眠れない姫君に優しいスープを (2/2)
料理長は姫に対して何も答えず、代わりにカンカンと木べらで小鍋を叩いた。良い具合に炒めあがった。へらに貼り付いていた具を落としたら、一旦鍋をもって調理台へ行く。
鍋の中にミルクを入れ、さらに水をミルクの半量ほど加える。水で伸ばしてやることで、ミルクのみで作るよりもすっきりとした味わいになるのだ。全量としては二食分、ちょうど良い具合だと料理長はしたり顔で頷いた。
水分を足した鍋をもう一度火にかける。後は煮立たせて、味を調えたらスープは完成する。もちろん煮ている間も目や手は離せない。吹きこぼれないよう気をつけ、鍋底に焦げ付かないように時々混ぜてやる必要があるから。
そんな料理長の背に向かって、姫は再び語り掛ける。一度ぼやいたことによって何かしらの堰が切れた、そんな雰囲気だ。
「ねえ、知ってる? 騎士団長が結婚するっていう話」
「聞き及んでおります。城下の酒場の娘と結ばれると」
「どう思った?」
「そりゃあ驚きましたよ。あのお堅い団長殿が突然、しかも相手がずいぶんお若い、親子ほど歳の離れたお嬢さんだと言うものですから」
「私は、羨ましいわ」
「おや。もしや、団長殿のことがお好きでしたか」
「そうじゃなくて。自分で選んだ相手と結ばれること。私は、決められているから」
物心ついたころから許嫁が居た。王家に相応しい家柄の、聡明で精悍な美男子。姫より少し年上の彼は、今、騎士として修練を積んでいる。民からの評判もよく、これから共に歩んでいく相手として不足はない、むしろ好ましいくらいだ。が、そういう話ではなく。
あーあ、と姫は悲嘆にくれテーブルに突っ伏した。
「王女になんて生まれたくなかった。このまま大人になんてなりたくない、ううん、私じゃ、なれないよ」
後に響くは料理長がレードルで鍋を混ぜる音。ふつふつと沸き立つ小鍋をじっと見守っている。姫の方には一瞥もくれず、また、一言もかけない。別に意地悪をしているつもりはない。
姫は言葉が返ってこないと見てもなお、顔を伏せたまま、心の内を吐き出し続ける。
「この前だってアザヘイムから大きなドラゴンが飛んで来たでしょう。この先、あんなものがたくさんやって来たら? それで王国を襲ってきたら? どうすればいいのか、私が考えなきゃいけない。ナンクアッドの魔法使いたちが戦争をしかけてくるかもしれない。そうしたら、みんなを導くのは私でしょう? 私、無理よ。そんな大それたことできない。ねえ、どうしたらいいの? 私が女王にならなきゃいけないの? 私は、私は……怖いの……どうなればいいのか、わからなくて」
「よし、できた」
「え!?」
「あ、いえ。こちらの話です」
料理長はばつが悪そうな笑顔を姫に向けた。塩胡椒をちょっぴり足して味見をした直後、つい反射的に声を出してしまったのだ。
ともあれ、ミルクスープが仕上がった。あらかじめ用意しておいた器にたっぷりとよそい、仕上げに刻んだパセリをひとつまみ散らせば盛り付けも完成だ。
温かい湯気のぼるスープを匙と一緒に給仕する。暗く泣き出しそうな顔をしていた姫だったが、料理を見るなり表情を明るくした。
「眠る前なので、消化が良く体の温まるスープにしました。どうぞ温かいうちにお食べください」
「ありがとう。優しいのね、わがまま言ったのに」
そう言って姫は匙に手を伸ばした。
が。指をかけたところで動きを止める。じっと見ているのはスープの器ではなく、料理長の顔。
姫は何も言わない。しかし、そのまなざしから何を訴えているかはわかる。先ほど語った諸々への答えを期待しているのだ。それも自分にとって優しく、甘い答えを。もう難しいことは考えなくていい、こうすれば全部大丈夫だ、嫌なら逃げればよい、などといった風に。
そんなこと途中で感づいていた。だが、望んでいるものを与えるのは姫のためにならない。だからあえて口をつぐんでいた面もある。
料理長は苦笑してみせた。
「私には政のことはわかりませんし、口を挟む権利もありません。姫様の今後を決めることなど言うまでもない。私にできることは、食事を用意することと、姫様の話を聞くことぐらいです」
すると姫は表情を曇らせてうつむいてしまった。匙にかけられていた指が、その柄を握らずしてきゅっと結ばれる。不安を握りつぶそうとしているかのように。
静まりかえった厨房、薪が弾ける音がいやに大きく響くほか、城内各所の雑音も染み入るように聞こえてくる。廊下を歩く足音だったり、重いものを引きずる音だったり。
音が妙に響くのは、空気がひんやりとしているせいもあるだろうか。スープはどんどん冷めていく。
――困ったものだ。なんとか気分を浮上させる方法はないだろうか。
往々にして食べることが気分転換になるものだが、そもそも食べるという行為自体に気力が必要である。一時しのぎでもいいから悩みを忘れさせ、物を口に入れさせられる手段。何かしらないだろうか。
料理長は厨房を見渡しながら考え、そして、思いついた。ぽんと手を打つ。
「おお。もう一つ、姫様のためにできることがありました」
「何?」
「占いです」
「う、占い?」
「はい。昔、少しだけかじったことがあるのですよ。どうにも小恥ずかしいので、他人には言わないのですがね。姫様のためなら特別に披露しましょう」
からからと笑って言ったが、実は大嘘だ。若いころから料理一筋で、占術など触れたことがない。
姫は眼を丸くしているものの、疑っているわけではなさそうだ。先ほどまでの泣きそうな顔から一転、瞳に光を灯し、興味津々といった様子。
料理長は姫の注目を浴びながら戸棚を漁り、一つの硝子瓶を取りだした。
これ見よがしに掲げた中身は、乾燥させた木の葉。形こそローレルにそっくりだが、一回り小さく、真っ白だ。これは南の魔法国家ナンクアッドからのもたらされた交易品である。水分を含むと一枚一枚異なる色がつく不思議な葉だ。料理の彩りに使う目的で所蔵しているが、なかなか出番がなく持て余していた。
しかし何でも大事に持っておくと、役に立つ時が来るものである。料理長はしみじみと思いながら、瓶の蓋を取り、その広い口を姫に向けた。
「何か願いごとをしながら一枚選んでとって、スープに浮かべてください」
「どうなるの?」
「色が変わります。それがどのような色になるかで、姫様の願いが叶うかどうかがわかります」
へぇ、と好感触な相槌を打ってから、姫は差し出された瓶に華奢な指を伸ばした。
「私は、立派な女王になれるかしら」
疑問を呈する形であったものの、願い事と受け取って問題ない。姫は言いながらに掴んだ葉を、そっとスープの上に浮かべた。
乾ききった木の葉にじわりと水分が染みていく。それにつれ白かった葉が鮮やかな色を帯びてきた。
姫が選んだ葉は、空色だった。
「変わったわ! これはどういう意味なの?」
「晴れた空の色ですね。つまり、今は色々と雲がかかったような気持ちかもしれませんが、それほど暗く悩まずとも、姫様の未来はすっきり晴れわたりますよ、ということです」
ぺらぺらと講釈した内容は即興で作ったもの。どんな色になろうとも、話としては同じところに落とすつもりであった。そんなに心配しなくても大丈夫だ、と。
姫は完全に占いの結果だと信じたようだ。安堵と喜びの混ざった笑顔を浮かべた。
「安心したら、お腹空いてきちゃった。いただきます」
ようやく姫はスープに手をつけた。少し冷めてきている、料理長が温め直そうかと提案したが、姫は断った。もう待っていられない、と。
ミルクスープは癒しの味わいだ。まろやかな口当たりで、優しい甘味が染みわたる。柔らかく煮込まれたキャベツも、心地よく腹を満たしてくれる。姫が渇望していた優しい庇護や甘やかし、それが形になったらこんなものかもしれない。
一度食べ始めたら速かった。姫はおいしそうにスープを頬張り、あっという間に器を空にする。キャベツの切れ端やベーコンの一かけらすら残さず掬って、最後はパンで器を拭い一滴残らず食べきった。唯一口に入れなかったのは、件の空色の葉。食べようとしたら、料理長が慌てて制止をかけてきたためである。
「ごちそうさま!」
「満足なされましたか?」
「もちろんよ。お腹いっぱいになったら、なんだか気持ちもすっきりしたわ。今日は久しぶりによく眠れそう」
姫は屈託のない笑みを見せた。
お腹が膨れ体が温まると、当然のように眠気が湧いてくる。姫は、くぁ、と大きなあくびをすると、一度伸びをしてから立ち上がった。もう寝室に戻る、と。
厨房から出る直前に、姫は料理長を仰ぎ見た。
「また、来てもいい? お話を聞いて欲しい時に」
「もちろんですとも。私にできることならば」
「ありがとう。じゃあ、おやすみなさい……わっと!」
姫が焦った声をあげたのは、厨房の入り口脇に置いてあった大きな木箱に足を引っかけそうになったから。すんでのところで醜態を見せずに済んだ。
しかし。姫は小首をかしげて木箱を見ている。
「ねえ。こんな箱元々置いてあったかしら?」
「さっきからありましたよ」
「そう? 私の勘違いかな。でも、こんな蹴飛ばしそうなところに……」
「厨房に誰もいないと、こうやって荷物を置いていくのですよ。普段なら終業している時間なので、誰も居ないと勘違いしたのでしょう」
「なるほどね。みんなが居なくなった後なら、あんまり邪魔にならないしね」
姫は納得した様子で軽く笑うと、今度こそ寝室に向かって帰っていった。
その背を見送って足音も聞こえなくなってから、料理長はふぅと息をついた。
「さて。こちらもそろそろ寝たいところだが」
木箱をちらと見てから、料理長は再び厨房に引っ込んだ。姫の晩餐の片づけをしなくては。
食器を片づけて、綺麗にテーブルを拭きあげた。調理台も同じように。
ただ、小鍋にはまだスープが残っている。ちょうど一食分だが、既に冷めきってしまっている。もう一度火の上に持っていき、温め直さないと。
火にかけた鍋をレードルで混ぜ、かちゃり、かちゃりと静かな音を立てる。そうしてふつふつと沸き始めた頃に、料理長は不意に口を開いた。
「大人になるとは、悲しいことでも、難しいことでもないものですよ」
それは独り言にしては妙に大きな音量だった。
そして、体をひねって出入り口の方に向け、
「ね、陛下!」
と、さらに声量を上げて言ったのだった。
途端、ガタガタガタッと激しい音が鳴る。発生源は、例の木箱だ。
料理長は今宵、姫に対して二つの嘘をついた。一つは占いのこと。もう一つは、木箱のこと。姫が言った通りあんな木箱置いてなかったし、夜間に厨房へ荷物が届けられるようなことも普通ない。万が一荷物があっても、厨房の中へ入れておいてくれる。廊下にあっては邪魔だから。
木箱の中から現れたのは、国王陛下その人だった。四十歳手前の男性で、王に相応しい凛々しい容貌をしている。が、寝間着を纏って厨房の入り口から覗きこむ彼は、目を泳がせとぼけた顔をしており、どうにも情けない。
はあ、と料理長の深い溜息が漏れた。
「いつもいつも、夜中に盗み食いをしていくのはやめてください。子どもじゃあるまいし」
「す、すまん。どうしても腹が減って。腹が減ると、眠れなくてなぁ……」
おどおどと言い訳しながら、少しずつ後ずさっていく。今すぐ逃げ出したい、そう思っているのは明らかだ。
わかりましたお帰りください、と見過ごすことはできなかった。
「座って下さい。ちょうど、偶然、スープができあがったところです。特別にどうぞ」
「わーい」
無邪気に言って王はそそくさとテーブルについた。
よく似た親子だ、と料理長は王に背を向けたまま密かに失笑した。
食欲旺盛、しばしば厨房に盗み食いに入る悪ネズミのような王。それでも良政を為し、ノザンベルの民に愛される、賢く善き国王だ。料理長も敬意を抱いている。
姫はこの王の娘、親によく似た姫君だ。だからきっと、いい女王になるだろう。
――大丈夫ですよ、姫様。今は悩まず、ゆっくり、おやすみなさい。
<眠れない姫君に優しいスープを 了>
Notes
【占い】
占術と呼ばれるものには2種類ある。魔法の力が関与しているかしていないかだ。
後者にしても、使用者本人は魔法だと信じ込んでいることが多い。
一方、魔法使いの界隈で占術を究めようとする者は、往々にして変人とされる。実益を生む魔法はたくさんあるのだから、不透明で不確実な占いは避け、そちらへ進みたがるのが普通だ。
占術を究めると予言者となり得るが…その域へ達した魔法使いはまだ居ない(ナンクアッド王宮調べ)
【どんな色になろうとも、話としては同じところに落とすつもり】
もしも赤色だったら「すべての困難を焼き尽くす炎の色」と言っただろうし、
緑色だったら「活き活きと繁る大樹の色、つまり姫様も皆に安らぎを与える立派な大人になれるということ」と解釈した。
例えドブのような名伏しがたい色だったとしても
「様々な色の絵の具を混ぜると、このような汚い色になってしまうものです。つまり姫様の未来はカラフル、虹色です。虹は晴れた空にかかるものだから、姫様の未来も晴れているということですよ!」
と、なんとしてでもポジティブに話を落としただろう。
料理長の大人な気遣いである。




