そして
帥明は、観の居間へ赴いた。観は、奥の正面の椅子に座って、こちらを見た。
「…帥明。どうした、もう休まぬか。」
確かに、もう月は高く昇っている。今日は一日宮へ持ち込まれる品の整理でてんてこ舞いだった。だが、観に一言話しておきたかったのだ。この気持ちのまま、観に王と仕えることは、帥明には出来なかった。
帥明は言った。
「王。少しだけお時間を頂いてもよろしいでしょうか。」
観はじっと黙ったが、頷いた。
「座れ。」
帥明は、前の屋敷とは比べものにならないほど大きく美しい居間の、真新しい椅子に腰掛けた。目の前の観は、見違えるように王らしくなっていた。見た目ではないとは言え、やはりそれなりの格好をしなければ、神でも埋もれてしまうものなのだろうか。帥明は、観を見つめて話しだした。
「王、我は、ご存知様に、龍王を恨んでおりました。しかし、この一年の間龍達もその臣下も見て参りましたが、決して龍王は己の利益だけで地を統べているのではない、この地を穏やかに保つために、力で押さえ付ける役をかって出ているのではないか、と思うに至りました。」
観は驚いたように帥明を見たが、黙って頷いた。帥明はさらに言った。
「そして、本日思いも掛けず、龍王と炎嘉様と共に話す機会を得ました。龍王はまるで…普通の神のようだった。」
帥明は戸惑っていた。観はフッと笑った。
「我も、一年前に直接龍王と初めて話した時、同じ思いだった。噂など、なんとでも広まる。時に大きくなって、尾ひれも付くものよの。だが、あれが確かに大きな力を持ち、そしていくつもの逆らう種族を滅して来たのもまた事実。音に聞こえるような凶悪な王ではないとわかったが、しかし、怒らせれば恐ろしい王よの。」と月を見た。「それに、今は月が龍王に付いておる。月は慈悲深く、しかし力も強大だ。己が妃を龍王に許しておるほど、龍王とは近しい間柄であるらしいしの。我らは、臣下や民が安心して暮らせるように、龍に付いてこの太平を守るべきだと我は思うておる。」
帥明は頷いた。
「本当は、始めこのお話を聞いた時、我では王にお仕え出来ないと思うておりました。ですが、今は心から思いまする。我ら鳥が滅しられらのも、太平を乱して臣下や民をまた戦乱へと巻き込んで行こうとしたからこそであった。今、それが見えて来たのでございます。我は王に付いて、これ以上路頭に迷う神が出ないよう、守って行かねばならないのです。」と帥明は観に頭を下げた。「どうぞ、我をお使いくださいませ。我に出来ることでございましたら、何なりとお申し付けください。これよりは、なんの迷いもなくお仕え致しまする。」
観クックッと笑った。
「なんとのう帥明、主はわざわざそんなことを言う為に参ったのか。正直なことよ。我はとっくに知っておったが、主なら我の考えもそのうちに理解出来ようと思い、放って置いたのよ。」
帥明は、ためらいがちに頷いた。
「わかっており申した。王がご存知であるので、我はお話しせねばと思うたのです。」
観はため息を付いた。
「では、もうすっきりしたの。では、部屋へ帰って休むがよい。我も今日は疲れたわ。」
帥明は立ち上がって頭を下げた。
「はい。遅くにお邪魔をしてしまいました。失礼いたしまする。」
帥明は足取りも軽く出て行った。観は苦笑してそれを見送った…あのように素直であるから、我もあれを拾うことにしたのであるがな。
もう一度月を見上げる観は、自分の宮のこの落ち着いた様子に、まるで夢のようだと思った。ほんの一年前、何かが崖から転がり落ちて来た音を聞いて外へ出て、その時も確かに月は出ていたのに。あの時は臣下達に下賜出来る着物もなく、そしてまた生まれて来る臣下達の子の為に用意せねばならぬ生活の道具などに頭を悩ませていた。近くを通る神を襲って、また品を奪わねばならぬのかと思っていた、あの頃…。
今は皆が己で糸を紡ぎ、布を織り、そして着物を縫うことも出来る。贈られたたくさんの布、糸、染めの用具。宮は広く明るく、臣下の子達の顔色も良くなった。
ここから、観は覚悟して行かねばと思った。臣下達のため、戦って行けねばならない。この状況に甘んじることなく…。




