出逢い
深は絡みつく霧を振り払おうと、必死に操る方法を模索してた。段々に制御出来るようにはなって来たものの、やはり時にどうしても振り払えない時がある…。
深は、諦め切れずに、よくそっと人里を伺った。全くの独りであることが、つらかった。いつの間にか発生し、放り出されたような命ではあったが、深は他者との交流をしたかった…それが、寂しさであることは、しばらくしてから深は知った。
そんなある日、自分がいつも霧を掃おうと鍛錬する場所の近くに、変わった気が舞い降りたのを感じた。おそらく、神の一種であろう。
すぐに帰るのかと思いきや、それは空き家を綺麗に掃除したかと思うと、そこに小さな結界を張って、住み始めた。
深は、いけないと思いながら、その家を伺った。もしかして、話すぐらいは出来るのかもしれない。
そこから出て来たのは、美しい女だった。おそらく、神の基準から見ても美しいだろう。自分がこれまで見た女と、明らかに違う。着ている着物も違えば、仕草も動きも違った。人のような、神のような。
しかし、女がこんな所で一人、確かにあの結界は強いものであるが、日中であっても歩き回っては危ないのではないか…。
深は、心配になり、その女が何をするのか見ていた。
女は、木苺を摘んでいた。その時期たくさんなるのだが、どうしてそんなことをしているのか分からなかった。そして、どうしてもそれが聞きたくなった。…自分は、霧をかなり制御できるようになっている。もしも危なくなったら、その場を離れよう。
その結界は、月の気配がした。深は、思わず知らずその気配に身震いした…これは、消されるかもしれない。
窓からは、何やら甘い香りが漂って来る。深は思わずその結界に触れた。
驚いたことに、その結界は自分を跳ね返すどころか、自分を暖かく迎えるような気を発した。深は、そんな気を感じたことがなかったので驚いた。これは、自分と同じ性質を持つ力なのか。
戸を叩くと、あの女が中から控えめに戸を開けた。
「どちら様?」
深は、目の色はそのままに、柔らかい色の髪に変えて、中をのぞき込んだ。
「この、近くに住む者です。いつもこれを摘んでおられるので、もしかしてこれが必要ではないかと。奥にはまだ、たくさんなっておるので。」
中に居た女は、大きく戸を開けた。
「まあ。この辺りはもう、粗方摘んでしまって…とても嬉しいわ。」と、深の手から木苺の籠を受け取った。「少しお待ちになってね。」
深はドキドキとした。手が触れたのに、あの女はびくともしなかった。今まで自分に触れた者は、獣でさえ、黒く変色して命を落とした。なのに、この女は…。
その女が、何かを容器に入れて持って来た。
「お裾分けですわ。神は食さないと聞いておるのですが、一度試してご覧になって。人の世の…パンとか、ご存知かしら?」
深は慌てて頷いた。
「知っている。」
相手はにっこりと微笑んだ。
「それに付けて召し上がってみてくださいね。」
深は、恐る恐るその容器に手を伸ばした。女の手に触れる。それは、とても柔らかくて暖かいものだった。
「では、これで。」
深は頭を下げると、一目散にそこを離れた。あの女は、違う。オレの力の影響を受けないなんて、他には居なかった。月の気がするのに…もう一つの月の気とは、まったく違う心地がする…。
そして、戻ってもらったものを口に入れてみた。
甘酸っぱく、癒されるような感じがした。
次の日も、また次の日も深は女に木苺を持って行った。
その度に女は笑顔で迎えてくれた。そして、その度に少しずつ話し、深は初めて他者との交流というものを身を持って感じた。目の前に居るのは、間違いなく生きている女。だが、自分の影響を受けず、霧すらも寄せ付けないその身は、月の気を発する…。
しかし数日もすると、深の身に異変が生じ始めた。力が増すのを感じ、霧が自分に纏わりついて離れない。いくらなんでも、こんな霧に纏わりつかれた状態で、女に会いに行く訳には行かなかった。
やっとのことでそれを抑えて振り払い、行った家には、女は居なかった。
深は後悔した…もっと、話して置けばよかった。名も聞けなかった…。
そして、探ったその気は、龍達が住む、大きな宮から感じ取れた。そこへ入るには、この強力な結界を破らねばならない。
深は、初めて力が欲しいと思った…あの結界を通り、あの女に会いに行きたい!
深は、ハッと我に返った。
空には月が出ている。回りには霧が寄り添うように集い、自分達を隠していた。
「維月…。」
自分は、維月を取り込んでしまった。あの龍を狙った力は維月に当たり、それは自分と維月を繋ぐ道となって、維月の力が自分へと流れ込むのを感じた。そして、また自分の力は維月に戻り、増幅されて大きな力となっていた。維月は、月だ。もう一人の月とは、対称的な力…。
維月は、じっと一点を見つめていた。その目が、自分と同じ色になっているのを見た時、維月は自分と一つになったのだと思った。
深は、維月を抱き寄せた。
「維月…もう一人の月が、お前を取り返そうと必死に探している。お前の力を探ったら、きっと見つかるのも時間の問題だ。」
維月の目は、それでも動かない。深は、維月の暖かさをその身に感じ、抱きしめる腕に力を込めた。
「お前は、オレが触れても死なないのだな。そして、力を分け与えてくれる。」深は月を見上げた。「オレはお前を望んではなかった。ただ、話したかっただけだ。だが、それすらも奪おうとするのなら…皆がオレを疎ましく思うと言うのなら、オレはお前とオレの為に、この世界を闇に沈めてもよい。オレはもう…一人きりには戻りたくないのだ!」
維月の身が、小さく震えた。深は、維月を見た。
「聞こえているのか?そうだろう…オレを滅ぼすものから逃げるのは、もう止める。オレは戦う。オレも生きる権利はあるはずだ。あがいて見せる…お前の力を貸してくれ。」
深は、維月に唇を寄せた。
十六夜は、深の気配を手繰り寄せつつあった。
その少し前、十六夜は我に返ったかのように顔を上げた。今、確かに…。
「十六夜?」蒼が顔を覗き込んだ。「どうした?」
蒼の目の前で、十六夜はみるみる顔色を無くして行く。蒼は驚いて十六夜の腕を掴んだ。
「どうしたんだ?!何を感じた?!」
十六夜は、蒼を見た。
「闇に」十六夜は震える声で言った。「維月が闇に…。」
蒼は慌てて月を見た。月は半分暗く変色し始めている。
「…そんな!闇は母さんを取り込んだのか!」
十六夜は急に立ち上がると、月を見た。
「ここはオレの守りで堕ちる事はない。蒼、龍の宮へ行く。お前も来い!」
十六夜は月へと飛び立った。維月の力の波動が、闇と混ざって伝わって来る。維月がどこにいるのか、探れる。それと共に闇も居る…何としても、消さねば!
龍の宮は、大変な騒ぎになっていた。十六夜が降り立つと、義心が駆け寄って来た。
「月よ、王が倒され、何とか意識はお戻りになりましたが、闇が維月様を、おっしゃられて…!」
十六夜に、頷いて奥の間へ急いだ。維心が、それを感じて、ふらふらと身を起こそうとした。
「十六夜…!」
回りの龍達が慌てて止める。
「王、ご無理でございます!今しがたまで生死の間をさまよっておられたのです!」
「ええい、構うなと言うに!」維心は、言った。「維月が我を庇ぼうて闇の気を受けた。途端に維月から力が発しられ、我は倒された。維月は意識を失う前、十六夜に、約束を果たせと伝えよと…。」
十六夜は、目に見えて狼狽えた。
「…まだ、チャンスはある!」と、月を見た。「諦めねぇ。最後まで…。」
維心は、十六夜を見た。
「まさか…打つ手がないと維月は思っているのか。」
十六夜は答えない。維心は悟った。
「何と我は役立たずであることか!闇に対して、我は何の力もない…。」
十六夜は維心を見た。
「そんなことはねぇ。お前の結界を越えようと思ったら、あれだけの力が要ったんだ。それだけお前の力は、闇に対して有効なんだよ。だが、維月の力が加わっちまったら、オレでさえ勝てるかとどうか、五分五分だ。」
維心は十六夜を見た。
「…そんなに、確率は下がるのか。」
十六夜は頷いた。
「唯一オレの力を打ち消すと言ったろう。闇の力もそこへ加わって、オレと対等の力で向かって来る…蒼も居るが、蒼には戦う時に生じる衝撃から地上を守ってもらわねばならない。力をフル稼働させないと、とてもオレ達の力を押さえ切ることは出来ないだろうよ。」と、月を指した。「見ろ。今日は満月だ。それが唯一の救いだな。維月の力は一番弱く、オレの力が最も強い日。それでも、闇のせいで力を食われ始めている…短時間で決しなければならない。」
維心は、月を見た。右側から薄っすらとどす黒く変色している…時は無いのか。
「維心。」十六夜は険しい顔で維心を見た。「闇だけを倒すのは、難しい。オレはそんな余裕がないかもしれない。維月とオレは、まだ月でつながってる…あいつの奥底の意識が、闇を見ているのをオレも見ることが出来る。闇は、地上を全て滅ぼす事を決意した…唯一の望みを地上の者が阻むなら、地上を滅してそれを手に入れようとな。闇は初めからこんな考えを持っていたんじゃねぇ…オレと同じように、気が付けば生まれて居て、気が付けばあんな存在だったんだ。控えめに生きていたが、誰も自分を受け入れてはくれない…だがら、こんな選択をした。あいつの維月への執着は、お前と同じだと思うといい。最後まで維月を手放しはしないだろう…死ぬのも共にと考えるかもしれない。だったら、オレは維月ごとしか闇を倒せないかもしれないんだ。分離できるように力を尽くしてみる。だが、覚悟してくれ。」
維心は拳を握り締めた。どうして我には、闇に対抗する力がないのだ。どうして力の性質が違うのだ。こんな時に、何も出来ないとは…。
義心の声が言った。
「蒼様がご到着しました。」
十六夜は頷いて、空を見上げた。
「来やがるぞ。」とグッと眉を寄せた。「まずは神世最大のこの龍の宮を滅するつもりだ。飛んで来る…オレは庭へ出る。」
維心がふら付きながら寝台から床へ降り立った。
「気は、戻って来ている。維月は急所を避けてくれたのでな。何かの力になるのなら、言ってくれ。」
十六夜は頷いて、維心と並んで居間へ出た。蒼が寄って来た。
「十六夜…近付いて来るぞ。」
十六夜は蒼を見た。
「蒼、お前は地上への影響を抑えろ。宮への攻撃も少なからずあるだろうが、お前に任せるしかない…オレは、闇を消すことだけを考える。」
蒼は頷いた。ここへ来る途中も、地上は真っ黒に染まりつつあった。闇が今まで押さえていたものが、そのタガが外れて一気に溢れ出たようだった。
本当に、今度の闇は、ただ生きていたいだけだったのか…。
蒼は思った。そして、それを生み出した人と神の負の念を呪った。生きることすら許されない存在…。生まれ出てみたら、そんな存在だった。それがどれほどに孤独なものか。
出て行く十六夜の後姿を見送って、ふと空を見上げると、そこには二つの人影が浮いていた。
それは、闇と、維月の姿だった。




