出発当日。桐葉と衣璃亜
――到着が近いことを知らせるベルが鳴る。
駅に着いた特急が出発するまで、10分の猶予がある。
時間に余裕もあるから、到着するまで改札を通らないつもりだった。
結局、喋っている内にその時間はすぐに来た。
俺達が話し終えたのを見計らっていたように、駅にアナウンスが鳴り響いた。
「――そうだ、これ……!」
美咲がそれを渡してくれたのは、いよいよ改札を通ろうとした時のことだった。
「――さすがに、電車にも慣れた?」
念のための確認だったのに、イリアの耳には別の意味に聞こえたらしい。
小さくない怒りを込めた視線が刺さる。やたらと刺さる。
「……嫌味にしては、いささか露骨ではありませんか?」
「そうじゃなくて。もし具合が悪いなら色々考えなきゃいけないから」
「でしたら、何も。あなたがいなければ暇を持て余していたかもしれませんが」
「だからって本は読むなよ」
下を向くと途端にダメって言う人もいるみたいだし。
「分かっていますよ。美咲にも忠告されましたから」
「そんなことまでわざわざ教えてくれたのか、美咲……」
「ええ。昨日話をしている時に、少々」
そんなところまでお見通しっていうわけか。
イリアが本をよく読むから、念のために言ったんだろうな。きっと。美咲らしい。
「美咲といえば……さっきの小包はどうしました? 渡されていたでしょう?」
「開けるなら乗り換えの駅の方がいいって言われたから、上に。揺らすのも悪いと思って」
「……最後の最後まで、助けてもらったわけですか」
なんとなくだけど、中身の想像はついてた。
美咲のことだから、移動した後の食事のことを心配してくれたに決まってる。
「最後なんかじゃないって。戦いが終わらなくても……どこかで一度は、帰るんだから」
「ということは、全てはあなた次第というわけですか」
「そこでプレッシャー重くする必要、ある?」
些細なことからこんなことまで、とにもかくにも世話になりっぱなし。
美咲をできるだけ待たせたくないっていう思いくらい、俺にもある。
勿論、世話になったことだけが理由じゃないんだけど。
「そのくらいの覚悟は必要でしょう? 特にあなたは、危機的な状況の方がより大きな力を発揮するようですから」
「だからって好き好んで追い込むやつがあるか」
「あら、そんなに追い詰めてほしいんですか?」
「言ってない。誰もそんなことは言ってない。フリじゃなくて」
イリアに脅されなくたって、分かってる。
あの日、病院の屋上で美咲に言ったのは全部本心。
その時胸に抱いた思いも、嘘なんかじゃない。
エリア二九四三で過ごす予定の三年も、そのためだけのものじゃない。そんな風に思っていい筈がない。
前からあの町に住んでいる人がいて、教団はいつものごとくそういう人達も巻き込んでる。
規模自体はそこまで大きくないそうだけど、油断なんてできない。
「冗談ですよ。私にとっても、他人事ではありませんから」
「だったらどうしてあんなことを……」
「あなたにとっては特に大事なことでしょう?」
それは確かにその通り。その通りなんだけど……なんだかなぁ。
せめて向こうのメンバーにはこの半分……いや。四分の一くらい友好的に接してくれるといいんだけど。
良くも悪くも橘さん達みたいな人がいる環境なんてそうそうないだろうし。
あの人達だって、事情を知らなかったらただの生意気な女の子にしか思わなかっただろう。
一応、エリア二九四三の一部のメンバーには話が伝わってるらしい。
一部だけっていうのが不安だけど、勝手に明かしていい話でもない。厄介な。
「一体誰からそんな意地の悪さを学んだんだか……」
「何を言っているんですか。私が見ていたのはあなたと美咲だけです」
「さすがにそれは嘘だろう。……嘘だよな?」
「さあ、どうでしょう?」
何が楽しいんだこの野郎。にこにこと笑ってる場合か。
いつの間にこんな小悪魔属性を身に着けたんだろう。本当に。
嘘であってくれ。頼むから。俺の性格がねじ曲がってるみたいじゃないか。さすがにそこまで酷くない。
というか、クラスメイトとは話してたあれはどうなったんだ。
(落ち着いてると言えば、聞こえはいいけど……)
なんというか、微妙に調子に乗ってるような。悪い意味でらしくない。
「……なあ、イリア。そんなに楽しみ? この引っ越しが」
「いえ、全く。この対応には微塵も納得していませんよ。何もあんな遠く離れた地域に行かせることはないでしょう」
「その割には楽しそうに見えるんだけどな。俺」
「仏頂面の方が好みでしたか?」
「そういう話じゃなくて」
無理をしてまでそんな表情しなくていいのに。
……記憶を取り戻したことを打ち明けてから、変なところで遠慮ばっかりしてる気がする。
「……あなたが気に病む必要はありませんよ。ただ……結果的に、あなたと美咲を引き離すことになってしまいましたから」
「引き離されたわけじゃないって。そもそもイリアのせいじゃないって何度言えば……」
「だとしてもです。美咲が美咲でなければ、恨まれていてもおかしくはありません」
「恨むって……」
……どうしてそんなこと。
「十分あり得る話でしょう? ……あなたと美咲のように深い関係にあったのであれば、なおさら」
美咲が美咲じゃなかったら、そもそもこんなことにはならなかったって分かってるくせに。
「…………ちょっとそこ、じっとしてて」
「? えぇ、構いませんが……」
本当に、変なところでばっかり遠慮して。
ありもしない可能性の話なんて、するだけ無駄なのに。
「桐葉……?」
そんな奴が相手だったら、イリアが心を開くことなんてきっとなかった。
居もしないその人の気持ちも全く分からないわけじゃないけど、今はそんなのどうだっていい。
「――せっかく作ってもらったんだから、食べよう。今のうちに」
目を丸くされたって、しったことか。分からないイリアが悪い。
「ど、どう言う風の吹き回しですか? いきなり、そんな……」
「いきなりでもなんでもない。……いいから」
美咲の気持ちも、イリアなら分かってるくせに。
『ふぁいと!』
――ふたを開けてすぐ、応援のメッセージが目に入るくらい。
「……美咲も、酷なことをしますね。これを食べなければならないなんて」
「食べて栄養を付けろってことだよ。きっと」
小さな弁当箱の中、真っ先に飛び込んできた桜色のメッセージ。
嫌ってる相手に、こんなもの作れるわけがない。
「……こんなことしてくれるような人が、恨むと思う?」
「いえ、ですから……」
「だったら、ああいうのは今後禁止。破ったら怒るから。美咲の分も」
前向きで送り出してくれた美咲の気持ちに背を向けるようなことは、イリアにもしてほしくない。
「……あなたも、強情な人ですね?」
「これからは一つの屋根の下で暮らすんだから。最低限のルールは決めないと」
俺の、我がままだった。
――いつかこの町に帰るその日を、笑顔で迎えたかったから。




