闇
蒼は、何年も前から黒い霧の発生が多くなっているのを感じていた。
しかし、今や十六夜も直接手が下せるので、大規模な発生が起こる前に浄化してしまえる。なので、闇の発生までは起こってはいないと思われた。
蒼自身も、毎日のように地を見渡しては、浄化できる所は浄化していた…それでも、霧の発生は止まらない。どれどころか、激しくなっているように見えた。
「…戦争になるかもしれんな。」
蒼は言った。十六夜は厳しい表情で、壁にもたれて立っている。
「確かにな。オレも昔から見てるが、だいたいこんな風に霧が発生する時は、戦が起こった。今の人の世は、何やら物騒な気配じゃねぇか。」
蒼は頷いた。最近の人の世の動向は、十六夜の言うようにどうも物騒だ。いざこざが絶えない…何十年も前からこんな感じではあったが、二人掛かりなので霧は押さえることが出来たのだ。それでも、押されることが出来ないところまで来ようとしている。
「オレ達の血筋も、結局オレ達止まりで有の子も遙の子も力はなかった。オレが神格化したからだろうと思うが…まともに月の力が使えるのは、オレと十六夜と母さんと涼だけだ。」
「維月は駄目だぞ。」十六夜が言った。「前にも言ったがあいつは今、陰の月だ。陰の月は、闇寄りの力…浄化でなく、操る力なんだ。抑え込んだりは出来るが、浄化は出来ねぇ。あいつが抑えた間に、オレが浄化するって流れでこうなってるんだと思うが…オレでもあいつの力はよくわからねぇのに、維月に使えるはずはねぇ。だから、あいつはよっぽどでなければ力を使わねぇだろうが。」
蒼は頷いた。
「いざという時、母さんは戦力に数えない方がいいってことか。こればっかりは、神達の力は通用しないし、維心様の気も役に立たない。オレ達で何とかしなきゃならないってことだ。」
十六夜はため息をついて、足を窓へ向けた。そしてふと、立ち止まった。
「…なんだ?有が…。」
蒼は慌てて十六夜を見た。十六夜は佇んでいる。月から何かと話している。有は、人としては限界であろう年齢まで生き、今は病室に居るはず。苦しんではいないが、それでも、力が抜けて行くと、この前見舞いに行った時に言っていた…。
十六夜は言った。
「…待ってろ。みんな連れてくから。」
蒼は十六夜を必死に見た。もしかして…。
「十六夜、有が…?」
十六夜は、頷いた。
「あいつは、よくがんばった。もう111歳じゃねぇか。限界だろう…佐月と美咲が見えるらしい。皆を連れて来いと言ってる。」
蒼は立ち上がった。
「すぐに涼と恒と遙を連れて行く!十六夜は母さんを!」
十六夜は頷いて、月へ戻った…そして龍の宮へ降りた方が到着するのが速いからだ。蒼は念で兄弟達を呼んだ…有の所へ行くぞ!
遙は、最初蒼に誘われた時は断ったが、夫を亡くしてから月の宮へ来ていた。今は、50代の外見で仙人になり、涼を手伝って教師をやっている。遙は慌てて走りながら、有を思った。
維月は、龍の宮の維心の居間で立ち上がった。
「十六夜!」
十六夜は窓を開けて窓枠に乗った。
「…維月。」
維月はその表情を見て、ぶるぶる震え出した。維心が気遣わしげに十六夜を見る。維月は言った。
「十六夜…有…なの?」
十六夜は頷いて、手を差し出した。
「呼んでるんだ。行くぞ。」
維月はいきなり涙をぼろぼろと流した。維心が言う。
「我も行く。病院であろう?」
十六夜は頷いて、維月を抱き寄せた。
「来いよ。お前には出来ることがあるしな。」
十六夜は一気に飛んだ。維心も意識を集中したかと思うと、一気に飛び去った。
病院の前に着くと、十六夜は言った。
「付いて来い。」
月は無言で出ている。病院はシンと静まり返り、中は電気も消えて、所々しか着いていない。そこへ、三人は誰にも気取られることなく入って行った。
6階にある、有の個室へ入ると、蒼、涼、恒、遙は先に来て、有の近くに立っていた。つまり、人から見たら誰も居ない状態であったのだ。恐らく、寂しい病室であるだろう。だが、実際は七人がひしめきあっている状態だった。
「…人の家族は?」
遙が言う。蒼は首を振った。
「ここに居る誰も生きてるとは思われてない。連絡出来ないんだ…病院の誰かが気付いてくれない限り。」
有がうっすらと目を開けた。
「…いいのよ。」微かな声だ。「あの子達は毎日来てくれてたから。今日も会ったわ…だから、いいの。どうせ、あっちで会うじゃない。」
「有!」維月が駆け寄った。「まだ間に合うわ…碧黎様に頼んで、仙人に!そのあと、私と十六夜で子供を生むわ!そしたら、蒼と同じに…体も若くなる。」
有は力なく笑った。
「もう、母さん…私は人で居たいのよ。だから、選んだことよ。維心様と一緒に来るんでしょう?会えるから…ね?」
「嫌よ!」維月は叫んだ。「十六夜、お願いよ!助けて…有が、有が死んでしまう…!」
十六夜は維月を抱き締めた。
「維月…。」
《もう、時間よ。》維月に似た声がした。《維月、諦めなさい。この子は私達が一緒に居るから。》
維月は顔を上げた。
「母さん…!」
美咲だった。佐月も傍に居る。
《大丈夫よ。維月、あなたはあなたの選んだ道でしょう。この子はこう望んだのよ。》
「おばあちゃん…。」
「佐月」十六夜が言った。「よろしく頼むぞ。オレだって、生まれた時から見て来たんだ。子供みたいなもんさ。」
佐月は頷いた。
《月…維月をお願い。その子こそ、こんな運命を背負ってしまったんだから。》
十六夜は、黙って頷いた。佐月は微笑んで、有に手を差し伸べた。
《行きましょう。よく頑張ったわね、有。》
有が起き上がったように見えた。しかしよく見ると、起き上がったのは若い姿の有だった。激しく、枕元の計器が鳴る。
維心が、手を翳した。目の前に門が開く中、人の看護婦達が、こちらに気付かず部屋へ飛び込んで来てバタバタと走り回る。
「維心様!嫌です、やめて!」
「維月、有はもう、死んだんだ。維心が門を開いてくれたから、歩かずに済む。」
十六夜が維月を抱きながら言う。維月は必死に有に手を伸ばした。
「有!」
有は困ったように微笑んだ。
《母さん…またね。会えるから、きっと。》
有は兄弟達を見回した。《みんなありがとう。楽しかった。また、いつか向こうでね。》
蒼は涙を流しながら頷いた。遙は恒にすがって泣いている。涼は、言った。
「またね。私もいつか行くから…向こうから見てて。」
有は微笑んで頷いた。そして佐月と美咲の手を取ると、門へと入って行った。
「有ー!」
維月は叫んだ。病室の窓ガラスにヒビが入る。知らずに使った力のようだった。人の看護婦達が驚いて悲鳴を上げた。
「ああ!」門が消滅し、維月は叫んだ。「嫌!嫌よ!私の娘が…!十六夜、有が…!ああ…!」
維月は泣き崩れた。十六夜も、涙を浮かべて維月を抱きながら、病室から遠ざけようと連れ出した。
「維月…!泣くな。すまない、オレがお前を月にしたばっかりに…こんな思いをさせちまって…。」
維月は、連れ出された病院の前で、十六夜の胸を叩いて叫んだ。
「私が先なのに!私が先のはずだったのに!どうして私を不死にしたの?!どうして…!?有が死んでしまったのよ!私を置いて逝ってしまったのよ!嫌よ!十六夜…嫌…助けて…。」
維月は、十六夜の胸に抱き付いた。十六夜は力の限り維月を抱き締めた。
「維月…すまない、オレのせいだ…。オレがお前を失いたくなかったから…あの時、呼び戻さずにオレがお前を追ってれば…。」
二人は抱き合って、泣いた。生まれた時から一緒に守って育てた娘が死んだのだ。
維心は、ただ成す術もなくその傍に佇んでいた。自分は、まだ子を失った事はない。維月の悲しみがどれ程深いのか、理解出来るのは恐らく、十六夜だけだろう…。
二人はそのまま重なった一つの光に戻り、その夜は月に帰って戻って来なかった。
一か月もの間、十六夜も維月も月から降りて来なかった。
呼び掛けても答えることはなく、確かに気配はあるのにまるで意識がないようだった。蒼はただでさえ増えた黒い霧と、涼と二人っきりで戦っていた。十六夜は答えることがなく、そうするより他なかったのだ。
維心も、あの夜から戻って来ない二人に思いを馳せていた。
無事なのはわかっている…月に居る方が落ち着くのも。しかし、自分も維月を慰めてやりたい。いつも自分を癒してくれていた維月の、力になりたいのに。
維心は、自分の無力さを思い知らされる思いだった。十六夜は、人の世の維月と共に生きていた。それこそ幼い時から伴侶のようにいつも共に話して、お互いに頼り合って…。自分の知らない維月は、どれほどに有を大切に育てていたのだろう。どんな毎日を送っていたのだろう。記憶から知っていること以外にも、何かあったのかもしれない。十六夜は、それが分かる…だから、維月の気持ちも分かるのだ。きっと、維月の話しを聞いて、今共に居るに違いない…。
ふいに、月からキラリと光が落ちたように見えた。維心は身を乗り出した…降りて来るのか!
維心がじっと見ていると、それは見る見る人型になって維心の前に立った…十六夜だった。
「維心。」
維心は十六夜を迎えて、庭の方へ出る戸を開けた。
「十六夜…。」
十六夜は、居間へと入って来た。
「すまねぇな、遅くなっちまって。今度のことは堪えたんだよ…オレも、維月もな。」
維心は頷いた。
「わかっている。子供が先に亡くなるとはどのような心地なのか…我には、おそらく理解出来ないゆえ。」
十六夜は視線を落とした。
「オレは慣れてる。だが、今度はキツかった。維月が生んだ子には、思い入れがあったからな。オレも一緒に育てた気持ちでいたからよ…オレが地上へ降りるようになって、初めて死に別れた。これほどつらかったとはな…維月はもっとだ。最初の子で、それは可愛がって育てたんだ。大きくなってからは共に戦って、頼りにしていた。その娘が自分より先に逝って…しばらくは口もきけなかったんだ。」
維心は、椅子に座った。
「主も座らぬか?」
十六夜は顔を上げると、頷いた。そして維心の前に座った。
「連絡もしないで悪かったと思ってる。オレ達は月に居ると、同じ体で一つなんでぇ。だから、お互いの感情も感じ取れるし…そうだな、お前達で言うところの体を繋ぐ感覚ってのがこういう感じなのかもしれねぇな。魂がくっついて繋がってるような。だから、言葉にしなくてもお互いの意思は伝わる。それで、ずっとお互いに慰め合ってたんだ。オレはもう大丈夫だが、維月はまだオレから離れたくないようだ。今は眠ってるような状態だったから、降りて来たんだがな。」とため息を付いた。「まだ降りて来れねぇなあ…維月がどれぐらいでこっちへ来るつもりになるのか、オレも見当もつかなくてよ。すまない。」
維心は、視線を落としたまま、つぶやくように言った。
「…なぜ…なんだ。」
「なんだって?」
十六夜は維心を見た。維心は十六夜を見た。
「なぜ、我では駄目なのだ。我と維月は70年以上共に来た…なのに、なぜ、我では維月の癒しにならぬのよ!あんなところに居ては、我は維月に手が届かぬ。声すらかけることは叶わぬ…なぜに維月は、我に顔を見せてくれぬ!いつでもそうよ。維月は辛い時は主に話して、辛い時は主にすがって…これほど長く共に居ても、それは変わらぬ。なぜに我では駄目なのだ!」
十六夜は、いつもじっと表情に出さない維心が、これほどに声を上げることに驚いた。
「維心…お前…、」
「我は、」維心は立ち上がった。「我は…!」
維心から、闘気がわき上がり、そして消えた。十六夜は驚いてただ維心を見ていた。何か、おかしい…。
「維心?どうしたんだ。」
十六夜が維心に歩み寄ろうとすると、維心が怒鳴るように言った。
「寄るでない!」維心は己を抱き締めるように膝を付いた。「何か…身の内から…!」
先程の維心の闘気を敏感に感じ取った義心達軍神が慌ただしく入って来る。
「王!」
十六夜は維心を見た。まさか…これは…!
「維心!」十六夜は手を上げた。「ちょっと我慢しろ!」
月から力が降りて来る。その真っ白い光を、十六夜は維心に向けた。
「何をする!」
義心がその光を遮ろうと目の前に飛び込んだ。しかし、まともにそれを浴びている義心は、自分が全くその影響を受けないのに気付いた。十六夜は叫んだ。
「浄化の光でぇ!どけ!」
義心は慌てて飛び退いた。光は維心に当たり、包み込むと、維心は顎を反らして天井の方を向いた。
「ぐ…!」
「霧だ!」十六夜は言った。「すぐに済む!」
光は維心を包んだ上、体の中へ流れ込む。維心は身をよじって堪えていたが、ついに叫んだ。
「う…あああ!」
まるで引き剥がされるように黒い霧が維心から流れ出たかと思うと、浄化の光に包まれて消滅した。
光が消えると、維心は気を失うように前に倒れた。
「王!」
義心が駆け寄って維心に呼び掛ける。維心は切れ切れの言葉を発した。
「なぜに…我の…身に。」
十六夜は首を振った。
「分からねぇ。一つ分かるのは、これはお前の結界を抜けるってことだ。前までの霧とは違う…もっと強力な何か…。」
ふと気が付くと、維月がそこに立っていた。十六夜は驚いて言った。
「維月?!どうした…もう大丈夫か?」
維月は頷いた。
「ごめんなさい…こんな大変な時に。私、悲しんでいる場合ではなかったわ。」と、十六夜を見た。「闇を…感じる。」
十六夜はハッとした。そうだ…どこかおかしいと思ったら、これは闇の感覚なのだ。
維月は維心に歩み寄って、抱き寄せた。
「維心様…寂しい思いをおさせしました。私はもう、お側におりますわ。」
維心はホッとしたような顔をして微笑んだ。
「維月…。」
十六夜は、月を見上げた。蒼の所へ戻らなければ。
明日七夕は朝9時から夜23時まで、1時間おきに二話ずつ更新する別のお話「神様のウソつき!」全30部を一挙に公開します。アリアンローズ応募用に書いたお話ですが、世界観は似ているので、良ければどうぞ!しかし30部あると、二話ずつでも23時まで掛かってしまうのですね…。ちなみに全部で11万字ぐらいです。




