Celebration
それは、帰宅したばかりのフュージョン2年生、ザ・ライトイヤーズの面々に、少なからず衝撃をもたらした。
クレハが、ステファニー・カールソンの付き人でありマネージャーのヘレナ・キャシディ氏から受け取ったメッセージは、次のようなものだった。
まず要件を手短に言うと、フュージョングループ「ザ・ライトイヤーズ」の5人に、ステファニー・カールソンの日本公演において、オープニングアクトを依頼したい。
ライブにおいて、ステファニーサイドではライブのオープニングアクト、つまり前座を招く事がよくある。だが来日公演は急に決定したため、日本側からアーティストを選び、日程を調整する時間がなかった。
当初はオープニングアクトなしで公演する予定だったが、偶然、ミチルたちのオリジナル音源が送られてきた。ステファニーはその音源をいたく気に入り、バックバンドや音響スタッフに聴かせて回った。反応は、今の日本にこんなシンプルなインストゥルメンタルを作る若手がいるのか、と概ね好評だった。
そこで音響のディレクターが、冗談とも本気ともつかない調子で、
「彼女たちにオープニングを任せたらどうだ?」
と何気なく言った事が決定打になった。それが思い付きにとどまらなかったのは、ミチル達の音楽性に、そもそもステファニーの音と通じるものがあったためだ。
ステファニーは「日本のシティ・ポップもまた私に大きな影響を与えた」と公言しており、事実それを思わせる、都会的でメロディアスなサウンドが幅広い世代に受け入れられた。そしてシティ・ポップ最盛期と重なるT-SQUAREの、ポップでメロディアスなサウンドが基盤にあるミチルたちの楽曲は、ステファニーのサウンドと親和性がある、と彼女のスタッフ達は気が付いたのだった。
連絡を受け取ったバンドリーダーのミチルはその夜のうちに、夕食もシャワーもそっちのけで、すぐにメンバー全員とオンラインでミーティングを行った。
『要するに、あたし達にステファニーの前座をやれってんだな』
ジュナは軽く言ったものだが、全員無言だった。当たり前である。そこには、3重のプレッシャーがあった。ひとつは、もはや世界的ミュージシャンと言っていいステファニーの前座をである、ということ。もうひとつは、それは当然、家族や友人を含めて、全ての人に知られる、ということ。そしてもうひとつ。
『会場は横浜赤レンガ倉庫か』
そう、ステファニーのライブ会場は、横浜赤レンガ倉庫の野外ステージである。その収容人数は、3万人。当然チケットは完売している。市民音楽祭の、たかだか2千人程度の歓声に気圧されていた5人が、その15倍の歓声の津波に耐えられるのか。
『回答はいつまで?』
マヤが訊ねると、ミチルは固い表情で呟いた。
「…明日午後3時までに回答してくれ、だって。それ以降はライブスケジュールもあって変更できない」
『なるほど』
さすがのマヤも、今回ばかりはミチルを焚き付ける事ができない。ヒットするかどうかもわからない特撮映画のモブ役ではない。アメリカからの、ビッグアーティストの前座である。
なぜ自分たちが、と問う余裕はもうなかった。やるか、やらないかだ。先輩や後輩に、どうしようと相談する時間もない。ただ、未成年である以上、親と学校の許可は得なくてはならないだろう。
『まず決めるべきは私達の意志よ。リーダー、あなたはどうするの』
ようやくマヤが、いつもの"参謀長マヤ"らしくなってきた。司令官ミチルに決断を促す。ミチルは、ヘッドセットのマイクに向かって意志を伝えた。
「全員、明日からリハーサルを始めるから、そのつもりでいること。各自、保護者に連絡をつけておくようにして。許可してもらうんじゃない。許可させるの、私達が。学校にも文句は言わせない」
その一言で、メンバー全員の表情が引き締まった。
「これが未来にどうつながるのか、とか。そういう事は考えなくていい。廃部騒動からの、一連の出来事の総決算として、私は大舞台に立ちたい。後の事なんか、知らないわ」
ミチルがヘッドセットのマイクに向かって宣言すると、低音の出ない小さなPCスピーカーから、パチパチパチと拍手が聞こえた。
『よく言った、さすがあたしの相棒だ』
『色々あったものね。もう、どうにでもなれってところかしら』
『衣装はどうなるのかしら。また、マーコに決めてもらう?』
『そっちの方が演奏よりプレッシャーだなあ。科技高の制服でいいんじゃない?パンチラ怖いから中になんか履いてさ』
マーコの一言で、全員がどっと笑う。ワールドワイドなステージに、学校の制服で出るのも悪くない。
「決まりね。学校側には、部長の私が話をつけておく。クレハは、契約の詳しい内容をメールで送ってもらって。できれば――」
『わかってる。小鳥遊さんに、問題がないかチェックしてもらうから』
「小鳥遊さんにも、ギャラ出さなきゃいけないかなあ。ここしばらく、世話になりっぱなしだわ」
『ふふ、たぶん気持ちだけで十分って言うでしょうね。それじゃ、いったん切るわ』
クレハは、さっさと退出してしまう。それに続くように、マーコもジュナもいなくなった。
「マヤ、悪い。他の学年のメンバーに、報告してくれる?まだ完全に決定したわけではないけど、って付け加えて。あとできれば先輩たちに、頼みたい事がある。受験勉強の邪魔になるなら諦めるけど」
ミチルがその要望をマヤに伝えると、マヤは『受験に失敗したら私達のせいね』と笑ってOKした。心臓に悪い言い方はやめろ。
「さて」
ミチルがスマホを手にして立ち上がり、開けっぱなしの自室のドアを出ようとすると、廊下から突然、盛大な拍手が聞こえてきた。両親と、弟のハルトだ。
「うおっ」
「よく決めた。立派だ、ミチル」
お父さんが、一歩前に出てミチルの両肩をガッシリと掴んだ。どうやら、メンバーとのやり取りを聞いていたらしい。開けっ放しだったから、当然か。
「止めないの?」
「誰が止めるものか。いいかい、ミチル」
お父さんは、珍しく熱のこもった口調で言った。
「誤解させる言い方になるかも知れないけど、僕はミチル達を、応援はしないよ」
「うん」
「そのかわり、君達自身の決定したことを称えて、背中を支える。僕が力を貸せる事なら何でもする。君達は、君達自身の思う通りに、自由に、思う存分やるんだ。いいね」
「わかった。ありがとう」
それは、ミチル達にとってこれ以上ない応援だった。自由にやりなさい。それを言ってくれる大人は、そう多くない。母親は、父と一緒に微笑んでくれた。
「姉ちゃん、ステファニーのサイン貰ってきてくれよな」
「冗談でしょ」
「お願いします!このとおり!」
演技ではなく、本気の懇願である。姉が大舞台に立つ事自体は、何とも思っていないらしい。ミチルは「善処はする」と国会議員じみた答弁でごまかした。
さて、あとは学校だ。部活の存続の件でだいぶ譲歩させたので、許可がすんなり降りるかどうか。時間がないので竹内顧問に直接電話して相談したところ、頼もしい返事が返ってきた。
『任せろ。俺はフュージョン部の顧問でありながら、尺八以外は楽器も扱えんが、話をつける事だけはできる』
ちょっと待て。尺八が吹けるなんて、いま始めて知ったぞ。
『お前達は、自分がやるべき事に集中しろ』
「あのさ、先生。ちょっとは驚かないの?」
礼より先にその疑問が湧いたミチルに、竹内顧問はあっけらかんと答えたものである。
『この程度で動じるようじゃ、お前達の顧問は務まらんよ』
そこから先はあまりに早く、そして速く物事が進み、もはやどういう経緯があったのか整理して説明はできない。学校からの許可が降りたのは、翌日午前11時ごろ。ミチル宅でクレハと小鳥遊さんが、先方から送られてきた電子契約書を準備して待機していたところへ、ようやく竹内顧問からの電話があった。
『すまん、遅くなった。オンライン会議がようやく終わった。OKだ』
「よく校長が許可出してくれたわね」
もはや、顧問相手にタメ口である。ミチルが指でOKサインを示すと、クレハは小鳥遊さんに確認を取って、電子契約書をメール送信した。これで、ミチル達は伝えたのだ。世界相手のステージで、オープニングアクトを務めるという意思を。
『教頭と清水美弥子先生に、お礼を言っておくんだぞ。あの二人が後押ししてくれなきゃ、どうなってたかわからん』
それは、ミチルにとって嬉しい驚きだった。清水美弥子先生はともかく、教頭先生がまさか味方になってくれるなど、考えもしなかった。田中商店の鯛焼きを、10個くらい贈る必要があるかも知れない。
『あとはお前達次第だぞ。頑張れ』
「わかった。ありがとう!」
『ああ』
それだけ言って、顧問は電話を切った。長々と話す事は好まない、江戸っ子気質が残る先生である。
「送った?」
「ええ」
クレハはメールの「送信済み」画面に移動した、英語の電子契約書をミチルに示した。
「あとは向こうから、具体的なスケジュールが送られてくるはずよ。明日にはリハーサルが始まるはずだから、私達もそこへ行く事になるわね」
「うん」
さすがにミチルは、わずかに手が震えるのを感じたが、思い出したように小鳥遊さんを向いた。
「小鳥遊さん、契約内容に不審な所はありませんでしたか」
「はい。公正で良心的なものです。要するに、ステファニーのライブをぶち壊しにしない限りギャラは払います、ということです。みなさんは心配せず、演奏に集中してください」
めちゃくちゃ心配である。女子高校生5人が、世界的シンガーソングライターのライブをぶち壊しにする。絶対にない話でもない。たぶんミチル達がその可能性に一番近い所にいる。
「クレハが英語できて助かったよ。あなた、本当にすごいわね」
「いいえ。私が話せなければ、誰かが代わりに通訳してくれただけの事よ」
相変わらず謙虚というか素っ気ないが、彼女らしい。決して自分を誇る事はない。クレハはミチルの手を握って微笑んだ。
「ミチル、あなたがここまで、私達を引っ張ってきたのよ。責任取ってちょうだいね」
「大原さま、お嬢様をどうかよろしくお願い致します」
何の話だ。
翌朝部室に集合した2年生の脳裏に浮かんでいたのは、あの部員勧誘のためのライブ活動に奔走していた数週間だった。特にマヤは、再びリアナの手を借りて、今度は自分たちの楽曲を完全な形の譜面に起こしたのだった。
「大変だったぞ!」
会うなりマヤはそう言って、コピーした全員分の楽譜を配った。目が血走っている。パソコンのアプリで作った楽譜を、コンビニに駆け込んでまとめてプリントしてきたという。プリント代はあとで払っておこう。
「よーし、時間ないからね!ビシバシいくよー!」
ミチルの号令が響く。だんだんノリが体育会系になってきたフュージョン部である。するとドアが開いて、薫と3年生のユメ先輩、ソウヘイ先輩が現れた。
「おはようございます」
「おはよー」
「うーす」
ノリがいつもと変わらないが、先輩二人は私服である。夏休み中とはいえ、よく校門を通してもらえたものだ。先輩二人は、予定が入っている他の3人の先輩に代わって、演奏の指導に来てくれたのである。ソウヘイ先輩の肩には、大きなクーラーボックスが下げられている。ユメ先輩はメンバーをぐるりと見渡した。
「おー、ついに世界デビューか。市民音楽祭から一気に飛躍したわね。鼻が高いわ」
「わしも教えた甲斐があったわい」
ソウヘイ先輩の泣き真似を無視して、薫は機材のセッティングを手伝った。ミキサー、アンプ、モニタースピーカーNS-1000M改に問題がない事を、自身でギターの音出しをしてチェックする。
「わざわざ来てくれたのね、薫くん。他の子たちは、邪魔になったらダメだからって言ってたけど」
「リハーサルのオーディエンスは多い方がいいでしょ。あと、戸田さん以外は単に宿題に追われてるだけだよ」
相変わらず、可愛い顔して言う事は容赦がない。しかし、あの動画配信チームがホントに宿題に取り組んでいるか一抹の不安が残る。なぜかというと、すでに先輩たちのカートレースに、オタマトーンで嘘くさい即興のTRUTHを重ねた動画をアップしているからである。いちおう、「世界が舞台っスね!!」「頑張ってください!!」「リハには行けませんけど、私の生霊はいつも先輩たちの側にいます!!」といった激励のメッセージは届いているが。激励に生霊を飛ばすな。
オリジナル音源のCD-R化は色々あって棚上げされていたが、音源そのものはすでに先輩たちにも聴いてもらっており、高評価を受け取っている。だが、3曲ばかり演奏してみたところ、ユメ先輩やソウヘイ先輩いわく、まだ演奏の一体感が欠けている、という。
「ジュナ、ちょっと代われ」
そう言うとソウヘイ先輩はジュナのレスポールを受け取り、ポジションに立った。ユメ先輩もわざわざ持って来た自分のサックスを取り出して、ミチルと代わった。
「特にミチルとジュナはリード役だからな。最後にやった曲、もう一度やってみるぞ」
ソウヘイ先輩の合図で、マーコがリズムを取る。ミチル作曲の、ストレートな8ビート”Seaside Way”だ。薫と一緒に客席側に行き、先輩二人にギター、サックスを代わってもらった演奏を聴く。
「…合ってる」
「うん」
ミチルとジュナは、感心するより先に首を傾げた。自分達の演奏も十分合っていると思っていたが、こうして聴き手側に回ってみると、デモ音源より見事にまとまりが出来ている。二人とも、演奏しながら他のメンバーの様子を見る余裕があるほどだ。演奏が終わったあと、先輩二人はさっさとポジションを離れた。いつになく真剣な表情だ。ソウヘイ先輩は言った。
「ひとつ言っておくけど、いま話してるのは高度なレベルでの話だからな。バンド始めて間もない奴の”合ってない”とは違う次元の。そうじゃなく、お前たちならもっと上に行けるってことだ」
「…何が違うんですか」
「見てなかったか」
うん?どういうことだ。そこは、聴いてなかったか、と言うべきなのではないか。だが、ミチルはすぐに気がついた。
「あっ」
「なんだ」
ジュナが訊ねるので、ミチルは小さく耳打ちした。ジュナは小さく頷いて、ソウヘイ先輩からレスポールを受け取る。ミチルが合図を送って、もう一度同じ曲を演奏してみた。
ミチルもジュナも、真剣な顔でそれぞれサックスとギターを演奏した。心地よい。ほんのわずかな事なのだが、さっきまでと全然違う。ユメ先輩とソウヘイ先輩が、頷き合っている。演奏が終わると、二人は拍手をしてくれた。
「そう、そう。それでいい」
「もう教える事ねーんじゃねーのか」
ソウヘイ先輩は、漫画に出てくる師匠みたいな事を言って笑った。だが、やはりいつものくだけた先輩とは少しだけ違う。
「わかったか」
「はい。…単純な事でした」
ミチルは複雑な表情を見せた。ミチル達は、一瞬で特別な技法を身に付けたわけではない。むしろ、その逆である。改めて、「ドラムのリズムに意識を集中する」という基本に立ち返ったのだ。二人の先輩が、わざとらしく演奏中に他のメンバーを振り向いてみせたのは、それに気付かせるためだった。5人の演奏能力は、驚くほど向上している。だからこそ、基本中の基本を軽んじていた事を、二人の先輩はわずか3曲の演奏で見抜いたのだ。
やはり先輩たちは凄い。先輩たちこそ、檜舞台に立つべきなのではないか、とミチルは思った。だが、ユメ先輩はそれを察したのかどうか、ミチルの肩をポンと叩いた。
「ミチル。私たちに変な気遣いは、要らないからね。いま、あなた達が考えるべきなのは、依頼された仕事をきちっと終わらせる事でしょ。ギャラをもらう契約をしたってことは、もうあなた達はすでに”プロ”なのよ」
ミチル達は、その言葉にハッとさせられた。そうだ。私たちは”仕事”を依頼されたのだ。アルバイトではない。
「他の事考えてる余裕なんてないよ。さあ、まだやってない2曲、通しでやってみて。」
「はい!」
ミチルは、先輩の目を真っ直ぐに見る。1年以上、この人に演奏を教わってきた。その成果を、3万人のオーディエンスにぶつける時が来ようとしているのだ。ミチルは一人ではない。ミチルのサックスには、ユメ先輩の想いが込められている。それは、ジュナたちにとっても同じである。先輩たちの分まで、私たちは演奏するんだ。
ステファニー・カールソンのスタッフからの、リハーサル日程のメールが届いている事に気付くのは、先輩たちが買って来てくれたドリンクで休憩している時だった。