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Light Years  作者: 塚原春海
残光
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Friends

 10月初旬。南條科学技術工業高等学校で、生徒が毎年もっとも力を入れるイベント、文化祭が始まった。科学技術系の学校なので、各学部やクラスごとに出し物も特色が出て来る。


 文化祭では、文化部の人間は普段の部室が活動拠点になる。例えばコンピュータ部は毎年お約束の科学系クイズゲーム「にこらん☆てすらん」や、レーシングeスポーツなどを展示し、部員はコンピュータ室の後方、ホワイトボードで仕切られたスペースが部員の事務所になる。

 ロボット部では、ロボットというよりは重機のミニチュアと言った方が早い、手のひらサイズのメカによる相撲ゲームが楽しめ、一般の子連れ客に好評だった。


 肝心のフュージョン部はというと、午前中から3年生が張り切っていた。日頃の受験勉強の憂さ晴らしもあって、部室前でツェッペリンだのザ・フーだの、ブラック・サバスだのを盛大に鳴らしている。フュージョンナンバーは午後からやる予定だというが、それも怪しくなってきた。ちなみに二学期からは、ついに放火で消失したPAスピーカーが新調された。まだ鳴らし始めなので少々硬いが、やはり新しい製品は音がクリアでいい、と3年生からは好評だった。演奏はこのあと、1年生と交代する予定である。


 オーディオ同好会はフュージョン部との合併を機に3年生がさっさと引退してしまい、すでに名前としては消滅したのだが、自作スピーカーの実演、展示が例年どおり行われ、村治薫が番をしていた。とはいえクラブハウスの脇に立つ古いコンクリート小屋にはあまり客も近寄らず、薫はそこでリアナと一緒に、午後のフリーステージ出演に向けて、"アランフェス協奏曲・第1楽章"のギター二重奏の仕上げに入っていた。リアナは、ギターに不具合がないか本番前にチェックを入れる。

「思い出すなあ、小学校の頃に村治くんの所のギター教室に通ってたの」

「…リアナが通ってたっていうのは、知らなかった」

 薫は申し訳なさそうに呟いたが、リアナは笑う。

「私、あのころ髪も短かったし、あのあと背が伸び始めたから、外見的には変わってるかもね。村治くんは、眼鏡外すとあの時のまんま」

「そうかな」

「視力落ちたの?」

 リアナに問われ、薫はギクリとした。訝しげにリアナが表情を覗き込んでくる。

「…もしかして、それって」

「どうもフュージョン部は、探偵みたいに鋭い女子が多いね」

 薫は、眼鏡を外すとリアナに渡してみせた。リアナはそれを自分にかけてみると、納得したように頷く。

「やっぱり伊達眼鏡か」

「特に理由もないんだけどね。まあ、こじつけるならUVカットのため、と言えない事もない」

 それは本当にこじつけで、実のところ深い理由はない。ただし、浅い理由ならある。リアナは何となく察したのか、黙って眼鏡を返してくれた。

「演奏は問題ないわね」

「ギター二重奏だと、ちょっと伴奏が盛り上がらない気もするけど、まあこれはこれで味がある」

「…もし、これでステージで弾けるようになったら、フュージョン部の演奏にも参加できるの?」

 リアナは核心に迫る質問を投げかけてきた。今までは、レコーディングや音響要員として参加してきたが、ステージに立てるとなると話は変わってくる。他のメンバーにもレコーディングやミキシングの技術を学ばせなくてはならない以上、薫が代わりにステージで演奏する事もあるかも知れない。

「…そうだね」

「エレキギターは弾けるの?」

「弾けない事はないけど、あまり得意じゃない。今のリアナの方が、もう僕より上手いと思う。やるならベースかな。1年生には、固定したベースパートがいないでしょ」

 リアナは頷いた。そう、2年生に比べて1年生は、キーボード、ドラムス、サックスはいいが、あとはギターが2人という状況である。サトルは「ベースも一応できる」というレベルなので、まだいまいちバンドとしてのまとまりがない。

「僕としては、サトルがベース専門になればバランスが取れると思ってるんだけどな」

「そうなの?」

「あいつ、リズム感がいいからベース向きだと思う。というか、ポジションが定まってないだろ、正直」

 薫の意見に、リアナは真剣な表情を見せた。

「村治くんって、プロデューサーみたいな所あるよね」

「え?」

 全くもって予想外の意見を述べられ、薫は面食らった。プロデューサー?自分が?

「…どのあたりが」

「何ていうかさ。例えばミチル先輩はこう、行先を決めて突っ走るじゃない」

「うん」

「それに対して、走るための準備を整えるっていうのかな。表には出て行かないけど、ものすごく重要な役割を果たしてるような気がする」

 それは、ミチル先輩にも言われた事だ。薫は、そんなこと自分では意識していなかった。ただ、その時々でベターだと思う選択を提案してきただけだ。

 だが、こうして2人の人間から同じ評価がなされたという事は、薫はそういう性分なのかも知れない。それは、自分自身でははっきりと認識できない事だ。

 

 薫とリアナがひととおり演奏の練習を終えて、リアナが校内を見に出かけようとした、その時だった。突然ドアが開いて、フュージョン部2年生すなわちザ・ライトイヤーズの面々が、なだれ込むように第二部室に駆け込んできた。

「どうしたの」

 薫が訊ねる間もなくジュナ先輩を先頭とした5人は、林立するスピーカーの影にある準備室に逃げ込んでしまう。

「薫くん、悪い。私達今日、ここを隠れ家にする。スピーカー展示は終了ってことでお願い」

「どういうこと?」

「だいたいわかるでしょ」

 声を潜めてミチル先輩は言った。その様子から、薫もリアナもなるほど、と頷き合う。

「さてはサイン攻めにでも遭った?」

「そんなとこ」

「仕方ないよ、時の人だもんね。自分たちで忘れてるかも知れないけど」

 薫は薄い笑いを浮かべて、とても大舞台に立ったとは思えない5人の女子高校生を見た。準備室に5人も入ると、息苦しくて仕方なさそうだ。

「わかったよ、どうせここは人も来ないし。そこらへんで適当にくつろいでれば」

「恩に着ます」

 5人は、参ったという様子で床に座りこんだ。なんでも、他校の女子生徒から握手攻めに遭ったのを皮切りに、一般客からサインだの、ツーショット撮影だのを頼まれて、人が増えて収拾がつかなくなってきたのだそうだ。

「もう適当にカタカナでそれっぽく"ジュナ"って書いて渡したけど、あれで良かったのか」

「いいんじゃない?喜んでたわよ、あの子たち」

 人ごとのようにマヤ先輩は笑うが、いずれ自分も同じ目に遭うとは考えないのか。ともかく、ザ・ライトイヤーズはこの第二部室に、出番以外は引きこもる事になりそうである。

「校内見て回れないじゃん!」

 マーコ先輩が声を荒げる。だが実際すでに、彼女たちのPVはかなりの再生数を記録しており、先日ようやくストリーミングで配信された音源5曲も、新人アーティスト、それもフュージョンバンドとしては好調だった。先輩たちは気が付くと、すでにプロの仲間入りをしかけているのだ。凄い事なのだが、本人たちに自覚がなさすぎて、周りの人間までもがその凄さを実感できずにいる。

「有名になるって事は、注目されるって事だよ。当たり前だけど」

「けど、午前中からこれじゃ、うかつに部室前で演奏もできねーぞ。午後のフリーステージも、体育館に人が溢れちまう。そうなると、他の出演者に迷惑かかるんじゃないか」

 ジュナ先輩の言う事はもっともだった。人が増えるのもそうだし、ライトイヤーズ目当ての客がどっと入って、その後いなくなってしまったら、後に続く人がやりづらい。


 その後、ライトイヤーズの出演はラストに回すべきではないか、との意見が実行委員会からも出て、結局可決された。薫とリアナの出番は2時45分頃に移動し、その後にミチル達がフリーステージのトリを務める事になる。アンコールも予想されるため、最初からそうしていればよかった、との声もあった。

 校内を歩けないジュナ達に代わって、演奏をいったん終えた3年生たちが色々と差し入れを買い込んできてくれた。しーんと静まった第二部室で食べる焼きそば、焼き鳥、ソーセージは、何とも言えない味である。ホコリっぽい校庭で行儀悪く食べたい、とミチル達は思った。だが、これはこれで思い出になる、というクレハの一言で、そうかも知れない、とも思い始めた。


 その後、学校側の配慮で、ミチル達の出演時にはステージ両脇に警備員が立つ事が決まる。大袈裟だという意見もあったが、「後で何か起きるよりはいい」という事になり、ステージ手前には簡素な柵代わりのバーもかけられた。

 そんなこんなで文化祭も午後になり、フリーステージの出演も次々とこなされて行った。今年は比較的まともだという話だったが、書道部が巨大な筆で、大太鼓のBGMとともにペイントパフォーマンスを見せるといった大掛かりなものもあった。威勢のよい筆運びで力強く書かれた「税金」の二文字に、観客は一様に首を傾げた。

 その後、家が遠い事をひたすら訴えるギターの弾き語り、そこそこ上手いキンプリのモノマネ等々の演目のあと、ついに薫とリアナによるギター二重奏の番がやってきた。


「村治くん、大丈夫」

 舞台の袖で、ギターを持ったまま沈黙している村治くんに、リアナは心配そうに声をかけた。2人のあとにミチル先輩たちが出演するというアナウンスを受けて、すでに客席は満杯だからだ。これが「話題」の力というものか、とリアナは思った。穿った見方をするならこの聴衆のうち何パーセントが、純粋に音楽的な関心から、先輩たちのパフォーマンスを聴きに来ているのかはわからない。単にアイドル的な存在としか見ていない人もいるだろう。

 だが、何にせよ演奏は予定通り行われる。楽屋でスタンバイする先輩達は、村治くんに「客席を楽しませて来い」みたいな事を言っただけである。これが応援なのだろうか。村治くんの膝が、僅かに震えている。今なら、リアナのソロというプランに切り替える事もできる。実はリアナは、その時のためにソロ用のアレンジも練習してきたのだ。

 だが、村治くんは不意に立ち上がった。

「リアナ、準備はいい」

 準備が心配なのはこっちである。村治くんこそ大丈夫なのか。司会の女子は無情に出演を告げた。

『さて、フリーステージも残すところ、あと二組となりました!次に出演いただくのは、話題のフュージョン部の1年生によるクラシックギター二重奏!曲目は、ホアキン・ロドリーゴ”アランフェス協奏曲”第1楽章および第3楽章です!それでは、どうぞ!』


 客席のざわめきが、袖の奥にまで聴こえてくる。ステージに出ると言ったものの、薫は足がすくむのを感じた。クラシックギターが、やけに重く感じる。体育館に入る客は、市民音楽祭に比べればずっと少ないはずだ。だがそこで、薫はステージに出られない原因を、いつしか自分で履き違えている事に気が付いた。立てないのは、客が多いからではない。子供の頃、コンクールで自分が優勝したために、女の子を泣かせてしまったショックからだ。

 そうであれば、コンクールでも何でもないただのフリーステージで、弾けない理由はないはずだ。なのに、膝が震えるのはなぜなのか。ミチル先輩たちは8月、あのステファニー・カールソンのオープニングアクトを、3万人の客を前にして務めた。先輩たちだって、さすがに緊張したはずだ。どうやって、それを乗り越えたのだろう。

 さっき、薫を送り出す時に、先輩の誰かが「楽しませて来い」と言った。頑張れとか、励ましの言葉は一切なかった。楽しませて来い。

 その言葉に、薫は雷に撃たれた思いがした。

 楽しませる。そうだ、ミュージシャンの仕事はそれだけだ。自分が何かを克服するとか、そんな事はオーディエンスにとっては関係ない事だ。自分のために演奏するのではない。先輩たちは、自分達のためでも、ステファニーのためでもなく、3万人のオーディエンスを楽しませるために、15分のステージに立ったのだ。

 そこで薫は考える。あの、母親に宥められて泣いていた少女は、本当に敗者だったのか。薫は、あの少女の演奏が素晴らしいと思った。優勝するのは彼女に違いない、と。あの少女は客を感動させる事ができた。それは、ひとつの勝利ではなかったのか。優勝したとか2位だとかは、単なる後付けの評価なのではないか。

 そう考えた時、薫の中で何かが崩れ去った。それは、自分が無意識に作り上げた壁だったろうか。その時、膝の震えが止まり、薫は立ち上がった。

「リアナ、準備はいい」

 案の定、リアナは不安そうな表情をしている。司会の女子が、二人の出番を告げた。


 広い。体育館ってこんなに広かったのか、とリアナは、ステージから下を見下ろして思った。生徒、そして一般客がひしめいている。放送部のカメラと集音マイクもこちらを向いている。村治くんとリアナは、クラシックギターに取り付けたピックアップマイクをシールドケーブルにつなぎ、音がスピーカーからきちんと出るのを確認した。

 リアナがマイクの前に立とうとするのに先んじて、村治くんが立ったのにリアナは驚いた。

「フュージョン部1年、村治薫と戸田リアナです。ただいま司会の方に、曲目をご紹介いただきました。それでは2曲お聴きください」

 どうしたんだ。リアナは目を瞠った。村治くんは、まるでいつも部室で自分達と話す時のように、すっかり落ち着いている。膝も声も、まったく震えてはいない。リアナの方が唖然とするほどだ。用意された背の高い椅子に腰をおろすと、二人はギターを抱え、アイコンタクトを取ると、指先でトントンと胴を叩いてリズムを取った。


 リアナの指がイントロを奏でる。上手い。繊細で、かつ芯がある。静から動へ、動から静へ。彼女そのものの音だ。薫は、その旋律に沿って本来はヴァイオリンのパートを奏でた。互いの演奏が重なったとき、その音がよく似ている事に薫は気付いた。それもそのはずだ、師匠が同じなのだから。この演奏は、薫の祖父からの薫陶によるものである。

 本来、ファゴットやフルートなど多数の楽器で構成される曲だが、ピアノとのデュエットなど小編成で演奏される事もある。だが、ギター二重奏というのはかなり珍しい。曲の雰囲気もだいぶ変わって来るが、クラシックギターの温かい音色が体育館にふわりと広がって、客席が聴き入っているのがわかった。

 これが、先輩たちが見ていた光景なのか。薫はそう思った。人を楽しませるという事が、これほど楽しい事なのか。第1楽章はラストに向かって、ギターだけとは思えないような盛り上がりを見せ、リアナの爪弾く細やかなメロディーで締めくくられた。

 第2楽章を飛ばして、第3楽章。なぜ第2を飛ばしたのかというと、全部やると20分をオーバーしてしまうためと、名曲だがメロディーとしては暗めなので、文化祭にはどうかと思ったからである。第3楽章は2/4拍子と3/4拍子が細かく入れ替わるので、慣れるまではそこそこ難しい。特に3/4拍子は日本人が苦手だとされるリズムだ。リアナはこれも難なく弾いてしまう。やはり上手い。純粋に演奏能力で言えば、1年生で最も優れているように思う。

 ギターだけの第3楽章は、なんだかとても可愛らしく聴こえる。聴いている分にはそう聴こえるだろうが、弾いている方はけっこう忙しい。右脳と左脳と指をフル回転させなくてはならない。最後は無我夢中で弾いているうちに、演奏は終わった。二人は立ち上がると、先輩たちに倣って深くお辞儀をする。客席からは、盛大な拍手が送られた。薫自身は、とても久しぶりに聴く音だ。

 これが先輩たちがいつも聴いている音か。この空気の中で、先輩たちは演奏し続けてきたのか。改めて、薫は敬服した。そして、自分がきちんとステージで演奏し切った事はすっかり忘れていた。リアナが不意に手を握って微笑み、小さく「やったね」と言ってくれた時に、その事を思い出して薫も微笑んだ。


「やったな、あいつ」

 ジュナが袖で愛機のレスポールを爪弾きながら、ニヤリとミチルに微笑んだ。ミチルも無言で頷く。薫くんは、やっと過去の自分と決別できた。あとで、みんなでお祝いしてやろう。

「さあ、薫が自分の使命を果たしたんだから、今度は私達が締め括る番だよ」

 ミチルは、サックスを手にしてその場の全員を見渡した。ザ・ライトイヤーズの面々に、1年生の千々石アンジェリーカ、そして。

「精一杯務めさせてもらうわ」

 同じく金色に輝くアルトサックスを下げるのは、3年生で吹奏楽部の市橋菜緒先輩。総勢7人のバンドで、フリーステージを締め括る。

「先輩、アンジェリーカ。今だけ、二人ともザ・ライトイヤーズのメンバーよ」

 そう言って、ライトイヤーズの5人はいつもの儀式のため、手を突き出して5重に重ねた。先輩とアンジェリーカもそれに倣う。

「ザ・ライトイヤーズ!レディー…」

「ゴー!!」

 

 ざわめく体育館に、司会の声が響き渡った。

『さて、トリを務めますのはわが校始まって以来のビッグアーティスト!あのステファニー・カールソンのオープニングアクトを務めた、生きる伝説!フュージョン部2年、ザ・ライトイヤーズ・アンド・フレンズの登場です!』

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