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約束

十六夜は、絶句していた。では、闇は自分の存在意味すら知らなかったというのか。気が付くと地上に居て…残された前の闇の記憶を頼りに、月から身を隠し、自分がなぜ狙われるのかも分からず…ただ、生きていたいと。

まるで…自分が1600年前、目覚めた時のように…。

だが、自分は月だった。世には善と見なされる事を成すための存在だった。だが、闇であったなら?いったい自分は…どうしたのだろう…。

維月が言った。

「十六夜…私は聞かなければ良かったと思った。私は光にも闇にもなれる…このままなら、あの深に飲まれてしまうわ。本人には、そんなつもりはなくとも。」と、下を向いた。「私は世を助ける存在にも、滅ばす存在にもなる位置にいる。しっかりしなければと思うけど、もしもの時を考えて。維心様にははっきり言えなかったけど…私が闇に飲まれたら、私を消して。」

十六夜は維月を見た。

「そんなこと、出来るはずねぇ!」

維月は首を振った。

「十六夜にしか出来ないわ。唯一私を打ち消す力は、あなたの力だけ。手遅れにならないうちに、そうなったらすぐに消すのよ。約束したでしょう?蒼を守って。そうすれば皆が助かるのだから。闇の力まで身につけた私が、あなたを消そうとしたらどうするの?私にはそれが出来るのよ。そうしたら皆が助からないわ…闇に全てが飲まれ、世は終わる。わかるでしょう?」

十六夜は言った。

「そんな約束は守れねぇ…無理だ。お前が居なくなれば、維心だって生きては行けねぇんだぞ?維月、闇を遮断出来ねぇのか。」

維月は悲しげに首を振った。

「出来ないのよ。私は、きっと深に同情してしまった…繋がってしまったんだわ。私はあらゆる闇の力と繋がる…だから、無理なの。引きずられないようにするわ。でも、可能性があることは確か。お願い、皆を守って。あなたはそのために生まれて、生きて来たのよ。」

十六夜は目を閉じて横を向いた。維月の話を聞いて、自分すらも闇に同情しようとしている。維月が引きずられる可能性は、高い…。

「維月…、」

十六夜は維月を見た。維月はじっと十六夜を見ている。確かに、維心も力が及ばない事なのだから、自分以外に出来る者は、居ない…。

「…分かった。」十六夜は頷いた。「そうなったら、皆を守る。維月、だが、そうならないように努力すると約束してくれ。オレに、お前を殺させないでくれ…頼む。」

維月は微笑んだ。

「ええ。私だって死にたくないわ。十六夜…愛してるわ。」

十六夜は維月を抱き締めた。

「…オレもだ。」


霧はさらに濃さを増した。

今や人の世だけでなく、神の世でも小競り合いは頻発するようになった。

せっかく落ち着いたばかりの獅子の宮の方でも、内部で争いが生じ、観がなんとか闇を引きずり出して封じることを繰り返し、平穏を保つのに追い付かないらしい。

龍の宮でも軍神達だけでは封じきれない霧を、維心はどんどんと封じ、庭へ放り出した。その庭も、蒼や十六夜が放つ浄化の光を待つ間に山と積まれて、誰も庭には出れなくなった。

浄化が追い付かない。

蒼は焦っていた。闇の事を、十六夜から聞かされた。それは維月の力と繋がれば、恐ろしいことになる。なので十六夜は、それを阻止しようと必死に闇を探していた…それでも、穏やかな気を発するらしい闇の気配は一向に掴めなかった。

「母さんに、会いに来るんじゃないのか?」蒼はふと、言った。「闇は母さんに会いたがっていたんだろう。維心様が居なければ、きっとまた、闇は来る。違うか?」

十六夜は、蒼を見た。

「…維月を囮に使うことは出来ねぇ。もう闇と接しちゃいけねぇんだ。だから、維心に傍を離れるなと言って来たのに。」

蒼も、それは知っていた。それこそ維心は飲み込まんばかりに維月を抱き抱えて、片時も離さないらしい。十六夜に、脅されたからだ…闇に取られるな、と。自分で居れば、闇は来ないと聞いて、維心はそうして維月を守っているのだ。

「…だけど、このままだと維心様が居ても来るんじゃないのか?この霧の勢いは、なんとか母さんに会おうとしている闇が、力を増そうとしているからじゃないのか?」

十六夜は黙った。実は、自分もそう思っていたからだ。このままだと、闇は己に飲まれて、違う人格になるのではないのか…。己の生まれを呪って、会いたい者にも阻まれて会えず、望んでもいないその身を、ただ呪って…。仇成したい訳ではない。なのに、存在が悪だと決められて生まれ出た命。

十六夜は、首を振った。駄目だ、同情してはいけないのに。

十六夜は龍の宮の方角を見た。維月を囮にするべきなのか…。


一方、龍の宮では、霧の深さに辺りが見えないこともあるほどだった。

封じても封じても、ただどこからか霧は漂い、追い付かない。しかし、不思議と皆、それにとり憑かれることはなかった。

「…なぜにこの宮がこんなことに。」維心は言った。「それに、とり憑かれる訳でもなく。これは、主の力か?」

維月は首を振った。違う、自分は何もしていない。これは、恐らく深の力。視界を奪うだけの、霧…。それは維月と維心の間すら、顔も定かに見えない。夜は、全く視界がきかなかった。

維心はため息をついた。

「良い。もう休もうぞ。これでは話もままならぬ。」

維心について奥の間に行き、いつものように維心は維月を抱き寄せて眠りにつく。すぐに頭の上から維心の規則的な寝息が聞こえて来たが、維月は眠れなかった。恐らく自分に会いたいと望んでいる深が、無茶をしてここまで来たならば…。私は闇に、どう対処すればいいものか。

深は、闇に生まれついた自分を持て余していた。どうすれば良いのかわからないようだった。その戸惑いも、維月には十分すぎるほど伝わって来た…自分は陰の月であるからだ。ここまで精神的にリンクしていると、あの力を間近に受けるだけで私は引きずられるかもしれない…。

維月は、不安だった。おそらく、深も不安を感じているのだろう。闇を助けることなど、無理だ。だが、救う方法はないのだろうか…。

「…維月。」

微かに、声が聞こえた。

維月は回りを見回した。霧が濃すぎて、見えない。

「…まさか…深?」

「ああ」相手はホッとしたように言った。「やっと会いに来る事が出来た。主にはいつもその龍がついておって…しかし、傷を付けると、主は悲しむであろう。」

窓に近い方向から声がする。維月は、相手からは見えているのだと確信し、首を振った。

「駄目よ…霧をこれ以上出してしまっては。消されてしまう。深、あの木苺を持って来ていた頃のように、抑える事は出来ないの?」

相手の声は、沈んだ。

「増やす事は出来ても、抑える事は出来ない。振り払う度にまとわりつく…どうしようもないのだ。せめてこれ以上、人も神も霧を出さずに居てくれたなら…。」

維月は下を向いた。それはきっと、無理だ。深は好むと好まざると関わらず、寄って来る霧を増幅させてしまうのだ。あの時も、まとわりつく霧から逃れようとしていたと言っていた。そして、やっと逃れた時には、私はもう、同じ場所には居なかったと…。

「…私には、会わないほうがいいわ。私には月がついている。あなたを消そうと探しているの。深、霧を抑えようと努力して。そして、ひっそりと生きて。でなければ、皆はあなたを消そうとする。このままでは、地上は滅ぶから…。」

深はためらったような声で言った。

「維月…オレはただ、お前と話したいだけだ。なぜ、オレにはそれが許されぬ。闇だからなのか。闇など…好んでこうなのではない。お前に仇成さぬよう、霧を抑えてとり憑かぬようにしておるのに…。」

「それでも、主は闇ぞ。」維心の声が横から飛んだ。「闇でなくとも許さぬが。維月は我が妃。誰も我が許しなく話し掛ける事すら許さぬ。」

維月は驚いて維心の方を見た。しかし、暗すぎて定かに見えない。闇は、しばらく黙った後に、言った。

「妃とはなんだ?オレは、ただ維月と話したいと思っている。お前のことも、殺さぬであろう。」

維心の声が答えた。

「…例え殺されようと、維月は渡さぬ。闇よ、何と申しても無駄ぞ。」

闇の声が、怒りを帯びた。

「奪おうなどとは、考えてもおらなんだものを。話の分からぬ龍よ。では、排除するまでよ。」

維月は力の流れを感じて、咄嗟に維心に抱きついて庇った。何かの力が、自分の背にまともに当たったのを感じた。

「維月!」

二つの声が、同時に叫ぶ。維月は闇の気を受けて、めまいを覚えた。大丈夫、これでは死なない…でも…。

「維心…様、」維月は力を振り絞って言った。「十六夜に…約束を果たせと…。」

深は、維月の力が自分に流れ込んで来るのを感じて、戸惑った。まさか…オレは、維月を取り込んだのか!

「おお!」深は絶望したような声を上げた。「維月…!オレはそんなつもりは…!」

維月から、激しい光が立ち上った。その力にもろに吹き飛ばされた維心は、気が遠くなるのと、必死に戦った。

「維月…!」

辺りの霧は晴れ、月の光が流れ込む。

その光の中、維月の背を抱いた闇と、赤い瞳で無表情に自分を見下ろす維月を見た。その目は何も見ておらず、背後に立つ闇と同じ色に光っている。闇は、なぜかとても苦しそうな表情だった。

なぜ…闇であるのに、そのような顔をする…。

そう思ったのを最後に、維心は気を失った。

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