帰還
「リジルちゃん!お帰りなさい!」
ジルベール家本邸に帰ってきて、リジルはリリアンの熱烈な出迎えを受けていた。
「リリアン様、ただいま帰りました」
「もう!心配したのよ!ケガは?また痩せたのではなくて?」
上から下まで眺めまわし、ほっぺたを包まれて、リジルはされるがままだ。それを囲む家の物は、苦笑しながらも誰も止めない。
リジルが行方不明になってからのリリアンは、それはそれは、情緒不安定な日々を過ごしていたからだ。
しばらく横で様子を見ていたノアルが、少々ふらつくリジルの腰を支える。
「母上、それくらいで。リジルも疲れています。休ませてください」
「そうね。今日はゆっくり休んで。エルダ!サンティエ!」
《はい!》
「リジルちゃんをお願いね」
《よろこんで!》
「いや、俺が運ぶ」
《⁈》
エルダとサンティエの間を、ノアルがリジルを横抱きにしてスタスタ歩いていく。
「あらあらぁ」
リリアンが含み笑いをしていると、我に返った侍女二人が後を追った。
「ノアル様!独り占めはダメですよ!」
「そうです!リジル様はみんなもの!」
「え?」
侍女二人の意見にリジルは目を大きくし、ノアルは鼻で笑って進んでいく。以前使っていた部屋は、当時のまま残されていた。掃除もしていたのか、すぐにでも使えるようだ。
ノアルはベッドにリジルを下ろした。丁寧に靴を脱がせて横にさせる。
「疲れたろ。しばらく休め」
「はい」
以前とは違う空気に侍女二人は視線を絡ませた。
『まさか』とサンティエが目を送るとエルダは懐疑的に首をひねった。
『どうなのかしら?』
とっ捕まえて聞くしかないと結論に至った二人は、ノアルが部屋を出て早々に拉致する。
「で?坊ちゃま。進展はあったんですの?」
「坊ちゃま言うな」
「あらあ、坊ちゃまは坊ちゃまですよぉ」
ニタつくサンティエと真剣なエルダに、ノアルは明後日の方向を向いた。ジルベール家では個人の感情は筒抜けらしい。
どんだけ敏感に出来てるんだお前らという視線を送れば、二人は口角を上げた。
《駄々洩れですよお》
「で?どうなんです?好きなんですよね?言ったんですか?」
エルダにズイズイ迫られて、ノアルは言うに詰まった。
「いや、まだ、伝えてない」
照れながら言うノアルに二人は衝撃を受ける。
「何たる奥手」
ふらつくエルダをサンティエが支える。
「エルダ、ここは私たちの出番では」
「そうね。それがいいわ。サンティエ、作戦を…」
「いや、それは断る」
またよからぬ事を計画しようとしている二人にノアルは待ったをかけた。
「これは俺の問題だから。二人に入られては困るんだ」
「ですが、告白できなかったらどうするんです?」
「今度ここで慰労会という名の夜会があるだろ。その時に言うつもりだ」
「なるほど。では私たちは万全なるサポート体制で挑ませていただきます」
「いや、エルダ、話聞いてた?」
「もちろんでございますよ。さ、サンティエ。そうと決まれば夜会についてリリアン様にご相談するわよ」
「はい!エルダ」
止めようとしたノアルを置いて、エルダとサンティエは風のようにその場を去っていった。一人残されたノアルは盛大なため息をつく。そして苦笑を漏らした。
「やっぱり、帰ってくる前に言っておくべきだった」
後悔先に立たず。世の中そんなもんだ。そう思ってノアルはその場を後にした。
「え?夜会ですか?」
翌日、サンティエにそう言われて、リジルは困惑する。貴族の夜会など出たことのない平民のため、言われてもピンとこない。
「はい。そんなに堅苦しいものではなく、戦争に関わった方々の慰労会を兼ねておりますから。一か月後に行われますので、その間に最低限のマナーだけ覚えていただければ大丈夫ですよ」
「でも」
「リジル様に出ていただくのは決定事項ですので。あしからず。テーブルマナーなどは関係のない立食スタイルですので、そこは省きますね。ドレスなどはこちらで手配させていただいておりますので、後で手直しさせていただきま…」
「リジルちゃん!おはよう!体の調子はいかが?」
ノックと同時に入ってきたのはリリアンだった。いつもと張り切りようが違うのを見てリジルは気圧される。
「おはようございます。リリアン様」
「お母様」
「…え?」
「お母様と呼んでちょうだい」
困惑するリジルにリリアンが迫る。
そんな二人を見つめるサンティエの目には、背景に百合が映し出されて一人悶える。横で口元を覆い悶えているサンティエに、リジルは目が点になる。
「この子はほっときなさい。たまに持病の発作が出るのよ。それよりリジルちゃん。言ってみましょうか」
「お、お母様」
「…」
なぜかリリアンまでもその場でうずくまってしまう。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですよ。ああ、なんて甘美な響きなんでしょう」
「奥様、ようございました。帰ってきたら言ってほしいってずっと言われていましたものね」
涙で語らう女主人と侍女に、リジルは苦笑する。同時に、2週間前まで敵地にいたとは思えない平和な時間に、ホッとする。
今は戦後処理真っただ中で、内も外も慌ただしい。ようやく帰ってきたという実感がリジルの中に芽生えた瞬間だった。
「というわけで、リジルちゃんのマナー指導は私が担当します。まだ腕が完治していないとノアルに言われたわ。調子を見て、一週間後くらいから始めるけれどよろしいかしら?」
崩れた態勢を整えてから、リリアンが提案してくる。
「よろしくお願いします。お母様」
「…」
またうずくまってしまった。この先、これで大丈夫なのだろうか。言えと言われたけれど、言わない方がいいのでは?
リジルは一抹の不安を覚えた。
宣言どおり、一週間後からリリアンのマナー教室は開催された。主に立ち居振る舞いと、着なれないドレスや靴を履いての生活を取り入れられた。
「リジルちゃん、背筋のばして。そう、肩に力を入れないでね」
低いヒールのある靴を履いて、背筋をピンと伸ばす。ヒールなんて履いたことのないリジルにとって、これはかなり苦戦を強いられた。
「徐々に慣れていきましょう。こういうのは慣れることが一番ですからね」
それから一時間みっちりレッスンを受けて、リジルはヘロヘロになったまま部屋のソファに体をゆだねた。
すかさずエルダがお茶とお菓子を用意してくれる。
「大丈夫ですか?」
「はい。使わない筋肉を使ったので、既に筋肉痛です」
弱弱しく言うと、エルダがクスクス笑う。
「奥様も、なんだかんだで嬉しくて、つい指導に熱が入ってしまうと反省されておりましたよ」
「リリア…お母様の指導は丁寧で分かりやすいです」
「それ、奥様に直接言ってあげてくださいね。諸手を挙げて喜ばれますよ」
「ふふっ」
想像できて可笑しくなった。リリアンは表情豊かだ。来た頃の他人行儀さが無くなって、受け入れられたんだなあとリジルは密かに嬉しかった。




