No No No
その日の朝、フュージョン部の面々は眠い目をこすってセミナーホール食堂にいた。リモートライブが終わって、とりあえずステージの機材を体育館の倉庫に押し込んでおき、少しでも睡眠時間を稼ぐため仮眠を取る。朝食をとらない訳にもいかないので、6時半には起きて、みんなで支度を始めた。
「食べんのめんどくさい…レッドブル残ってない?」
食生活がパンクロック気味のジュナを、髪を後ろに結い上げたクレハがたしなめる。
「寝不足のうえに食べないでいると、身体壊すわよ」
とはいえ、規律正しいクレハもさすがに寝不足には勝てないようで、ボウルを運ぶ足取りも微妙にふらついていた。
「薫くんとサトルくんは、まだ?」
「2人で仲良く寝てんじゃねーのか」
「…多少誤解を招く表現ではあるわね」
就寝は女子はセミナーホールだったが、薫とサトルの2人だけは、フュージョン部の部室で隔離されていたのだった。キリカいわく「隔離なんかしなくてもサトルは甲斐性なしだから、変な気を起こす心配はない」そうである。
そんなこんなでフュージョン部の面々は、遅刻の心配だけはなかったものの、学校の始業時刻ギリギリまで部室で仮眠を取っているという有様だった。
「ミチル、ライブ配信聴いたわよ。素晴らしかったわ」
市橋菜緒先輩は昇降口でミチルを見付けると駆け寄ってきたが、次の瞬間には吹き出していた。
「ちゃんと寝たの?目のクマがすごいわよ」
「…ジュナが寝かしてくれなかったんです」
ミチルの報告に、菜緒先輩は一瞬硬直したあとで静かに言った。
「そういう関係だというのであれば、私は何も言わないわ」
「何か誤解なさってるようですけど」
ミチルがジュナのせいで眠れなかった理由を説明すると、菜緒先輩は爆笑で応えてくれた。
「あはははは!」
「聞いてるぶんには面白いでしょうけどね」
ミチルは並んで歩きながら憮然とした。ライブのあとミチルはジュナとシャワーを浴び、1時間でいいから眠ろうと、6畳の個室に入った。大広間だと出入りする他の人達の足音で眠れないからだ。
ところが、ミチルがウトウトし始めた段階で、すでに寝入っていたジュナが寝ぼけてコブラツイストをかけてきた。半分兄貴のクローンでプロレス好きのジュナだけに、そのかけ具合がわりと本格的で、ミチルは組み解く事ができず、無理やり解いた時には痛みと興奮で目が冴えてしまったのだ。
菜緒先輩は腹を抱えて笑っている。普段そんな顔は見せない人物なので、すれ違う他の生徒が怪訝そうに様子をうかがっていた。
「あなた達の話を聞いてると、飽きないわね。一冊の本ができそう」
「楽しんでいただけたのなら幸いです」
ミチルは大きなあくびをして首のストレッチをした。
「ま、授業中に寝ないようにね」
「努力します」
「…ところで、三奈からの情報の件だけれど」
ふいに立ち止まって、菜緒先輩は通行の邪魔にならない所で改まって話題を切り出した。
「あなた達そっくりの構成のフュージョンバンド」
「ああ、はい」
「以前あなた達と揉めたプロダクションなんでしょ」
どうやら菜緒先輩もチェック済みらしい。”COSMICATION”とかいう、アイドルじみたフュージョンバンドだ。
「もうPVが流れてるのは知ってた?」
「えっ」
「まだのようね。興味があれば、あとでURLを送るわ」
先輩はすでに観たらしい。観たいような観たくないような微妙なところだが、一応チェックしておく事にした。
「お願いします。…先輩から見て、どんな感じですか」
「それは言わないでおくわ。変に先入観を持たない方がいいでしょう」
どういう意味だろう。ただ、そう語る先輩の、困ったような笑みが気になった。
午前中、睡魔という強力な大艦隊との戦闘に辛くも勝利したフュージョン部の面々は、どちらかというと仮眠を取るために部室を訪れた。ちなみに昼食は、朝の早い時点でコンビニに駆け込んで買っておいた。そろそろコンビニのデリカコーナーのおばちゃん達も、フュージョン部の顔を覚え始めているらしかった。
薫とサトルは大勢いると仮眠もできないと言って、第二部室に引っ込んでいた。第一部室は女子だけである。マーコとジュナは惣菜パン、おにぎりといった甚だ手軽なものと、ビタミンドリンクで済ませていた。やはりクレハが感心しない様子で眺めている。
「観たくないかも知れないけど、例のアイドルフュージョンバンドのPVのリンクが、菜緒先輩から送られてきた」
ミチルは動画アプリのサムネイルを見せた。野球のグラウンドで、サックスを構えた長髪の女子をセンターに、アイドルそのもののフュージョンバンドがポーズを取っている。なんとなくチアリーダー風のイメージだ。
「もう観たの?」
マーコがビタミンドリンクの紙パックをベコベコに畳みながら訊ねた。眠気のせいか目が据わっている。
「観た」
「私達も観る必要ある?」
「私の主観で言っていいなら、特に見るべきものはない」
ミチルはあっさりと言ってのけた。
「中身らしい中身はない」
「そこまで言われると逆に観たくなるわね」
マヤが苦笑しつつ、食べ終えたサンドイッチのパックを袋に放り込む。ミチルは、それならと言って再生ボタンをタップした。
内容はサムネイルから想像できるというか、要するにアイドル風の女の子たちが、軽快なフュージョンナンバーを青空のグラウンドで爽やかに演奏するという、ただそれだけの内容だった。楽曲は何の変哲もない、プロが作った”聴きやすいだけのフュージョン”だ。演奏はハッキリ言って中学生レベル、自惚れ抜きでミチルたちの足元にも及ばない。ちなみに曲のタイトルは”Cheer Up”、あなたを元気に。
「何なんだこれは」
ジュナが、眉間に思い切りシワを寄せて唸った。
「スーパーとかホムセンのBGMだな」
それ以上いけない。
「それでも、もう5万再生行ってるわ」
「マジかよ」
「当然ね、あちこちで宣伝しているもの。”あなたを元気に”っていうキャッチコピーでね」
「なるほど」
呆れたようにジュナは肩を落とした。
「おっさん狙いだな、要するに」
「そんなとこでしょうね。フュージョンブームを知っている世代に、アイドル路線で売る。まあ上手い手法なのは認めるわ、ビジネスとしてはね」
ミチルは、冷めたフライドチキンを食べ終えると缶コーヒーを流し込んだ。ジュナが意地悪く笑う。
「あたしらもその路線で行くか?」
「ジョーダンでしょ」
ミチルは笑う。
「これも言ったけど、この子たちは真面目にやってるんだと思うし、ことさら言う事もないわね、私としては」
「けど、この子達がヒットしたら、2番手3番手が出てくるかも知れないわね」
マヤは少し冷めた調子で言った。クレハも同意する。
「そうね。アイドルグループなんて百花繚乱というより、百鬼夜行でしょう。企画が乱立して、使い捨てられた子たちがどれだけいるのか」
「けど中には、スタートが企画でも結果的に自分達の表現を磨いて、バンドとしてずっと続いてる人達もいるわよ。わかんないよ、グループなんて。結局は本人たちの実力次第でしょ」
ミチルはそっとアプリを閉じた。自分達は自分達のポリシーがある。大事なのは、それを保ち続ける事だ。そして、それを試される出来事が待っているとは、この時睡魔と戦っていたミチルたちには、想像もつかなかった。
ひとまず大きな案件も片付き、ミチルも耳鼻科に行かなくてはならなかったのと、そもそも睡眠不足でまともに活動できないフュージョン部の面々は、その日は放課後になると全員早々に退校した。ミチルは耳鼻科の先生から、様子は見る必要はあるが、まあ大丈夫だろうという診断をもらい、久々に穏やかな気分で帰宅する事ができた。
その翌朝、たっぷり睡眠を取って2日ぶりに清々しい朝を迎えたクレハは、タブレットでメールをチェックし、ある一件のメールを読んでひっくり返りそうになった。
「!?」
メールは、クレハが就寝している時間に届いたものだった。送信主はニューヨークにある、ザ・ライトイヤーズが所属するインディーレーベル”ワンダリングレコード”のスタッフ、サマンサ・クラックソン氏からのものだった。
『ハロー、初めまして。私はワンダリングレコードのサマンサ・クラックソンです。今回より、ザ・ライトイヤーズの正式な担当となりました。チャリティーコンサートお疲れ様。先ほど、コンサート主催者から参加への感謝と、寄付金総額の報告があったので、お伝えします』
もう集計が出たのか、と思ったが、よく考えたらコンサートが終了してからほぼ24時間経過していた。いったい、どれくらいになったのだろう。
『今回、ザ・ライトイヤーズのパフォーマンスが非常に注目を集めた事により、聴覚障害医療への関心が非常に高まりました。その結果、世界からの寄付金総額は前年を75パーセント上回り…』
朝、いつものように部室にフュージョン部の全員が集まったところで、クレハはわざわざ印刷してきたメールを読み上げた。
「『寄付金総額は前年を75パーセント上回り、31億6千万円に達しました。比較的知名度の低いコンサートでもあり、この結果には主催者も非常に驚いています。主催者代表のトーマス・ディクソン医師より、ザ・ライトイヤーズに対して特別な感謝の意を示すとともに、バンドの今後の成功を祈る、とのコメントが届いています』」
読み終えたところで、マーコとジュナとサトルが揃って叫んだ。
「31億!?」
75パーセント増加ということは、前年は18億ぐらいだろうか。ミチルはわざとらしく口笛を吹いてみせた。普段クールなマヤも、さすがに驚いているようだった。
「私達で何億円か上乗せできたって事か。そうだとしたら、まあそこそこ活躍したわね」
少しにやけた表情で、体育館から戻って来たキーボードの位置を直す。
「まあ冷めた言い方をするなら、世界から集まった金額が31億っていうのは、ひょっとしたら少ないのかも知れないけどね。それでなくても医療の研究はお金がかかる。戦闘機1機も買えない程度のお金を集めるのに、医療研究者は苦心しているというわけか」
「ブルーハーツかよ」
ジュナが言っているのは、ザ・ブルーハーツの曲「NO NO NO」の歌詞についてである。
「それとね。チェックしてる人がいるかわからないけど、私たちの事、向こうではだいぶ話題になってるみたいよ。”4分33秒”をチャリティーコンサートで演奏する少女が現れた、って。正確にはミチルの発案を元にした、音響スタッフのコントロールによるものなんだけどね」
クレハが、アメリカの音楽ニュースサイトの記事を示してみせた。"Japanese girls band plays 4′33″ at charity concert"、とある。コメント欄では”グレート。聴覚障害の問題を提示するのに、これ以上の方法はあるだろうか”などと讃辞の声がある一方で、やはり”明らかに演奏している以上、譜面どおりの”4分33秒”とは言えないのではないか?” ”チケット代を払っている客もいる以上、楽曲を聴かせないのは問題なのではないか”という面倒な意見もあった。どこの国でも難癖をつけてくる人間はいる。だが、わずかな雑音はあっても、ミチルたちの存在は確実に知られつつあった。
しかし、ミチルたちにはひとつの疑問が無意識下で芽生え始めていた。
「私達、これからどこに行くのかな」
そのマーコの素朴すぎる問いかけは、メンバーにとって極めて重大な問いかけだった。自分達、ザ・ライトイヤーズはこれから、どこに向かうのか。何ができるのか。新曲を作ればいいのか?ライブをやればいいのか?そもそも自分達は、何を求めているのか?大きな事を成し遂げたような気がする一方で、この時期のザ・ライトイヤーズは実のところ、見えない壁に阻まれていた。
そんな放課後、ミチルのもとに竹内顧問から、ある連絡が届いた。
「大原、ちょっといいか」
何やら改まった様子で、天然パーマの竹内顧問はミチルを呼び寄せた。顧問はミチルを会議室に連れて行き、廊下から離れた席に面と向かって座ると、ひそひそと話を切り出した。
「お前たちにアポを取りたい、と言っている人物がいる」
「人物?」
また何か取材だろうか、とミチルは思った。だが、それは予想とは違うものだった。
「グロリアス・レコードの平田さんというプロデューサーが、話をしたいそうだ。ザ・ライトイヤーズに」
「え!?」
グロリアス・レコード。それは、有数のメジャーレーベルの名だ。ミチルは身構えた。
「話っていうのは…」
「それはわからん。が、まあだいたい想像はつくんじゃないか」
確かに想像はつく。メジャーレーベルのプロデューサーが、インディーバンドに声をかける。何の話かは、小学生でも予想がつく事だ。
ミチルは、まずその話を佐々木ユメ先輩に相談した。誰に話せばいいか、わからなかったからだ。ユメ先輩は人気のない階段の隅で話を聞いてくれた。
「なるほど。まあだいたい想像はつくわね」
「…想像どおりの話だったら、どうすればいいでしょうか」
「それは、あなた達が決める事よ」
やや突き放すように、ユメ先輩は言った。
「冷たい言い方に聞こえるかも知れないけど、こればっかりは私はアドバイスできない。あなた達の選択に、私達が干渉するわけにはいかない。それとも、”やめておきなさい”って言われたら従うの?その逆は?」
「うっ」
ミチルは返す言葉がなかった。そうだ。選択はミチル達自身に委ねられている。
「けれど、そうね。私はあなたより、たかだか1年足らず長く生きているに過ぎないけど、これだけは言えるかも知れない」
窓の外の、すでに陽が傾いている空を見ながら先輩は言った。
「私は、大人が信用できるかどうか、ひとつの物差しを参考にしているの。何だか、わかる?」
先輩はミチルを見た。ミチルは首を横に振る。先輩は答えた。
「”君はどうしたいんだ”と訊ねてくれる大人は信用できるかも知れない。そして、”君はこう考えるべきだ”と誘導してくる大人は、あまり信用できないかも知れない」
それは、何とも曖昧な言葉だった。かも知れない、かも知れない。
「正解なんてある筈がない。だから、これは本当にただの物差し。ただ、そうね。簡単に言うなら、あなたの主体性を奪おうとする大人は、信用しない方がいいかも知れない、っていうことよ」
「主体性」
「たちの悪い宗教っていうのは、何が悪いかわかる?人の思考の自由と主体性を否定するからよ。選択して決める自由を奪おうとする相手は、私なら信用しない。政治でもビジネスでも同じ。相手の自由な選択を否定するような在り方は、間違ってると私は思う。そういう相手の場合、私なら”No”と断るでしょうね」
それは、ミチルにとってはリアリティをもって響く言葉だった。夏、ミチルたちはまさにそういう大人に遭遇したのだ。契約を利用して、ミチル達が創造した音楽を奪い取ろうとした大人に。
ミチルが考え込んでいると、ユメ先輩はニヤリと笑ってみせた。
「そろそろ言ってもいいかしらね、ミチル」
「え?」
「うん。実は、まだ伏せておけってメンバーに言われてたんだけど、もうそろそろいいかなって思って。ちょうど、あなたがタイムリーな話を持ち出して来た事もあるしね」
なんだろう。メンバーって、先輩たちのバンドの話か。そう思っていると、先輩は少し勿体ぶって話してくれた。
「実は私たちのバンド”Electric Circuit”に、イギリスのプログレ系インディーレーベルから、契約しないかっていう話が持ち掛けられている」
それは、寝耳に水の情報だった。




