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出発前日と、その後。橘の場合

 ――不幸にも、先に教団に見つかってしまった少年。


 その名前も知らなかった頃、橘にとって天条桐葉という少年はそれ以外の何者でもなかった。


 状況的に、教団に見つかったのは全くの偶然だと考えられた。

 一般人であった少年に、魔法に関わる知識を手にする術はない。


 それどころか、少年は肝心の魔力さえ雀の涙のような量しか持っていなかった。

 戦いに関わることのできる段階にすら届いていない。


 だからこそ橘は、この先二度と関わることのない相手だろうと考えていた。


 数少ない前例に倣って、恐るべき夜の記憶とその原因を封じてしまえばいい。

 そうすれば、そのまま彼は日常生活へ戻ることができる。


 ――組織の拠点で毎日のように顔を合わせることになるとは、夢にも思っていなかったのである。






「ハァ、ハァ、はぁ~~…………」


 少年は、傷のない床に大の字になって寝転がっていた。

 その様子を見た橘が『やりすぎた』と感じてしまうほど身体から力が抜けていた。


 彼は――桐葉は、旅立ちを明日に控えている。

 だからこそ橘も、必要最低限の内容にとどめるつもりだった。最初は。


「なんですか、橘さん……炎以外の魔法もあんなに使えるなら、もっと早くに言っておいてくださいよ……?」

「使えないわけがないだろう。前に話したことも忘れたか」


 基本中の基本と、その応用。

 いかに早く、確実に魔法を繰り出せるか。


 それがいつしか模擬戦にまで発展し、日付が変わるまで残り一時間を切ろうとしている。

 橘自身も気付かない内にのめり込んでしまっていた。


 一瞬の気も抜けないほどの実力を桐葉は身につけていた。


「そうじゃなくて。橘さん、炎が一番得意じゃなかったんですか……?」

「いや、それは貴様の想像通りだ。――そして、貴様であれば、それを理由に水の魔法を中心に攻めると考えた」

「だから人の水魔法で氷の彫刻を作ってみた、と……お見通しってわけですか」


 言葉にすることはなかったものの、橘も内心驚愕していた。


 神堂に鍛えられている事は勿論、経験も決して浅くない。

 それを差し引いても十分すぎるほどの能力を桐葉は手にしていた。


 以前発現した強大な力を使うことなく、互角以上にわたり合っていた。


「その程度の認識でどうする。あのように、発動時点で凍る場合は――」

「分かってます。分かってますよ。すぐ別の魔法に切り替えろ、でしょ?」

「……分かっているなら実践しようという姿勢だけでも見せろ」


 桐葉も、全く実践しようとしなかったわけではない。

 相対していた橘だからこそ、その事を最もよく理解していた。


 咄嗟に選んだであろうその方法に、両手の指では収まり切らないほど言いたい事があるというだけで。


「しましたよ。人が魔法を使ったタイミングに潰そうとするから、あんな方法になっちゃいましたけど」

「本当に他に何も思い浮かばなかったのか、貴様は……」


 自身の仕掛けた魔法を理解したからこその行動だったに違いない。

 それが分かっているからこそ、橘は深いため息をつかずにはいられなかった。


 ――桐葉は、その腕に炎を纏わせた。


 その手の系統の魔法は決して珍しいものではない。

 単純に攻撃力を上げるための手段として用いられることはある。


 何より、炎をはじめいくつかの魔法を桐葉に教えたのは他でもない橘だった。


「あんな距離から炎を噴かせてどうする。魔力が持たんぞ」

「一回きりならなんとかなるかな、って……叩きつける時に爆発で吹っ飛ばせば、再展開に時間もかかるじゃないですか」

「……魔力の回復ペースに甘えては」

「いませんってば。こいつのデータを見れば分かりますよ。あくまであれは第一段階。叩きつける時に一気に魔力を注ぎ込むつもりだったんですから」


 腕時計型の機会を桐葉が装着するのは何も初めてのことではない。


 使用した魔力を測定するために開発されたそれを装着するよう橘が指示をしたのは、今から一年前の事。

 その言いつけを、桐葉も極力守るようにしていた。


「……それにしては随分派手に燃えていたようだが?」

「そこはほら、あれですよ。威嚇目的なら派手な方がいい、みたいな」

「…………ほう」


 その素直さが常に発揮されればどれだけ楽だったかと、また橘にため息をつかせることになるのだが。


「……すみません、ちょっと加減間違えました」

「最初から素直にそう言え」


 目標値を上回っているわけでもない。

 改善の余地こそあるものの、全くできていないと前では言えない程度。


(……やれるだけのことはやっているということか)


 念のために設定したペナルティも、実際に課せられたことはほとんどなかった。


「……まあ、そうだな。あの状況から《薙焔》に繋げたのは上出来と言ってやってもいい」

「見よう見まねですけどね。……できれば、《魔力剣》で使いたかったんですけど」

「ならばそれも今後の課題にしておけ。あの程度で極めたと思うなよ」

「口が裂けても言えませんよ。そんなこと」


 事実、それで一度突破に成功している。


 そして二度目。

 通じないと悟るや否や、すぐさま別の手段を模索していたことも、橘は当然理解していた。


 ――その時になって、橘は桐葉の異変に気付いた。


「……どうした。今日は随分と素直だな」

「あれ、お気に召しませんでした? 生意気くらいいくらでも言えますよ?」


 しかし、指摘した途端にいつも通り。

 全身の関節を鳴らしながら起き上がる姿は、橘がよく知る桐葉のものだった。


「無理をしているのなら今すぐ止めろ。そんな姿を見せるな」

「別にそういうわけじゃありませんよ」


 初めて会ったその日とは見違えるほどに落ち着いた様子の――それでいて、橘がよく知る生意気な少年。


「ただ……いつもの感謝を、と思って。これでも、明日には出発することになってるんですから」

「それなら最初に聞いた。何度も言わなくていい。今生の別れというわけでもない」

「…………ですね」


 一つの決を胸に今旅立とうとする姿にはある種の頼もしさを感じる。


「そうならないためにも、胃をやられてくたばったりしないでくださいね、橘さん?」

「貴様こそ、馬鹿な真似をして倒れたりするなよ」


 しかしやはり、変わり果ててしまったわけではない。






「――何やら、忍び込ませていたようですよ?」


 どうしたんだろう。今度は。あの箱に変なものなんて入ってない筈だけど。


「忍び込ませたって? 危険物?」

「いえ、あなた宛てに。……自分の目で確かめるべきではありませんか?」


 ――入ってたのは、小さな箱だった。


 早めに送ったこの段ボールに何かを入れられる人なんて限られる。

 こんなラッピングされた箱、詰めたときは絶対になかった。


(…………って、カード?)


『好きに使え』


 あ、これ橘さんだ。

 綺麗な字に不愛想な文章なんて、それこそあの人以外にあり得ない。賭けてもいい。


 こんな小さな紙によく書くよ。本当に。


(また随分あの人らしくないサプライズを……なんだろう、これ)


 ずいぶんおしゃれなラッピング。

 上手く言えないけど、社会人向けって感じ。


 まあでも、橘さんには似合いs


「ばっ…………!!?」


 ――入っていたのは、腕時計だった。


 それも明らかに高そうなやつ。間違っても高校生がつけるようなものじゃない。


「……そういう常識はないようですね」

「本っ当に変なところで甘いんだからもう……!」


 どうしてこういうところで常識を捨てるんだよ。あの人は。


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