眠れない姫君に優しいスープを (1/2)
夜更けのノザンベル王国。王宮に住まう人々も寝入る頃だが、厨房では、まだ一人の男が忙しなく動き回っていた。王宮の食を司る料理長である。自らも調理を行うが、最近はもっぱら人や物の管理に追われている。今宵も仕込みや食材在庫の状況チェックが長引いていた。
特に食糧の状況は念入りに確認する。というのも、食料がいつの間にか消えていることがしばしば起こるからだ。備蓄用の堅いパンや果物なんかが一個減っている、そんな風なら一目で判るし、ネズミかなにかの仕業だと思うが、蓋つき容器に保存しているマリネやザワークラウトなども減っているから困りもの。
盗み食いは以前よりあるし、ある程度なら黙認する方向でいる。が、甘くやっているせいか、このところ急に増えてきている。一度しっかり締めなければいけなさそうだ。
広い厨房を行き来し、帳簿どおりに物があることを確かめていく。
次に覗いたのは厨房の片隅に置いてあるミルク缶。中は空になっていて、容器が洗浄されている。それが本来あるべき姿なのだが。
「……これまた、中途半端に余らせたな」
白いミルクが缶の底にちょっぴり、コップに一杯と半分くらいの量が入っている。今日はカスタードを作った、その余りだ。
この量だけ残されても何ができるか、第一、一晩越したら傷んでしまうかもしれないのになぜ放置した。レシピとぴったりの量にしなくても、これぐらい使い切ってしまえばよかったのに。
はぁ、と料理長は溜息を吐き、蓋をしたミルク缶を持ち上げた。とりあえず小さな入れものに移し替え、床下の貯蔵庫に入れておこう。少しでも涼しいところに置いておいたほうが良い。
「明日の朝一で傷んでなかったら、ミルク粥が二人分は作れるか。朝食で希望を取って、食べたいとのことだったらそうしようか。陛下か、王妃様か、姫様か……」
――そうだ、姫様だ。
ミルクを移し替えながら、料理長はわずかに顔を曇らせた。
料理長は王族の食事の席にも立ち会うが、そこで見るに、どうも最近の姫様は食が細い。歳は十四、食べ盛りの年頃で、実際食欲に満ち溢れた娘であったのだが。一日三食きっちり食べるし、夕食の後、片づけや仕込みやに追われている厨房に、
「もの足りないから、何かちょーだい!」
と、さらに食べ物をせびりにくるほどだった。
姫様の変化には、他に誰も気づいていない様子。なにせ食べない以外は普段通り、明るく元気に笑顔を振りまいている。
しかし、急激な食欲の低下が起こる時は、体や心に異常を来たしていることが多い。しばらく前、王直属騎士団の団長も突然食欲を失くしたことがあったが、その時は胃を痛めていた。
「姫様も、どこか悪いのを隠しているのでなければよいが……」
はっきりと言ってくれれば療養食を作ることもできるのに。年頃だ、なかなか言いづらい部分があるかもしれないが、料理長から見ればまだまだ子供、心置きなく頼ってもらって構わないのに。
憂悶を含ませた吐息は、床下貯蔵庫の蓋を開ける音に紛れて消えた。
空いているスペースにミルクの瓶を置き、ついでに貯蔵庫の中を検める。ここは普段長期保存の食品や調味料などが入れてあるところ、あまり頻繁に開け閉めすることがないし、盗み食いをするには手間がかかるから狙わないのだろう。以前見た時と様子は変わっていない、大丈夫だ。
貯蔵庫の蓋を閉め、手についた塵を払う。そうして料理長は厨房内をぐるりと見渡した。――これでおおよそきりがついたか。
「ああ、薪も見ておいた方が良いか。また間違えていたら大変だ」
薪係が新人で、この前も手配量を間違えて足りなくさせた。王宮の厨房で円滑に火が使えず温かい料理が振るまえないなど、料理人たちにとって死活問題だ。
薪置き場は外にある。料理長は厨房の勝手口から外に出た。
薪の在庫は過不足なしだった。整理整頓もなされている。それを確認し終わった料理長は、再び厨房へと戻る。後はやり残しが無いかの点検をしたら、本日の務めは終了だ。
そして勝手口を開いた。特に慌てることもなく、普通に。それでも年季が入っている扉は、キィと軋んだ音を響かせる。
すると、扉の音に呼応するかのように、ガタン! ガタガタ、バタバタ! といった慌ただしい音が厨房の中から響いた。言うなれば、何かを床に落としたとか、誰かが走り回っているとか。
料理長は驚き縮み上がりながらも、異変の起こる厨房へと血相を変えて飛び込んだ。
――やられた。
閉めてあったはずの戸棚が開け放たれている。そこから出されたピクルスの瓶が、綺麗に拭きあげたテーブルの上に置かれ、かつ、蓋が開けっ放しになっている。量は減っていないようだが、盗み食い目的なのは明らかだ。
犯人は。料理長は厨房の出入り口へ目を向けた。しかし、そこの扉は閉まったまま。慌てた様子だったのに律儀にドアを閉めて出ていったとも思えない。ともすれば、まだ厨房の中に隠れているのでは。
さっと隠れられる死角、料理長は厨房の片隅、入り口に比較的近いところに並ぶ大きな樽の陰に目をつけ、覗き込んだ。
案の定、そこに下手人は居た。
だが顔を見た瞬間、料理長は驚愕に目を丸くした。
「ひっ、姫様!?」
樽の陰に蹲っていたのはネグリジェを着たブロンドの娘、このノザンベルの姫君その人に違いなかった。
姫は見つかるなり、観念したように両手を挙げて、その場でぴっと立ち上がった。
「ごめんなさい! ちょっとお腹が空いて、眠れなくて……つい……」
恥ずかしそうに口ごもる姫を前に、料理長は溜息をこぼした。
「それは食事の時にきちんと食べないからですよ。今晩もほとんど手を付けていなかったではないですか。今日の昼も、昨晩も」
「……よく見ているのね、びっくりするわ」
「料理長ですから当然の務めです。姫様、なぜお食べにならないのですか」
「別に理由なんてないわ、気にしないで。あれよ、食欲が沸かないし、食べなくても平気な感じなの」
「お腹が空いて眠れないと今言ったではないですか。どこが平気なのですか」
「うぅ……」
きゅっと縮こまり、胸の前で人差し指同士を突き合わせ。まるで怒られているのに耐えているかのよう。料理長の方には、怒っているつもりなど一切ないのに。
「念のため確認しておきたいのですが、どこかが痛いとか気持ち悪いとか、あるいは晩餐に不手際があったとか、そういうことで食欲がないと言っておられるのでは」
「そんなことないわ。だから、もう、いい?」
ちらちらと出口の方へ視線をやる。もうたくさんだ、今すぐにでもこの場から逃げ出したい、そう考えているのは明らかだ。実際ににじり寄るようにして足も動き始めている。
だが、わかりましたお帰りください、と見過ごすことなどできようものか。料理長はしかめ面のまま軽くかぶりを振った。
いや自分はいい。盗み食いの犯人が判明したし、一度釘をさした、それだけで十分。このまま寝室に戻って困るのは、姫様自身に他ならない。
得も言われぬ沈黙が漂う厨房に、くるくるくると腹の鳴る音が響いた。同時に姫がかっと顔を赤くする。
「……ひとまず座ってください。簡単なものを用意しますので」
料理長はピクルス瓶が放置されているテーブルを示し、着席を促した。
一旦消した火を再び起こす。その間に何を作るかを具体的に考えた。
時間帯が時間帯だ、食後すぐに眠りにつくことになる。こんな状況で食べるなら、腹にはしっかりと溜まり、しかし消化は良いものが好ましい。なおかつ、温かいものだと理想的だ。
となると、やはりスープが最適か。時間をかけて煮込むことはできなくとも、ベーコンを使えばそれなりにしっかりした味のものになる。野菜も柔らかくなるのに時間がかからない葉ものがいい。食糧庫にある中からならキャベツが最高だ、あれなら腹が満たされる心地も強く感じる。
あとは。
――ちょうどいい、あのミルクも使ってしまおう。
キャベツとベーコンのミルクスープ、温かくまろやかで、眠れない姫君の夜食としてうってつけ、メニューはこれに決まりだ。
料理長は各所にある食材をさっと集めて回ると、すぐに調理に取り掛かった。
キャベツは食べやすい大きさに、しかし細かくなりすぎないように切る。逆にベーコンは細く小さめにして、火の通りや消化に少しでも良いようにする。研がれたナイフと熟達した腕前のおかげで、下ごしらえはあっという間に終わった。
姫様は大人しく椅子に座って待っている。いや、大人しいというには語弊があるか。テーブルにあったピクルス瓶に手を伸ばし、カリカリポリポリ音を立てて食べている。さらにはいつの間に出してきたのか、パンまでもをむしって食べていた。
「姫様。盗み食い、つまみ食いはご遠慮願えますか」
「お腹ぺこぺこで待っていられないの。いいでしょ、たくさんあるんだから、少しくらい」
「そういう問題ではありません。みっともないですよ」
姫はぷうっと不満げに口を突き出して見せてから、ちぎったパンを口に入れた。どうやら苦言は聞き入れられなさそうだ。
まあ、そうだろうとは思っていた。料理長はふうと深い溜息をつくと、小さめの片手鍋を火にかけ調理に戻った。
熱した鍋にバターを溶かし、ベーコンを入れて炒める。焦げないように火との距離をうまく調整しながら、ベーコンの脂が溶け角が取れるまでしっかりと。それからキャベツを投入して、木べらで全体をかき混ぜながら、透明感が出てくるまで続けて炒める。
そんな風に火と向かっていたところ、薪が弾ける音に混じって、姫のため息が聞こえた。
「よく食べる女の人は、みっともない?」
「そんなことありませんよ。良いことです」
「でも今、みっともないって言った」
「それは盗み食いをする点に対してです。勝手に食料を漁られるとこちらとしても困りますし、第一、隠れてこそこそ物を盗って食べるなど、まるで悪ネズミのようではありませんか」
料理長は軽く笑いながら言った。それに対する返事はすぐにはなかった。
振り返る余裕はなかった。今は一人で調理にあたっている、鍋の世話も火の世話も全部自分でやらなければならず、目を離せないのだ。料理に当たっては少しも気を抜かない、料理長の性でもある。
だからしばらく後、姫は料理長の背中に向かって、ぼんやりと語り掛けた。
「でもね、最近、みんな口を揃えて言うのよ。食べることにガツガツしてるのはみっともない、女なんだから、この国の姫なんだから、もっと品よくしなさい、って。もう大人なんだし、じきに国を背負って立つのに、いつまでもそんな風じゃだめだって」
はあ、という深い溜息が料理長の背中に届いた。それはどことなく湿っていた。
――なるほど、そういうことだったか。
最近とんと食欲を落とした理由。大人になりつつある王女は、その階段を前にして、どう足を踏み出したものか悩んでいるのだ。
Notes
【ミルク】
ノザンベルではそのまま飲む慣習は無い。飲用にする場合は必ず火を通し、温かいものを飲む。でないと、食あたりの原因になるからだ。
特に王宮では、火を通さずに腐ったミルクを飲んで痛い目にあった現国王によって、ミルクの取り扱いに厳しい制限がなされている。
例えば、ミルクをコップに入れたまま放置しない、日を跨いだものは料理長が毒見をしてから使用する、など。




