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鉄砲玉(ワンス・ヒー・ゴーズ)〜人生に絶望した人々が征く、成り上がり冒険譚〜  作者: ?がらくた


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序章 行ってしまえば戻れない場所へ

かつて黒いダイヤと呼ばれた石炭で栄華を誇ったその一帯は、いまや地図の上でさえ色褪せた存在と化していた。

F県に広がるC炭田―――六市四群をまたぐ広大な土地の中心に、まるで時間から切り離されたように取り残された長屋の炭住街。

低く連なる木造の建物はどれも無個性に同じ形をしており、窓は割れ、雨戸は半ば外れかけ、風が吹くたびにギシ、ギシ……と鈍い悲鳴にも似た音を立てた。

かつて家族の笑い声や夕餉の匂いが満ちていたはずの通りには、今は湿った土と腐朽した木材の臭気が淀み、肺の奥にまで絡みつく。

街は1度、確かに死に絶えたはずだった。

当時の首相が汚職で有罪判決を受けたというニュースが世間を騒がせていた頃―――日本の復興を陰で支えた炭鉱が閉山し、炭住街もまた歴史の裏へと押しやられて。

だがその街に終わりは訪れなかったのだ。

いつしか誰も立ち入らなくなったその土地は、人の知らない何かへと変質した。

昼間でさえ光は薄く濁り、まるで空そのものが煤を含んでいるかのように黒く染まる。

地面のあちこちにひび割れたアスファルトの隙間から黒ずんだ霧がゆらゆらと立ち上る。

耳を澄ませば遠くで何かが蠢くような、あるいは巨大な肺が呼吸するような、規則的で不気味な振動が伝わってきた。

まるで地底の底の得体の知れない怪物が、今も息を荒げて獲物を待ち構えるかのごとく。

―――異界の迷宮―――誰がそう呼び始めたのかは知られてはいない。

ただその形容はあまりにも正確で、誰も否定しなかった。

現実の延長線にありながら、決して同じ法則では動いていない場所だ。




2026年4月某日。

春とは名ばかりの冷気が、夜の空気に鋭く残る深夜。

黒髪に白髪が混じる中年男性サトウはその炭住街の住宅の一角で、背を丸めるようにして立っていた。

吐く息が白く霞む。

指先は冷えきり、ポケットに突っ込んだままでも震えが止まらない。

それが寒さのせいだけではないことを、彼自身がよく理解している。


(……俺の人生、これで終わりかもしれねぇな)


胸の奥に浮かんだ言葉は切迫した状況とは思えぬほど、やけに平坦だった。

恐怖というより人生そのものへの疲労に近い、長い時間をかけて削り取られ磨耗した感情の残り滓。

サトウか視線を落とすと地面の隙間に溜まった水溜まりが、ぼんやりと歪んだ自分の顔を映し出す。

ずいぶん老けたな、と他人事のように思っていた。

実年齢よりも上に見える顔で頬はこけ、目の下には深い隈が刻まれる、老爺と見間違えてもおかしくない姿。

就職難、地方経済の衰退、老いた親の介護にかかる費用。

頭の中で並べ立てても、どれもありふれた言葉だ。

ニュースでも、ネットでも、何度も見聞きした。

だが、それが自分の生活として降りかかってきた瞬間、それらはただの言葉ではなくなった。

請求書の額面、口座残高、延滞の通知、自分を追い詰める数字になった。

借用書に同意するペンの字が走る浮遊感は今も忘れない。

その金を借りた責任の重さを当時は実感できなかった。

ほんの少し足りない分を補うため、1度だけ乗り切ればいいと。

だが足りないものは1度では終わらなかった。

利息が利息を呼び、支払いが支払いを呼び、気がつけば数字は現実味を失うほどに際限なく膨れ上がっている。

画面の中の桁数が、どこか他人事のように見えていた。

だが引き落とされるのは紛れもなく自分の口座だ。

もう自分の人生に逃げ場はなかった。


(クソ、俺は馬鹿だ……)


脳裏に浮かぶ過去の後悔を、サトウは首を振って追い払う。

あの時金を借りていなくとも、別の何かに追い詰められ、依存していただけだ。

背後で誰かが咳き込んで振り返ると、自分と同じように集められた債務者が、壁にもたれるように並ばされていた。

年齢も境遇も違うはずだが、全員の顔に共通している行き場のなさは、同類のサトウには手に取るようにわかる。

この場所に集められた理由を、知らない者はいないだろう。

借金を返せず、社会からはじき出され、使い潰されるための人間。

サトウが乾いた唇を舐めると鉄錆の味が、舌に広がった。

視線を周囲へ巡らせれば闇に溶けるかのように立つ、スーツ姿の見張りの影。

この状況に逃げ道などない。

仮にこの場を抜け出せたとしても、金という悪魔に死ぬまで追われるだけだ。

胸の奥で何かが、ゆっくりと沈んでいく。

諦めと呼ぶにはまだ抵抗が残っていた。

だが希望と呼べるほどの輝きはない。

そんな中途半端な感情を抱えたまま、サトウはただ夜の底に沈む炭住街を見つめ続ける。




ヤクザに案内されて長屋の一室に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。

外の湿った冷気とは違う、閉じ込められた埃と油の臭気。

鼻腔の奥にこびりつく匂いに、サトウは顔をしかめて進んでいく。

部屋の中心には魔石の動力で作動するランタンの仄明かりが、不安定に明滅していた。

炎が揺れるたびに立ち並ぶ人影が歪んで、まるで別の何かが闇に蠢くようだった。

その中心には白スーツの若頭がいた。

歳は三十前後だろう。

無駄のない引き締まった体で、壁にもたれかかるように立ちながら細めた目でこちらを見下ろす。

視線に感情の起伏はなく、ただ債務者を値踏みする冷徹な光が宿っていた。

彼の足元の大型の収納ボックスには、何かが無造作に積まれていた。

舎弟が持ち運んだ際に金属の擦れる音がしたそれを、若頭は足先で蹴って床へと広げる。


「おら、ありがたく拾え」


床に散乱したものに視線を落とす。

するとそこにあったのは―――錆びついたツルハシ、刃こぼれした鉈、柄の割れたハンマー―――そしていくつかの皮衣など、あまりにもボロボロな道具だった。

どれもこれも現代の武器とはかけ離れていた。

むしろC炭田でかつて使われていたであろう道具を、ただ寄せ集めた残骸。


「……こんなもので何を」


思わず漏れた声は自分でも驚くほど掠れていた。

若頭の視線がゆっくりとサトウに向き、一瞬空気が張り詰める。


「あん、なんだテメー。不服なのか?」


低く抑えた声だが有無を言わさぬ圧力に、サトウは生唾を飲み込む。


「……いや、つい」


否定の言葉を口にしながらも心の奥では別の声が渦巻いた。


(……まさかこれが武器?)


頭の中で想像する、最悪の光景。

地下に潜む魔物は人間の四肢など容易く引き裂く存在だ。

そんな化生に対して与えられたのは錆びた鉄屑。

勝てるはずがない、

そう結論づけるのは簡単だった。


「これを持って地の底の魔物どもを仕留めろ」


若頭が言葉を継いだ。

その声音には一切の迷いがなく、その顔はまるで死地とわかっていながら前線に兵士を送り出す軍人の幹部を思わせた。


「ありったけの魔石を収集してこい。それがお前らゴミどもにできる、唯一の社会貢献だ」


ゴミという単語が、心にずしりと響く。

サトウの指先がツルハシの柄に触れると、ざらついた木の感触は妙に皮膚に馴染んだ。


(……ゴミか)


否定したかった思考が途中で止まってしまう。

これまでの人生を振り返れば、反論する材料はほとんど見当たらなかった。

世間からは役立たずと扱われ、低賃金労働者という替えのきく存在。

失敗ばかりの積み重ねで、成功という名の光を得られたことなど片手で数えるくらいだ。


(……ライフル、あれなら俺は輝けるのに)


ありもしない武器に思いを馳せ、サトウは手当たり次第に辺りを物色した。

生存の確率を高める何かを……そんな折、薄汚れた動物の毛皮に目が止まる。

魔物は地上の動物に似た性質を持つのなら……誰も手に取らないそれを身につけると、サトウはテキパキと準備をこなした。

いつからか日本の地方のあちこちの異界化した地域から、魔石と呼ばれる結晶体が採掘できるようになった。

それは魔物を屠ると得られるエネルギー源で、異界の採掘場を掘ると入手できる物質は絵空事だった魔術を実現させ、さらには発電などに利用可能な万能資源。

しかしながら死と隣り合わせの異界の迷宮に、好き好んでいくものなどいるはずもなく。

黒いダイヤに熱狂した過去は今と何ら変わりない。

美辞麗句で自らの生命を代償に捧げるよう強制された弱者と、弱者の足元を見て上前をはねる強者がいるだけだ。

そして彼らは平然と立場の低い者に向かって、こう命令するのだ。

行ってしまえばもう戻れない場所へいってこい、と。

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