再会
「もう大丈夫」
メルからお墨付きをもらったのは、臥せってから14日目。ようやく熱が下がり、痛みが引いてきた頃だった。最初の5日間は意識が朦朧としていて、ほとんど記憶がない。その後、徐々に熱が下がり、意識もはっきりしだして、少しずつ食べ物を食べるという生活が続いた。
正直言うと、体力も、食事量も以前に返ってしまったように無くなっている。
萎えた体をゆっくり動かして何とかベッドに座ろうとするが、力を失って後ろに倒れこみそうになる。
それをメルに支えられて、後ろにクッションを入れてもらい、ようやく座れるようになる。
「メルさん、ありがとうございます」
「良いのよ。それよりもこれ」
差し出されたスープを見て、リジルは小さく息を吐いた。食欲はない。それでもこれだけは食べてとメルに差し出されれば、食べるほかなかった。
スプーンですくって口に持っていくだけでも腕が震える。刺された方の右腕は、力を入れるとまだ痛みがあり、リジルは左手を使ってスプーンを動かしていた。
時間をかけて、最後の方はほぼ無理やり流し込み、空の皿をメルに返せば、彼女は子どもをあやすようにリジルの頭を撫でた。
「よく頑張りました」
食後に苦い薬を飲むと、リジルは力尽きる。この作業が一番苦行に近かった。
「どうしてこんなに苦いんですか」
「良薬口に苦しと昔から言われる通りですよ。それだけ効能があります。我慢して飲んでくださいね」
「はーい」
嫌そうにむすっとした顔で言えば、メルは口に手を当てて笑っていた。
「そういえば、レグナム様は?」
彼はここ数日見かけていない。そう思ってメルに尋ねる。
「お忙しく多方駆けずり回っておりますよ。何せキキョウ宮に賊が侵入したのです。これを機に、レグナム様は膿を一掃されるおつもりですから」
「膿?」
「貴方を騒動に巻き込んでしまっていること、申し訳ないと思います。本当にごめんなさい」
突然の謝罪にリジルは目を白黒させる。メルは深々と頭を下げていた。
「実は、王宮内では今、王太子派と王弟派に分かれているのです。現王は床に伏してすでに6年ほど経っていて、どさくさにまぎれ実権を王弟に握られてしまいました。王太子はその時まだ14歳。国を治めるには若く、現政権は傀儡政権なのです」
まさかの告白に、リジルは二の句が継げないでいた。
メルの言葉を引き継いで、部屋の警護に当たっていたフォンが語った。
「王女シェリス様は王弟派で、好戦的な人柄で知られています。彼女が今回貴方を人質としてこちらに連れてきました。権力的には彼女の方が上で、レグナム様や、王太子様は否と言えない立場です。主張が正しければヴィーネが折れると交渉の場を設けました。結果は残念なものになってしまった。シェリス様は自分の失敗をお認めになられる方ではありません。今回難癖をつけ、隙をついて貴方を弑そうとした。我々はそう考えております」
語られる言葉の意味を理解しようとして、頭がそれを拒否しようとする。
「つまり…」
「とんだとばっちりだということです。もうすでに貴方は事の中心に、貴方の意思に関係なく立たされています。申し訳ありません」
フォンからも謝罪され、リジルは眩暈を覚えて背中のクッションに身を預けた。自分はただの平民だ。今など人質の立場で、しかもまた傷を負って、ベッドの住人である。そんな自分がまさか他国のお家騒動に巻き込まれるとは思ってもおらず、リジルは呆然と天井に視線を彷徨わせた。
「また、狙われるのでしょうか」
「可能性は否定できません。ですがお守りします」
フォンに力強く言われ、メルからも頷かれ、リジルは身震いする。だが、逃げ場などない。リジルは深々頭を下げた。
「よろしくお願いします。こちらに、レグナム様の宮に来れて良かったです。そうでなければ、今頃私、野垂れ死にしていたと思うから」
「騒動が収まり次第、レグナム様は貴方をヴィーネへ返すと仰っておりました。辛抱をさせてしまうことお許しください」
「私はしがない平民です。こんな私を守ってくださると、そのお心だけで充分です。それで、今後はどのように?」
「…子細は主よりお聞きください」
夜になってレグナムが宮に帰ると、ラウドより宮の報告を受ける。その中には日中のリジルの様子も入っており、レグナムは方眉を上げた。
「そうか。メルとフォンが」
「先走るなと忠告をしておいたはずなんだがな…。全く俺の言うことは聞きゃしない」
ラウドが無表情の中にいら立ちをちらつかせて言えば、レグナムは苦笑する。
「心苦しいと思ったのだろう。黙っているのも限界だったはずだ。あの二人は彼女の近くに常にいる。巻き込んでしまったこちらの責任でもあるからな」
「それで、行くのか?」
「ああ。機は熟した。兄上も覚悟を決めたよ。父上には報告済みだ」
話をしているうちにリジルの部屋の前に来ていた。執務室に入る前に寄ると、リジルは小さな寝息を立て、休んでいる所だった。メルが気づいて口元に指を立てて静かにするよう促す。
「先ほどまでレグナム様の帰りを待っていらっしゃいました」
「いい。まださほど回復していないんだろう?」
「はい。やっと食事を完食できるようになったのですが、体力が落ちてしまって、リハビリはこれからになります」
来た頃よりやつれてしまったリジルの頬を見て、レグナムは何とも言えない顔になった。
「フォン、お前はこのままリジルの警護をしてくれ」
「ですが」
「ラウドを連れていく。心配するな」
「いや、ですが、別の意味で心配ですよ」
「まあ、そうだな…。大丈夫だろ?」
後ろに立っているラウドを二人して振り返れば、彼は無表情で親指を立てていた。
「任せろ。主の背中くらいは守れる」
「いや、お前の暴走の方に俺は心配をだな」
「むしろ暴走した方が、火種になっていい」
ラウドとフォンは静かに言い合いを開始した。一応はリジルに気を使っているらしい。
「レグナム様?」
二人に気を取られていると、リジルの声が聞こえた。向き直ると、リジルが薄っすら目を開けてこちらを見ている。
「すまない、起きたか。具合は?」
「メルさんのおかげで、だいぶ良くなりましたよ」
弱弱しい笑顔に、レグナムはちくりと心が痛くなる。警備は万全のはずだった。なのに女子一人守れないとは不甲斐ない。そんな思いが彼の中にはあった。
リジルの右腕は包帯できっちり固定されている。そこから伸びる腕は、少し握れば折れてしまいそうなほど細い。
「君に傷を残してしまうことを許してほしい。本当に、すまない」
「今更ですよ。私には、この腕よりも深い傷が体に残っています。傷の一つや二つ増えたところで大して変わりません。むしろ、こうやって生きているのが不思議です」
右腕の傷は深く、出血も酷かったとリジルはメルから聞いている。それでもなおこうして生きていることが、リジルは不思議でならなかった。
「謝らないでください。そう思うなら、私みたいな人間ができないように、平和な国を作ってください」
虚を突かれてレグナムは目を見開く。瞳に映る彼女の目は力強く輝いて見えた。
「間違いは、正さねばなりません。目を背けては、前に進めない」
リジルの一言一言が、胸に刺さる。それは、ようやく次に進もうとするレグナムの心の叫びだった。
「必ず、平和を作ると約束する」
「はい。私は寝てることしかできませんが、皆さんの無事をお祈りしています」
そこまで言ってから、リジルは目を閉じた。体力が限界に近づいていたのだ。瞼は重く、再度持ち上げることはできなかった。レグナム達はその後すぐ部屋を出たようだった。
人の気配が無くなると、そのまま深い眠りに落ちる。
多分夢の中だと、リジルは辺りをキョロキョロ見渡す。
暗闇を歩いた先にあったのは一面の草原だった。よく見ると遠くに川が流れている。そよ風がリジルの顔を撫でた。
サクサクと草むらの中を進む。ようやくたどり着いた川岸に、人影が見える。
誰だろうと近づくと、向こうもこちらに気づいたようだった。
「…兄さん?」
そこにいたのは、今は亡き兄だった。元気だったころの姿で、リジルの目の前にいる。思わず駆け寄って抱き着くと、兄も抱き返してきた。
「リジル」
「兄さん」
「また会えてうれしい」
「私も」
「でも、あまりここに居ちゃいけない」
「なぜ?」
顔を上げると兄が悲しそうな顔をしてリジルを見ていた。
「ここはね、死後の世界に繋がる庭なんだよ。この川を渡ると、お前は死んでしまうんだ」
そう言って指さした川は広く、どうやら底も深いようだ。ふるりと体が揺れる。
「私は死ぬの?」
「まだ死ねないだろう?お前は誰かを探しているんじゃなかったのかい?」
そう言われて、リジルは当初の目的を思い出す。
「先生…。ノアル先生…」
「そう、彼もこの庭に迷い込んでいるよ」
「え?」
慌てて辺りを見渡すが、草原が広がるばかりで、間近には兄以外誰もいない。
「ここでは、強く思うことが大切なんだ」
「強く思う?」
「そう。リジルは彼に会いたいんだろう?」
「会いたい」
「その気持ちを持って探してごらん。きっと見つかるから」
気づけば辺りは夕暮れに染まっていた。遠くから鐘の音が聞こえる。それに気づいた兄が、そっとリジルを撫でた。
「俺はもう行かなきゃ。リジル、またね」
「え、兄さん?」
言ったときにはすでに兄の姿は何処にもなかった。サワサワと草の揺れる音だけが、聞こえる。
「…探さなきゃ」
行方不明のノアルがここに居るという。ならば、見つけるだけだ。振り返った草原は果てが無いように広がっている。
リジルは気合を入れて、ノアルを探し始めた。
どれだけ歩いたか分からない。とうとう疲れてリジルは道脇にある大きな岩に腰を下ろした。夜の帳がすでに包んでおり、辺りは静かだ。
それなのに辺りは青白く光り、足元を照らしている。それはリジルの心と呼応するようだった。
この先に先生がいる。なぜかリジルは確信があった。少し休憩し、息を整えると、再度歩き出す。風の音とリジルの足音だけが響く。
「先生?」
草原の先に、彼は居た。突然声をかけたためか、びくりと背中が揺れている。恐る恐る振り向いた彼は、目を見開いてこちらを凝視していた。
「先生」
もう一度呼べば、ふらりとこちらに近づいてきた。髪も髭もぼさぼさなのは、ユダーでも見慣れた姿だった。
離れてからそこまで経っていないはずなのに、懐かしいとリジルは思う。
そばまで来たノアルは、リジルの頬をそっと両手で包んだ。
「リジル?」
「はい」
「ほんとうに…リジルなのか?」
「本当に、本物ですよ」
懐疑が確信に変わった瞬間、ノアルはリジルをかき抱いた。力強く抱きしめられたリジルは一瞬息が詰まる。ノアルの温もりに包まれて、リジルは安堵する。
しばらくそのままの状態で過ごしていたが、リジルは限界が来た。
「先生、苦しい」
「あ、ああ、すまない。まさかリジルがいるとは思わなくて」
のぞき込んだノアルの目には涙が浮かんでいる。リジルもようやく現実味が出てきたのか、目を潤ませた。
「会いたかった、ずっと」
「私もです。ノアル先生」
「ノアルと呼んでくれ。リジル」
「…ノアル…」
ノアルは、再びリジルを抱きしめた。今度はきちんと力加減をして。




