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俺の彼女は…  作者: イスカンダル
4章 夏の前の嵐
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57/59

重なる問題

 少年は一人、考えていた。

 それは自分について。自分の未来。過去。つい、先刻。友人に全てを語られた。だが、あの時の自分はいない。少年は分かっていた。

 いつしか自分という存在が分からなくなって、自分自身を見失っている事実。今は責任。それと好きになった人が男だという事もあり、母親の幻影を追った姿をとっている。自分自身、その格好は嫌いではなかった。だが、コレも少年のあるべき姿ではない。

 偽り。逃げの主張。


 分かっていた。

 母親の代わりになどなれない事。コレはただの‥


 「ちゃん‥。お兄ちゃん。」


 「あっ‥ゆ、百合ちゃん?どうしたの?」


 気が付くと自分の妹の顔が直ぐ近くにあった。慌てて返事を返したがどうやら他事を考えていたことはバレている風だった。


 「もうっ。お兄ちゃん。何、ボーッとしてるのよ?らしくない。」


 「う、うん。ごめん。」


 ファミレスを後にして過去の話を聞いて、スッキリしたようでしていない。かっちゃんに頼まれたけど。やはり、自分達には大きい問題だったのかもしれない。少なくとも前までの自分にはなれない。人を前にすれば多少の演技は可能だが、それでも完全ではない。

 

 「百合ちゃん。僕‥」


 「大丈夫よ。私のお兄ちゃんは完全無欠だし。」


 「いや、僕はそんな‥」


 「大丈夫だよ。」


 「へ?」


 目前の妹が真剣な眼差しで自分を見ていた。思えば百合ちゃんのそんな表情。久しく見ていなかった。と言うよりもこうして一緒にお茶をする事も殆どなかった。だから、百合ちゃんの方から誘ってくれた時は二度くらい聞き返してしまった。

 そんな妹が僕に言う。


 「自分を信じられなくなっても、今のお兄ちゃんにはいるでしょ?」


 「‥僕にいるもの‥?」


 答えを導く前に妹の口がそれを言う。


 「お兄ちゃんが好きになった人。それに私も友達も。今のお兄ちゃんには沢山いる。だから、一人で挑まなくてもいいんだよ。一人で悩まなくてもいいんだよ。」


 「あ‥」


 さすがは自分の妹だ。全てを見透かしている。その台詞だって自分がゆうちゃんに言うような台詞そっくりだ。兄妹、似るものはどうしても似てしまうものなのだろう。


 「そうだね。今の僕には皆がいる。」


 それでも自分の中のどうしようもない問題はまだ‥。自分の中に存在する無数の性格。人格はまだ‥。

 そして、ゆうちゃんが好きというこの感情さえ。


 はっきりした答えを出せれない。


 顔に浮かべる表情とは逆の気持ちが心の内側でモヤモヤと動いているのを感じた。


 「・・・・・今の僕にはか。」


 「ん?何か言った?」


 「ううん。何も。」


 僕は笑顔でそう言って、静かに紅茶の入ったカップを傾けた。少なくとも後数年。いや、数ヶ月間はまだ僕は僕でいられる。だから‥

 そんな言葉と共に口の中に広がった甘く、温かな液体を喉に通す。空になったカップ。あったものが消えるのは一瞬で‥。


 それ以上は考えても無駄な思考。

 首を左右に勢い強く振るう。これ以上、何かを思っては駄目だ。空になったカップを片手、僕は静かに席を立った。



 ************


 白衣の女性。もとい恩人から例の地図を転送して貰ったのはつい先刻。時間としては短いようで長かった。そう思わされたこの場所。時間も終わりを迎えさせなければならない。


 「‥ありがとうございました。‥その、色々と。」


 扉前。俺は昔の記憶を思い出し、そんな言葉を別れの言葉と共に混ぜた。


 「何、ワシは大した事などしておらんよ。」


 白衣の両側に手を突っ込んで女性はそう口にする。それは言葉通りの意味で。彼女にとってはそれ以上も以下もないのだろう。


 「‥あの。」


 「ん?」


 恩人。‥いや、一個人として俺はこの人と共にいる事が心地よいと思った。だから、ロクに考えもせず口が勝手に動いていた。


 「また、ここに来ても‥?」


 俺としては珍しい台詞。他者との交流を自ら望むなど滅多にない。だからだろうか?言葉を口にした瞬間。数秒間の静寂がこの空間に陥った。


 ん?やはり、駄目だったのか?それともこの研究所に俺という存在は厳禁だったとか?百合ちゃんのお許しを得ないと入ってはならないと?

 

 とかなんとか思い始めた頃。ようやく閉ざされていた口が開放され、声が響く。


 「‥お前さん。去る前に。その質問に答える前に一つ聞いてもよいか?」


 「え?‥あぁ、はい。」


 何でも知ってそうな人に、質問される事などあるのだろうか?

 少々の疑問を胸に抱きながら、首を縦に動かす。

 女性はそんな俺の行動。台詞を聞いて一つ。静かに首肯を返す。そして、またまた予期せぬ言葉を小さな口からポロリ零した。


 「お前さん。聞いた話ではお前さんは雲雀坊ちゃまの恋人。そう申すではないか。」


 「ブッ!?」


 予想外。ここにきてまさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。台詞が出てくる前に汚くも唾を前に勢いよく飛ばしてしまった。


 「‥な、何で?というか誰からそれを?」


 「何をそんなに慌てておるのじゃ?誰も何も雲雀坊ちゃま本人に決まっておろう。言ったじゃろ?ここに来ておると。」


 「‥あ、あぁ。」


 そういえばそんなような事を言っていたような‥なかったような。


 「で、じゃ。勿体振るのは好きではない。下手な前置き無しに言うぞ。」


 「え?あ、はぁ。どうぞ。」


 目前の女性は何故か緊張感を呼ぶような言葉を添え、短い間を俺にくれた。

 俺には何の事やら?

 ただ、何となくだが良い雰囲気ではない。その事だけは不確かで曖昧な言葉になってしまうが何となく感じ取っていた。

 得に意識せず、生唾を呑み込んだ数秒後。目前の女性は口を開く。

 

 「どこまで知っておるのじゃ?」 


 「‥へ?」


 言葉の意味が理解できず、間抜けな声が口から溢れる。


 「じゃから、雲雀坊ちゃまの事じゃ。どこまで知っておるのか?と、問いておる。」


 「あ、あぁ。‥‥。」


 後から台詞を加えられ、言葉の意味自体は理解できた。理解できたのだが‥。


 「と、言われましても‥。何が何の事やら‥?」


 乾いた笑みを浮かべながら言葉の真意を問う。女性が言っている事は桜木の何を言っているのか?過去の事?それとも彼が抱える悩み?それとも多重人格の事?今の桜木が見た目以上に不安定でどうしようもないということ?それとも‥


 考えられる事は沢山あった。桜木と過ごして一年ちょっと。自分で言うのもなんだが、彼の事は肉親と同様。それくらい知っているつもりだ。


 「‥まぁ。良い。少し付き合え。今度は飲み物も用意してやるから、さっきと同じでよい。ソファーの空いている場所に腰を下ろせ。」


 「はい?」


 「聞こえんかったのか?さっさと座れと言ったのじゃ。それともこれ以上、ワシと話をするのが嫌じゃと。お前さんはそう申すのか?」


 「あっ‥いや。そんなつもりでは‥」


 少しばかり強引な言動に疑問を抱く。だが、逆らえる雰囲気でもない。やむ無く座っていた席に腰を下ろし、今はどこだかに姿を消した女性を待った。


 「一つ。先程の問いとは別に聞きたい事がある。」


 「‥俺にですか?」


 山積みに積まれた資料は適当にずらされ、空いたスペース。そこに女性が両手で持ってきた湯気立つカップが置かれた。俺はそんな飲み物を不審な目で眺め、眉を潜める。


 「何、ただの珈琲じゃよ。それともお前さんは珈琲も飲めぬ程のお子様じゃったと。そう申すのか?」


 「あっ‥いや。そうではなく。‥すみません。」


 謝罪の言葉を口に、早速。カップの中身を傾ける。口中に苦く、だが慣れ親しんだ味が広がった。


 「‥これ。」


 インスタントではない。しっかりと焙煎され、しっかりとした工程で淹れられた珈琲。少し‥いや、だいぶ驚いた。この珈琲はまるで‥

 

 「何を驚いておるのじゃ。ワシは無駄な時間は割きたくないが、意味のあるものには時間を割く。」


 「は、はぁ‥」


 床に広がる数々のカップ麺の空容器に目を向け、何となく息を吐く。

 

 「と、そんなことよりもじゃ。お前さんは雲雀坊ちゃま‥いや、雲雀様とこれからも共に居続ける。さっきは恋人などと言ったがその言葉。その表現は満更でなく、本当にそれと近しい意味で雲雀様と行動を共にする。そうしてくれると。そうすると。お前さんは約束できるか?」


 真剣な声音。心なしか表情すらそれに並ぶ。だから、彼女の言葉。その意味をしっかりと噛み締め、考える。

 

 「‥それはアイツが。‥今の桜木が変わってしまっても。‥そういう意味‥でいいのか?」


 少しの黙考後。出た結論はそれだった。今の桜木。今、現在。俺が知っている桜木。その性格。口調。その他、諸々が偽りである。それは前に言われた事だった。


 「‥まぁ。確かにソレもある。が、ワシが言う意味とは少し異なる。お前さんが言うソレは少なくともハッピーエンドの終着点。ワシが言っておるのはその逆じゃ。」


 「逆‥?」


 ただならぬ悪い予感がして曲がっていた背筋が自然、伸びていた。


 「あぁ。その反応じゃとまだ知っておらぬようじゃの?」 


 「な‥何が?」


 桜木の事なら殆ど知っているつもりだった。だが、それは俺の思い上がりだったのだ。俺は桜木の事をまだ知らない。

 知っていた彼の闇。黒い部分。それはただの欠片に過ぎなかった。まだ、彼には深い。それこそどうしようもない闇が。問題が眠っていたのだ。

 

 「ふー。」


 問いを投げて数秒。女性は自身で淹れた珈琲を喉に通して、息を吐く。そして、言う。


 「雲雀様には表に出してはならない人格が眠っておる。」


 「・・・・・それは」


 それは俺が幾数回、見てきた彼とは思えない彼とは異なるものなのか?

 そう言おうとしたのだが、言葉は途中で止まっていた。答えなど聞かなくても‥


 「昔の事じゃ。咲百合‥様が亡くなって数年。雲雀様が部屋に引きこもってしまった時じゃ。当時、メイドをしておった者が強引に外へ出そうとした。」


 メイド‥。マスターの事だ。

 名前までは言われなかったが俺は瞬時にそう理解した。


 「始めは言葉で心を開こうとするも上手くいかず。時間が過ぎていくと共にメイドの中には苛立ちがが生まれていった。そして遂には‥」


 そこで女性は言葉を切った。

 が、俺にはその先が分かっていた。それはいつだったか本人に聞いた。


 「手を上げてしまった。ですよね?」


 「‥知っておったか。」


 自慢にもならないそんな言葉を聞いた女性は、少し陰の掛かった表情で頷きを見せた。

 だから。あの時、マスターが言った言葉は本当で。ここを辞めたという理由も本当であった事を再度、思い知った。


 「そうじゃ。アイツは雲雀様に手を上げおった。」


 「けれど、それはアイツが既に違う人格にシフトチェンジしていたからじゃ‥。」


 聞いた話ではそうだった。マスターは強気な桜木に困惑して、思わず手を上げてしまったと。あの言葉が嘘だとは思えない。第一、あの人はそんなつまらない嘘は言わない。


 「じゃから手を上げてもよかったと?じゃから、傷心中の主に平手打ちを喰らわせてもよかったと?」


 「あっ‥いや、そういう訳では‥」


 気のせいだろうか?マスターに関して、少し厳しいような気がする。それにしても、マスター‥。平手打ちしたのか?

 鋭い一撃が飛んできそうだな‥。


 「まぁ、じゃが。そこは大した問題ではない。確かにあの時、既に雲雀様は雲雀様ではなかった。じゃが、問題はそこではなく。その後じゃ。」


 「後‥?」


 ただならぬ悪い予感。悪寒が走り、小さな呟きが口から溢れた。


 「そうじゃ。アイツが雲雀様に手を上げた後。雲雀様の人格は暴走した。」


 暴走‥?

 そんな事、マスターは何も言っていなかった。そう言えばマスターは平手打ちではなく殴ったと言っていたような‥?

 れ?おかしい。記憶が曖昧なのか。食い違いなのか。それとも真実自体が違うのか。 

 そしてどうやら答えは‥


 「暴走した雲雀様‥。アレは人間ではない。人間の皮を着た化物じゃ。」


 「な‥何を言って‥」

 

 これ以上の言葉は危険だ。瞬時に思った。

 きっと、この先を聞けば俺は桜木を全く違う者と見てしまうだろう。それだけは‥。それだけはお互いの為にもしたくはなかった。

 が。それとは逆に聞きたい。そんな欲求にも似た感情。衝動が前に出ていた。

 だからこそ。結局、耳を傾ける。聞いてはならぬ言葉の先を求める。


 「聞いておるかもしれぬが第一段階。人格が変貌するも記憶がある状態。アレは危険ではあるものの他者への被害はまずない。記憶があるという事。感覚を共有するという事は内側からでも歯止めが利く事が可能じゃからな。じゃから、ワシもその状態ならばと時を待つ方針で雲雀様を見ておった。」


 が。


 と、女性は一言。台詞を続ける。


 「第二段階。文字通り暴走した雲雀様は他者。そして自らに迷惑を掛ける。」


 「‥そ、それはつまり?」


 正直、話に付いていけない。だが、今までの桜木を見ている分では考えられない話ではなかった。

 事は現実問題。ついていけない云々、言っている場合ではないのだ。


 「うむ。その状態。ワシはシャドウと名付けたが、シャドウの状態の雲雀様は全てのリミッターが解除された状態。つまりは超人的な力を持つも理性というものすらない。目前の事だけを達成する為だけに現れ、本能がままに動く。化物じゃ。」


 化物‥

 その言葉は俺の中にずしりっ。と、胸にきた。

 確かにアイツは化物だ。頭脳明晰。才色兼備。身体能力だって人間の比ではない。‥だが、アイツを人間以外の何かと思った事はなかった。

 不良に絡まれた時に見せたアイツも。問題という問題を解決した時に見せたアイツも。勿論、普段のアイツも。人間以外、有り得ず。そうとしか見た事がない。

 

 が、目前の人物が言った化物。その言葉はどうもそう言う意味ではなく、正真正銘。言葉の通り。人間でない。‥化物。


 「そ‥それで、その後。マスターの方は‥」


 今、マスターがいるという事。それを考えれば最悪の事態にはなっていないと思われる。

 が、その説明を受けたと後では楽観的な思考が生まれる筈なく‥。


 「一瞬。‥一瞬じゃったよ。」


 ???


 質問を投げるよりも先に女性の方から言葉が流れる。


 「一瞬でアイツは心が折れた。アイツも並の人間ではない。天才とは言えぬも、少なくともそれに近しい生き物。化物の中に住む者。‥が、それはあくまで人間の中でじゃ。本物の化物を前にしては成す術もない。」


 「・・・・・あっ」


 何かを言おうと口を開くも息だけが溢れる。


 「アイツは一瞬で雲雀様に吹き飛ばされ、意識を喪った。雲雀様はそれだけでは留まらず、アイツの元へ向かった。勿論、意味は言わなくとも分かるな?」


 こくりっ。

 頷こうとするも首すら上手く動かない。俺は想像力には長けている自信がある。だから、その時の情景が鮮明に映ってしまう。

 迫る桜木がマスターを無い者とする。その光景が。


 「幸い、物音を聞いたワシが近くにいた。そして、更に運が良かった事にその時、ワシは試作段階ではあったものの睡眠ガスの入ったボトルを持っておった。ん?何でそんな物を持っておったかじゃと?そんな野暮な事は聞くでない。」


 何も言っていないのに‥。


 「とにかく、ワシは直ぐに部屋中満遍なくガスを吹き付けた。化物と言えどその体は人間のもの。雲雀様が眠りに堕ちたのは一瞬じゃったよ。‥だが、まぁ。言った通り。試作段階の代物じゃ。副作用というか少しした不都合。‥つまり、アイツの記憶が少しだけ曖昧になってしまった。」


 あぁ。‥だから、平手打ちと殴ったという記憶違いが起きていた。そして、シャドウ‥。その状態をマスターは記憶していなかった。

 と、そういうことなのだろう。


 「まぁ、そういう事があったのじゃ。その事はしっかり記憶しておけ。で、じゃ。」

 

 それまでの雰囲気。空気をひっくり返すような物言い。女性は真剣な眼差しで俺の目を射る。


 「その話を聞いた後でもお前さんは雲雀様と共にいてくれる。そうした覚悟があるか?」


 「・・・・・・・・。」


 女性の言葉は。表情は。全てが真剣で。全てがアイツの事を想っての発言だと思った。主がどうとか。そんな問題ではなく、一人の人間として桜木が心配なのだろう。

 だから。


 「‥何を笑っておるのじゃ?ワシの顔はそんなユニークな顔でも無し、不格好なものでもないぞ。自分で言うのもなんだが結構、整っておる方じゃ。」


 「‥違います。違います。少し、嬉しくて。」


 「何がじゃ?ワシとこうしてお喋りできて嬉しいとかそんな事を申すのか?照れるではないか。」


 いや、どこまで自分を高く評価してんだ。この人は‥。

 まぁ、今までの雰囲気などを崩そうという目論見なのだろうが‥。


 「貴女はアイツのソレを知っている。それでも貴女はアイツを裏切っていない。それが少し、嬉しくて‥。」


 正直に白状する。少なくとも二人。桜木の味方がいるという事実に安心したと。


 「‥変わっておるな。お前さん。」


 「‥はは。よく、言われます。」


 質問の答えは口に出してない。だが、女性は言わずとも理解してくれたようだった。俺がアイツを裏切らない。アイツから逃げない。その事を。

 

 「じゃが、忠告はしておく。ここでメンタルケアをしておるとはいえ、雲雀様のシャドウは消えていない。あの状態はお前さんが思っておる以上に危険で。恐ろしい。理性がないと言ったが暴力だけとは限らない筈じゃ。巧みな言葉。絶対的な演技。超能力さえ使うかもしれぬ。」


 「‥つまりは未知数と?」


 「そうじゃ。じゃから、注意はしておけ。雲雀様とこれからも関わるのであればな。」


 「あ、あぁ‥。」


 自分でも思う。出た声は曖昧で、はっきりしないものだと。

 だが、仕方がない。確証も無いし、絶対の約束ができないのだから。

 きっと俺はそのシャドウとかいうものになった桜木に文字通り。何もできない。

 逃げない。裏切らないとは言え、その言葉さえ、現時点では表面上の口約束でしかないのだ。

 

 「‥その。シャドウになるきっかけというものとか分からないのですかね?」


 一番いいのはその状態にしない事だ。話を聞く限りでは混乱に混乱を重ねた状態。そうした状態でシャドウたるものは現れると予想できる。


 「きっかけか‥。分からなくもないが、断定はできぬ。それでも良いか?」


 「あ、あぁ。」


 一つの前置きを口に。女性はならばと台詞を続けた。


 「シャドウとなるきっかけは恐らく、防衛機能のようなものじゃ。命の危機。脳がショートすると無意識下で発動する。あの時、発動したきっかけ。それは、言わずとも分かろう。後者の方じゃ。まぁ、体に走った衝撃で命の危機を感じたと言っても頷けなくもないのだが‥。」


 「じゃ、じゃぁ。つまり、あいつを迷わせない。アイツの負荷となる事は防ぐ。それが最善と。そういう事になるのか?」 


 今まで散々、負荷を掛けてしまった。シャドウが発動しなかったのは奇跡にも近いのかもしれない。


 「まぁ、方向性としてはそれがベストじゃ。じゃが、イレギュラーというものは確実に起きる。お前さんがどんなに注意しておっても、そうならざる得ない状態というものが来ないという保証はない。命の危機など、どう対処していいのか‥。」


 「そ‥それは。」


 「つまりじゃ。言った。覚悟はしておけと。ワシとて努力はする。じゃが、心理学は専門外な上に一つでも誤ればワシとて危うい。雲雀様と共におるという事はそういう事じゃと思いを改めよ。」


 「・・・・・・。」


 頷く事しかできなかった。何をどう言ってもプラスになる事が出てくるとは思えない。だから、考える事をしても無意味だ。いい加減、認めるしかない。対処のしようがない。諦めるしかないと。

 

 「はぁ~。死んだ目に磨きがかかって、死人そのもののじゃな。お前さん。」


 成す術がないと決定付けられて、落ち込んでいるところ。そんな無視できない言葉が耳に届いた。

 ‥が、まぁ。その言葉通りだとも思う。


 「勘違いしておるかもしれぬが、雲雀様を救う方法はある。」


 「え?」


 沈んだ顔を勢いよく前に上げるとニヤニヤ。頬を緩めた女性の顔がそこにはあった。

 

 「簡単な事じゃ。雲雀様の人格を一つに固定させるのじゃ。そうすれば自我が保たれ、シャドウなどという化物人格が出る事はない。」


 「そ、それはつまり‥」


 「あぁ。そうじゃよ。お前さんが選べ。今の雲雀様は安定しておる。このままの人格を固定させるとなれば話は早い。シャドウ。その他、多数の人格はいずれ消え、無くなるじゃろう。」


 「‥けれど。それは。」


 「そうじゃ。お前さんが言う。それは間違いじゃ。今の雲雀様は母親の影を追い、お前さんの影響下だけではないにしろ、女性としての心が芽生えつつある。それはワシも思う。いけない方向だと。あの子は男で。そうするべきなのじゃ。」


 「あ、あぁ‥。」


 ムカつく程に目前の人物。その人物が吐く言葉は正しい。確かに簡単で危険性のない道だからと言って、それを選ぶのはどうも腑に落ちない。

 アイツの本心がどうであれ、俺はあの時。アイツの部屋で約束したのだ。

 色々。話は聞いた。だが、まぁ。方針は変わらない。


 「一つ。言っておく。」


 すっかり冷めた珈琲。カップを傾けて全てを空にした後、俺は人差し指を前に突き出す。


 「俺はアイツの恋人になったつもりはない。アイツは友達以上で親友より更に上。大切な奴だ。だが、恋人とは思わないし、この先もそのつもりだ。」


 だから。


 「戻すよ。元の性格は分からないし、危険。俺自身、色々と不安定だとしても。確実に戻す。」


 「そうか。」


 決意にも似た宣言。そんな言葉を聞いた女性は静かに首を動かし、冷めた珈琲を飲み干した。


 「あぁ、それと一つ。貴女の名前を訊いても?」 


 話は既に終わりに差し掛かっていた。どうやら、ここには頻度はさて置き、来なければならないという状況になっていた。それは、勿論。目前に座る人物に会いに行くわけで。だからこそ名前が知りたかった。いつまでも女性だとか、恩人だとかいうのもなんだし‥。


 「あぁ。そう言えばまだじゃったか。ワシは朝坂(あささか) 蘭菊(らんぎく)。」


 「あささか‥?」


 どこだったかで聞いた苗字だ。朝坂など早々、いるものではないと思うのだが‥。


 「あぁ、朝坂 姫那。お前さんがマスターとか言っておる奴の姉じゃよ。」


 「へ?」


 う~ん。ムムム~。

 と、必死に思い出しているところ。早くに答えが前から流れる。


 「マスターのお姉さん?」


 「何か問題でもあるか?」


 「あっ‥いや。」


 ムスッ。とした声が返ってきて直ぐ様、首を横に振るう。

 だが、どう見ても姉というか妹。マスターはすらっとした長身で大人びてるからな‥。


 「お前さん、今。失礼なこと思っておったじゃろ?」


 「あっ、いや。そんな事は‥。」


 鋭い‥。


 「‥けど、まぁ。似てますよ。」


 「は?どこがじゃ?」


 「マスターと同じで頼れるところとか‥。」


 「なっ‥!」


 素直な感想を耳にした女性。改め、蘭菊さん。短い声を漏らし、驚いている。そんな風に見えた。

 照れたのだろうか?

 そう思った矢先。そんな考えは無きものとなって消えた。


 「ワシがあやつと同じじゃと?お前さんはどこを見ておるのじゃ?お前さんの感覚神経は正常か?あやつよりワシの方が数十倍‥。いいや。数百倍。頼れるじゃろうが!!」


 「あっ‥いや。それは。」


 どうもマスターとは性格が異なる模様。面倒臭いタイプ。本当に姉妹なのか‥?

 まぁ、だが。淹れられた珈琲はマスターが淹れた物と同等で。心を落ち着かせる物だった。桜木にも。俺にも。この人達がいる。‥か。

 そう思うと少しばか背負っていた。背負わされた。重荷が軽いものとなる。


 さぁて。取り敢えずは目前の問題。英智の問題を解決するか。


 始めにあった陰鬱な気持ち。それがいつの間にか無くなっていた事に俺は気付いてさえいなかった。

 


  

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