After tonight
その日は、ミチルに引っ切り無しにLINEや通話、電話が入ってきた。多くは安否を気遣うものだったが、一人だけ物騒な人間がいた。他の面子がデジタル通信機器を利用している中、そいつだけは究極のアナログ通信手段を用いてきた。
「おじさん、ミチルいますか!!」
そう、フュージョン部のギタリスト折登谷ジュナは、生身でミチル宅にバッグを背負って現れたのである。右肩には金属バットをかけている。よくここまで職質を受けずに来られたものだと思ったら、あとで聞いた所によると2回受けたらしい。
ジュナは勝手知りすぎた大原さん宅に乗り込むと、ノックもせずミチルの部屋のドアを開けた。
「わあ!!」
「ミチル、無事か!!」
ファッション雑誌のダイエット特集に載っているヨガのポーズを実践していたミチルは、唐突に侵入してきた不審者に驚いて、脚が変な方向に曲がりかけた。
「いだだだだ!!!」
「何やってんだよ」
驚かせた張本人が、トランスフォームしかけた手足を元に戻す手伝いをしてくれた。涙目になりながら姿勢を直し、ミチルは改めて向き合った。
「どっ、どうしたの、急に」
「ボディーガードに来た。今日泊まるから」
「はい?」
ミチルは目を丸くして、ジュナが言った言葉をようやく脳内で理解した。何を考えているのだ。
「ストーカーなんてふざけた変態野郎、見付けたら追っかけてレスポールで骨ごとミンチにしてやる」
おまわりさんこいつです。あとギブソンさんに謝れ。
「あっ、悪いけどシャワーと、カップラーメンのお湯だけ貸して。着替えと晩飯はもう持って来たから」
ジュナはスーパーで調達してきた、体に良くなさそうな食品の袋をドンと置いた。カップ麺、プロテインバー、ビタミンドリンク。ほとんど野戦食である。それを見て、ミチルは吹き出した。
「泊まるなら夕食ぐらい、用意するわよ。待ってて」
ミチルは仕方なさそうに笑いながら、母親にスマホでメッセージを送った。ジュナの分も用意してもらうためである。母からは、即座にOKの返事があった。久々に、家族以外にも料理を披露できるのが楽しいようだ。
「事件起こさないなら、どうぞ泊まってお行きなさい」
「事件起こしてんのは変態野郎だろ!」
「ノックもしないで女の子の部屋に入ってくる奴も、だいぶ変態だけどね」
「なにー!?」
二人は顔面を近付けてにらみ合うと、互いに吹き出した。
「ありがとね。来てくれて嬉しかった」
「まだ安心してらんねーぞ。ちょっとパトロール行ってくる」
「いいの!それは警察に任せておけば!」
弟といい、ギタリストというのは血の気が多い生き物なのだろうか。ミチルはジュナをとりあえず座らせると、コンビニであった事と、クレハからの話を伝えたのだった。
「小鳥遊さんに任せとけ、ってか」
「要するにそういう事みたい」
「一体何者なんだ、あの人」
女子高生ふたりが唸っても、情報がなければ何も判るはずもない。だが、只者でない事だけは確かだ。二人はジュナが買ってきたボトルコーヒーと、件のコンビニで買ってきたラクトアイスで小休止した。
「それとね」
ミチルは、クレハが話の流れの中で「ミチルはプロを目指すのか」と問われた事も話した。ジュナは、意外そうにその話を聞いていた。
「一番、そういう意識がなさそうな気がしてたけどな」
それはわかる、とミチルは思った。一番地に足がついているということは、一番現実的なものの見方をしているだろう、と考えてしまう。
「けど、プロになるつもりか、って訊いただけだろ。自分もプロを目指す、って言ったわけじゃない」
「それはそうなんだけど」
ミチルがチョコレートのマーブルアイスにスプーンを入れたところで、スマホにLINE着信の音があった。
「今日はよく鳴る日だな」
「犯人捕まったとかじゃないのか」
そうそうテンポよく話が進むか、と思ったら、メッセージは竹内顧問からのものだった。
竹内顧問からのメッセージは、まず安否の確認だった。大丈夫です、警察も動いてくれてます、と伝えると、安堵の表情のスタンプが返ってきた。ジュナが金属バットを持って現れた事は伏せておいた。
話はそれで終わりかと思っていたら、どうもその後の話が本題だったらしい。ミチルとジュナは、そのメッセージを読んで軽い驚きを覚えた。
『ところで、話はもうひとつある。さっき学校に出たら、俺を待ってた来客があってな』
何だろう、と二人は思った。竹内顧問への来客が、ミチルにどう関係するのか。顧問の話の続きは、以下のようなものだった。
『音響芸術社っていう出版社の、「月刊レコードファイル」っていう音楽雑誌の編集者が、お前達フュージョン部を取材したいと言ってきてるんだ』
音楽誌の編集者の取材申し込み。それは、全く予想外の展開だった。顧問の話によると、その女性編集者は市民音楽祭を取材に訪れており、ミチル達のパフォーマンスに興味を持ったという。ミチルは、とりあえずメンバーみんなの意見を聞いてから返事します、と答えておいた。
ところが、意外な意見が最初に相談したマヤから飛んできたのだった。
『その人、返事が早いかどうかもチェックしてると思うよ』
それはどういう事だろう、とミチルは考えた。すると、マヤの答えは明快かつ、ある意味でミチルの数歩先をゆくものだった。
『もう取材は始まってる、って事だよ。この子達の意志はどこらへんにあるのか、っていうね。だから、その気があるなら返事は早くするべきだよ。向こうは仕事でやってるんだ。つまりスケジュールがある』
その、マヤの姿勢にミチルはショックを受けた。マヤからは、プロを目指すといった話は受けていない。だが、そうでなければ、こんな受け止め方ができるものだろうか。結果的にマヤのメッセージによって、ミチルは決意した。
『レコードファイル誌編集者より取材の申し込みがあり、受ける事にしました。日程はまだ決まっていませんが、早ければ明日か明後日にも学校で取材を受けます。2年生、1年生はできれば全員制服での出校を希望しますが、都合の悪い人は今日中に伝えてください』
ひとまず、このメッセージを全員に送ったところ、なんと全員が『OK』という返事だった。そこでミチルはLINEではなく、電話を顧問にかけた。
『そうか、受けるか。わかった、先方には俺から話をしておく。明日で全員大丈夫なんだな』
「はい。よろしくお願いします」
『うん。いい声になってきた』
「え?」
『ちょっと待っててくれ。いったん切るぞ』
竹内顧問は、さっさと通話を切ってしまった。ミチルは、何がどう"いい声"なのかわからないまま、無言でジュナとスマホを挟んで待っていた。着信があるまで、それから2分と経たなかった。
『大原、話がついた。先方はレコードファイル誌編集部、ジャズ部門の京野美織さんっていう人だ。明日あさ9:00からを予定している。職員室の応接スペースで合流してくれ。俺は予定があって立ち会えんからな』
「えっ、ちょ」
『あとな、3年生にも連絡してみたが、もう自分たちの出る幕じゃない、だそうだ。じゃあ、あとは任せたぞ』
またしても、顧問はバッサリと通話を切ってしまった。丸投げか。
「なんなんだ」
ぼやくミチルに、傍らで聞いていたジュナは腕組みしてニヤニヤ笑っていた。
「なんか面白い事になってきたなあ、部長さんよ」
「他人事みたいに言ってんじゃない」
ぶつくさ言いながら、ミチルはこの場にいない全員に、明日取材を受ける旨のメッセージを手短に送信した。たぶん、1曲2曲は演奏してみせる事になるだろう、とも。
「応対するのはリーダーのミチルの役割だろ。だからマヤは、お前に促したんだ」
「…そっか」
ミチルは、決断が遅れた自分自身を何となく歯がゆく思った。マヤに言われないと決められなかったのではないか。だが、ジュナはそうじゃないだろう、と言ってくれた。
「メンバーの意見を聞くのは悪い事じゃないだろ。むしろ勝手に決めちまう方が問題だ。それに、お前の対応はそんなにマズくなかったと思うぞ、あたしは」
「そっ…そうなのかな」
「賭けてもいい。マヤもそう思ってるはずだ」
ジュナの自信はどこから来るのか。そう思っていると、マヤからのメッセージが届いた。
『よくやった。完璧な対応だったよ、リーダー。明日、学校でね』
どっちがリーダーなのかわからないが、とりあえずマヤからは合格点をもらえたらしい。
「…何が完璧なのかな」
「さあな。でも、あたしの言った通りだろ」
ジュナはニヤリと笑ってみせた。どうやら、ミチルはリーダーとしての務めを果たせたらしい。
「さて、困ったな。制服が要るんじゃ、帰らないといけないわけだ」
「あたしのもう一着、貸してあげるよ。去年のだけど、あんたスリムだし多分入るよ」
ミチルが引っ張り出した制服は、若干胸が張る以外はジュナにぴったりだった。もともと背格好は近いのだ。ジュナは、くんくんと生地の匂いを嗅いだ。
「ミチルの匂いがする」
「変態トークやめろ」
「ふうん、ありがと。借りるわ」
妙に嬉しそうなその表情は何なんだ、と思っていると、母親の車が戻ってくる音がした。いつもよりだいぶ早い。
「ミチル、話は聞いたわよ。帰るの遅くなって、ごめんね」
母親は、ミチルの肩を抱いてくれた。なんとなく、子供の頃を思い出す。ミチルは、頼もしい人物が警察に協力してくれている事を説明した。横でハルトが「黒服のサングラスかけたイケメン」とうるさい。その通りなのだが。
「だから、犯人はすぐ捕まるだろう、って」
「ミチルの友達って、変わった子が多いわよね」
それは否定できない、とミチルは思う。その筆頭がミチルの後ろから現れた。
「お邪魔してます、おばさん」
「あら、お久しぶりねジュナちゃん。今日、ミチルと一緒にいてくれるんでしょう。この子泣き虫だから、助かるわ。お夕飯、遠慮なく食べてちょうだい」
「あっ、そんなら手伝います」
そう言ったジュナを、ミチルは断固として止めた。
「いい!客は料理しなくていい!」
「いやいや、お邪魔してるだけじゃ…」
「ほら、お母さんは料理の邪魔されたくないタイプだし」
ミチルから受けた視線の意味を母親は何となく察したらしく、にこやかに頷いた。
「昨日、素敵な演奏を聴かせてくれたご褒美だから、私に任せてゆっくりしていてちょうだい」
母親にそう言われて、それならとジュナが引き下がった事にミチルは、心の中でほっとした。なぜなら、ジュナはフュージョン部きっての料理下手だからである。死んだ肉をもう一度殺す女、とさえ言われたほどで、いずれきちんと教えなくては、とマヤとクレハの意見も一致しているのだが、まだその機会はない。この夏休みの間に考えるべきだろうか。
夕食ができるまでの間にミチルとジュナはシャワーを済ませ、部屋で面白動画を観てゲラゲラ笑っていた。寝転がってノートPCをいじくるミチルの姿は、とてもではないが、現在進行形でストーカー被害に遭っている少女には見えなかった。
そんなタイミングで、クレハからのLINE通話着信があった。ひょっとして例の件か、という期待を込めて、ミチルは通話に応答した。
「もしもし」
『ミチル、今いいかしら。Wi-Fiは繋がってる?』
「OKだよ。どうしたの?」
『小鳥遊さんから。じきに、警察から犯人の目星がついたっていう連絡が行くだろう、って』
それは、期待していた連絡内容に近かったものの、微妙に異なるニュアンスを含んでいた。
「逮捕された、ではないのね」
『ええ。けど、ほとんど特定と言っていいレベルらしいわ。あとは、逮捕に漕ぎつける決め手が必要になるらしいんだけれど』
「すごいわね、小鳥遊さんて。一体どうやって、こんな短時間にそこまで…」
ミチルは心から感心した。本人が”探偵のようなもの”と自称していたのは、嘘ではなかったということか。
『小鳥遊さんいわく、犯人がミチルの情報を探っていたという行為じたいが、犯人自身を見つけ出す手がかりの提供に他ならない、ですって。出来の悪い探偵ほど、尾行もバレやすいものです、って言ってたわ』
わかりやすい例えだ。具体的に取った方法はわからないが、小鳥遊さんは犯人がミチルの情報を探った手法を逆に辿ってみた、という事なのだろう。
『実は私も推理に一枚噛んでいるのだけれどね』
「えっ!?」
『難しい話じゃないわ。いくら何でも昨日の今日という早さで、ネットの情報だけでミチルをストーキングしようなんて考える人間は、少なくとも遠い地域にはいないと思ったの。犯人はおそらく、昨日の私たちのステージを観ていた人間、それも市内か近郊在住に違いない、と私は小鳥遊さんに伝えた。そこで、”ある方法”を使って、小鳥遊さんは犯人と思しき人物の特定に成功した』
ある方法ってどういう方法だ。しかしクレハによると、それは小鳥遊さんの企業秘密だという。おそらく、法に触れないギリギリの範囲で、犯人を絞り込んで行ったのだろう。
そう思っていると、階段の下からハルトの甲高い声がした。
『ねーちゃん!警察から電話!犯人捕まったって!』
行ってるそばから、だ。スマホを耳にあてがったまま、ミチルは廊下に飛び出した。
「まじで!?」
「マジだよ!あのライブ会場にいた男だって!郊外に住んでる奴らしい!」
ミチルは、その報せに歓喜したと同時に、スマホの向こうにいる美少女の推理力にゾッとした。何もかもクレハの推理どおりである。悪い事をしたら、クレハによって警察に突き出されるのではないか。背筋に冷たいものを感じながら、ミチルは警察からの連絡をクレハに伝えた。
『そう。良かったわ。これで明日、安心して取材を受けられるわね』
「あっ」
『すごいじゃない、月刊レコードファイルなんて。私たちの活動、きちんと取材してもらいましょうね。ジュナと夜更かししないで早く寝るのよ。それじゃ、おやすみなさい』
「えっ?あ、おやすみなさい」
クレハは嬉しそうな声を残して、通話を切った。が、ミチルは釈然としない。
「…なんでジュナが私の家に泊まるって、知ってるんだろう」
「ひょっとして、ずっと前からクレハに監視されてたんじゃねーのか、お前」
脈絡なく言われたなら冗談で済むが、クレハはどうも色々な意味で冗談が通じない。ひょっとして本当に監視されているのではないか、とミチルが半ば本気で思い始めたとき、夕食が出来たというハルトの声がした。
「怖い事は考えないで、ごはんにしよう」
階段を降りる途中から、鮮烈な香りが鼻腔をくすぐった。夕食は鹿肉のローストに、トリュフのスライスがたっぷりかかったスパゲティ・カルボナーラというものだった。ジュナから、お前の家は毎日こんなもの食べてるのかと訊かれたが、そんなわけあるか。犯人逮捕という喜ばしい報告もあいまって、カルボナーラも鹿肉も至高の味わいだった。
ハルトは食事中も、シャワーを浴びた後のジュナが隣にいる事にドキドキしているのが目に見えてわかる。姉の下着姿を目撃しても大して動じないどころか「さっさと服着ろ、バカ」などと言って来るくせに、「姉の友人」となると話は別らしい。思春期よのう、のちのち追及してやろうと思いながら、ミチルはトリュフのスライスを口に運んだ。