44.檻の撤廃、そして奏の生きる理由
その日の夜。
一日中の猛特訓とメイド業を終えた奏は、自室のバルコニーに出て、涼しい夜風に当たっていた。
魔界の夜空には、紫色の美しい星々が瞬いている。スラムの夜空とは少し違うけれど、今の奏にとっては、どちらも同じくらい大好きな、大切な世界だ。
「――奏」
ふいに、静かな声がして、バルコニーの影からアスモデウスが姿を現した。
昼間のオタクとしての騒がしさはどこへやら、アスモデウスはなんだか酷く緊張した面持ちで、自身の長い前髪をいじりながら、恥ずかしそうに奏のほうをもじもじと見つめている。
「アスモデウス様? どうかしたんですか?」
「いや……その、な。今回の件、俺の過剰なエスコートや、至らなさのせいで、お前に辛い思いをさせてしまった。魔王でありながら、お前のことを守りきれなかったこと、深く反省している」
アスモデウスは一歩、奏へと近づくと、大きな、だけど少し震える手で、奏の身体をゆっくりと抱き寄せた。アスモデウスの心地よい体温と、あの時奏を庇ってくれた時の、確かな鼓動が伝わってくる。
「俺は……お前を鳥籠に閉じ込めようとしていたのかもしれん。だが、俺はもう、お前の光なしでは生きられんのだ。奏……お前が俺の傍にいてくれるなら、俺は一生をかけて、お前のすべての責任を取ると誓おう。だから――」
アスモデウスの耳元での、熱い、真剣な囁き。一人の男としての、命懸けのプロポーズ。
奏はアスモデウスの胸の中でクスッと笑うと、そっと顔を上げて、その紅蓮の瞳を見つめ返した。
「ありがとうございます、アスモデウス様。……じゃあ、僕からも、一つお願いがあるんです」
「ん? 何でも言うがいい、我が光よ。国家の一つや二つ、今すぐ滅ぼしてきてやろう」
「そんな物騒なことじゃありません。……あの、『推し活条例』を、完全に撤廃してください」
「な、何だとぉっ!?」
アスモデウスは文字通り飛び上がって驚いた。顔を真っ青にして、ガタガタと頭を振る。
「そ、それだけは駄目だ! あの条例は、お前という至高の存在を、城の不届きな魔物どもの汚い目から守るための、我が魔王軍の最高法規……!」
「ダメです。だって、僕、魔物のみんなとも、亜人のみんなとも、もっと仲良くなりたいんです。みんなで一緒に笑い合いたいんです。僕を鳥籠に閉じ込めないって、今、言ってくれたばかりじゃないですか?」
そう言って、奏はアスモデウスの服の裾をくいっと引っ張り、上目遣いでじっと見つめた。
「うっ……! そ、その破壊的な可愛さは、大逆不敬罪……っ! ああ、奏が私を説得している、尊い、尊すぎる……!」
アスモデウスは胸を押さえて激しく葛藤し、数分間の激しい脳内会議の末、ついにガクリと項垂れた。
「……わかった。お前の願いだ。条例は……廃止とする……」
「ふふ、ありがとうございます! 反省文もきちんと書いてくださいね」
「な、な、何ーっ!」
翌日。魔王城の掲示板に『推し活条例の全面廃止』と『魔王アスモデウスの反省文』が張り出されると、城内からは割れんばかりの歓声が沸き起こった。
それからの毎日、奏の世界は目まぐるしいほどの輝きに満ちていた。
条例がなくなったおかげで、奏は朝から魔物たちと一緒に広い畑で汗を流してカボチャを収穫し、昼には亜人の料理長たちと肩を並べて、城中のみんなのために大きなお鍋でスープを作った。もちろん、マルバスに教わったメイド業も忘れずに、廊下の雑巾がけや部屋の掃除も一生懸命こなしていく。
「奏ちゃん、今日のスープ最高に美味いよ!」
「奏様、こっちの荷物運ぶの手伝って!」
すれ違うみんなが、奏に笑顔で声をかけてくれる。
かつて王宮で『無能』と切り捨てられ、誰の役にも立てないと泣いていた奏は、もうどこにもいない。
泥にまみれて畑を耕し、みんなのために食事を作り、メイドとして、そして一人の歌姫として、この場所でみんなと互いに笑い合えること。誰かを支配するためじゃなく、ただ、大好きな人たちの幸せに寄り添えること。
(ああ……。これこそが、僕がここにいる『存在理由』なんだ)
溢れんばかりの光に包まれた魔王城の庭園で、奏は青空を見上げ、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
奏を愛してくれる最高のファンと、新しい大切な家族たちと共に、奏はこれからも、この愛おしい世界で、奏だけの歌をどこまでも響かせていくと決めた。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!
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