↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Light Years  作者: 塚原春海
残光
PR
94/187

シグネチャー

 演奏指導で少し時間が押してしまったので、1年生を先に帰すと、ミチル達も片付けをして部室を出た。外はもう暗い。

「私、失礼なこと言ったかな、あの平田って人に」

 やや後悔の表情で、ミチルはドアを閉じた。他のメンバーも同じなのか、無言だった。


「結局、あのオッサンってどういう人間だったんだ」

 ジュナが駅に向かう途中、契約のことで来校したグロリアス・レコードの芸能プロデューサー、平田という人物について呟いた。

「まあ、業界の人っぽい嫌らしさみたいなのはあったけど、根っから悪い人という感じもしなかったんだよな。少なくとも、夏に会った豊国エンターテインメントのクソオヤジよりは」

 メンバー全員、その感想に異論はなかった。本来は音楽が好きな人だが、会社の方針に逆らえず、長いこと仕事をするうちに自分を見失ってしまったような印象をミチルは受けた。

「…竹内顧問がね。大人になると、生活のために自分を曲げなきゃいけなくなる事もある、そういう人がたくさんいる事も理解しろ、って」

 ミチルは、竹内先生から言われた事をそのまま伝えた。メンバーは黙り込んでしまう。自分を曲げずに好きな事をやって生きて行くのは、悪い事ではないかも知れないが、なんとなく後ろめたさも想像はできる。

 だが、マーコはそれに関して何の疑問も持っていないようだった。

「そんなの、考えたって仕方ないじゃん。その人の人生ってもんがあるんだから」

 突き放したと言えばそうだが、マーコはそう言ってのけた。

「そりゃあひょっとしたら、あのオッサンにも何か若い頃の夢があったのかも知れないよ。夏に海で会った、漫画家志望のオッサンみたいにさ」

 それは、ミチル達が海を見に出かけた時に遭遇した、漫画家の夢が叶わないことに絶望して海に投身しようとしていた、59歳の自営業男性の事だった。サトルが最終的には強引に押さえつけて事なきを得たが、警察に連れて行かれた後の事はメンバーは知らない。

「理解する事も、同情もできるよ。あたしらだって、オバサンになった時に同じ事になってるかも知れないわけだし。けど、あたしら自身がその同情心に囚われて、動けなくなるわけにはいかないよ。あたしらには、あたしらの活動があるんだ」

 普段あまり主張しないマーコが、ここまでハッキリと考えを口にした事で、ミチル達は少しだけ驚きつつも、その考えに同意した。

「そうだね。竹内顧問が、大人の事も理解してやれ、って言った事は尊重してもいい。けれどそれを、私達自身が歩みを止める言い訳にしちゃいけない。マーコの言う通りだ」

 ミチルは、手に提げたアルトサックスのハードケースを見た。ステージを共にしてきた戦友だ。

 世の中、あるいは他者の考えや気持ちに意志を左右されていては、自分の道など進めない。振り切る以外にない。それ以外に、何ができるだろう。同情や共感で自分を殺すのは、自分自身への冒涜だ。

 

 そのあとマーコがいなくなり、4人で駅のホームにいた時だった。正面方向でヒソヒソ話をしていた、チェック柄の赤いスカートの制服を着た女の子2人が、ミチル達の顔を見ながら恐る恐る近付いてきた。

「あっ、あの」

「はい?」

「ライトイヤーズの皆さんですよね」

 ミチル達は一瞬、誰の事だろうと考えて、自分たちのバンド名である事にようやく気がついた。

「あっ、はい。そうですけど」

「お前いま、自分のバンド名忘れてただろ」

 ジュナのツッコミに、ミチルは反論できなかった。すると女の子達は、絵に描いたように感激した様子で両手を合わせた。

「やっぱり!」

「あのっ、この間のチャリティーコンサートの演奏聴きました!」

「カッコ良かったです!サブスクも聴いてます!」

 2人とも同じように切り揃えたロングヘアで区別がつかない。ミチルは困惑しつつ、いちおう笑顔を向けた。

「あっ、ありがとうございます」

「あのっ、握手していただけますか」

「えっ?」

 ミチルは動揺して、メンバーを振り返った。3人はニヤニヤ笑っている。おい。

「あっ、はい。握手ぐらいなら」

「そうじゃねーだろ!」

 見かねたジュナが進み出て、握手の手本を見せてくれた。爽やかな笑顔で、スムーズに右手を差し出す。

「応援ありがとね」

「はっ、はい!」

 ジュナが差し出した手を、左側にいた女の子が両手でがっしりと握ってきた。それに倣ってミチルが右の女の子に手を差し出すと、同じように手を握る。細くて柔らかい手だ。

「ありがとうございます!」

「あっ、はい、どうも」

 いまいち締まらないのは自分でもわかっている。だが、こういう経験はほとんどないので、とっさに自然な反応ができない。

「活動、頑張ってください!」

 何の含みもない、キラキラした目だ。2人の少女は可愛らしくお辞儀をして、何度も振り返りながら駅を出て行った。ミチルは、ジュナに細い目を向ける。

「女の子の扱いに慣れていらっしゃいますこと」

「お前な、ファンサービスくらい身につけとけよ。じわじわと知名度は上がってるんだぞ。同年代の女の子のファンが増えれば、バンドの追い風になるだろ」

 女の子のファン。それは、ミチルも考えた事がない。フュージョンといえば、それこそミチルの叔父さんみたいな音楽好きの人ばかりイメージしていた。同年代、つまり10代半ばの女の子に、はたしてフュージョンは受けるのか。そのあと自宅に帰るまで、ミチルはファンサービスというものについて考え込んだのだった。


『そっか。わかった。あんた達がそう決めたんなら、それでいいんじゃないの』

 その夜、グロリアス・レコードの人と会った件について、ミチルの報告を電話で受けたユメ先輩は、相変わらず簡潔に答えた。

『ま、あまり思い悩まない事だね。インディーレーベルだからって、格が違うって事じゃないんだから。そもそも日本と欧米じゃ、インディーの考え方が違うからね。今に、ドーンと大きな話が舞い込むかもよ』

「モントルージャズフェスティバル出演とか?」

『あははは!それは大きいわ』

 スマホの向こうでユメ先輩が笑う。おかげでミチルは肩の力が抜けた。

「まあ、ひとまず今はリラックスしようと思ってます。明後日は弟の文化祭もあるし」

『あー、話に聞いてた弟くんのバンドか。上手くなったんだって?』

「その成果をジュナと一緒に見てきます」

『サングラスして行かないと、ライトイヤーズのサックスとギターだってバレるかもよ。あんた達、もう有名人の世界に爪先突っ込んでるんだからね。自覚ないかも知れないけど』

 ミチルはギクリとした。ついさっき、ファンサービスについて考えていた直後である。それを知らないユメ先輩は、読心術でも用いたかのように指摘してきた。

『握手の仕方とか、サインの書き方とか。冗談抜きで、考えといてもいいかもね。それじゃ、またストレスで耳がおかしくならないように、早く寝るんだよ。じゃね、おやすみ』

 そう言うと、さっさと先輩は通話を切った。ミチルは再び、ファンサービスについて考える。

「…サインか」

 そんなもの、考えた事もない。机の上にあったA4の封筒に、サインペンで試しにそれっぽく「ミチル」とか「みちる」とか書いてみる。

「……」

 何度か日本語で書いたあと、そういえば自分達はアメリカのインディーレーベルに所属してるんだと思い出して、こんどはアルファベットの筆記体で”Michiru”と書いてみた。だが、これは本当に単なる”サイン”である。

「カッコいい字体」

 ミチルはパソコンに開いていた作曲ソフトを最小化させて、ブラウザーで”サイン 練習”などとサーチしてみた。すると、フリマサイトに出品されている、本人のものかどうか怪しいサイン色紙が大量に出て来た。

「今知りたいのはそういう情報じゃないんだ」

 いまいち空気を読まない検索エンジンに文句を言いながら、いろんなアイドル、俳優、声優などのサインを参考に、いらない紙を引っ張り出しては書いてみる。”M”を大きくしてみたり試行錯誤した結果、頭と手が疲れてテレビに逃げた。

 だが、ミチルはテレビの電源を入れて驚いた。

「なに!?」

 それは音楽番組だった。なんと、例のアイドルフュージョングループが番組に出ている。PVのチアリーダーみたいな衣装で。

『はいっ、私たちみんなフュージョン好きなんですよ!』

『若いのに、変わってるとか言われないの?』

 司会のおじさんが訊ねると、リーダーだというサックスの少女が困ったように頭を縦に振る。

『言われます。変わってるね、って』

『どう返すの?』

『ほっといてください、って』

 ここでスタジオに笑いが起こる。ミチルはその様子を、鼻白んで見ていた。もう、ライトイヤーズの模倣バンドである事など完全に開き直っている。やがて出番が来て、”COSMICATION”の5人はPVが40万再生を超えたというファーストシングルを演奏した。相変わらず演奏はひどい。サックスは抑揚もニュアンスもないし、ギターはソロになるとテンポがずれる。5人の中で一番上手いのはキーボードで、マヤよりは数段劣るが一応演奏にはなっている。全体としてはやはり、中学校の学芸会レベルだ。

 だが、画面だけ見ている分にはたしかに可愛い。ちゃんとアイドルになっている。ドラムスとキーボード以外はちょっとしたダンスも披露していて、そのたびに演奏がさらに崩れるのだが、顔とコスチュームの可愛さで誤魔化される。ミチルは、演奏のひどさが聴くに堪えず、テレビの電源を切ってしまった。


 ミチルは考える。演奏はひどいが、とにかく彼女たちはすでに注目されている。大手レーベルの広告戦略もあり、少なくとも表面的な知名度は、ザ・ライトイヤーズを上回っているだろう。一方でミチル達はといえば、さてこの先どうするか、などと考えている有り様だ。自分達でやると決めた以上、それは全て自分達の責任である。

 ミチル達は独創性とクオリティーで勝負すると決めたグループだ。アイドルになるつもりはない。だが、こうして”ガールズフュージョンバンド”というジャンルを露骨に打ち出されると、複雑な気持ちになる。結局、世の中は表面的な可愛らしさしか求めていないのか。演奏レベルや楽曲のクオリティーを追及するのは、無意味な事なのか。そんなことを考えていると、ドアをノックする音がした。

「姉ちゃん、可愛い弟だけど入っていいか」

「修飾語を外すなら入っていい」

 ほどなくしてドアを開けたハルトが、部屋に散乱しているサインの練習の山にドン引きしていた。

「なに!?誰か呪おうとしてんの!?」

「どっちかっていうと、自分の表現力のなさを呪ってる」

 ミチルは、面白味のかけらもないサインを睨んだ。

「なんか用?」

「うん、あのさ。明後日、うちらの文化祭に来るだろ。ジュナさんと」

「行くよ、もちろん」

 すると、ハルトはいきなり平伏して手をついた。

「上様にお願いがござりまする」

「申してみよ」

「上様と握手してツーショット写真を撮りたい、と申しておる女子がござっておじゃる」

 だいぶ意味不明の言語ではあるが、ミチルはだいたい事情を察して訊ね返した。

「ふーん。ひょっとして、あんたの好きな子?」

 その問いに、ハルトは一瞬全身を強張らせて、額をカーペットに擦り付けて否定した。

「滅相もごじゃりませぬ!」

「図星だ」

 鬼の首でも取ったように、ミチルは仁王立ちしてみせた。

「へー。何年生?」

「さっ…3年生」

「へー、年上か!なるほど、あんた年上が好きなんだ。なるほど、私を利用してその子とお近づきになれるチャンスを探ってるわけだな」

 みるみるハルトの顔が赤くなっていくのを、姉はこれ以上面白い事はない、という顔で眺めていた。ここまでくるとハルトもさすがにキレる。

「俺の事はどうでもいいだろ!会ってくれんの!?」

「いいわよ。ハルトをよろしくお願いしますー、って言えばいいんでしょ」

「んな事頼んでないだろ!」

「わかったわよ、会ってあげる。私たちの曲、聴いてくれてる子?」

 すると、ハルトの答えはミチルが予想していないものだった。

「ステファニー・カールソンのライブに行ったんだって、その先輩」

「え?」

「ライブの前座に出た、姉ちゃん達の演奏聴いてたってことだよ」

 それは、ミチルにとって初めて味わう感覚だった。今まで、あのオープニングアクトを実際に聴いた、という人間は、身の回りでは同じフュージョン部のショータ先輩と、カリナ先輩だけだったからだ。2人はライブのあと、良かったよ、お疲れ様というメッセージを送ってくれた。

 自分達を模倣したグループが一定の人気を獲得しつつある中で、自分達の音楽を聴いてくれている人もいるんだな、と思うと、ファンサービスの意味がようやくわかった気がする。

「ふーん、そっか。サインの練習頑張ってみるかな」

「サインの練習してたのかよ。でもそれサインっていうか、ただの筆記体じゃないの?」

「難しいんだぞ!お前も書いてみろ!」

 今度はミチルがキレる。明後日、もしその子からサインを求められたら、まともに書けるだろうか。ミチルもステファニーのサインを持っているが、お洒落で、無駄がなく、しかもきちんと読める、完璧なシグネチャーである。ハルトが部屋を出たあと、貴重品であるサインが書かれたCDケースを見て、こんな風にサインを書けるようになってみたい、と思うのだった。


 その夜、クレハはレーベルの担当、サマンサ・クラックソン氏から一通のメールを受け取った。サブスクの収益か何かの連絡だろうか、と思いながら読み進めると、飲んでいたホットミルクを盛大に吹き出した。ここで慌てず、落ち着いて、優雅に拭き取るのがクレハである。

 落ち着いてその文面を読み返し、クレハはステファニー・カールソンのオープニングアクトのオファー以来の緊張が、背中に走るのを感じた。


 ミチルがEWIにヘッドホンをつないで作曲をしていると、スマホに通話の着信があるのに気付いた。クレハからだ。慌ててヘッドホンを外し、画面をスワイプする。

「もしもーし」

『ミチル、夜分遅くごめんなさい。お電話、大丈夫?』

「相変わらず丁寧ですこと。いいよ、どうしたの?」

『落ち着いて聞いてちょうだい』

 その一言で、ミチルは背筋を伸ばした。夏以来、何度か感じている緊張だ。

「…いいよ、どうぞ」

『さっき、レーベルの担当者からメールがあってね。あるライブに出演して欲しい、って』

「ライブ?」

『ええ』

 クレハは、ひと呼吸置いてそのライブのタイトルを言った。

『パシフィックオーシャン・ジャズフェスティバル』

 その単語に、ミチルは難聴が再発したのかと思って、訊き返した。

「…なんて?」

『パシフィックオーシャン・ジャズフェスティバル』

 クレハは、聴き取れるようにゆっくりと言ってくれた。

 パシフィックオーシャン・ジャズフェスティバル。それはタイトルのとおり、環太平洋の国々で活動するミュージシャンが参加する、ジャズフェスのひとつである。モントルージャズフェスティバルなどの、いわゆる三大ジャズフェスといった大イベントの権威には及ばないが、逆にそっちに出演しなかった大物グループが参加する事もある。基本的に環太平洋の国が持ち回りで開催するのだが、今年は日本の茨城県ひたちなか市、国営ひたち海浜公園で開催される事になっていた。昨年はオーストラリア、メルボルンで開催されている。

「ちょっと待って。パシフィックオーシャンって、もうすぐじゃなかった?」

『そう。来週土曜日、11月4日』

「どういうこと!?なんで私達に―――」

『落ち着いて、ミチル。以前にも、これに似た出来事があったでしょう』

 クレハの言葉で、ミチルはすぐに思い出した。そう、それは8月頭の、市民音楽祭での出来事だ。あのとき、ミチルたちは急病で出演できなくなった木吉レミというジャズシンガーの代わりに、イベントのトリを務めたのだった。

「…出演予定の誰かが出られなくなった」

『正解。コスタリカの年配のジャズグループが、リーダーが急病で長期入院になってしまって、当面の活動を見合わせているの』

「それで私達がピンチヒッターってこと?」

『ええ。この間のチャリティーコンサート、あの演奏が好評だったことも影響しているようね』

 ミチルは、わずかに身体が震えるのを感じた。あまりにも舞台が大きすぎる。おそらく観客は10万人規模だ。

「…出演時間は?」

『30分。もし出演するのであれば、夕方4時半ごろになるわ』

 長い。もちろん、自分達には30分やれるだけのオリジナル曲がある。だが、今までオリジナルだけでやったステージは20分が最長だ。突然、予想もしていない大イベントへのオファーに、ミチルは狼狽えていた。

「他のみんなには伝えたの」

『ひとまず、その日は予定を入れないでおいて、って伝えてあるわ。後は、リーダーであるあなたの決定次第』

 クレハはこういう時、迷わずミチルに任せてくる。今までもこんな瞬間はあった。こんな時、レーベル側が全部決めてくれるなら、ある意味悩む必要はない。だが、ミチル達は自分で決めなくてはならない。曲も、衣装も、何もかも。自由であるということは、全て自分で選択し、決定しなくてはならない、という事である。

 クレハは黙って、ミチルの返事を待っていた。ミチルは焦る。返事は早く返さなくてはならない。どうしてこうも自分達のバンドは、突然の決断を迫られるのだろう。神様の悪戯だとすれば、タチが悪すぎる。ミチルは、若干キレ気味にクレハに伝えた。

「わかった。私たちは出演するって、みんなに伝えてちょうだい」

 このときミチルは、ジャズフェスのすぐ後に、小さな街角ライブがある事を完全に忘れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。