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俺の彼女は…  作者: イスカンダル
4章 夏の前の嵐
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曇天

 今日も今日とて、天から降り落ちる雨粒は大量。出来た水溜りに波紋を産み、弾け、音を鳴らす。既に六月も半ば。今年の梅雨は本当にどうかしている。


 「…雨、凄いね。」


 「あ、あぁ‥。」


 雨音に消されるような小さな声音が横から流れる。俺もそれに同様の声音で返事を返す。それからは何とも言えぬ微妙な空気が流れ。自然。耳に響くのは傘に弾く雨音だけとなった。

 

昨日。研究室を後にした俺は、やはりと言うのか。何というのか。桜木とどう接していいのかが分からなかった。あの話を聞いた後、今まで通りでいられる筈なく。割れ物に触れるようにとはいかないにしろ、言葉を選び、行動すら気をつけている。

 そんな事、しなくてもいい。頭では理解しているのだがどうも上手くいかないのが現実。人間の性というものだ。


 「ねぇ。あんた、桜木に何かやったの?事情は知らないけどあんたが悪いんだから謝んなさいよね。」


 「‥は?」


 一つ。オレンジ色の傘が近付いてきてそんな台詞が流れる。


 「は?じゃないわよ。喧嘩してるんでしょ?桜木もあんたもいつもの感じじゃないし。何でもいいから謝っときなさいよ。」


 いやいや。蔓美さん。それは理不尽にも程があるでしょ?何、その根拠もない決めつけ?何、その謝っときゃ何とでもなるとかいう駄目な考え方?

 大体、何で俺が悪い前提で話進められてるの?日々の行い、そんなに悪くないと思うのだが‥。


 「喧嘩なんかしてねぇよ。」


 色々、言いたい事。ツッコミたい事は山程あったが言うのも面倒。一言だけ、そう返答を返した。


 「じゃぁ、何でそんな一線引いたみたいな距離取ってるのよ?いつもなら桜木、あんたにベッタリじゃない?」


 「‥あ、あぁ。それは‥」


 俺はそこで言葉を閉ざした。昨日の事。シャドウの事を蔓美。そして波瀬。後はここにはいないが楓香ちゃん。柿宮。和明。後はマスターに話していいのだろうか?

 話してどうこうなる問題でもない。下手に不安を過ぎらせ、今の俺みたいな感じになるのも良い判断とは言えない。

 コイツ等の事だ。話して友達を止めるだとか。あからさまに避けるなどはしないだろうが、それでも今まで通りではいられない筈だ。現に今の俺がそうだし。


 「ちょっと、何なのよ?急に黙り込んじゃって?」


 「あっ、いや。」


 そんな事を独り、黙考していると蔓美のムスッ。とした声が横に流れる。

 

 「‥悪い。今は話せられない。この問題が解決して、ちゃんと時間が取れたら絶対に話す。だから‥」


 「はいはい。分かったわよ。まぁ、そんな事だろうとは思ってたし。ただし、絶対に話すのよ?それと、言っておくけど。どんな話を聞いても私は私の考えを曲げないし、あんたの言う事は聞かない。それだけは覚えておくことね!」


 「あっ、あぁ‥。」


 「ちょっ!?何、笑ってんのよ?気持ち悪い。」


 いやいや。だから、蔓美さん?俺を嫌いすぎじゃね?そんな、あからさまに身を引かなくても‥。いい台詞、聞いた後ではその攻撃力も二倍になるからね?分かってやってる?それだったら蔓美さん、とんだ性悪女ですよ。えぇ、まぁ。はい。


「何を二人でイチャついてるのかなぁ~?」


 「は?何を?」


 「ちょっ、麗華。冗談でも止めてよ!」


 急遽。俺達の間にからかうような。そんな声が流れる。俺も蔓美も直ぐ様、否定の言葉を。だが、それこそ相手の思惑通りだったのか、出した声は二つ。重なってしまう。そして何故か俺だけが睨まれた。

 ‥ほんと、俺を嫌いすぎじゃね?何と言うかもう世界が。


 「ふふ。まぁ、それはそうと。もう直ぐだと思うよ。新戸君が送ってくれた地図からしたら。」


 「お、おぉ‥。悪いな。」


 「気にしないでよ。香澄は方向音痴だし、新戸君と桜木君は何か調子良くないみたいだし。仕方ないよ。」


 「あ‥あぁ。」


 実際、俺と桜木にそんなモノはない。桜木はどうかは知らないが、俺に関しては前に失敗したあの日よりかは好調だ。

 少なくとも過去の事は今は置いておく。心をシフトチェンジする事はできてはいた。


 「ちょっ、麗華!!私は方向音痴じゃないし!ただ、その地図が分かりにくいだけだし!」


 「あぁ、うん。そうだね。そうだね。」


 「もうっ。麗華、絶対に信じてないでしょ?それ??」


 全く。アイツ等は相変わらず仲が良いな。百合とか正直、範囲外だけど何だかほのぼのしてくる。

 ‥って、いかん。いかん。何を言っているのだ?俺は?これ以上、変態キャラを固定しては終始。取り返しのない事に‥


 「‥ゆうちゃん?」


 「え?あっ、何だ?」


 馬鹿な思考に頭を埋め尽くしていると控えめな声が横から飛んできた。


 「‥正直に言うと僕、不安なんだよね。また、駄目だったらって‥。‥今回の問題は僕だけの力で解決したいし‥。」


 「・・・・・・・・・・。」


 控えめな声。姿勢。そして、その台詞。聞いてはいたが、桜木も自分自身で分かっているのだ。自分の中に複数、人種がいる事。そして、それに頼ってはならない事。 

 だからこそ俺はシャドウの事も。桜木との微妙だった空気も忘れてまずは一発。


 「何を思い上がってる。」


 「いたっ!」


 手刀を頭に一発。桜木は短い声を口から漏らし、そこを抑える。


 「お前だけの力で解決できたら苦労しねぇよ。」


 「で‥でも。」


 「お前の周り。特に真ん前には誰がいる?もう、お前だけじゃねぇだろ?ソレを頼る前にまずは俺達を頼れ。」


 「あ‥うっ。」


 少し調子乗った言葉を含ませたのはいいがソレに対してのツッコミもない。桜木はただ両目を潤わせ、小さな声を漏らすだけ。


 「‥それ、百合ちゃんにも言われたよ。」


 目元を袖で拭い、はにかんだ笑みを見せる。それを見て俺は少し安心すると同時、何をしていたのか?自分自身で呆れた。 

 何がどうあれコイツはコイツで何でもない。‥それが偽りのモノでも。ガラスのように繊細な爆弾を胸に所持していようと。変わらない。

 だから、恐れる事はない。ビビる事はない。いつもの通り。コイツが落ち込んでいたら馬鹿な言葉一つ添えて慰めよう。

 もう、体も心も迷わない。一体となり、桜木雲雀という人物に挑もう。


 「そうか。」


 迷いが消えた俺の口から出た言葉は、天候とは真逆で晴れ晴れとしたものだった。


 「ふふ。何だかよく分からないけど仲直りできたみたいね。」


 「いや、だから俺達は喧嘩なんかしてねぇ‥まぁ、何でもいいか。それより着いたのか?」


 前方を歩いていた波瀬。蔓美の足が止まり、こちらに顔が向けられた。その理由たるものが分からない筈もなく、それに対しての質問を言葉として投げた。


 「えぇ。」


 答えた波瀬の顔はあまり優れていない。


 「何、心配するな。蘭菊さんに聞いた話では、ここの人はいきなり手を上げるような、そんな人ではない。‥まぁ、あくまで聞いた情報だけど。」


 「あっ‥うん。」


 そうは言うも波瀬。蔓実の表情は晴れない。だが、それは当然と言えば当然。彼女達が恐れ、不安がっているのは目前に佇むボロアパートで暮らす中の人物に対するものではない。桜木同様に一度の失敗。それを意識しているのだ。

 また駄目だったら。また、失敗してしまったら。そんな思考が頭に巡ればそう言った不安。恐怖も表れるだろう。実に人間的な心情。 


 「とにかくベル、押すぞ。既に英智が来ていたら事は急を要する。」

  

 「う‥うん。」


 「そ、そうね。」


 「・・・・・ゴクッ。」


 波瀬。蔓美。桜木。三人。いや、俺にも緊張が流れる。

 部屋は一階。103号室。扉前に立ち、俺達は再度、喉を鳴らした。


 「じゃぁ、押すぞ。」


 緊張。不安。恐怖。それらのモノで汗ばんだ手。指が呼び鈴に近付く。それと同時。心臓の音は速さを増す。

体。脳は完全に逃げ腰だった。それでも気持ちだけは前に向かう事を恐れず。だからこそ指を動かせれた。

 そして。


 ピンポーン。


 雨音に混じって、そんなド定番な呼び出し音が響き渡る。


 「・・・・・・・・・・。」


 もう一度。



 ピンポーン。


 「‥留守か。」


 二度目の呼び出し音を聞いて俺は呟く。まぁ、留守ならば仕方ない。これまたド定番だが探偵みたく、茂みにでも隠れて家主の帰りを待つとしよう。

 とか思い、行動しようとしたのだが。


 「ちょっ‥中、大丈夫なの?」


 「へ?」


 少し震えた蔓実の声。


 「鍵は?新戸君?鍵は開いてる?」


 「‥いや、閉まってると思うけど‥?」


 何故か早口で捲し立てる波瀬。そんな声に応えるように目前の扉をガチャガチャ。動かす。


 「違うよ。ゆうちゃん。扉壊して!早くしないと取り返しのつかない事に!!」


 「は?何なんだよ。お前ら?」


 決め手は桜木。相変わらず言っている意味は意味不明だが三人が皆、焦っている事は十分に理解できた。 

 「もうっ。退いて!僕がやるから。」


 「あっ。いや、待て。」


 強引にも俺の体を横にずらし、扉前に立った桜木。彼が何をしようとしているのか?それはさっきの言葉を思い出せば容易に想像がつく。

 そんな事をしたらそれこそ取り返しのつかない事になる。扉弁償とか馬鹿なの?ねぇ?


 だというのに桜木はそんなこと知るか。眉をキリッ。表情を強べている。勿論、見る先にある物は鉄でできた硬そうな扉。

 体当たりなのか?それとも右ストレート?いや、鞭のような動きを見せる蹴り技?

 どれを放たれても扉が吹き飛ぶ絵面しか見えん。あんな華奢な体にどこにそんな力が‥。

 

  ‥とか、言っている場合ではない。このままでは弁償云々、警察を呼ばれる可能性すらある。そうなれば英智を救うなど絶対的に不可能となる。


 「さくら‥」


 既に右足を数歩後ろに下げていた桜木。どうやら蹴り技をはくらわそうとしていたご様子。

 と、そんな桜木の行動を止めるべく、声を張り上げようとしたところ。


 「あの?私の部屋に何か用でも?」


 どこか気疲れしたような。低い声。桜木の動きは止み、俺達の首もそこに振り向かれる。


 「えっと‥その?貴方は、暮林(くればやし)さん?」


 見た先に映っていたのは白髪混じり。丸眼鏡。小じわが口横に線を描く。そんなどこにでもいそうな中年男性だった。


 「え?あぁ、そうだけど?私に何か?」


 「あっ、いや。用というかなんというか‥」


 思えば何も考えていない。いきなり、貴方を殺す者がもう直ぐ来るので逃げて下さい。など言える筈もなし。というか聞き入れてくれないだろう。

 結果。こうして何も言えず口篭っているしかない。


 「あの、おじさん?おじさん、足悪いの?」


 俺がこの状況をどう切り抜けるか。う~ん。む~ん。ふむむ~。と、頭捻っていたら桜木の声がこの場へ発せされた。

 

 「あぁ、そうだね。昔、事故にあってしまってね。今じゃ、コレがないと歩く事さえ困難なんだ。」


 男。暮林さんはそう言って、手に持つ一本の杖に目を落とした。

 

 「あの?」


 桜木に続いて今度は波瀬の声。


 「なんだい?」

 

 「見たところ夕飯の食材を買いに行っていたと思われますが。お食事はまだなされてないのですか?」


 確かに男のもう片方の腕にはスーパーの袋がぶら下がっている。傘をさし、杖を持ち、更にスーパーの袋をぶら下げる。物凄く大変そうだ。


 「だったらなんだと?」


 男の声は苛立ちを含むものがある。それはそうだ。ただでさえこの天気。加えて荷物は大量。目の前に我が家があるのにそこへの侵入を拒む者がいる。苛立つ気持ちは痛いほど分かる。

 俺でも分かったのだ。他の三人が分からない筈がない。だからか波瀬はまず一言、謝罪の言葉を口にする。


 「あっ、いえ。お気に触ったのなら謝ります。ただ、そちらがよろしければお食事の支度は私共でしたいなと?私達、学校の課題でそういったものが出されているのですよ。休みの最中、一日一善するようにと。どうでしょうか?ご迷惑でした?」


 波瀬は表情こそ完璧に装って、暮林の返答を待った。

 桜木とは別格の演技力。波瀬という人物も間違いなく天才。化物の一種だと改めて思わされた瞬間。


 「いや、迷惑ではないが‥。というかむしろ助かるのだが‥。」


 暮林は間違いなく、波瀬の言葉に揺れていた。

 まぁ、男独り。料理を振舞ってくれる云々。三人‥いや、二人か。美少女が居てくれるというだけでもありがたいだろう。


 「じゃぁ、お邪魔します。おじさん。適当に調味料とか使うからね。」


 「え?へ?ちょっ、君?」


 未だ、迷っていた暮林。だが、それは半ば強引だが、断りも無しに家へ上がった蔓実の行動で無いものとなった。

 相手に迷いが生じたら強引でも何でもいいから行動するべしとは言ったものだ。蔓実さんさすがっすわ。


 「ほら、ゆうちゃんも来る。僕達だけ働かせるつもり?」


 「あっ、いや。‥あぁ、悪い。今、行く。」


 既に三人は俺と暮林さんを置いてけぼりで部屋の中へと身を収めていた。自由奔放というか。行動的というか。何か色々な意味で尊敬する。


 「えっと‥そういうわけで。俺もお邪魔します。」


 未だ呆然と突っ立っていた暮林さんに一言添え、俺も部屋の中へと侵入する。何はともあれ、俺が悩んでいる内に事の問題は全て解決しており、これでいつ英智が来てもいい状況が成り立った。

 ‥俺の存在。

 そんな想いと共に肩が落ちる。だが、まぁ。そんな姿。誰も見ていないし、誰も気付いていないのですがね。えぇ。まぁ。


 *********************


 1LDKの小さな部屋。必要最低限の家具が置かれるだけでとても殺風景な空間だ。今日は世間で言うところの平日。

 フリーターなのか。平日休みの会社に勤めているのか。内職をしているのか。無職なのか。

 真相を訊く事はどうもできなかった。


 「すまない。会ったばかりの学生に料理など作って貰って‥。」


 小さなちゃぶ台を前に腰を下ろしている暮林さんはそんな言葉を口に頭を下げた。


 「いえいえ。私達が無理にお願いしたようなものなので。こちらの方こそ申し訳ございません。勝手に家に上がり込む形になってしまい。」


 長い黒髪を今日はロング。だが、料理をしている際、邪魔だったのかゴムで一纏めに縛っていた。そんな波瀬が暮林さんの言葉にこちらも低姿勢で返答を返す。

 まぁ、実際。悪いのは俺らで暮林さんは何一つ悪くないのですがね。


 「まぁ、その事は気にしないでくれ。こちらとしても人との食事は久しぶりだ。」


 「それならいいのですが‥」


 波瀬は穏やかな声で胸前に手を当てた。何か思う事でもあったのだろうか?

 などと詮索するつもりはないが、思っていると喧しい声が焦げ臭い臭いと共に流れる。


 「ちょっと、麗華ぁー。これ噴いてるけどもういいのー。後、コレごめん。焦げちゃった。」


 「あぁー。もう、それいいから。香澄はフルーツでも並べてて。」


 「波瀬さん。こっち、魚の下処理終わったよ。こっちの肉はアロゼしておくの?玉ねぎはエマンセ?」


 「‥あっ、あぁ。うん。お願い桜木君。」


  

  一方はハチャメチャ。もう片方はある意味でハチャメチャ。この二人を同じ厨房に立たせていいのか?そして、そんな人物等をまとめる波瀬。‥口には言わないが頑張れ。


 などと暮林さん同じく、ちゃぶ台を前に座りながら思う。

 ‥いや、うん。違うんだよ。コレは俺の意思ではないのだよ。男は厨房に立つべからずなんて古い考えの持ち主じゃないから俺。

 一応、一人暮らしですし。料理はするし。そこそこの自信はあるのだよ。少なくとも蔓実以上の実力はある筈。

だけどね。手伝おうか?って言ったら三人揃って座ってとか言うのですよ。ですから。えぇ。まぁ。そういう事、なんですよ。

 グチグチ‥。


 「いいね、君は。あんなに可愛らしい女の子に囲まれて。」


 「へ?‥すみません。今、何と?」


 内心でグチグチ愚痴っていたら前の方から声が飛んできた。本当に何を言ったのか分からなく、俺は再度、言葉を訊ねる。


 「だから、君はいいねと。そう言ったんだよ。」


 「えぇ‥と。すみません。何がそんなに羨ましがられるのか‥?」


 素直な感想。この状況。俺を見て何がどう羨ましいのかが点で分からない。

 なのだが、目前の人物。暮林さんは口元を緩く曲げ、微笑んでいるだけ。何が何だか?


 「えっと、その‥。暮林は娘さんがいらっしゃるのですか?」


 俺は棚上に乗る一つの写真立てをそれとなく眺める。

 何を羨ましがられたのか?何をそんなに微笑まれるような事があったのか?正直、少し気になりはしたが無駄話をしにきた訳ではない。俺は話を逸らすのも含め、早々に本題へと入る。


 「あっ、あぁ‥」


 予想通り、暮林さんの口からは寂しそうな声が漏れる。分かってはいた事だが少し胸が痛い。


 「鈴音(すずね)と言うんだ。今は小四かな?元気でいるといいのだが‥」


 その顔は今の現状を知っている。知っていて敢えて、何も言わない。そんな風に感じられた。だから俺も深くは言わないし、追求するような事はしなかった。ただ、言葉だけは伝えたいと思った。

 やはり嘘はよくない。


 「‥すみません。騙していたつもりはないのです。俺達は貴方の事を知っていた。知っていて近付いた。娘さんの事は勿論。誰と今、いるのかも。」


 決して大きな声を出した訳ではない。だが、この部屋は小さい。少しした声でも後ろで調理に奮闘中の人物等には届き、聞こえていた。

 ただ、それでも彼、彼女等は何も言わない。言わず、手の動きを止めた。今はガスコンロ上で鍋が火に当たる音だけしかない。完全なる静寂ではないが、とても静かな空気が生まれる。

 

 「‥そうか。」 


 俺が言葉を発してから数十秒。暮林さんの穏やかな一言がそんな空気を打ち消した。


 「で、君達の目的は何だ?言っておくが私は何も知らないよ。娘と言っても、もうあの子は私の子ではない。姓も変わってしまったしね。」


 言われた言葉はとても侘しいものだった。その気持ちは何となく分かった。


 「知っています。貴方に何かを求める気はありません。昔の傷を抉る気もありません。ただ、俺達は一つ伝えたくてここに。貴方の元へ現れました。」


 俺は胡座だった足を正し、正坐にする。そして、真剣な眼差しで彼。暮林さんを見て口を開く。


 「今、鈴音ちゃんの兄である英智。ニュースでも流れています。その人物がどのような人物かはご存知かと思われます。その人物が貴方を狙っています。」


 「‥狙っている?」


 暮林さんの眉が少し動く。俺が何を言っているのか?微妙に分かっていない様子だ。だから、俺はその言葉をはっきりと伝える。はっきりと言葉にする。

 深呼吸を一つ。


 「殺しに来るんです。」


 静かな空間。丁度、タイミングがいいのか悪いのか。火に掛かっていた鍋が泡を噴かせ、蓋をずらした。後ろの方では波瀬が急いで火を止める。そんな動作が見なくても分かった。


 「‥なっ。」


 俺の言葉からまたも数秒。暮林さんの口から溢れたのはそんな一声だった。


 「信じられないかもしれませんが現実です。彼は。英智は貴方。親という存在を消したがっています。貴方が何かをしたわけではなくても彼はその行動目的を遂行する為に動きます。言葉など聞く耳を持たないでしょう。」


 「‥うぅ。」


 喉から出た呻き声にも近いもの。今、暮林さんの脳内では俺の言葉を受け入れるかどうか。それを必死に考えているのだろう。

 それは、仕方がない。素直に言えば俺だったら絶対に疑う。名も知らない学生にこんな事を急に言われて信じろという方が難しい。だが、上手い言葉なんて思いつかなかったし、時間もない。正直に言うしか方法がなかったのだ。

 馬鹿な考えだと追い出されるか。 受け入れてくれるかは殆ど賭け。そして、暮林さんの結論は‐


 「分かった。君の言葉を信じる。いくら考えても私を騙して得をするとは思えない。それに君達が悪い事をするようには見えない。」


 全てを受け入れると言ってくれた暮林さんの声は。表情は実に穏やかだった。俺は。多分、後ろの連中等もまずはそこで一つ。胸を撫で下ろす。


 「で、具体的には何を?私はここを離れればいいのかい?」


 「あっ、いえ。その件に関しては‥」


 暮林さんの声は早口になっていた。当然だろう。自分の命が狙われているのだ。焦る気持ちは十分に理解できる。ただ、ここで暮林さんをどこかにやったとしたら危険性は増してしまう。勿論、護衛は付けるつもりだ。この場合は蔓実あたりだろう。

 だが、そうなるとどうなるかが分からない。蔓実だって女なのだ。いくら合気道のスペシャリストだったとしても力技に持ち込まれたら勝目はない。それに、英智がナイフなどを所持していたら?

 可能性としてはゼロではないのだ。そう考えると拡散させるよりも一箇所に集まっていた方が確実に安心はできる。人数の問題ではないが、英智を抑え込める事もできるかもしれない。 

 だから。


 「絶対に俺達が貴方を護りますので安心して下さい。」


 「おっ、そうか?そうなのかい?」


 声を張り上げたせいか、納得‥はしていないだろうが理解はしてくれたと思われる。絶対なんて曖昧で確証もない言葉。本当は使いたくなかったのだけど‥。


 「話はまとまったみたいね。取り敢えずご飯できたから皆で召し上がりましょう?暮林さん。すみません。図々しくも私達の分まで作ってしまいました。」


 雰囲気を読み取った波瀬がまとめていた髪を解き、こちらへ声を飛ばした。


 「あ、あぁ。構わないよ。元々、私もそのつもりだった。少し、そわそわするがそう言う事なら安心だ。食事にしようか?」


 その言葉に嘘はないと思われる。俺達如きに何を感じ取ったのか?暮林さんの声は実に穏やかで静かだった。


 「ふふ。おじさん。優一。驚きなさい。そして私を褒め称えなさい。コレが私の作った料理の数々。どう

?凄いでしょ?」


 「まぁ、香澄は殆ど何もしてないけどね。」


 「ちょっ、麗華ぁー。」


 などというやり取り。激戦が始まる前とは思えない程にほのぼのしている。


 「どう?ゆうちゃん?僕も作ったんだよ?」


 波瀬と蔓実が微笑ましい光景を見せている中。桜木は一人、黙々と机上に皿を並べていた。今、置かれた皿は何の魚だろうか?

 鮭?魚にはあまり詳しくないからよく分からない‥。まぁ、何かのムニエルだ。ソースも特製なのだろう。実に色鮮やかでハーブなどが刻まれてある。

 一言。美味そう。その一言しか出てこない。

 そして、そうこうしている中。机上には数々の皿が隙間すら見せない程に載せられる。


 「あぁ、さすがだな。」


 本当、さすが。スペック高すぎて怖いわ。


 「じゃぁ、まぁ。頂きましょうか?」


 「あぁ、そうだな。」


 波瀬と蔓実の言い合いも終わり、桜木も腰を下ろし、ようやく目の前にある皿に手をつけられる事となった。

 皆が皆、手を合わせ、箸を握る。


 と、そんな時。


 ピンポーン。


 聞き慣れた呼び出し鈴の音が部屋中に大きく響いた。


 ドクンッ。


 心臓が跳ね上がる。緊張が汗を湿らす。そしてそれはどうやら俺だけではないようで‥。


 「わ‥私が出るよ。」


 「あっ‥いや。暮林さんは出ない方がいい。俺が出ます。」


 情けない足腰を二・三度叩いて立たせ、動かす。ここで暮林さんに扉を開かせたら開放後、直ぐにブスリッ。という事も有り得る。

 そう考えると自分は?となるが、その事に関しては考えてある。腹の中にはタオルを三重程重ねた物が仕込まれてある。不意打ちでナイフがこようとタオルが俺を護ってくれるという寸法。

 ‥とは言え、生きた心地はしない。


 ゴクリッ。


 扉前。俺の喉は音を鳴らす。そして、ゆっくり。取っ手の方へと手を伸ばす。


 ガチャッ。


 聞き慣れた音。冷たい感触。そして、徐々に見えてくるその先。

 覚悟を。気持ちを決める。


 が。


 「〇〇県警の椎名という者だ。先刻、通報があった。山内英智容疑者の協力者がこの部屋に乗り込んだと。ん?君がそうなのかい?悪いが署まで同行願う。」


 扉の開放後、立っていたのはそんな台詞と共に手帳を見せる若い警官の姿。予想外。というか誰が予想できただろうか?

 俺の思考はフリーズ。直ぐに動いてはくれなかった。

 そして、その短い時間を狙われた。


 ガチャッ。


 耳に響いたそんな音。両手に何かが付けられる。触れる冷たい感触。少し重い感覚。そして思考はようやく動き出す。


 「へ?」


 それでも出た言葉はそれだけで、何がどうしたらいいかなど分からなかった。ただ一つ。分かっている事。

 何でかはさて置き、俺はこの日。この時間。何故か逮捕されたのだった。

  

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