家族
「おはよう、リジル。よく眠れたか?」
「おはようございます」
目を覚ますとノアルの顔がのぞき込んでいて、リジルは息をのんだ。ユダーからジルベール家に来た日より、診察のいつもの日常と化していたその光景に、赤面してしまう日が来ようとは、彼女も思っていなかった。
朝食を二人で食べて、それから触診と腕の状態を確認される。
「腕はどのくらい動く?」
「だいぶん強張りも解けて、少しだけど力が入るようになりました」
右腕をゆっくり上がる位置まで上げていく。肩くらいまで上げると、どうしてもひきつる感じがして、それ以上は上がらなかった。
「調子はいいようだ。時間がある時でいいから動かす練習を毎日やろうな」
「はい」
そんな光景に、侍女二人は眩しいものでも見るように見守っている。
「ああ、リジル様尊い」
「ノアル様のあんな柔らかい表情を毎日お目にかかれる日が来ようとは、エルダ感無量でございます」
リジルとノアルには聞こえない程度の音量で、二人は悶えていた。
「サンティエ」
「はい」
「慰労会、頑張るわよ」
「もちろんですとも。ああ。今から腕がなるぅ」
そんな会話が交わされているとはつゆ知らず。
リジルはノアルに連れられて裏庭へと足を運んだ。リハビリついでの散歩は帰ってきてからもまた日課として取り入れられている。
ノアルが腰を支えており、その近い距離に、リジルは心臓がドキドキ脈打つのをやめられないでいた。
気を散らしたせいか、小石に躓き倒れそうになるのをノアルが支えていた腕に力を入れたことで回避する。
「ごめんなさい。躓いてしまって」
「大丈夫か」
「はい。あの、ありがとうございます」
「気にするな」
柔らかく微笑まれて、ドキンと胸が高鳴る。頬を染めて見入っていたリジルは、はたと我に返った。
「ノアル、ちゃんと寝てます?」
「どうしてだ?」
「またクマが出来てますよ」
ふいにリジルがノアルの頬を触るものだから、ノアルもピシりと動きが止まる。
「ちゃんと寝てくださいね」
「ああ」
心配されていることに嬉しくなって、ノアルはまたもや微笑みを浮かべ、それを見たリジルが赤面するという場面がそれから幾度となく繰り返される。
リジルは心臓がドキドキしっぱなしで身が持たないと思った。
しばらく歩くと、薔薇の咲くエリアに来た。備え付けのベンチに腰を下ろすと、満開の薔薇で、辺り一面芳香に包まれている。
「見事ですね」
「満開になる前に帰ってこれて良かった。母上が趣味で植えているんだ」
「小さい頃、領主様のお屋敷に薔薇園があったのを思い出します」
「行ったことがあるのか?」
「はい。あの頃はまだ内戦もなかったから、当時の領主様は良い方で、年に一度オープンパーティーをされてたんです。季節は丁度今頃ですね。庭の隅に植えられた白薔薇が見事で、その日はパーティーそっちのけで花ばかり眺めていました」
当時のことを思い出しているのか、リジルの目は細められて遠くを見ているようだった。
「ノアル、ありがとうございます。こちらでも薔薇を見られて嬉しいです」
笑顔のリジルにノアルもつられて笑顔になる。
「また明日もここによるか」
「はい。是非」
その後庭を一周して部屋に戻ると、ソファにはアレクが優雅にお茶をしながら待っていた。
「アレクさん」
「リジルちゃん!良かったわ。無事に戻ったのね」
リジルの姿を認めて、アレクは傍まで来るとギュッと抱きかかえてくるくる回った。
「はあ。本当に良かったわ」
「アレクさんは今までどちらに?」
「リジルちゃんを迎えにモルダーへ途中まで行ってたのだけど、部下から救出したと連絡があってね。その足でまた国境に戻って、今まで戦後処理手伝ってたのよ。あ、ノアルを探さなかったのは、またどうにかするでしょうと思ってね。話聞いたけど、転移で戻れなくなるとかお間抜けさんよねぇ」
口に手を当ててプププと笑うアレクにノアルが眉間にしわを寄せる。
「でもまあ、なんにせよ二人が帰ってきて良かったわ。午後には父上も戻るから、またその時にお話しましょ」
「はい」
「用事無いなら早く出ろよ」
「はいはい。お邪魔虫は退散しますよ。それじゃあリジルちゃんまたねぇ」
ひらひら手を振りながら出ていくアレクに、リジルは苦笑する。
「ノアルもお兄さんの前では形無しですね」
「まあ、そうだな。2年とはいえ、年上は年上だから、頭が上がらない時もある」
バツの悪そうな顔をするノアルを見て、不謹慎にも可愛いと思ってしまうリジルだった。
午後からは予定通りにサイモンが帰宅し、セオ以外のジルベール家が全員そろった。リビングのソファに皆で座る。
「ただいま。だいぶ片付いたんで戻ってきた。変わりなはいか」
「ええ。あなたはだいぶんやつれたかしら」
「リリー、大丈夫だ。留守中よく家を守ってくれた」
「それが私の仕事ですもの。抜かりなくってよ」
両親のイチャイチャも見慣れたもので、アレクとノアルは無感情にその光景を眺めていた。リジルはノアルの隣でどういう顔をしていいか分からずに困惑気味である。
「さて、3週間後の慰労会なんだが、リジルのお披露目をしようと思っている」
まさかの提案に、リジルは目を白黒させた。
「お披露目ですか?」
「そうだ。ジルベール家の一員になったのだから、お披露目をしたい。ダメか?」
当主にダメかと言われて、はいダメですとは言えない。
「分かりました。でも、私、どうしたらいいのでしょう」
「そこはリリーと侍女たちに任せてあるから大丈夫だ」
「そうよ、リジルちゃん。私たちに任せて頂戴。完璧に仕上げてあげるわ!」
鼻息荒く言うリリアンに、若干腰が引ける。
「こらリリー。そんなに前のめりになるから、リジルが驚いているじゃないか」
「あら、ごめんなさいね。つい、うっかり」
サイモンに窘められてリリアンが座りなおした。
「父上、セオはいつこっちに来られるのかしら?」
「ああ、昨日連絡があってな。あいつは慰労会の前日だ。戦後処理で宰相補佐は連日仕事に追われているらしい。それに、密偵が入り込んでいたことも問題に上がってな。そこら辺の対策も急ピッチで処理しているそうだ。アレク、お前は問題ないな」
「ええ。あらかた片付いたから大丈夫よ」
「ノアルは」
「大丈夫だ」
「じゃあ、慰労会までに各自体調をしっかり整えておくこと。良いな」
ノアルがサイモンと話があるとのことで、部屋への付き添いはアレクがしてくれることになった。
「この距離なら一人で大丈夫なのに」
「遠慮しなくていいのよ。まだ本調子じゃないんでしょ?あの子も心配なのよ。気持ちは受け取ってあげてね」
横を歩くアレクはリジルの歩調に合わせてゆっくり歩いてくれる。
「そういえば、母上がマナー指導してるって聞いたわよ?」
「はい。なかなか慣れなくて大変です」
「張り切りすぎちゃってるでしょ、ごめんなさいねえ」
「いいえ。私のこと、体調面とかいろいろ考えてくれていて、ちょっと嬉しいです」
「ふふ。それは良かったわ。それはそうと、なぜ母が娘が欲しかったか分かる?」
「どうしてですか?」
「うち、男兄弟ばかりでしょ。実はね、もう一人末に女の子が生まれたんだけど、死産だったの」
「え」
「母上、それはすごいショックを受けてね。何日も部屋に引きこもって泣いていたのよ」
「そんな話一度も…」
「まあ、聞かせるような話でもないし、今は元気にふるまっているけれど、心の傷って、やっぱり時が経ってもあると思うのよ。それでね。あまりにも元気が無いから、私が女装したの」
「⁈」
「今はもう声変わりもして、体つきも頑丈になっちゃったけど、昔はこれでも天使ともてはやされたほど可愛かったのよ」
パチンとウィンクするアレクにリジルは目を丸くして驚く。
「それで、その言葉使いなんですか?」
「ええ。長年やってたら染みついちゃって取れなくなっちゃったのよねぇ。でも、母上は徐々に元気になったし、それはそれで良かったって思うわ。そして今はリジルちゃんがいるもの」
大きな手に撫でられて、リジルはくすぐったい気持ちになる。まるで兄と話しているような気分になった。
「リジルちゃんも、いろいろ心に抱えているものがあると思うけど、ここでは何でも言いなさいね。私たちは家族なんだから」
「家族…」
「そう。私のことはアレク兄さまと呼んでちょうだいね。むしろ呼んでくれなきゃ拗ねるわよ」
「ふふ。ありがとう、アレク兄さま」
「あの笑顔は反則だわぁ…」
リジルを送って再びリビングに戻ったアレクが、リジルが見せた満面の笑顔を思い出して悶えたとかなんとか。
その様子を偶然通りかかった執事のクロードが見てしまい、ため息をつきながら「ここにもリジル様の笑顔に悩殺された犠牲者が…」と呟いたという。




