幻想世界のにじいろスープ (1/3)
魔物が死んだらどうなるか知っているか。それを訊くと、彼女はくつくつと笑って答えた。
「別の魔物に生まれ変わるのでしょう? あるいは、他の生き物かもしれないけれど」
じゃあ他の生き物、とりわけ人間が死んだらどうなる。それを尋ねると、彼女はすまし顔で答えた。
「体は自然に還り、魂は精霊に生まれ変わるのよ」
それならば、精霊が死んだらどうなるんだ。それを問うと、彼女は少し考えながら答えた。
「そうねぇ……人の思い出の中にだけ居る、幻想の存在になるのよ」
彼女はしみじみと頷いた。
*
「ジュバレーンさまー……むー、ここにもいない」
魔法道具が押し込められている物置部屋の扉を閉めながら、ニーナはがっくしと肩を落とした。師である魔法使いのジュバレーンを探して城の中を駆け巡り、ここが最後の部屋だったのだけれども。
城の中でないのなら外に居るのかもしれない。薬草園か、貯水池か、それかどこぞの木陰で昼寝をしているとか。今日はとても天気がいいからさもありなん。思い立ったニーナはさっそく屋外へでた。
まずは薬草園。緑がわさわさ繁る一角へ歩み寄りつつ目を凝らす。が、人の姿はここにもない。
代わりに大きな鳥が一羽いた。真っ赤な体に長い尾羽のすらりとした姿で、力強い脚にバスケットをぶら下げ薬草を摘んでまわっている。羽ばたくと虹色の風切り羽が鮮やかに輝く。あの鳥はジュバレーンの使い魔、プリズマだ。
プリズマなら主人がどこに居るのか知っていそうだ。ニーナは顔をほころばせながら、薬草園に走った。
「やっほー、プーちゃん」
「ニーナ。どうしたの? なにか要る草ある?」
「ううん違う。あのね、ジュバレーン様がどこに居るか知らない? お城の中に居なくって」
「探しても意味ないよ。お出かけ中だから」
「お出かけ!? えぇそんなぁ……」
天を仰ぎ膝からがっくし崩れ落ちる。眩しく目に刺さる太陽が恨めしい。
「そんなにショックだった?」
「うん。久しぶりにいいお天気だから、わたしもお出かけしたかったのに。イースタニアのお城にすっごく綺麗なお庭があるんだって、見に行きたかったなあ」
「なるほど。確かに花の庭園は晴れた日に行くのが一番だね」
「そうでしょ! っていうか、ジュバレーン様の意地悪。お外に行くなら一緒に行きたかったのに」
ぷんとニーナは頬を膨らませた。この城があるのは特殊な空間で、普通に歩いて他の場所へ行くことができないのだ。城の周りは低い生垣が囲っているだけで、簡単に飛び越し外の林の中へ駆け込めそうなものだが、師曰くそれをやると「とても恐ろしいことになる」らしい。外界に出るには方法は二つあり、一つは城内の水鏡の間と呼ばれる部屋から魔法を使って転移する、もう一つは外門を開放して一時的に道を繋げる方法。だが、水鏡の動かし方はジュバレーンしか知らないし、門の鍵についてもニーナはまだ貰えていない。目の離せない半人前の魔女だから、と。
というわけでニーナ一人ではちょっとの散歩もできない。その閉塞感が時々爆発する。一応ジュバレーンも気を使って、自分が出かけるときは一緒に行こうと声をかけてくれるのだが、今日は裏切られてしまった。だから余計に拗ねた気持ちになってしまう。
ジュバレーン様の馬鹿、そんな風に不在の師匠に悪態をつくニーナ。プリズマは苦笑しながら彼女に言う。
「ごめんね、今日は許してあげてよ。特別な日なんだ」
「特別?」
「うん。ジュバレーンも長く生きてるからねぇ、色々と込み入った事情があるんだよ。今日はそっとしといてあげて」
「……はーい」
ジュバレーンが何歳なのか具体的には知らない。だが彼はニーナが前に通っていた魔法学院を開設した一人で、その学院は百年以上昔にできたものだから、少なくともそれ以上の歳だ。二十代の外見をしているし、普段の言動も老獪さはまったくないからつい忘れてしまう事実である。
そんな年寄りの言う大人の事情というやつをあんまり深く掘ってはいけないし、その前でわがままを通そうとするのもよくない。ニーナは子供心にそう理解していたから、渋々ながらもむかつきの矛を引っ込めたのだった。
さすがにイースタニアは遠いから無理だが、門を開けてその辺の森を散歩するくらいなら自分でもできる、だから仕事が終わったら一緒に行こう。プリズマの提案にニーナは喜んで頷いた。そしてぷらぷらと城の周りを歩きながら、プリズマの手が空くのを待つことにした。
城の敷地内には薬草園と別に温室がある。暑い環境でないと育たない、あるいは風雨にさらされるのに耐えられない植物が置かれている。ここにはニーナはあまり立ち入らない。なんだか怪しい植物が多いからだ。例えば、人面が浮かぶ実のなる木とか、日中ずっとうごうごダンスを踊っているヒマワリとか。
今日も温室の植物たちは元気そうだ。そんな風に思いながら横目で通り過ぎようとして、しかしニーナの足はぴたりと止まった。
温室の日陰に使ってない鉢やその他資材が寄せられているスペースがある。近々に処分するつもりの植物なんかもとりあえず置かれたりするのだが、そこに元気がない薔薇が植わっている鉢があった。昨日今日置かれたわけでなく、ニーナが城に連れてこられた時にはもうこの捨て鉢ゾーンにあって、ずっとそのままなのだ。大物の鉢なのだが、見るからに枯死寸前といったところ。支柱に絡み付き伸びたつるに葉はほとんどついておらず、先端の方にくたびれたものが少しあるばかり。一応新葉が出てこようとしている様子はあるから、辛うじてまだ生きてはいるのだが。
足を止めた理由は、水がやってあったから。土は湿って真っ黒だし、葉も水滴で濡れている。
はて、とニーナは薔薇に歩みよりながら首を傾げた。自然に枯れるのを待って捨てるものだと思っていたのだが。ニーナが来たばかりのころ、何も知らずに水やりをし、ジュバレーンに「それはもういいんだ」とそっけなく言われたのを覚えている。プリズマも手をかけている様子はない。ただ、勝手に捨てないようにとは言われた。
水をやったのがどちらかは知らないけれど、再び育てる気になったということだろう。しかし、それにしては。
「こんな暗いところじゃ、かわいそーだよねー」
植物を育てるのは太陽である。だがこのスペースはすこぶる日当たりが悪い。これでは咲く花も咲かないだろう。
温室を挟んで反対側なら日がよく照る。これくらいの移動ならすぐにわかるから、どこへやったと叱られることもないだろう。ニーナはさっそく腕まくりして鉢を持ち上げた。
大くて分厚い素焼きの鉢だ。しかも丸型で手のひっかかる場所がない。おまけに土がたっぷり水を含んでいるから、とんでもない重さがある。一般的な女の子の腕力しかないニーナでは、抱きかかえるようにしてもほんのちょっぴり浮かすことしかできなかった。それでよたよたと、鉢の重さに引っ張られるようにしながら足を進める。
と。やはりと言うべきか、手を滑らせて鉢を落とした。
「きゃぁっ! 割れ、割れ……てない、よかったぁ」
少ししか浮かせられなかったのが幸いして、鉢が横倒しになっただけで済んだ。つるも支柱と共に地面に押され曲がっているが、切れてはいない。被害と言えば土がボロボロとこぼれたくらいだ。これは後で詰めればどうとでもなる。
ニーナは鉢を起こそうとした。
するとその時。鉢の中、土がこぼれた株元から、何か動く影がシュッと飛び出してきた。
ひゃあ、っと驚き尻餅をつくニーナ。
「なに、虫? ネズミ!?」
小さな影を目で追う。そいつはもやもやっとした影そのもので、陽炎のような、実体がないものだった。最初はネズミくらいの大きさで、しかし徐々に肥大している。なおかつ少しずつ宙に昇り、ニーナから遠ざかっていく。
「まっ、待て!」
ニーナはぴょんと跳ね起きて影を追った。あれは魔物の類だ、魔物の中には肉体を持たないものも居るとジュバレーンに教わった。薔薇の根元から出てきたということは、根っこを食べていたか、薔薇に憑りついて悪さをしていたか。とにかく薔薇が枯れかけていたのはあいつのせいに違いない。捕まえて、懲らしめないと。
ニーナが息巻くのを知ってか、影はさあっと逃げていく。城から遠ざかる方向へ敷地を横切り、生け垣を飛び越し、丘を下り林へと向かう。
ニーナは追いかけっこに夢中だった。何も考えずに影の後について草地を横切り、背の低い生け垣を飛び越した。
今飛び越した生け垣が、飛び越したら「恐ろしいことになる」と師から言われたものであると気づいたのは、見えている地面に着地できなかった後だった。
大地に受け止められるはずの足は、そのまま下へ落ち続ける。地下に飲みこまれたように視界が真っ暗になる。――やっちゃった。そう血の気を引かせた瞬間、ニーナの意識も闇へ閉ざされた。
Notes
【イースタニア】
大陸の東部にある王政国家。芸術文化を重んじ、平和を愛する。
王都は別名「美の都」とも呼ばれる。
近隣諸国とはいずれとも中立を保っている。
【魔物】
この世界において人間の「魔物」の定義は非常に適当で主観的なものである。
外見が人間と大きく違っている、あるいは人間とかけ離れた特性を持つ生き物の中で、
人間に対して敵意があるまたは危害を加えてきそうな印象のものを「魔物」、
人間に対して友好的または無害そうな印象のものを「妖精」と区分する。
実際は単純な敵味方で線引きできるものでないことは言うべくもない。
例えば、ニーナは鉢から飛び出した靄状の生き物を魔物と呼んだが、
あの生き物正体は、ジュバレーンが薔薇に活力を与えるために封じた幻界の妖精である。




