提案
観は、皆が見渡せる位置の岩場の高い位置に腰掛け、自分は膜から出て辺りの気を探りながら、炎嘉に向き直った。暦がその少し下の岩、帥明に至ってはさらに下の岩に座っていた。観は顔をしかめた。
「何をしておる、帥明。それでは聞こえぬであろうが。」
帥明は叱責されて、慌ててもう少し上まで上がって来た。それでも、観からは遠かった。観は苦笑した。
「主があのようなことを言うから、すっかり萎縮してしまっておるではないか。」と炎嘉を見た。「して、何の話ぞ。」
炎嘉は観を見た。
「観、これはあくまで我の個人的な意見なのだがな、主、ここいらを治めるつもりはないか。」
観は眉をひそめた。
「…個人的な意見としては大きく出たの。」
「冗談ではない。」炎嘉は真面目な顔で言った。「今回、緋月が無事に戻ったことを龍王も皆も驚いている。実際は我がただ優秀であったからなだけであるがの。」とフフンと笑った。観は呆れたように何か言おうとしたが、炎嘉はそれを遮った。「いや、それは置いておいても、我の民だった者まで世話になっておるとあっては、放っては置けぬ。緋月は幸い何も覚えておらぬ。ずっと気を失っておったからの。」
観は無表情で炎嘉を見た。緋月の意識はしっかりしていた…つまり、これは緋月も口裏を合わせるということか。炎嘉は、この部下達の手前、このように言っておるのだ。
炎嘉は続けた。
「主が緋月を殺そうとしたことは、この際不問に付そう。我が居ってはそれも叶わぬのは道理であるし、それに、もしかしたら主の意思でなくとも、臣下達がそのように申せば、主も当主としてそれをせねばならなんだであろうからの。しかし、我が行くまで殺さずに置いたのは主の運よ。殺しておったら、我も心ならずも主らを全て根絶やしにしなければならぬ所であったわ。」
炎嘉は帥明を振り返って、フッと不敵に笑った。帥明は震え上がった。確かに、炎嘉ならば、出来る。それこそほんの一瞬気を込めただけで…。
観は炎嘉を見た。
「それで?主はどうしようと言うのよ。」
炎嘉は頷いた。
「我は龍王に、緋月は保護されたのだと申す。主らが他の下級の神から守っておってくれたため、緋月は死なずに済んだのだとの。それからそのあと、この辺りを守って居った主らへせめてもの礼として、正式にこの辺りの土地を治めることを許すよう進言する。」と炎嘉は相好を崩した。「まあ、あれよ、ここは面倒なので維心も我も放って置いた場所であるのよ。主がここを公に治めてくれるのならば、ここに宮を建設し、そして王としてここを守って行くことを我らも認めたいと思うておる。というか、おそらく我が維心を説得することになるのだろうが。交渉ごとは我に任せよ。」
観は考え込んで、視線を暦に向けた。暦は観を見る。
「…兄上。我も、あのままではまずいと思い始めていた所でございまする。」と眼下に膜に包まれる、部下や臣下達を見降ろした。「敗残兵などを拾って面倒を見ているうちに、このような数になってしもうた。これらを養うために夜盗のようなことまでせねばならなかった。もしも、炎嘉殿の言う通り宮を作れば、龍からの援助も受けられまする。何より、龍には恩を売っておいたほうがよろしいですぞ。もう、隠して養って行くには臣下の数が多過ぎるのでございます。」
観は頷いた。確かにそうだ。あの屋敷は小さく見えて、実は地下へとずっと潜って部屋を作ってある。日の下を歩かせてやることも出来ぬ上、外出もままならなかった…ここらには龍の軍神が来ず、いろんな神がうろついているからだ。面倒なので放って置いたが、そろそろ限界だ。
「炎嘉殿。その話、受け申そう。しかし我らは身を隠す。龍王がどのような反応をするかわからぬからだ。主ならば帥明の気を辿って我らを探せるであろう。」
炎嘉は頷いた。
「わかった。臣下達には、主らより話しておけ。中のことまで我らは関知せぬぞ。我らに滅ぼされた宮の者も多いであろうからな…反対もあろうて。こっちはこっちで話を通して来る。ではな。」
炎嘉は飛び立って行った。観はそれを見送りながら、自分も膜の中へ入った。
炎嘉の言う通り、これから龍の傘下に入るに等しいことになることを、皆に納得させねばならぬ。観は岩場を降りて、下で待つ臣下の方へと歩いて行った。
空が白んで来た頃、維月は急いで維心の元に戻った。こんな風に精神的に参る様なことがあった後で傍を離れていると、維心は機嫌が悪くなってしまう。なので、部屋で静かに維心が寝息を立てているのを見た時にはホッとした。
維月が起こさないようにとソッと維心の横に滑り込むと、維心は急にグッと維月を抱き寄せた。
「…遅かったではないか。」
拗ねたような声だ。維月は困ったように微笑むと、維心を撫でた。
「お待たせして申し訳ございませぬ。でも、お約束通り明け方でございますわよ?」
「…別にもう少し早ようても我はよかったのに。」と、維心は維月の首筋に顔を埋めた。「待ち兼ねておったぞ…我こそ主が必要であるのに。子のことばかりにかまけおって。乳母に任せよ。」
維心が維月に口付けていると、ふいに侍女の声がした。
「王。」
維心は聞こえているが、答えない。もう一度声がした。
「王…軍より、炎嘉様が此度の事をご報告にと戻られた旨、伝えて参りました。義心様と炎嘉様がこちらへ向かわれます。」
維心は唇を離して、ため息を付いた。
「…一刻待てぬのか。」
侍女はその不機嫌な声に、萎縮したような声で答えた。
「それが、もうそこまで来られて…」
「維心!居るか!」
居間から炎嘉の声がする。維心は舌打ちをした。
「なぜに我の邪魔ばかりするのよ。」そして、侍女の方に言った。「すぐ参る。待たせよ。」
侍女の気配は去り、維心は維月を見た。
「それ見よ、早よう帰らぬからこうなってしもうたではないか。」と維月に口付けた。「ここで待て。すぐに戻る。」
維心は自分だけ寝台を降りると、袿を羽織って居間へと出た。
居間では、炎嘉と義心が待っていた。炎嘉は維心を見るなり言った。
「お、不機嫌ではないか。我はあれから眠らず働いておったのだぞ。主だけ維月とベタベタと許せぬわ。少しは我慢も覚えるが良いぞ。」
維心はますます不機嫌な顔をした。
「あのな炎嘉。主は我の臣下ぞ。少しは働くが良いわ。一度死んで楽をしておったくせに。維月は我の特権ぞ。」と椅子を示した。「で?報告であろう?早ようせぬか。」
イライラとする維心を見て、炎嘉はため息を付いた。
「まず、緋月のことであるが。」
炎嘉は話し始めた。そこへ、将維が維心と同じような格好で駆け込んで来た。
「報告と?我も聞きまする。」
維心はそれを見て面倒そうに頷いた。
「座れ。今始めたばかりよ。」と炎嘉を促した。「続けよ。」
炎嘉は将維が座るのを待って、続けた。
「我があれを見つけたのは、全くの偶然であったのだ。膜の中でも鳥族の周波は読み取れるのを、主も知っておるだろう?あれで、もしかしたらと探っておったら、鳥の生き残りが居る膜に包まれた屋敷を見つけた。そこで、我が名乗って入って行くと、緋月が手当されて寝かされておったと言う訳よ。そこで礼もそこそこに緋月を連れて急ぎ帰ったゆえ、戻って礼を言うついでにあれらがどんな種族であるのか、聞いて参ろうと思ったのだが。」
維心は頷いた。知っていることだ。しかし、炎嘉の作り話ではあるが。
「緋月が主の娘と知っておったようであるがな。斜面から転がり落ちて倒れていた娘を助けたら、その娘は自分を龍の宮の緋月だと言って気を失った。しかしあれらはあの辺りの治安を守って、自分たちの身を守って隠れて生きておった者達。どうやって帰そうかと悩んでいたところへ、我が行ったという訳よ。我に渡したのは良いが、龍王は音に聞こえる残虐な王。もしかしたらさらったと言われて皆殺しにされるかもしれぬと、あれらは昨夜のうちにそこを引き払って逃げておったのだ。不憫ではないか…ただ落ちていた緋月を拾って助けて保護していたばっかりに。」
維心は眉を寄せた。まあ確かにそうだ。我に知れたら皆殺しと、そう思うように我が振舞って来た。そうせねば我を怖がってはくれぬし、そうならねば治安は維持出来ぬからだ。維心は促した。
「それで?主はあれらを追ったのであろう。」
炎嘉は頷いた。
「同じように周波を読んでの。あれらの王に会って参ったが、それは獅子族の王族の生き残り、観であった。やつは、緋月を主の娘と知っておって殺さなんだのだ。」
義心が横で固唾を飲んだ。軍神であれば、それがどういうことかわかるのだろう。
「…それで、やつらはこれからどうするつもりでおる?」
炎嘉は暗い顔をした。
「また、どこかに潜む場所を見つけると言っておった。だがの、あれの一族はかなりの数ぞ。観が王になってこの数百年、傍に居った者達を統率し、治安を維持させ、行き場のない敗残兵を受け入れて保護し、世話をしておったら、ざっと見ただけでも三百人ほどは居ったの。養うために盗賊のようなこともせねばならなかったようであった。着ておる物も粗末であったしな。あれではそう簡単に潜む場所も見つからぬであろうて。」と炎嘉は、身を乗り出した。「維心よ、我は思うのだが、あの辺りを正式にあれらに統治させたらどうだ?さすれば観が結界も張り、誰の領地かはっきりするため責任も生じ治安は維持される。我も主も面倒だからと長年放って置いたゆえ、このようなことになっておるのであろうが…そろそろ手を付けねばならぬぞ。将維の代まであれを放置するつもりか。」
維心は眉をひそめて考え込んだ。確かにあそこまで手を出すと、自分の領地からさらに向こうへと広がり、従える種族も増え、とても龍族だけでは治め切れぬと思ったので、手を付けずに置いた場所だった。だが、観が収めてくれれば、その範囲は観が見る。こちらは何かあった時に手を貸せば良いだけだ。
維心は顔を上げた。
「…一度、観に会ってみたい。ここへ呼べ。」
炎嘉は頷いた。
「主は、我の提案をどう思うのだ。」
「良いことだと思う。」維心は言った。「気がかりであったのは確かよ。だが龍族の数は限られておるし、今は月の宮の方にも人員を割いている。あれは維月の里であるし、減らしたくないしの。西と南の砦にも軍は駐屯させておるゆえ、龍の軍神の絶対数が足りぬのだ。これ以上手を広げとうなかったのが正直なところよ。」維心はため息を付いた。「軍神達の婚期が遅れるのは、忙しいゆえぞ。そして子も出来ぬから軍神も増えぬ。悪循環ぞ。義心、主も早よう子を作らねば、もう400歳になるのではないのか。主は筆頭軍神ぞ。我と同じように、子を成すのは責務と思うが良いぞ。」
義心は目を伏せて、頭を下げた。
「は…。」
炎嘉はフンと鼻を鳴らした。
「己が子を山ほど成したからと今更に年寄のような説教を。」炎嘉は立ち上がった。「では、我と義心に一年ずつ維月を貸し出せばよいわ。すぐに子は出来ようぞ。主が月とそのように約して子を成したようにの。」
維心はグッと黙った。炎嘉は続けて言った。
「では、観にそのように伝える。ここへ上がるのなら、恥ずかしくない着物を下賜するが良いな。」
維心は小さく頷いた。炎嘉は不機嫌に居間を出て行った。それを見送って、維心は義心に言った。
「…今の話を記録せよ。それから、隊を西結界外へやって、宮を作れそうな地形を探させよ。主はその指示の後休むがよい。」と、今度は将維を見た。「将維、結界外の詳細な地図を作らせよ。蒼の所へ行って、衛星写真とやらでもよいわ。急がせよ。」
二人は、それを聞いて頭を下げた。そして立ち上がって、出て行った。
維心がため息を付いて奥の間へ戻ると、維月がすやすやと寝息を立てて眠っていた。その姿にホッとした維心は、維月の横の自分が寝ていた所へ戻り、維月を抱き締めた。維月はびっくりして目を開けた。
「維心様…?お戻りですか?」
維心は頷いた。
「やっと終わった。しばしの休息ぞ。」と維月に唇を寄せた。「待たせたの。」
維月は微笑んでそれを受けた。維心は緋月の失踪からこっち、やっとホッとした時間を過ごせた。




