Humans Being
ユメ先輩たちのバンドが、イギリスのレーベルと契約するかも知れない。それはミチルにとって嬉しいと同時に、驚きと不安を伴う報せだった。
「まだ決定したわけじゃないのよ。色々、バンドメンバーみんなで考えなきゃいけない事でもあるし」
先輩が言うには、やはりメンバーの進路がすでに、ほぼ決まっている事が問題なのだそうだ。ソウヘイ先輩とユメ先輩は地元の同じ理系大学に行く予定なのだが、ジュンイチ先輩は静岡。ショータ先輩とカリナ先輩は、仲良く神奈川の同じ大学に行く予定である。
「距離的な問題で言えば、集まれない距離ではない。ただ、やっぱり活動する時間は限られてくるよね」
バンドがブレイクして、大学など通っている場合ではない、というなら話は別だが、残念ながらそうではない、と先輩は言う。
「ある意味では、あんた達と似たような状況だけどね。でも私達の場合は、地味に配信音源の再生数が伸びてる、ってだけだから、まだバンドとしての立ち位置が確立したわけじゃない」
「…なるほど」
「まあ、まだ曖昧な状況だから、何とも言えないんだわ。だから、ある程度話がまとまるまで、あんた達には言わないでおこう、ってなってたんだけど」
それでも、ひょっとしたら卒業してもバンドを続けられるかも知れない、という希望が見えてきた、ということだ。社会人として、レーベルと契約している人達だっている。色々とハードルはあるにしても。
するとユメ先輩は突然、ミチルに向き直った。
「ミチル。私達自身の事もそうだけど。先輩として、あなた達に提案したい事がある」
「え?」
先輩はしごく真面目な顔だったため、ミチルは身構えた。一体なんだろう。先輩は言った。
「あなた達、音楽理論を勉強する気はある?」
ミチルは放課後部室に向かう途中、ユメ先輩からの提案について考えていた。先輩は、ザ・ライトイヤーズの全員が、短期でもいいから音楽の基礎を学ぶべきではないか、と提案してきたのだ。センスだけに頼った創作には限界が訪れる。今後活動範囲が広がった時に、生み出せる楽曲が頭打ちになる可能性を危惧しての提案だった。
それは、ミチル達がプロとして長く活動するための助言だった。もちろん選択はミチル達に委ねられているから、強制はしない、とも言われた。
だが、まずミチルはメンバーに伝えなくてはならない事がある。
「グロリアス・レコードか」
ジュナは相変わらず、レスポールを抱えて座っている。現在、この第一部室には2年生、つまりザ・ライトイヤーズのメンバーしかいない。1年生は申し訳ないが、話が終わるまで第二部室で待機してもらった。
「契約しないか、って事だな」
「たぶんね」
「どうするんだ、リーダー」
ジュナのこの常套句は、話しを進めるためのドアのノックみたいなものだと、ミチルはようやく理解してきた。
「うん。とにかく会って話は聞く」
「ふうん」
「向こうはまだ、契約についてだとは言っていない。それを顧問に伝えなかったのは、伝えたらその時点でこっちが断る可能性があったから。違う?名探偵クレハさん」
ミチルはわざとらしく訊ねた、クレハは小さく拍手してみせる。
「お見事。私もそう思うわ。まずテーブルにつかせよう、という事ね」
「そう。とりあえず会おうという話を断ったら、なんて失礼な奴だ、っていう話になるでしょ」
「それで、もし契約を持ち掛けてきたら、どうするの?」
クレハはストレートに訊ねてきた。それは、メンバー全員の質問でもある。つまり、おそらくメジャーデビューの機会が目の前に転がり込んできた、ということだ。
メジャーレーベル。日本国内においては、日本レコード協会に属しているレーベル、ということになる。
「それを決める前に、まず確かめないといけない事がある」
ミチルは、全員の目を一人ひとり見渡した。
「私達は何をしたいのか」
それは、最もシンプルで、最も難しい問いだった。自分たちはどうありたいのか。ザ・ライトイヤーズは何を目指して活動するのか。それに対して、即答できるメンバーはいなかった。
「全部、誰かに企画してもらうのがある意味、無難なのかも知れない。テーマはこうで、曲はこれで、音の方向性はこう。全部、誰かが決めてくれる」
「でも、それは私達の在り方ではない。そう言いたいのね」
マヤは、ミチルの目を見た。二人の眼差しが交差する。
「もちろん」
「じゃあ、リーダーはどうありたいと思っているの?ザ・ライトイヤーズというフュージョンバンドが」
マヤの問いに、ミチルは少し硬い表情で考え込んだあと、静かに言った。
「私はこのバンドが、世界に彩りを添えるための、音楽の創作集団でありたいと思う」
それは、ミチルがハッキリした言葉でバンドのコンセプトに言及した、初めての瞬間だったかも知れない。メンバー全員が、息を呑んで次の言葉を待っていた。
「音楽は絶対に必要なものじゃない、っていう人がいるけれど、私は違うと思う。それじゃ、どうして毎週のように、音楽の権利問題がどこかで起きているの?それは、音楽に存在意義があるからよ。意義がないものの権利を、人は奪い合ったりしないわ」
それは、たかだか16歳の少女の口から語られるとは思えない演説だった。大原ミチルという一人のミュージシャンが、厳然とそこにいた。
「私、いろんな音楽を創ってみたい。みんなも、創りたい音楽があるでしょ。マーコ、あなたも」
ミチルは、普段あまり主張しないマーコにあえて訊ねた。一体、何を創りたいのか。すると、マーコは意外にも、すぐに答えてくれた。
「あたし、実は映画のテーマ曲ってのを作ってみたいんだ。誰でもパッと聴いて、すぐわかるやつ。映画好きだからさ」
「そうだったのか」
ジュナが、感心したようにマーコを見た。確かにミチル達も今までマーコから、何をやりたいとか言われた事がない。
「レスリー・ニールセンの"裸の銃を持つ男"のテーマとか、めちゃくちゃ好きでさ。あと映画じゃないけど、刑事コロンボのテーマもいいよね。ああいう、耳に残るやつを作ってみたい」
「映画なら、あたしは"ツイスター"のヴァン・ヘイレンのテーマ曲だな。ほとんどギターが主役の。あれはほとんど、メタル寄りのフュージョンだ」
ジュナは、ヴァン・ヘイレンの1996年のシングル"Humans Being"のギターを軽く弾いてみせた。ハードなサウンドが部室に響く。
「あたし、もともとロックギターから入ったからさ。フュージョンってのもどうなんだろう、って思ってたんだ。けど、ミチルから色々聴かされて、むしろフュージョンもエレキギターが本領発揮できるジャンルだな、って思い始めた」
ライトハンドでアドリブを奏でながら、ジュナは語った。
「ロックギターって曲によっては、けっこうボーカルの陰に隠れちゃうからな。フュージョンの良さを、自分で弾いて初めて知った気がする。やるなら、アル・ディ・メオラあたりに匹敵するギタリストを目指したいな」
それは、マックス・フェルスタッペン並みのドライバーを目指す、と言っているのに等しいのだが、ジュナの目に迷いはなかった。それに呼応するように、マヤもわずかに身を乗り出した。
「そうね。私はゲーム史に残るサントラを作るのが目標なんだけど。このメンバーと一緒に作れたらいいなって思うわね」
「私はアニメの音楽を作ってみたいわ。ルパン三世のテーマぐらいの、スタンダードナンバー」
マヤとクレハのオタクコンビも、目標が明快かつ大それたものだった。ゲーム史に残るだの、スタンダードナンバーだの。多くのミュージシャンが、そうありたいと思っているに違いない。ミチルは、小さく頷いた。
「ほら、私達みんな、バックボーンがそれぞれ違うでしょ。それって、何にでもなれる、って事じゃないかしら」
「音楽性はバラバラでいいってことか」
「みんなで、一人ひとりの音楽性を尊重していくのよ。それができれば、私達は無敵の音楽集団になれる」
「無敵か!」
ジュナが思わず笑い出した。
「大きく出たな。ほんと、お前のそういうとこ好きだわ」
「縮こまったって仕方ないわよ。私達は、多様性を持った音楽集団を目指す。それがザ・ライトイヤーズ。異論がある人はどうぞ」
ミチルの言葉に、異を唱える者はいなかった。ふいに、マヤが拍手をすると、マーコ、ジュナ、クレハもそれに続いた。
「わかった。あなたがそこまで考えてくれているなら、もう私に言う事はない」
マヤが微笑むと、ミチルも笑顔で応えた。
「そんな簡単には行かないはずだから、頼むわよ、参謀長」
「それで、くだんのグロリアス・レコードの人とは、いつ会うの」
参謀長マヤは早速、喫緊の課題について切り出した。
「うん。都合のいい時に向こうから、こっちに出向いてくれるって」
「それはまた珍しいね。東京からわざわざか」
マヤは、意外そうに首を傾げた。
「なんて人?」
「プロデューサーの平田さん、って言ってた。男の人」
グロリアス・レコードの平田プロデューサーが、南條科学技術工業高等学校を訪れたのは二日後の放課後の事だった。ザ・ライトイヤーズの5人と平田氏は、応接室で長テーブルを挟んで向かい合った。氏は見た所、50代半ばといったところで、やや痩身で骨ばった印象だ。髪は白髪が多めで、後ろにゆるやかに流しており、硬軟両方の印象を感じさせる人物だった。濃いめの紺色のスーツは、あまりプロデューサーという印象は受けない。
「お会いいただけて感謝しています。わたくし、グロリアス・レコードの芸能プロデューサー、平田光章と申します」
手渡された名刺を、いつぞやの実習授業で習った手順でミチルは受け取った。名刺の肩書きも”芸能プロデューサー”となっている。
「こちらこそ、わざわざご足労いただきまして恐縮です。南條科学技術工業高校フュージョン部部長、ならびにザ・ライトイヤーズの代表を務めております、大原ミチルと申します」
ミチルがどうぞ、と席を勧めると、平田氏はゆるやかな所作で着席した。ミチルたちも席につく。
「いや、堂々とした受け答えだ。とても高校生とは思えません」
「とんでもない。こうして業界の方と会うたびに、緊張しています」
「ははは、適度な緊張は必要なものです」
平田氏は、持って来た鞄から革製の書類ケースを取り出すと、傍らに置いた。
「みなさんの活躍は存じ上げております。日本ではあまり注目されていない先日の聴覚障害医療チャリティーコンサートも、拝聴しました」
「ありがとうございます」
どうやら、あのコンサートを見てくれていたようだ。さすが業界人、アンテナを常に張っているらしい。物腰は穏やかだが、プロ特有の緊張感を感じさせる人物だとミチルは思った。
そのあと、ステファニー・カールソンのライブについて等、世間話的な話で場を和ませたあと、平田氏はようやく本題に入った。書類ケースの中の資料を取り出し、まだ表が見えないよう伏せる。
「本日うかがったのは、他でもありません。ザ・ライトイヤーズの皆さんに、当レーベルからの提案がございます」
来た。さあ、どう来るか。
「まず、単刀直入に申し上げましょう。皆さんに、当レーベルと契約を結んでいただきたいと、会社側はこう考えております」
平田氏はいきなり直球で来た。牽制も一切ない。
「みなさんは現在、アメリカの中規模インディーレーベルと契約していらっしゃる。ワンダリングレコードさんは、ジャズ系の老舗で素晴らしい歴史をお持ちだ。みなさんが所属するのに、相応しいと確かに思います」
そこまで言って、平田氏は「ですが」と挟んだ。
「なにぶん地球の裏側だ。仕事をひとつ進めるにも、コミュニケーションが取りづらい事この上ないのではありませんか」
平田氏は、ミチル達が置かれている状況を的確に指摘してみせた。それは確かに、メンバーが思った事でもある。メールひとつ送るのにも、タイムラグがある。こっちが昼のとき、向こうは真夜中である。
「さらに、ジャズ系レーベルでは日本国内での若い世代へのアピールも弱い。その点、我々は多くのアイドル、バンドのプロデュースの実績があります。手前味噌で恐縮ですが、私も現在、”スパークリング”というアイドルグループを担当しています」
「スパークリング!」
メンバー全員がざわついた。スパークリングは女子6人によるアイドルグループで、いわゆるアイドルより少しだけ大人っぽいイメージが人気だ。ミチル達もカラオケに行けば、彼女たちのヒットナンバーを歌う事もある。そのプロデューサーが、こうしてミチル達に直に会いに来ているというのは、驚くべき事だった。
「先日、豊国エンターテインメントさんから”COSMICATION”というガールズフュージョンバンドがデビューしたのは、御存じですね」
「…はい」
ミチルは、やや複雑な表情で答えた。
「彼女たちが、話題のザ・ライトイヤーズのイメージをそのままコピーしているのは明らかです。しかし悲しい事に、日本という国はコピーに寛容だ。どうせパクリだ、しょうがないな、と言いながら、みんなで同じ事をする。1つのグループがコピーすればパクリでも、10組がコピーすれば、それは”流行”と言い変える事ができる。ここだけの話ですが、競合他社さんでもすでに、似たようなガールズフュージョンバンドの準備を進めているようです」
それは、ミチル達が推測している事そのままだった。やはりか、という顔でマヤは頷く。
「そこで、当社はコピーではなく、流行の大元である、あなた達を独自にプロデュースするというプランを考えています」
ここでようやく、平田氏は伏せていた資料を開いてみせた。そこには、ミチル達をイメージしたと思われるビジュアルのラフが起こされていた。全員、いわゆるアイドルよりは少し大人びたファッションで、センターはもちろんサックスを構えている。
「ルックス優先で演奏など二の次という手法は、当社は選択しません。みなさんの演奏能力、これで他社との差別化を図ります。音楽はあくまでも演奏が大切です。バンドとは名ばかりのアイドルではなく、真の意味でのガールズ・フュージョン・バンド。皆さんを、そのように当社はプロモートする予定です」
ミチルは、予想と少々異なる内容に困惑し始めていた。平田氏の言っている事は、ミチル達にとって腑に落ちるものだったからだ。アイドル的に売り出すのではなく、あくまでも音楽を主体にする。それは、まさにミチル達の理念と合致するものではなかったか。
「フュージョンと言われても、今の若い世代にはピンとこない。ですが、若い世代のみなさんが本物のフュージョンを示してみせる事で、新たなブームを起こす事だって不可能ではない、と当社では考えています。そこでまず、シングルを数枚、連続してリリースしましょう」
「シングル、ですか」
ミチルは訊ねた。あまりにも性急ではないか、と思ったのだ。
「ですが、現在ある私達の曲は、すでにワンダリングレコードによって管理されています。新たに曲を作るのには、それなりの時間が必要です。まずテーマから考えなくてはならないし…」
「いやいや、そういった心配は要りません」
平田氏は、別な資料を提示した。そこには、著名な音楽家の名前が、様々な映画、ドラマのサウンドトラックのジャケット画像とともに並んでいた。ああ、あの人かと大抵の日本人が知っている名前ばかりだ。
「楽曲は、当レーベル所属のベテラン陣が書いてくれます。皆さんは演奏に集中してくれるだけでいい」
そこで、ミチルの眉間にわずかにシワが寄った。
「私たちのオリジナル曲は?」
「いいえ、皆さんが楽曲制作に時間を取られる必要はありません。ベテラン作曲家陣とアレンジャーが、テーマに沿ったものを準備してくれます。ですから皆さんは、学業の合間にでもレコーディング作業をしていただく事が可能になります」
捲し立てるように言って、一息置くとさらに平田氏は続けた。
「ベテラン作曲家陣の作品とネームバリューと、みなさんの演奏能力。これが組み合わされば、間違いなく話題になります。隙がない、と言って差し支えないでしょう」
言い方は丁寧だが、ミチル達はその笑顔の背後にある、どうしようもなく澱んだ何かを感じ取ってしまった。ミチルは繰り返して訊ねる。
「つまり、私たちはオリジナル楽曲を発表する機会はない、ということですか」
「いやいや、そんな事はありません。まあなんだ、たとえばアルバムに1曲とか、それくらいなら機会を用意できると思いますよ」
「完全オリジナルのフルアルバム等は」
「ああ、それはその…そういうのは、とりあえずは諦めていただくという方向で。それと契約する以上は、音楽活動も契約の範囲内で行っていただく事になります」
そこで、ミチルはジュナと目を見合わせた。口を開いたのはジュナだった。
「ライブハウスで自分の企画を立ててやる、ってのは出来なくなる、ってことですか」
「ざっくり言えばそういうことです。ステージのセッティングその他諸々は我々プロダクションが全て引き受けますが、企画も全てこちらが立てる事になります。ライブ、プロモーション、メディア露出などなど」
ここで、平田氏の目がわずかに険悪さを帯びた事に、ミチル達は気付いた。どこかで見た、同じ種類の目だ。
「要するに、私たちは自由にライブもできないし、作りたいものを作れない、という理解でいいんでしょうか」
「そのかわり、バックボーンは大きい。ヒットの可能性は高くなります。著名な作曲家の作品を、ルックスだけのアイドルバンドではなく、実力あるバンドが演奏するのですから。テレビに出る事だってできるでしょう。メジャーデビューという、大方のアマチュアミュージシャンが体験できない事を、みなさんは実現できるということです」
「私達のオリジナル曲のライブだけは自由にできるとか、そういう形も取れないのですか」
ミチルは、思っている事をそのまま訊ねた。自由にライブができない。すでにミチル達全員が、一様に困惑を抱えていた。そこへ、平田氏は決定的な一言を突き付けた。
「プロの世界というのは、好きなものを自由に作れる世界ではありません。好きな事をやって売れようというのは、まあ何ですか、正直に申し上げると、甘い考えです。成功には、トレードオフになる条件がある、ということは理解していただく必要はあるでしょう」
平田氏がそこまで言ったところで、ミチルは静かに立ち上がった。
「ご足労いただいた事、過大な機会を提示してくださった事には、感謝します。ですけど…」
ミチルは、他のメンバーの顔を見渡して言った。
「申し訳ありませんが、今回のお話は辞退させてください」
ミチルは無意識のうちに、受け取った名刺を平田氏の手元に突き返してしまった。ちょっと険悪すぎるか、と思った時にはもう、手が勝手に動いていた。