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25.

 ロレインは何度も吐息を漏らした。

 ぼんやりする時間があったら、本でも読むべきだと思う。覚えるべきことは山ほどあるのだ。でも頭の回転が鈍ってしまって、何もすることができないでいる。

 ジェサミンが部屋に入ってきたときも、すぐに反応することができなかった。彼はロレインの呆けた顔を見て「酒を飲むぞ」と言った。


「お、お酒ですか?」


「そうだ。感情を吐き出したいときは、酒を飲むと相場が決まっている」


 ジェサミンは初めて会った祭りの日と同じ、白いシャツと黒いスラックスという姿だった。右手にボトル、左手にグラスを二つ持っている。

 ジェサミンが真横に座った。ぽんとコルクが抜ける音がして、すぐにグラスが手に押しつけられた。


「飲め」


 突然の展開に戸惑っていると、もう一度「飲め」と勧められた。


「美味いぞ。それに、悪酔いしにくい酒だ」


「は、はい」


 酔いやすい自覚があるので、ロレインは用心深くお酒を飲んだ。匂いで最高級品だとわかっていたが、癖がなくて飲みやすい。


「さっきのお前は、最初から最後まで冷静だったな。皇后の名に恥じない行動を取った。神経がささくれ立っていてもおかしくない場面だったのに」


 ジェサミンはあっという間にグラスの酒を飲み干し、手酌でもう一杯注いだ。


「当然のことですもの」


 ロレインは小さくつぶやいて、またお酒を飲んだ。


「立派だったぞ。お前の冷静さは、誰にも負けない長所だ。ヴァルブランドの皇后にふさわしい」


 ジェサミンはグラスを口に運び「しかしだ」と続ける。


「お前だって生身の人間。さっきの娘たちよりかなり大人びて見えるが、まだ十八歳だ。いくら感情を隠すことに慣れていても、自分に鞭打っている部分もあるんじゃないか?」


「私……」


 ロレインは思わず口ごもった。返事ができなくて、ごまかすようにグラスに口をつける。

 残り少なくなったグラスに、ジェサミンが透明の酒を注いでくれた。


「一番若いライラはともかく、残りの女たちからは冷たくされたんだろう。辛い、悔しいという言葉だけでは、到底表現しきれない感情があったはずだ。冷たい態度を取って、嫌味のひとつも言ってやりたかっただろうに」


 心臓が一瞬止まったような気がした。

 ジェサミンに指摘されたことは、まさしくその通りだった。

 でも、自分の希望や願望は重要ではない。だから不要な感情は、頭から締め出す。もしくは心の奥に仕舞い込む。ずっとそうやってきたから、吐き出し方すら忘れていた。

 ジェサミンがにやりと笑う。


「そこで俺は思ったわけだ。本音をさらけ出させてやるのは、夫たる俺の役目だろうと!」


 ロレインの心臓が、力強いリズムを刻み始めた。気持ちが落ち着かなくなって、お酒をもうひと口飲む。

 いつも落ち着き払っているせいで、エライアスから『気取り屋』とか『高飛車』とか言われ続けてきた。父以外は、静かな笑みの下のロレインを知ろうともしなかったのに。


「というわけで、今日の『練習』は酔って素直になることだ。酒が入った方が勇気が出せるのは、もうわかっているしな」


 ジェサミンにじっと見つめられ、頭がくらくらする。酔いが回ったんだろうか。

 マクリーシュでもヴァルブランドでも、成人年齢は十八歳。それでも公式の場だろうがプライベートだろうが、常に未来の王太子妃として振る舞う義務があったから、後先考えずにお酒を飲んだことはない。

 婚約破棄の後は節制する必要はなくなったが、泥酔などしてエライアスとサラの耳に入ったらと思うと、とてもではないが口にする気になれなかった。


「いいか。夫婦が二人っきりのときは、分別のある振る舞いなどせんでいいのだ。ほら、もっと飲め。鬱積している感情を、思いっきりさらけ出してみろ」


「え、あの……はい」


 ジェサミンの勢いに飲み込まれ、ロレインは再びグラスをぐいとあおった。


「酔っぱらって、いつものお前とは似ても似つかない発言をしても驚かんぞ。笑いたければ笑い、泣きたければ泣けばいい。ハンカチ代わりに胸を貸してやる。このシャツは古いがよく水を吸う。汚しても誰も何も言わんしな」


「ジェサミン様……」


 頬が熱を帯びてきた。誰かの言葉でこんなに嬉しかったのは、いつが最後だっただろう。

 ジェサミンの大きな手が、ロレインの髪を撫でてくれた。お酒の効果も相まって、肩からふっと力が抜ける。

 さっき令嬢たちに見せた取り澄ました笑みではなく、心からの笑みを浮かべて、ロレインは二杯目のお酒を飲み干した。

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