疲れをまだ引きずりながらも、彼女の笑い声はこの街の再生音のように響く。
◇◇◇
午前中は、瓦礫の片づけが続いた。
ティアは瓦礫を軽々と持ち上げ、リアナは《純聖再生》で壊れた水路を清める。
そしてユウリは、二人が整えた箇所に改造構文を重ねていく。
焦げ跡の残る噴水跡から、やがて水が流れ出した。
透明な水が陽光を受け、廃墟の街に反射する。
「……わぁ」
ティアが目を輝かせる。
その背後で、リアナが小さく呟いた。
「水が流れる音、こんなにも綺麗だったのですね」
彼女は両手を合わせ、胸の前で祈るように目を閉じた。
けれど、その言葉に“神”という語はなかった。
代わりに、ただ静かに――
「ありがとう」と、誰にでもなく微笑んだ。
ユウリがその横顔を見て、わずかに息を吐く。
かつて神の声に縛られていた聖女が、いまは己の意志で笑っている。
それがどれほど強いことか、彼はよく知っていた。
「リアナ、いい顔になったな」
「え?」
「前よりずっと、人間らしい」
リアナは一瞬きょとんとしたあと、頬を染めて俯いた。
「……褒められたのか、からかわれたのか、わかりません」
「両方だ」
その言葉に、ティアが大笑いする。
「リアナ、顔真っ赤だよ!」
「ティアさんっ……!」
「えへへ、いいじゃん! ご主人様も楽しそうだし!」
「誰が楽しそうだ……」
「ほらー! やっぱり楽しそう!」
ティアの尻尾がぶんぶん揺れて、風を切る。
その笑い声に、リアナもつられて笑い、ユウリの口元もわずかに緩んだ。
◇◇◇
夕暮れ。
修復を終えた中央区の広場に、三人は簡易テーブルを並べた。
ティアが「お祝い!」と言い張って持ってきた食料――保存用の乾パンと野菜スープ。
神託端末βが魔導炉の残熱で保温してくれていた。
「じゃあ、ボクが音頭取るねっ!」
ティアが胸を張る。
「堕獣を倒して、街を守ったみんなに――かんぱーいっ!」
リアナが思わず吹き出す。
「乾杯って……お水ですよね?」
「いいの! 雰囲気が大事なの!」
「……ふふっ。では、かんぱい」
リアナがカップを掲げる。
ユウリもそれに続き、軽く触れ合わせた。
金属の澄んだ音が、広場に響いた。
それはまるで、廃墟が生き返る合図のようだった。
食事のあとは、ティアが「お礼に歌うね!」と宣言した。
竜族の古い旋律――低く響く喉の音と炎の残響。
どこか懐かしく、どこか哀しいその声が、夜のアルセリアに広がった。
リアナは静かに目を閉じ、膝の上で指を組んだ。
「祈りではなく、願いですね。……もう、これでいいのかもしれません」
「いいに決まってるさ」
ユウリが柔らかく言う。
「誰かが歌って、誰かが笑って、誰かが直す。それが“生きてる”ってことだ」
ティアが頷き、火の粉が夜風に舞い上がった。
◇◇◇
その夜、風はやわらかかった。
瓦礫の隙間を抜ける風音が、どこかで鈴のように響く。
ユウリは火のそばで作業をしていた。
神託端末βのディスプレイが薄く灯り、
《稼働ログ更新。防衛モード、安定稼働中。人間の笑い声、検出。……安心しました》
と報告した。
「安心、ね」
ユウリが少し笑う。
「お前も人間に近づいてきたな、β」
《定義上、それはエラーです》
「エラーでもいいさ。俺の好きなバグだ」
《……ユウリ。あなたも、笑っています》
「まぁな。いい夜だ」
ユウリは空を見上げた。
三つの月が、穏やかに廃都を照らしていた。
その光の下で、ティアの尻尾がゆらゆらと動き、リアナが静かに眠っている。
人と竜と、機械と。
違う存在たちが、ひとつの灯を囲んでいる。
神に見放された街の真ん中で、それでも確かに「生きている」。
――それだけで、今は十分だった。




