苦渋の珈琲
そこの珈琲店の朝はとても早い。たまに早く目が覚めた時、ふらりと立ち寄ると大抵は開いている。
ただ、そこに客がいるかどうかは別。毎朝、見ている訳ではないから詳しい事は分からないが多分いない。
そしてその日はいつも以上に早く目が覚めていた。というよりも眠れなかった。
理由はまぁ、空腹によるものだ。
深夜三時過ぎ。
今日は土曜日。明日は日曜。起きていようがいまいが差して問題ない。
だが、大抵この時間帯は外に出ない。出るとしても近くのコンビニに足を寄せる程度で行き場もなく彷徨うような事はしない。そんな時間があるなら家で深夜アニメでも観ながらダラダラ。カクカク。グーグーしていたい。
のだが、今日はそうもいかない。素直に白状すれば朝から水とチョコレート数個しか口に入れていない。
チョコ一つで遭難を逃れた。チョコ一つで寒さを凌いだ。そんなチョコさんが作った伝説をにわかに信じ、それでいく事にしたのだがやはり無理というものがあったらしい。
空腹状態を抱えたまま、他事はできない。
そんなこんなで俺は深夜三時過ぎ、なんやかんやしていたら四時近くになっていたがそんな時間から外の街を彷徨う事にした。それはただの気まぐれ。何ら意味はない。
そして、何も考えず足を動かしていただけでその店の前を通り過ぎたのに深い意味はなかった。
ただ、丁度。そこのマスターが眠そうな瞼を半開きさせながらシャッターを上げているところに遭遇した。時刻は五時少し過ぎ。
声を掛けると中に誘われたので断る理由がない俺はそのまま店の中に。ただ、一つ。空腹時で思考回路もままならぬという状況下でもその事だけは気に掛かった。
何でこんな早くからこの店は開店しているのだろうか?
そんな疑問を感じながらも俺はいつも通り、一杯の珈琲を頼む。ただ、いつもと違う事はそこに加えた言葉があるというだけ。
「コーヒー一つ。‥すみませんツケでお願いします。」
マスターは眉根を少し上に上げ、そのまま奥へと消えてしまった。何も言わずとも理解してくれたようで何より。
お金が入るまで残り二週間はある。やはり人間、見栄よりも大事なものがあるものだ。お金無いのに焼肉とか奢るんじゃなかった‥。
そんな後悔も程なくして漂ってきたコーヒーの香りに意識を集中させられる。こんな朝早いというのにマスターの淹れるコーヒーはいつもと変わらぬようだ。
眠さも空腹もその一杯あれば満たされる。そんな期待をついつい香りだけで抱いてしまった。
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「で、何かあったのか?」
席には二つ。コーヒーカップが湯気を立ち上らせていた。 そしてそこにはまた、頼んでもいないのに一皿追加されている。
「はぁ、まぁ‥。それよりもエッグトーストなんて俺、頼んでないっすよね?」
コーヒーカップと一緒に出されたのは綺麗な目玉焼きと、カリカリに焼かれたベーコンが混ざった何とも食欲を誘う朝の定番メニューである。
だが、おかしいな?そんなの頼んでないぞ?コーヒーだってツケだし。まさかのぼったくり?
なんて、どちらかと言えばぼったくってんの自分の方だってのに‥。ほんと、俺という人間は。
そんな自分の情けなさ等にげんなりしていると皿と共に声が出される。
「なに。コレは私からのご褒美というヤツだ。勿論、コーヒーの代金もいらん。どうせ、金無くて腹でも空かせてここに来たんだろ?」
「うっ‥ぐふっ。」
思わず飲んでいたコーヒーを余すことなく噴き出してしまうところだった。
いや、違うよ。動揺とかじゃなくて温度がね。俺、猫舌だから。
「まぁ、なんにせよ。お疲れだ。ここに顔出したという事はなんとかなったんだろ?」
「え‥えぇ。まぁ。」
何も言っていないというのにマスターは勝手に話を進める。勝手に俺の無意識を言い当てる。
ここに来た目的は自分自身何もない。ただの偶然だと疑いもしなかったのだがそう言われるとその為に俺はここに来たのかもしれないと。
そう思ってしまう。
「なに。どうせ客などこん。ゆっくり食べて、ゆっくり聞かせろ。」
マスターは自身が淹れた珈琲を一口、口に含む。
客などこん。
コーヒーカップを傾けるマスターの姿を観ながらさっき言った言葉が頭に引っ掛かる。客が来ないと分かっていて何でこんな早くに店を開けたのだ?俺がここを通ると見越して営業を早めてくれたん?
いや、それはないだろう。マスターはいつもこの時間帯に店を開けている筈だ。だが、何の為に?
顔を見れば分かる。本心はまだ、寝ていたいのだ。それなのに重い瞼を持ち上げてまでここを開ける理由。それが気になった。
「あ‥あの?その前に俺からも質問していいですか?」
「ん?何だ?質問するのは別に構わないがそれに答えるかどうかは別だぞ?」
開いた口から出た言葉が予想とは違ったものだった。その為だろう。マスターは表情こそ変えなかったものの少し肩を持ち上げた。
「それは承知済みです。」
マスターは基本、会話を苦手とするタイプだ。俺がそうだからその調査は確実だろう。
答えてくれなくていい。俺が求めるのは答えなどではない。それを言って表わすマスターの姿勢である。
「この店っていつもこんなに早くから開いてるんですか?」
至って普通の声音で、至って普通に訊いた筈だった。どうだと言わんばかりにマスターに顔を近付ける。
‥のだが。
「あぁ。そうだが?」」
逆に「それが何か?」みたいな視線を送られた。確かに一般社畜者の労働時間など知らないのだが。
それでも普通、喫茶店と言えば日が昇って数時間経った時とか夕方の空いた時間とかに人が出入りするイメージがある。
つまりは暇な時。時間に余裕がある時だ。少なくともこんな朝早くに開いている喫茶店など俺は知らない。
「何か理由とかあるんじゃないんですか?例えば人を待っているとか‥。定番ですけど。」
理由なしにこんな時間に店を開ける訳がない。誰も来るはずないというのはマスターが自分で言った言葉だ。客が来ないのに店を開けるなど労働時間の無駄。時間の無駄としか言いようがない。
だが、しかし。
「‥人?別に誰も待ってないが?」
マスターは首を傾げ、そう言う。その言葉に嘘はない。それは何となくだが分かった。
惚けている訳でもなさそうだし‥。それならどうして?マスターに限ってそんな仕事大好き。力が有り余ってるんじゃ。ウィエーイ!みたいな感じではないだろうし。
「じゃぁ、他の理由は?本当に何も無しにこんな時間にいつも店を開けているんですか?」
それはそれで不思議しか抱けまい。誰も来ない。働くことも好きではなさそう。なのにまるで義務のよう。機械のように店を開ける。それは普通ではないだろう。
そんな思いがあったからだろう。先程、発した言葉には少し感情が入ってしまった。デリケートな問題な線もある。深く聞くことはしないつもりだったのだが聞いてしまっていた。
「だから、それが何か問題でもあるのか?」
「‥問題は特には」
感情的なものを見てもマスターはブレることない。はじめと同じく、不思議そうな顔で逆に問いてきた。俺はそれに言葉を詰まらすことしかできない。
そんな姿を見たからだろうか?マスターは一つ大きな溜息を口から吐き出した。
「店を開けている理由は本当に何もない。だが、そこに理由を付けるものがないかと言われれば嘘になる。お前はソレを知りたいのか?」
「‥はい。」
声は何故か小さくなった。それでもマスターとの距離は数キロもない。俺の声は耳に通っていたらしく、声を伝えてくれる。
「ただの習慣みたいなものだよ。話しただろ?私が昔、桜木坊ちゃまに仕えていたってのは。」
「はぁ、まぁ。」
曖昧でボンヤリとした相槌が行動に出る。今、その話をする意味が全く分からなかった。
だが、そんな俺の事情など知らないマスターは言葉の続きを話始める。
「無駄で意味がない事だと分かっていてもな。体が勝手にそうするんだ。朝の支度。お屋敷の清掃なども私の仕事だったからな。殆どがこの時間帯に起きていた。」
そう言ったマスターの顔はどこか懐かしいものを見るような遠い目をしていた。
「だから、体を動かしていないと気持ちが悪いと?」
「まぁ、そんなところだ。私も厄介な病気を持ってしまったよ。」
ふふ。マスターは最後に薄らとした笑みを加え、もう殆どないコーヒーカップを一気に仰いだ。
「そんな事よりもさっさと食え、せっかく作ったのに冷めているだろうが。」
「あ、はい。‥すみません。」
確かにで皿上で香ばしさを見せるトーストからは、始めあった温かさは感じられない。だが、極限まで腹を空かせている俺にそんな事は関係ない。
マスターに声を掛けられ、その事に気付いた俺は急いでトーストを手に取り、それにかぶりつく。
ザクッ。
やはり冷めていた。が、それでも素直に美味しいと思った。よく焼かれてある目玉焼きと程よい焦げ茶に焼かれたパン。その二つの素材が合わさったソレは口内で見事な合わせ技を俺に発揮させた。
「‥ゴホッ。ゴホッ。」
急いで食べたせいだろう。お約束とも言えるが咳き込んでしまった。すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に喉へ流し込む。それが胃まで辿り着くとようやく一息つけた。
「だから。ゆっくり食えと言っただろ?コーヒーの追加を淹れてくるがお前も欲しいか?」
呆れた様子を見せたマスターは席を立ち、空になったカップを片手に持つ。
「あっ、すみません。お願いします。」
朝食まで頂いて、コーヒーのおかわりまで‥。申し訳なさで身が縮こまる。それでもマスターの優しさに甘えてしまう。
昔、桜木が言っていた。俺とマスターは少し似ていると。
あの時はコイツ何言ってんだ?と、思ったがこうして何度も店に訪れ、話していると少しだけだが確かに俺とマスターは同じ部分がある気がした。
自分がそうという訳ではないが、クールそうで何でも一人で抱えてしまう。だが、その実は人と関わりたいと思っている。
そんなところが。
と、同時に気付く。
なら、マスターはどうなのか?あの日、マスターは俺に言ってくれた。私を頼れと。だが、マスターは頼る人間がいるのか?そもそも俺はあの人の事を何も知らない。
程なくしてマスターが湯気立つコーヒーカップを二つ。両手に持ち、ここに来た。
「あ‥あの?」
一つ。カップが俺の前に置かれた時、先程の疑問を解消すべく、口を開く。
「ん?何だ?」
席に着くこともなく、マスターはその先を訪ねてきた。
「マスターは何でメイドを辞めたんですか?」
時刻はもう直ぐで六時の針を刺そうとしていた。太陽が上がれば人が来るかもしれない。ここはモーニングもあるし。今までも何度かお世話になったが味も文句ない。創設何年目になるか分からないが固定客がいてもおかしくわない。
だから、その前にケリをつけたかった。何のじゃない。俺の中で目まぐるしく回る疑問の数々の。
「それなら前にも話しただろ?私では力不足。うも、坊っちゃまに仕えることができない。と。」
そんな台詞を耳にしたのは確か、クリスマスの車の中だった。マスターは独り言で、それをある人物と言っていたが‥。
「ですが詳細は聞いてません。決定的なモノがあったんじゃないんですか?あの家を離れなければならなかった理由が?」
確信はない。だが、俺と似ているマスターが俺と同じ問題に直面して簡単に逃げるだなんて考えられなかった。何かあるはずなのだ。どうしても無理だと判断した理由的なものが。
「‥お前はたまに勘が冴えるな。」
数秒。マスターは店の入口に視線を向けていたが誰も来ないと観念したのか。安心したのか、顔を俺の方へと向かせた。
「そうだ。ただ単純な心の傷なら私ももう少し粘っていたかもしれない。だが、無理だった。‥いや、無理にしてしまった。」
「してしまった?」
珍しく弱音を吐く、マスターについつい声を挟んでしまう。
「いいか、優一。お前には私と同じような誤ちは犯して欲しくない。だから、伝えるがそれで坊っちゃまから手を引いても責めはしない。」
声は真剣。顔はいつもと変わらないと思われるが声と担ったものだと分かる。きっとこの先の言葉は俺を迷わすそんな言葉なのだろう。
だが、それでもソレを聞かなければならない。直感だがそう思った。
「引きませんよ。絶対。」
即答で首を縦に振るう俺の姿を見てマスターも「そうか。」と一言。首を動かした。そして重く閉ざされた口を静かに開け、声を発した。
「あの子は既に壊れている。人格の数は私が把握している中では二桁を超えている。ただ、厄介なのがその時の記憶。感覚すら共有しているということだ。」
「‥はい?」
予想だにしていなかった言葉に声が溢れる。
「お前は見たことないか?あの子があの子ではないと感じた時を?」
「そ‥それは。」
ある。幾数回。アイツがアイツではない時が確かにあった。不良に襲われた時。蔓実と波瀬の救済時に見せた時もソレだ。そして先日のステージ上で見せたものも。全てがアイツであってアイツではなかった。
俺はそれを桜木のスキルの一つ。才能の一つだと思っていたのだが。それは違った?
「その様子を見るに心当たりがないわけではなさそうだな。」
「‥はい。」
素直に白状するも、疑問は残る。
「けど‥けれど、アイツは一言。絶対に添えます。多重人格なら‥なんて言うかアイツのそのものが無くなるんじゃないんですか?」
隠そうにも必死さは声を早口にさせ、荒らげてしまう。だが、マスターはそんな俺の声に眉一つ動かさない。
「言っただろ。感覚も記憶も共有しているって。ようはスイッチを入れる感覚だ。」
「それはつまり心の問題。そういう事ですか?勉強をする時に集中するみたいに。心の持ち方を変えると?」
「それは少し違う。あの子のアレは心はそのままだが意識が別にいく。つまりあの子自身の人格。性格は自分自身、どれがどれか分かっていないんだ。」
「そ‥それはどういう。」
「まぁ、難しい事でややこしい事だから無理もないだろう。だが、一つ。あの子が既に壊れていると言った意味だけは理解して欲しいし、あの子はソレに自覚があるということも分かっていて欲しい。」
「‥自覚?」
「あぁ。あの子は自分自身を操る。だから一言、添えるし、行動も見せる。ただ、数秒。そこに時間は生じる。恐らく、その時間で人格の選択をしているんだろう。」
「・・・・・。」
頭が追いつかない。
ただ。だが。理解はできていた。その光景。アイツを目にしていた俺は確かにアイツのアレは普通ではないと思っていたからだ。
ただ、それでも頼ってしまった。ソレがなければどうにもできなかったから。壊れているアイツを更に壊してしまっていた。
今までアイツの性格。好み。人格が分からなかったのはそう言った理由からだと言われれば納得できる。アイツがその姿を見せる時、一瞬だが悲しい表情を見せるのも理解できた。
昨日、焼肉屋から出てアイツが元に戻る事を必死に悩んでいたのも今なら分かった。
既にアイツ自身。自分を見失っていた。きっと、今までアイツだと思っていた人格も異なる人格の一つ。俺に出会って。母親の姿を装ったからアイツのアレが固定着いたのかもしれない。
「‥で、貴女が彼から離れた理由は?」
まだ事態を完全に飲み込めた訳ではない。だが、時間も時間だ。先にはじめに質問した事を解消しておきたい。
「‥手を上げてしまったんだよ。」
まだ殆ど残っているコーヒーカップを目にマスターはそう言い、続けた。
「はじめて見た強気なあの子の人格と相性が合わなくてな。あの子を殴ってしまった。だから、私はあの家には居られなくなった。」
それ以上は何も言わない。そんな感じが見て取れる。俺もそれ以上望む気はない。どうしてその時、人格を変えるような事があったのか?どういった理由でいざこざが起きたのか?そんな事を掘り下げて誰が得をしようか?
だからこそ言う台詞がある。まだ、理解は半分。戸惑いだって感じている。
だが、それでも。覚悟は変わらない。
「そうですか。なら、俺も気を付けます。お話、聞かせて頂きありがとうございました。」
飲んだコーヒーは温く、苦かった。追いつかない頭を正すには丁度良い。
「‥変わらないか‥。さすがだな。」
陰鬱な表情を見せていたマスターに表情が戻る。それを見て俺も些か、安心した。やはり、マスターはその無表情がよく似合う。
「そういえばマスターが珈琲店を経営した理由って何でですか?」
その質問は敢えて今の雰囲気を濁すようなものだったが、単純な疑問でもあった。
「それも前に話さなかったか?」
「どうでしたっけ?」
雰囲気を変えるという目的はどうやら成功のようだ。だが、言われた言葉には首を捻るしかない。失礼だが全く記憶にないのだ。
「まぁ、隠すようなものではないからいいが。」
一言、そう口にするとマスターも温くなったコーヒーを喉に通した。
「言われたんだよ。ある人物に珈琲の淹れ方が上手いって。だから‥まぁ。それでだ。」
珍しいもなんの。レアである。マスターがこうも恥ずかしがるとは。
どうやら、もう一つの疑問。頼る者がいるかいないかという疑問は言わなくとも心配ないようだ。
「そうですか。確かにいつ飲んでも美味しいですからね。ここのコーヒー。」
「そんなこと、言っても今までのツケはチャラにならんぞ。」
「へ?あれ全部マスターの善意では‥?」
‥な。これは桜木の事よりも驚愕の事実!さ、詐欺だ‥。いや、詐欺でもなんでもないんですがね。実際、頼んでるわけですし。
「冗談だよ。それよりそろそろお前の話だ。しっかり、悪役は演じれたのか?」
「うっ‥。えぇ。まぁ。最初の方は悪というより正義だったんですがね‥」
あの時、マスターが俺にしてくれた助言は「生徒を味方に付け、教師を敵に回せ。」と、そんな事だった。学校の格上たる者は教師であり、それを敵に回すという事は確かに悪である。あの時はそう思ったものだ。
俺はまだ日が新しいステージ上の事をマスターに伝えるべく、口を開く。 と、そのタイミングで。
カランッ。
「悪いわねぇ。また朝、ご馳走になるわぁ~。」
「あぁ。いらっしゃい。伊藤さん。今少しお待ちを。」
時刻は六時半ちょい過ぎ。どうやら固定客のようだ。何だ。客来るんじゃないか。少し安心したぜ。ほんと。
「あら、珍しい。私よりも先に先客がいるなんて。おはよう。」
「どうも。」
新たに店に訪れたよく見る煩そうなおばさんは大袈裟なリアクションを顔と動きで表わす。
幸い。おばさんは挨拶を口にした程度で俺の前、横に来ることはなかった。
マスターは早くにキッチンの方へ出向いてしまったし、空腹だった腹もいい感じで満たされている。今、あるのは眠気だけだ。
ゴクッ。
残りのコーヒーを一気に仰ぎ、数秒ボケーッとしてから席を立つ。まだ、キッチンでパンやらウインナーやらを焼いてるマスターに礼の言葉と別れの一言を残し、店を出た。
「うわっ‥まぶ。」
ここに来る前はまだ薄暗かったというのに‥。
浴びた朝日はいつもと同じなのだろうが休日のこの時間に俺が活動している事は殆どない。だから、浴びた朝日もまた新鮮だ。
ブーブー。
そんな初めて感じたと言っても過言ではない朝日に清々しさを感じていると、右ポケットに突っ込んでいた携帯電話が煩く振動した。
着信は桜木。
その名前を見て数秒、止まってしまう。聞いたのはついさっき。今から話す彼もきっと本物の彼ではない。
俺達の最終目標は彼を元に戻すことだ。だが、それは即ち現在の彼を消す事にほかならない。考えていなかったわけではない。ただ、目を逸らしていただけだ。
だが、それは必ず考えなければならないことなのだ。彼を彼に戻すにはそうするしかないのだから。
偽物は消えるのがお約束だろう。
‥だが。
それでも俺が関わってきた桜木雲雀という人物はただ一人。その事実は変わらない。だから、話を聞いたといえど何かを変える必要はない。
ただ、少し侘しい想いは感じた。そのいつかが来る日が永遠にこなければ‥
いつの間にか振動は止んでいた。直ぐに掛け直してこないということは寝ていると判断したのだろう。いつもの事だ。起きたら何十件の着信が溜まってるなんてのはもう慣れた。
「はぁ~‥ぁ~あぁーー。」
周りに人はいない。確認してなかったから運がよかった。こんないきなり大声上げて頭掻き乱すような奴いたら俺だったら直ぐ逃げる。
だが、今はそんなの気にしていられなかった。それほど、俺もおかしくなっているのかもしれない。
その日はいつか来る。別れがあるから出会いもあるのだ。
そいつがどれだけ大事な人間だろうと‥。それでもだ。
「また、俺は大事な人を喪うのか‥」
そんな想いを紛らわす為か俺の手には携帯電話が握られていた。
眠気は上々。だが、今日は寝たくないな。そんな事を思ったからか、電話の相手に金が掛からなくて、いいような場所に行こうと口走っていた。
いつの間にか俺はこの日々から抜け出せなくなっていたのかもしれない。
降り注ぐ太陽の光は遠く、そしてとても眩しくて俺にはやはり届きそうにもなかった。




