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俺の彼女は…  作者: イスカンダル
3章 来春
44/59

ようやく俺達は春を迎えることができる

 ふわり。開け放たれた窓の外から生暖かな風が吹き、カーテンを上に舞い上げる。

 ひらり。風と一緒に一枚の桜の花びらがゆっくりと空に舞い、床へ落ちた。


 「今日もいい天気だねぇ~。」


 開けられた窓から顔を出した人物。桜木はダラーンとした格好で綺麗な長髪を風にまた靡かせた。


 「おい。あんまダラダラするなよ。今日は二人が正式にここに来てくれる日だろ?」


 読んでいた文庫本から目を上げて、俺は桜木にそれとなく言葉を投げる。


 「はいはい~。分かってるって。ゆうちゃんは煩いなぁ~。」


 「んだと。大体、お前らは最近たるみ過ぎてんだよ!もう少ししっかりとだな‥」


 「何よ。あんたにだけは言われたくないんだけど。可愛い子が入ってくるからって鼻の穴広げてんじゃないわよ。」


 俺の座る席から数メートル離れた場所に座る蔓実は携帯を弄る指を止め、口を尖らせる。


 「はいはい。そんなことどうでもいいでしょ?それより新戸君、はいお願い。」


 「は?‥あ、あぁ‥。」


 今日も笑顔を顔に刻む波瀬はにっこり。俺に手を差し出した。始めはそれにハテナを浮かべたもののその中をよくよく見れば分かった。折り畳まれた紙幣が一枚。千円札がそこには見て取れた。


 「金はいいよ。前も出して貰った気がするし‥。茶菓子だってお前持ちだろ?」


 いつの日かこうして来客が招かれた時、飲み物を買うよう波瀬に頼まれた記憶がある。確かその時も波瀬にお金を渡されてパシられたような‥。


 「いい。いい。私が勝手に出してるだけだし。第一、お使い頼んでるのはコッチだかんね。それくらいの報酬があってもいいと思うよ?新戸君の長所であって短所でもあるところだね。」


「何の話だよ?」


 素直に分からず、問うと波瀬は変わらぬ口調で即答を返した。

 

 「優しいところ。」


 「‥余計なお世話だ。」


 そうは言うものの波瀬の性格は大体、熟知してきた頃だ。渡したお金を安安と受け取るような奴ではないことは知っている。

 俺は若干、悪い気もしたがその千円札をポケット内に突っ込んだ。


 「で、皆様は何をご所望で?」


 読みかけの文庫本をそこらへんの机に置き、俺は席を立つ。


 「私は紅茶。ホットかコールドかは新戸君にお任せするわ。」


 「はいはい。」


 波瀬は俺を試すようにクスリと笑う。俺はそれに適当な相槌を打つだけで終わらした。


 「私は果実系のジュースで。」


 「また、広範囲な注文だな。まぁ、いいけどよ。」


 蔓実は携帯から目を離さず、俺に言葉を伝えた。それにしても波瀬も蔓実もコレだって注文はできないのかね?

 俺だったら言い切るよ。コーヒーホットでって。言い切るよ。うん。男らしい。

 とにかくもう一人にも訊かねば。


 「で、お前は?」


 「ん?へ?何が?」


 おいおい。何も聞いてなかったのかよ?どんだけボーッとしてたんだよ。まぁ、この天候。分かるけどね。うん。暖かいからね。


 「飲み物。楓香ちゃんと柿宮、もう直ぐ来んだろ?だから、その為の飲み物頼まれたんだよ。で、お前は?」


 「あ、あぁ~。そういうこと。うんうん。分かった。」


 また春風が桜木の髪を靡かせる。そしてその体は何故か俺の方へ近付く。


 「じゃぁ、行こっか。」


 「へ?」


 「へ?じゃないよ。行くんでしょ?飲み物買いに?」


 「あ、あぁ。」


 やっと桜木の言っている意味が頭に伝わり、俺は仕方なく行動をし始める。


 「じゃぁ、行ってくる。」


 「はいはい。桜木君が一緒ならまた変な厄介事を持ってくる心配はないわね。」


 俺の隣に立つ桜木を見て波瀬がそれとなく口を開く。そんで何で隣のコイツは敬礼なんかしてんの?


 「波瀬さん。俺をどう思ってるか知らんが、そんなスキル無いから。ノーマルな人間だから。」


 「またまた~。まぁ、それは置いといて頼んだよ。」


 「…分かった。紅茶のホットにブドウジュース。何か新作出てたらそれだろ?ちゃんと、買ってくるよ。」


 「ふふ~。」


 「うわっ。」


 二人のそんな声が聞こえたがそんなのを一々、拾ってたらここから出られない。


 「じゃぁ、行くぞ。」


 「うん。」


 俺は桜木を誘って部室とは少し肌寒く感じる廊下へと足を踏み着けた。

 一年過ぎれば大体の好みは分かる。何でかパシられる役割は俺ばっかりだし。 が、それでも分からない人物がいた。


 「お前は何飲むんだ?」


 「ん?そうだなぁ~。ゆうちゃんと同じのでいいや。」


 「いいのかよ?そんな適当で?」


 「うん。だって、ゆうちゃんコーヒーでしょ?」


 「うっ‥」


 ずびしっ。ずばり。言い当てられたら言葉詰まるのは当たり前と言えよう。

 ただ、やはり分からない。桜木雲雀という人物を俺は一年という月日を共に過ごしたのに何一つ分からない。 いや、分からなくはない。ただ、その本心が。本質が分からない。事情は知ったし、ある程度の悩みは理解したつもりだ。それでもやはりこのままの桜木では彼の本質。本当の姿は分からないままなのだ。

 もう、一週間も前になる部活動紹介で見せたあの時の桜木。あれは紛れもなく今の桜木ではなかった。

それが良いのか悪いのかは分からない。ただ、分かった事がある。俺はまだ桜木の何も変えていない。一年が過ぎたのにだ。


 「でもさ。ほんと、良かったよね。何事もなくて。柿宮君には驚いたけど。大したことなくて本当に良かったよ。」


 「あ、あぁ。そうだな。」


 余計な考え事をしていると桜木が話し掛けてきた。俺は気付かれたのかと何故かドキドキしながらも返答を返す。


 「蔓実さんも護身術習ってるって本当だったんだね?怪我なくてよかったよ~。」


 「あぁ。」


 例の一件で蔓実は自分の身は自分で護れるよう。大事な人を自分で護れるよう。彼女は引きこもってた間にも合気道たるものを習う道場に通っていたとか。それも彼女には意外な才能があったらしく既に師範とのマジな立ち会いをしているだとかなんだとか。

 何というかお前は少年漫画の主人公かよ!とツッコミを入れたい。男らしいよ。少なくとも俺なんかより。

 まぁ、そのお陰で例の作戦は上手くいったのだが。俺だったら空手部顧問とか問題なく、大人の男なんかには勝てん。桜木はどうか知らんが。桜木はステージ上から離せなられなかったし。


 「ほんと、良かった。良かった。何もなくって。無事に終わって。本当によかった‥よ」


 「桜木?」


 適当にぽてぽて歩いていたらいつの間にか隣にいた人物がいない。まさか、消えたとでも?こんな狭い場所で?何でもアリか?

 とか思っていたら違った。


 「おい、どうしたん‥だ?って、桜木?」


 ポタリ。床に一粒の涙がそこを湿らした。


 「あ、ううん。ごめん。何だか今になってきたというか。何というか。‥おかしいな?これまで平気だったのに。ゆうちゃんと二人っきりだからかな?‥はは。」


 無理に笑おうと。無理に明るく振舞おうとしている桜木だったがそれは俺にでも分かった。


 「別にそういうのは人それぞれだろ?第一、今まで忙しかったからな。そういった感傷に浸ってる暇なかったんだ。普通だろ?」


 俺はだからと続け、桜木の頭上に手を置いた。


 「今は素直になれ。俺はお前の‥」


 そこで言葉が詰まる。俺はコイツのなんだと言うのだ?恋人?友達?親友?仲間?どれもそうであって違う。俺はコイツの恋人という体にはなっているが実際はそうではない。

 俺はコイツの友達だろうがそれ以上だとも思う。なら、親友かと言われても首を縦には振れない。

 仲間というのは蔓実と波瀬。そしてこれから加わる二人にも言えた事でここで使うようなものではない気がする。

 なら―


 「‥ゆうちゃん?」


 下に俯かれていた顔が上に上がり、涙に濡れた睫毛が彩る双眼が俺を射る。

 が、そんな眼に怯んでいる場合ではない。言葉を続けなければ。


 「俺はお前の大切な存在だろ?」


 今、頭に並べた数々の言葉の中でソレが一番しっくりときた。少し照れくさいとは思えたその言葉だが今まで数々の恥ずかし台詞を口にしてきた(蔓実・波瀬・桜木?調べ)俺にはどうってことなかった。

 頬は赤く染まってるかもしれんが。


 「‥う、うん。そうだね。」


 桜木は涙を指で拭った後、笑い顔を俺へ見せた。その顔は無理してというよりも照れ隠しだと俺は思った。

 

 「ファイオー。ファイオー。」


 甘く。暖かな空気が充満していたところに謎の掛け声がそれを無いものとした。あの掛け声はバレー部かな?何で外走ってんだ?

 いや、掛け声なんてどこの運動部も同じだしよく分からんのだが。てか、ファイオーって何なんだろな?ファイト オーの略?トしか略されてないし。響きの問題か?

 どうでもいいけど。


 「い‥行こっか。」


 「あ、あぁ。そうだな。」


 変な空気に動揺して馬鹿な考えがいつも以上に長く頭に浮かんでいた。動揺を悟られまいと俺は急いで立ち上がる。かえって怪しまれたか‥。

 が、桜木にそんな素振りはなく。それよかさっきの雰囲気はどこにと言うような元気な。いつも通りの調子で俺を急かす。


 「急がないと。二人、もう来てるかもしれないよ。」


 「あぁ。そうだな。走るか。」


 その言葉は軽く駆け足程度という意味だ。なのだが‥。


 「よーし。なら競争だね。自動販売機までどっちが早く行けるか。負けた方は一本奢りね。」


 「あっ‥いや。廊下は走らんのが俺の鉄則で。」


 というか校則だよね?


 と言ったにも関わらず。


 「先手必勝!」


 桜木は後ろに土埃を巻かんとする勢いでスターティングを切っていた。

 おいおい。ガチじゃねぇか。何が嬉しかったの‥?満面の笑みで走り去って行きおって。


 「はぁ~。じゃぁ、軽く追い掛けるとするか。」


 俺は息を吐き出し、既に米粒程度まで小さくなっていた桜木の背中を追い掛ける。

 

 「…確かに何も失わずにいられて良かったか。」


 廊下を軽く走りながら吹いた風に声を流す。そして少しだけ月日も流す。一週間前。あの後。部活動紹介が終わった後、俺達がどうなったか?これまで通りの日常とはいかないが殆ど支障なく毎日を過ごせるようになったか。俺は、少しだけ過去に戻ることにした。


 ***************


 部活動紹介が終わって、皆は言葉なく体育館を退散した。数名、教師は残っていたものの殆どの人がいなくなった体育館内は見た目以上に広いと感じた。

 壇上から降りた俺達はクラスに戻れる筈なく、四人で固まっていた。本当は直ぐにでも楓香ちゃんの所に向かいたかったのだが、そこに行くには先程の人混みに紛れなくてはならない為に行こうにも行けない。

 仕方なく、俺達は共々に時間が過ぎるのを待っていた。


 「お疲れ。‥ってのは今、聞きたくないか?」


 固まっていたと言っても俺達に会話はない。そんな微妙な空気だというのに話し掛けてきた奴。それは生徒会の刈谷だった。

 空気を読んだのか。はたまた逆だったか。真意は分からないがとにかく無視するのも悪いと思い、俺は小さく口を開く。


 「‥まぁ、そうだな。いい気分ではないな。覚悟はしていたつもりだったのにな。」


 刈谷はそんな俺の言葉を聞いて、寂しそうに軽く口元を緩めた。


 「‥そうか。」


 それ以上の言葉を彼は言わない。俺もそれ以上に何かを言って欲しかった訳ではないから別にいいのだが‥。それでも彼の顔は何か言いたげだ。

 そして俺には残念ながら彼の気持ちが分かってしまう。せっかく彼が気を遣って何も言わなかったのに。


 「別に気にすんな。言っただろ?俺達はお前の為にやったんじゃない。第一、結果は最善とは言い切れないが成功したんだ。‥まぁ、楓香ちゃんの結果はまだ分からんが。」


 後の台詞をそれとなく付け足す。それが一番重要なことなのだが。


 「‥あ、あぁ。うん。分かってる。ただ、本当にありがとう。他がどうであれ僕は君達に感謝と敬意の気持ちしかないから。それだけは知ってほしい。」


 彼の頭を下げる姿を見て再度、思い知らされる。コイツはどこまでいっても真っ直ぐな奴なのだ。こんな奴が我が校を支える生徒会の一員だとは‥。

 安泰。安心。信頼だな。うん。平和なことは善きことかな。


 そんな考えが頭に浮かんだからだろう。あった筈の重い感情は幾分か軽くなっていた。


 「おう。ありがと。俺もお前たち生徒会には感謝してる。お前達が協力してくれなかったらきっとグダグダだった。」


 固かった表情を緩め、そうした台詞を口にした。その直後、背後から何者かに肩を掛けられる。


 「おうよっ。ほんと、感謝しなさいよ!俺達。ってか、俺がいなかったら駄目駄目だっただろうからさ。いや、マジで。」


 「あ、はぁ‥」


 いきなり登場して、いきなりそんな無茶苦茶な台詞を口にする人物などここに残っているメンバーでは一人しかいない。確認もせずとも分かる。

 そしてその人物はまたも麻凛さんに頭をスパコーンッ。と叩かれていた。


 「ほんと、貴方は前もそんなようなことしてましたよね?学習してください!」


 マイクがなくてもよく響く声音。さすがは麻凛さん。今日も今日とて凛としている。


 「いってぇ。だから、これは後輩との俺的のスキンシップだって。てか、叩くことないでしょ?」


 「貴方は言っても分からないでしょ?」


 「はは。さっすが。よく分かってるね~。まぁ、いいや。仕事は終わったみたいだし、俺はもう教室戻るわ。」


 そう言って庶務のチャラい兄ちゃんは片手を上げ、去っていった。俺はその背中に急いで一声上げる。

性格はどうであれ協力してくれたことは事実。礼の一つも言えないようでは人間としてどうかと思えた。


 「あ、あの?ありがとうございました。ほんと、助かりました。」


 去っていく背中から声はない。ただ、挙げられた手が振られたのでそれが彼なりの言葉なのだろうと思った。

   

 「ったく。あの人は本当に。」


 チャラい兄ちゃんの背中を見ていた俺だったが呟かれた言葉に自然、首はそこに向かっていた。


 「あぁ。では、皆さん。本当にお疲れ様でした。最後はまぁ、変な感じになってしまいましたが気にしないでくださいね。きっと、時間が経てば何とかなります。ですから、ね?桜木さんも元気だしてください。」


 「‥はい。」


 返事を返す桜木ではあるがやはりその顔は暗かった。ステージ上では笑みすら浮かべていたものの本心はあんなこと言いたくなかったのだろう。あんなやり方で終わらせたくなかったのだろう。それもその筈。桜木は基本、優しい人間なのだ。

 だから、そんな事をさせてしまった俺は心が痛い。だが、謝ってどうにかなる問題ではない。逆に謝ればよけい桜木に気を遣わせる。

 だから、俺はステージから降りた今でさえ、彼の顔を一度も見ていない。

 

 「そうですよね。いきなり、元気になれるわけないですよね。」


 俯く桜木の姿を見て麻凛さんは静かに言葉を発っした後、微笑んだ。


 「ですが、これだけは言っておきます。失ったモノより得たモノ。護ったモノに目を当ててください。桜木さん。貴方はどうしても失いたくないモノがあったからそうしたのでしょ?なら、落ち込んでいる意味が私には分からないのですが?」


 小さく首を傾ける麻凛さんはさすがだと俺は思った。さすがは我が校が誇る生徒会の副会長だ。生徒の事を誰よりも理解している。


 「‥ぼ、僕は。あれでよかったの?」


 それまでずっと開かなかった口から小さな声が漏れる。涙目の顔も上がり、俺はついそこに目を向けてしまった。


 「さぁ?それを訊くのは私ではないと思いますよ?ねぇ、そうですよね?」


 麻凛さんは悪戯な笑みを口元に見せ、俺達を見る。全く、この人には敵わん。


 「‥別に良いも悪いもねぇだろ?大体、始めに言っただろ?頼るって。お前はそれに応えてくれたんだろ?むしろ、礼を言うくらいだ。あんなやり方、俺にはできんし。ただ‥」


 そこで俺は一旦、言葉を置く。それは雰囲気を良くするとかそんな意味では勿論ない。ただ、気恥しかっただけ。いつもなら難なく言える台詞だろうが、皆が。麻凛さんと刈谷が見ている。だが、言いかけてしまったからには最後まで言わなければならない。桜木も首を傾げてるし。

 俺は咳払いを一つ。その先を口に出す。


 「ただ、自分だけを犠牲にするやり方は二度とするな。犠牲にするなら俺達も一緒にしろ。」


 しっかり最後まで言い切るとやはり、恥ずかしさが顔に表れた。そして間もなく、そいつらの弄りがやってくるわけだ。


 「はは。くっさ。何その台詞?馬鹿なの?よく平気な顔でそんな台詞口にできるわね!はは。」


 「ほんと、新戸君は何でも言えちゃうんだね。尊敬するよ。」


 二人は馬鹿にするよう俺を笑った。そんな二人に何か言い返そうと口を開く。‥のだが、二人は笑った後に、「ただ」と続けた。


 「今回は私も同じ。これからは自分だけとかは無し。次やったらマジで怒るから。‥私達は仲間でしょ?」


 蔓実が恥ずかしげに最後の台詞を呟かせる。

 

 「仲間はもう失いたくない。せっかく、また作ってくれたんでしょ?桜木君もソコにいるんだから。自分だけ傷を負わないで。仲間が傷付くとこは二度と見たくないから。」


 波瀬が寂しそうに。だが、優しい声音で声を飛ばす。


 「‥皆。」


 桜木の元々、潤んでいた両目からついにそれが零れ落ちた。

 開きかけた口から出る言葉など勿論ない。弄られようが何だろうが本質的には皆同じなのだ。皆、皆の事を想っている。それが改めて分かった。だから、言い返す言葉などない。

 

 「では、私達ももう戻ります。この後も色々とありますので。」


 「あっ、はい。なんか色々とお世話になりっぱなしですみません。」


 「気にしないでください。生徒一人、一人が楽しく笑顔で過ごせる学園生活を作るのが私たちの使命ですので。」 


 麻凛さんは俺の言葉に軽い会釈と共に返答を返してくれる。そしてそれではと。ゆっくり背中を向けた。


 「じゃぁ、僕達も行くよ。本当にありがとう。」


 麻凛さんに続いて刈谷もこの場を去るため、言葉を残す。

 

 「あぁ。‥って、達?」


 その言葉が気になって聞き返したが直ぐに気付く。刈谷の背後から数キロ離れた所にいる女子生徒。その存在に。


 「お、おぉ‥。確か水瀬さんだっけ?」


 名前を覚えるのは得意でない。その名前が当たってる可能性は半分といったところだ。が、どうやら今回はその半分が当たっていたらしい。後ろに立つ大人しそうな彼女はコクり。小さく首を動かしてくれた。


 「水瀬さんは僕と一緒に先生を抑えてくれてたり、照明落とすサイズ出しとか色々してくれたんだよ。」


 「お、おぉ。そうなのか?ありがとう。水瀬さん。」


 刈谷の補足で彼女が何をしてくれていたのかが分かった。素直に彼女にも感謝の言葉を届けた。‥のだがその瞬間、彼女の体が後ろ。また後ろに下がる。

 そして微かに聞こえた声。


 「いえ、私なんか大したことしてないですから。」


 と、いう声が首をぶんぶん振るわれた姿と一緒に見て取れた。


 「まぁ、見ての通り彼女はああだから。でも、いい子だよ。」


 「あぁ。それは何となく分かる。」


 という台詞を口にしたら背後、隣から鋭い視線が刺さるように送られてきた。‥ような気がした。

 ですので。ここは素早く彼ら彼女らを退出させるに限る。


 「お前らもまだ何かあるんだろ?麻凛さん、もう行ったぞ?」


 「ん?あぁ、そうだね。じゃぁ、今度こそ行くよ。ありがとう。」


 刈谷はしつこく礼の言葉を口に。水瀬さんも小さく会釈してこの場を去った。

 

 ガシャンッ。


 鉄扉の重い音は完全に生徒会の皆がここからいなくなった事を報せてくれた。

 それとなく辺りを見渡せば、いた教師の姿も殆どいない。いるのは教頭と校長。それと見た事はあるが名前までは知らない男教師と女教師の二名だけだった。


 「じゃぁ、そろそろ私達も行きましょうか?」


 「あぁ、そうだな。」


 生徒会の皆が去って数分。何となく立ち呆けていたところに波瀬の声が俺達に行動指示を出してくれた。

 だが、ここでいう行く場所というのは勿論、教室などではない。言わずとも分かろう。楓香ちゃんのいる場所だ。

 会長から問題はないと言われたが詳細はまだ何も知らされていない。信用していない訳ではないが、不安がないと言えば嘘になる。

 

 「桜木は、もう大丈夫か?」 


 心の問題はそう簡単に解消できるものではない。桜木がまだ万全ではないというのなら待つ事は必須。一人だけ置いていくなどという選択肢は始めっからない。


 「‥うん。大丈夫。皆のお陰で‥大丈夫。」


 長い睫毛にキラリ光るモノを輝かせ、満面の笑みを見せる桜木は本当に大丈夫そうだった。何ていうかほんと、コイツのこの顔は反則だ。

 つい顔を反らせてしまう。有り得ない性癖に誤解してしまう。 ‥可愛いと思ってしまう。

 だからか、俺の口から出た言葉は早くなっていた。


 「じゃぁ、行くか。あんま長く楓香ちゃんを待たせても悪い。」


 そうこうして俺達は体育館を出た。何かが解決した訳ではないし、何も変わってない。それでもステージ上から降りた時にあった心に引っ掛かる何かはもう無かった。

 やっと、終わった。そう思った矢先に受けた風。その風が妙に心地よく感じられたのは気のせいではなかろう。


 *************


 体育館を出て教室ではなく俺達が向かった場所は馴染みある我が部室であった。何故、そんな場所に向かったのか?そんな事は言わずとも分かろう。

 部室を選んだのに深い理由はない。ただ空いている部屋で思い当たった場所がそこだった。職員室も近いし何かがあっても安心‥いや、今考えたらできねぇ。教師の殆どは体育館にいたんだもんな。だから、焦っていたのだし。


 とは言えそんな部室に来た。‥のはいいのだが。


 「‥お、おい?」


 着いた矢先、はじめに目に入ったのは傷付き、ボロボロとなった彼だった。


 「か、柿宮君!柿宮君!」


 俺に続いて桜木が叫ぶ勢いで声を上げた。それも無理はない。目に映る彼の姿はとてもじゃないが笑えるようなものではない。

 制服と髪をグチャグチャにし、目を腫らせ、体のいたるところには掠り傷が目立つ。口元も切れていて何があったかなど訊かずとも分かった。


 「おぉ~。遅かったな、お前ら~。見ての通りだ。姫のナイトは仕事を完遂したみたいだぞぉ~。私が向かった時には終わってた。わざわざ向かったというのに取り越し苦労だったわぁ~。」


 と、本人ではなく新たに加わった人物。閉じられていた部室の扉が開き、出てきた会長が相変わらずの声を伝えてくれた。


 「あっ、みなさん。‥す、すみません。みっともない姿を‥」


 会長の声で気付いたのか柿宮は腫れた目を半分ほど開き、弱々しい声を絞り出した。彼の言う通り、確かにみっともない姿。

 が、それでもその姿を笑う者などいる筈もない。


 「お‥お前。」


 「あんた‥」


 俺の言葉に重なって蔓実の声が合わさった。声こそ出しはしなかったものの、恐らく残り二人も同じだろう。

 柿宮の事を誰もが男だと思った。事は。


 「柿宮君、そんなことより保健室に行こうよ。先生いなくても応急処置くらいなら僕できるし。動けないってんなら僕の背中に乗って。」


 桜木が急いで彼に背中を向ける。 確かに今、早急に為すべき行動は彼を保健室連れて行く事だ。気付かない自分もそうだが、俺達より前に来ていた会長は何故それをしなかったのだ?

 

 と、そんな考えが言わずとも表に出ていたのだろう。例が如く。緊張感もクソもない呑気な声が横に流れる。


 「だってよぉ~。私が保健室連れて行ったらお前ら、コイツがどれだけ頑張ったか分かんないだろぉ~。まぁ、よっぽど酷い怪我だったら話は別だが別段、見た目以上に酷いものでもなかったからな~。」


 「な、成る程‥」


 何が成る程なのだ?自分で零した癖に意味が分からん。いや、意味は分かるけど。

 うん。何言ってんだ俺?


 とは言え、会長の言っている事に声を荒げたり、首を横に振ったりすることはない。

 百聞は一見にしかず。

 確かに耳で聞くより目で見た方が確実だ。それに、何かこう‥胸に熱いものを感じた。なよなよで弱々しい彼の価値観を改めたいと本気で思った。


 「す‥すみません。」


 「ううん。それよりもごめんね。僕がもっと早くに気付けば君はこんな目に合わなかった‥。完全に僕のせい‥」


 小柄であるが一応は柿宮も男。だというのに桜木はそんなの何のこと。と言うように軽々、彼を背中に乗せていた。


 「いえ‥これは僕の役目だったんです。だって、新戸さんに言われましたから。」


 いきな自分の名前を呼ばれた為か少し体が動いた。そして、俺を見る柿宮の腫れた目が笑っている事に気付く。

 そんなにおかしかったのだろうか?


 「新戸さん。僕やれましたかね?その‥刈谷さんを護れましたかね‥?」


 腫れた顔では表情があまり分からない。だが、柿宮が恥ずかしがっていることは十分に分かった。そして彼が言っている言葉も勿論、分かっていた。


 「あぁ。十分だ。後は傷を治して、またしつこく接しに行け。」


 「はは‥」


 柿宮は薄く笑いを見せ、そのまま桜木の背中の元、保健室へと連れて行かれた。

 去っていく彼の勇姿。その姿は俺の目に。脳に。しっかりと刻み込んだ。そして、全てに安心ができた。これで楓香ちゃんの安否も確認できた訳だし。一件落着‥


 と、そこで気付く。


 「そう言えば当の本人。楓香ちゃんは‥?」


 柿宮の衝撃姿に気を取られすぎていた。楓香ちゃんがここにいないというのは思えば一番マズイことなのではないのか‥?


 「あぁ~。刈谷なら生徒会室で結果待ちだ~。まぁ、八十パー合格だろうから心配することはないと思うがなぁ~。」


 俺の疑問に応えてくれたのはやはり生徒会長だった。だが、その姿は面倒臭いからそろそろ帰りたい。そんな思考が見て取れる。


 「そ、そうですか?そういえば、ここに来たという空手部の奴はどうしたんです?柿宮が病院送りにでもしたんです?」


 言ってはみたものの有り得ないことだというのは承知の上だ。そんなことできたら空手部とかなんなん?って話になる。うちの空手部全国経験もあるらしいし。そしたら空手って何なん?って話になってくる。


 「あぁ~。そいつは宮永の野郎と同じでパパの部屋だなぁ~。こっぴどく怒られてんだろうなぁ~。パパのお説教長いからなぁ~。ご愁傷様だわぁ~。」


 「そ、そうですか‥?」


 経験者が語るその事実は確かなものがある。悪いことはできねぇな。


 「で、何でその生徒はそんなことをしたんですか?バレればどうなるかなんて目に見えてるのに?その生徒は何を抱えていたんですか?」


 これまで黙っていた波瀬は一通りの事が落ち着いたと察したのか、口を開いた。だが、会長はもう本当に帰りたそう。本当にすみません。


 「ん~。抱えていたって程のもんでもねぇなぁ~。あいつは部活も勉強もいまいちだった。だが、自分は目立ちたい。そこで偶然、刈谷楓香の試験会場の試験管になり。偶然、飛び込んできたのがその話だった。見返りとしては部活でのレギュラー確定。成績の向上。悩みはしたらしいが欲には勝てなかった。それだけだなぁ~。」


 「‥それだけ?」


 会長の話を聞いた波瀬は理解ができないと言った表情で首を捻っていた。だが、それも無理はない。彼女はリスクを犯してまで何かを成す。その事を人並み以上に理解している。

 だから、その奴が取った行動には何らかの大きな問題があったと考えたのだ。だが、聞いた言葉は何ら大きくも深くもない。だから、波瀬は拍子抜けしたのだ。意味が分からないと。


 が、しかし。人間なんてのはそんなものだ。欲の固まり。食欲。睡眠欲。性欲‥様々な欲求に勝てない。それに勝つには折れない何かを持つしかないのだ。それか、それを誤魔化す何か。


 ただ、彼女は‥。彼女達はそれを理解できない。それは彼女達にはその余裕がないから。欲を欲しがり、求める段階に来ていないから。普通の学園生活を送れていないから。 

  分からない。


 「‥まぁ、人間なんてそんなもんだ。色々な奴がいるしな。俺みたいな奴とか。」


 なおもまだ首を捻り続けている彼女に俺は自分を指差し、そう言う。敢えて自分から弄られにいこうとしているその行為。まさか俺は‥。

 嫌だ~。そんな性癖判明しなくてよかったぁ~。


 とは言えそのかいあって。


 「うん。そっか。この世には変な人がいっぱいいる。そういうことだね?はは。ありがと新戸君。スッキリした。」


「‥あ、あぁ。どういたしまして。」


 思わず引き吊った笑みが顔に表れる。納得したのはいいけど、ありがと。って何よ?何でお礼とか言われたん?俺、変な奴確定?これでも結構、常識人の認識が‥ブツブツ。


 「んじゃぁ、お前らも来たし。私も眠くなってきたしで、生徒会室に戻るわぁ~。麻凛の茶、早く飲まねぇとなぁ~。」


 いやいや。生徒会室そんな部屋じゃねぇだろ?


 が、会長は見た目以上にしっかりしている。その事は今日の一件で十分に分かった。いつも通りの(てい)を装ってはいるが計画が良好に進んだのは会長のお陰と言っても過言ではない。

 空手部のそいつが宮永の指示で体育館をこっそり抜け出した事にいち早く気付いたのは会長だろうし、それの対処をしたのも会長だ。

 恐らく、生徒会のメンバーに教師の抑え込み等の指示出ししていたのも会長だろう。

 柿宮の事に至ってもそうだ。見ただけでそうでない傷かそうである傷かを判断し、それに基づきこうであった方がいいと判断した訳だし。

 さすがは生徒会長という訳ではないが生徒の事。周りの事がよく見えている。素直に感服である。


 「あ、あの?」


 「ん~?」


 のっそり歩いていた背中が振り向かれ、眠たそうな瞼と合わさった。


 「ありがとうございました。会長がいてくれて本当に助かりました。俺達の問題なのに‥」


 と、言葉をつなげようとしたそこに会長の声がマイペースに挟まれる。


 「あのなぁ~。馬鹿かお前~。」


 「ば、馬鹿?」


 「それは私らも同じだろうがぁ~。お前らがいて助かった。生徒を一人救えた。その結果は私ら生徒会も望んでいた事だし、お前らも望んでいた。だから、礼を言われる筋合いはねぇよ~。まぁ、疲れたのは事実だから茶菓子くらいは貰ってやる~。言葉は腹の足しにもならんからなぁ~。」


 そんな事を言うと会長は俺の反応など気にもせず背を向けた。


 「か、かっこいい‥はっ!」


 隣で蔓実の囁くような声が聞こえた。そしてそのしまった!というような反応もしかと。


 が、それにツッコミを入れることは俺にはできない。 何故なら俺も同じ事を思ったからだ。 

 この世には色々な奴がいる。俺がさっき言った言葉だ。そして自分自身、その言葉に確信を持ってしまう。

 

 「‥まぁ。じゃぁ、俺達も行くか。」


 「行くってどっちに?」


 すかさず波瀬が訊いてくる。


 「そうだなぁ~。桜木もいるしまずはそっちに行くか。」


 言うと始め、波瀬がクスリと笑みを零して首を縦に振るった。そして続いて蔓実が大きな溜息と共にそこにしゃがみ込む。


 「はぁ~。何か肩の荷が落ちたと思ったら急に疲れが‥」

 

 「お前なぁ。まだ、全てが終わった訳ではねぇんだぞ?」


 「知ってるわよ。だけど‥」


 そうは言ったものの。俺とてその言葉には同意せざるを得なかった。確かに大きくのしかかっていた荷物はここに来てようやく置くことができた。

 楓香ちゃんの結果はまだ確定ではない。柿宮の傷も完治はしていない。そして俺達の事もまだ‥。

 全ては終わっていない。‥けど。だけど。それでも。


 「まぁ、けど。なんだ。桜木いねぇから、まだ言うもんでもないんだろうが」


 それでも先にと。


 「お疲れ。」


 やっと。やっと俺はその言葉を言った。言えた。そして、やっと俺達は春を迎えれる。青い春はまだ訪れないかもしれないが‥。季節の春は確かにそこには来ていた。

 

 「やっと、穏やかになるな。」


 呟いたその声は窓から差し込んだ吹奏楽部の演奏音によって薄らぎ、かき消されてしまった。


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