痛み
朝、リジルが起きると外が何やら騒がしかった。侍女に尋ねると、委細確認中とのことで、気になったが寝起きのままではと思い支度を始めた。
洗面所顔を洗い、ワンピースに袖を通す。これは交渉時に身に着けていたものだ。櫛で髪を梳いて、後ろで一つに括る。さっぱりしたリジルが部屋に戻れば、丁度、部屋付きの兵士が侍女に何やら話をしている。
「あの、何かあったんですか?」
「レグナム様が後で来られるそうです。その時にお話があると」
「わ、分かりました」
朝食を終えてしばらくするとノック後にレグナムが入ってきた。対面のソファに腰を下ろすと深くため息をつく。
「おはよう。よく眠れた?」
「はい。あの、お話とは」
「ああ、今朝ちょっとした騒動があってね。実はスイレン宮に仕えている侍女が早朝池で死んでいるのが見つかったんだよ」
「え?」
素直に驚きを隠せず、リジルは目を丸くしたまま固まった。
「それと、これ」
そう言って胸ポケットから取り出したのは、小さな紙だった。広げてリジルにレグナムが手渡す。それを受け取って、リジルはその書いている内容に嫌悪感を露わにする。
そこにはスイレン宮の捕虜が犯人だと書かれていた。
「私はやっていません」
「それは分かっている。四六時中監視しているのに、隙があるはずがない。つまりは、誰かが君を害そうとしている。と、この状況から推察した。君は変わらずここでおとなしくしていてくれ。犯人は必ず捕らえる。というか、主犯の大体の察しはついているんだ。残念なことに」
独白のようにレグナムが言うので、リジルは首を傾げた。
「まあ、とりあえずこの部屋の中は外から隔絶されていて入り口も一つしかない。窓も、はめ殺し窓だし、入り口には精鋭の兵士がどちら側にも配置している。」
なんと返事をしていいかも分からず、リジルはとりあえず「はい」とだけ答えた。レグナムは部屋付きの侍女と兵士に何事か伝えて部屋を出ていった。
それから数日、特に何もない穏やかな日が続いていた。
日中、リジルは絵本を読んで過ごした。それが終わると、メルが持ってきた小さな黒板に文字を書いて練習する。繰り返し、何度も。集中していたため、彼女は気づかなかった。
いつも壁際で待機している侍女の様子が、いつもと違うことに。
それは、監視の兵士が入れ替わるわずかの間だった。
宮に響き渡った叫び声に、聞きつけた周囲の人間が騒ぎ出す。
リジルのいる角の部屋では、今まさに、リジルが侍女に襲われるという構図が浮かび上がっていた。
とっさに黒板で体をかばったその先には鋭い短剣が握られている。侍女は拘束しようとして駆け寄った兵士に向けて、黒板から短剣を抜き、素早い動作で切りつけた。そして振り向きざまに隠しナイフをリジルへ向けて放ったのだった。
今度は避けきれずに、リジルはうめき声をあげてその場に崩れた。右腕にはナイフが深々と刺さっている。
侍女はそれを視界の片隅で確認すると、駆け付ける兵士の隙を通り抜け行方をくらませたのだった。
「おい!しっかりしろ!」
近くにいた兵士に抱き起されたリジルは右腕から大量の出血をしていた。腕の激痛に思わずうめき声をあげる。朦朧とする意識の中に、飛び込んできたレグナムの慌てた表情を見た後、リジルの意識は途切れた。
メルが呼ばれ、すぐに腕の処置をする。
「ナイフに毒が仕込まれていたようです。熱が酷い」
「毒の特定は?」
「今、鑑定してもらっています。とりあえず傷口は消毒し止血しました」
「命に別状は」
「無いとは言い切れません。毒によるかと」
レグナムとメルは淡々と状況確認していく。
「侍女が入れ変わっていることに気づかなかったのか?」
朝から警備していた兵士に聞けば、姿形が同じだったため、まったく気づかなかったと話す。
「アンソニー」
「はい」
「至急双子もしくは容姿の似通ったものを調べろ」
「承りました」
付き従っていた側近はすぐに部屋から出ていった。
「これでは安心できる場所が限られてくるな。落ち着いたら執務室の横の部屋に移動させる」
「レグナム様、それは」
近くにいた兵士が否を唱えようとしたためレグナムは手で制した。
「仕方ないだろう。監禁場所が襲われて、そのままその部屋を使うわけにはいかない。だが、安全な場所は限られている。むしろこの宮事態がすでに危険な場所なのかもな」
そう言うと、ベッドに寝かされているリジルを見る。高熱のため紅潮した顔に苦悶の表情を浮かべていた。
「メル、毒の特定頼んだ。処置が落ち着き次第呼んでくれ。フォン」
「はっ」
「お前はここに残れ。警護を命じる」
「了」
「俺はちょっと外に出てくる。夕方には戻る」
そう言うとレグナムは部屋を後にした。
ふと意識が浮上する。定期的に襲ってくる右腕の痛みと、熱で浮かされた頭で、リジルは苦痛の中にいた。
そばにはメルが居て、誰かと話をしているようだった。寄せては返す意識の波に、リジルはなすすべも無く、点滅する視界の中でぼんやりと見るともなしに見ていた。
辺りは薄暗く、既に明かりが灯されている。涙で滲む視界に、レグナムをとらえて、リジルは少し安堵した。
「メル、状況は」
「使われていた毒が判明し、先ほど薬を飲ませました。2,3日は安静が必要です」
「部屋を移しても?」
「致し方ありません。許可いたします。ただ、慎重にお願いしますね」
リジルの傍にやってきたレグナムは、リジルが起きていることに気づいて椅子に腰を下ろした。
「すまない、完全にこちらの不手際だ」
声が出ずに首を横に振ると、レグナムは額に置いていた手拭を取り氷水に浸して絞るとそっともとに戻した。
ひんやりしたそれに意識を飛ばしていると、レグナムが言う。
「今から部屋を移る。ちょっと辛抱してくれ」
そう言い終わると、後ろに控えていた側近たちが、担架を持ってきた。ベッドから振動が少ないようシーツごとリジルを担架へ移すと、それを2人で持ち上げた。
一瞬の浮遊感にリジルは内心驚く。今まで出られなかった廊下に出ると、いつものように複雑に張り巡らされた廊下を通ってある部屋のベッドに降ろされた。
元の部屋とは違い、そこはシンプルな中にも洗練された空間が広がっていた。ベッドもリジル一人には大きすぎるキングサイズだ。
「レグナム様…ここは?」
「執務室の横にある居住スペースだ。何かあればすぐに駆け付けてやるから安心しろ」
「え…」
執務室の横ということは殿下の部屋なのでは?ということに思い当たり、リジルは困惑した。察したのかレグナムは笑う。
「大丈夫だ。俺は幼女趣味じゃない。別に寝るところもちゃんとあるから心配するな」
「迷惑、かけて、ごめんなさい」
「いや、迷惑というより大いに役立ってるから。むしろこちらが申し訳ないくらい。とりあえず早く元気になってくれよ」
部屋から執務室へ内戸から戻ったレグナムはアンソニーへ声をかけた。
「昨晩、宮の西門から女が一名入っておりました。宮の侍女の服を着ていたとのことで、衛兵がきちんと確認せず通したようです。もしくは共犯のどちらかかと」
「兵士を締め上げろ。他は?」
「襲撃後に女の後を追うよう指示したのですが、途中見失いまして。申し訳ありません。ですが、別で追っていた影より、どうやらキキョウ宮へ逃れたようだと情報が」
「…やはりシェリスか」
「キキョウ宮に置いている密偵から情報は?」
「王女殿下に置かれましては、昨日より外出されていると」
「外出?」
他王家の予定は大体把握しているが、王女の外出はなかったはず。そう考えていると、アンソニーが言った。
「王都にあるからみ蔦という宿をご存じでしょうか?」
「ああ、あそこは治安が悪くて、客はもっぱら平民の安宿だろう?」
「そこに出入りしていると情報がありました。前から監視させていたので間違いありません。そして、会っている人物も特定しました」
「誰だ?」
「公爵のグレゴリー・ローズアシュレイです」
「伯父と?まさか…。アンソニー、兄に会いにいく。しばらくここを任せた」
「承りました」
『なんだかんだと後回しした付けが回ってきたか…』
レグナムは重いため息を吐いて、兄が住むスズラン宮へと足を向けた。




