乾く。
-------店長に「昼休憩に行け」と店から摘み出された。
今日も晴天。屋上日和。
ボーっと空を見上げる。
--------木内、泣いてたな。
「はぁ」
溜息しか出てこない。
空を走る飛行機雲を無意味に目で追っていると、背後でドアが開く音がした。
「橘くん、クリームコロッケ作って来たよ」
ドアの方に目を向けると、弁当箱を持った木内がいた。
「どうぞ」
木内がニッコリ微笑みながら近づいてきて、俺の膝の上に弁当箱を乗せた。
蓋を開けると、美味しそうなおかずが犇めき合っていて、
「うん。やっぱり美味い」
味も期待通りで。
「……木内さんの得意料理ってさ、ローストビーフじゃないでしょ? ロールキャベツでしょ」
今日、なんであの時木内が嘘を吐いたのか分かった。
ロールキャベツはアイツの好物だったから。
めちゃめちゃ腹減っているのに、残す気だってサラサラないのに、なんとなくガツガツ食う気になれなくて、一旦箸を止めて隣に座った木内に視線を向けた。
「橘くんの好物って何?」
木内は俺の質問に答えてくれない。
「ステーキ……だと今まで思ってたんだけど、木内さんの料理を食べたら、何が好物なのか分かんなくなった。からあげも、えびフライも、パスタも、ハンバーグも、今日のクリームコロッケも全部美味くてさ」
木内のクリームコロッケは、こんなにも気分が沈んでいる時に食ったって、本当に美味い。
「私もね、何が得意料理なのか分かんなくなっちゃったよ。ロールキャベツは、悟の好物で何度も作って作り慣れてたから、得意料理なんだと思ってた。でも、橘くんにお弁当を作り出してから、橘くんが何でも美味しいって言ってくれるから、『私の得意料理はからあげなのかも?』とか『えびフライなのかも?』って分かんなくなってきちゃって」
木内が「ヘヘっ」と困った様に笑った。
「もう、こうして弁当作ってもらうのも無理だよね」
美味しい木内の弁当も、木内との楽しい時間も、今日で終わり。
「……なんで? もう食べてくれないの? さすがに橘くんに彼女が出来たり、好きな人が出来たら辞めようとは思ってたけど……もしかして、いるの?」
木内が、悲しそうな目で俺を見た。
逆でしょ。悲しいの、俺の方でしょ。
「木内さんにはいるでしょ。木内さん、結婚するんでしょ」
やけ食いの様にクリームコロッケを口に突っ込む。
もう食えないんだと思うと、いちいち美味い木内の弁当に腹が立つ。
「……指輪、返品しちゃった」
「……え?」
驚いて木内の方を見ると、木内がまた「へへッ」と苦笑いした。
「指輪貰って、泣いてたじゃん」
泣くほど喜んでたじゃん、木内。
「だって嬉しくなかったんだもん。あんなに欲しくて仕方なかったものなのに、嬉しくなかったんだもん。でも、嬉しくなかったくせに、『本当に受け取らなくて後悔しないだろうか』って不安になっちゃったんだもん。この歳だしさ。そりゃ、涙だって出るさ」
苦笑いの木内。
イヤイヤイヤイヤ。何を軽く開き直ってんだよ、木内。
俺のこの底辺にまで下がったテンションをどうしてくれんだよ。
「私ね、今の仕事が好きだし、この職場も好きだから、ずっとここで働こうと思ってるのね?」
そして、俺のテンションなどお構いなしに、全然関係のない話を語り出す木内。
そんな木内のことなど、こっちも構ってられない為、弁当を食う事に勤しむ。
「だからね、今から言うことには答えなくていいし、即刻忘れて欲しいのね? 変な空気になるの嫌だし、橘くんにも迷惑な話だと思うし……。だったら言うなよって話なんだけど、どうしても言いたいっていうか、言わないとスッキリしないっていうか……」
ダラダラダラダラ、前置きが長い木内。
こっちだよ、スッキリしないの。何が言いたいんだ、木内。
クリームコロッケを口に入れつつ、木内に白けた視線を送る。
「私、橘くんが好きだ」
「………」
「………ッ‼」
ビックリしすぎて、木内を弁当と間違ったらしい。
うっかり木内の唇を食っていた。
慌てて唇を離すと、木内も目を見開いて驚いていて、
「……クリームコロッケの味がする」
キスの感想が全く色気のないものだった。
「……そうだね。たった今食ったしね」
動揺を隠すかのように、冷静を装う。
「……次は何のお弁当が食べたいですか?」
言うだけ言ってスッキリしたのか、木内は俺のドキドキを余所に普通に話出した。
オイオイ、待て待て。
「ねぇ、さっきのキス、何だと思ってんの?」
おかしいでしょうが。この流れで次の弁当について話すの、おかしいでしょうが。
「こっちが聞きたいよ。何だったの⁉」
木内が顔を赤らめつつ、眉間に皺を寄せた。
何だったの⁉ って何だよ。
「『付き合いましょう』のキスに決まってるでしょうが‼」
バカか、木内。
「橘くん橘くん。私の話、聞いてなかったでしょ。私はこの会社を辞める気はないの。振られた後に気まずい思いはしたくないの。だから、返事はしなくていいって言ったでしょ」
自分から告っておいて、返事をするなと言う木内。
え? 意味分かんない。意味分かんない。
告られた俺が振られてんの?
「あのさ、木内さん。俺、結構まじですよ。てか、かなり真剣ですよ。28歳の女性と付き合うんですよ? 結婚する気で付き合いたいんですよ?」
いい加減腹立ちますよ。俺を見縊ってもらっちゃ困りますよ。
「イ……イヤイヤイヤイヤ。橘くん、まだ若いんだよ⁉ 私なんかに……縛れない‼ 縛れない‼」
木内が両手と顔を左右にぶんぶん振る。
その顔を、両手で挟んで止める。
「結婚しようよ、木内さん。俺は絶対に木内さんを裏切ったりしないから。……だって、そんなことをしたら木内さん、酒持って徘徊しながら夜泣きするっしょ」
「それ、てっぱんネタみたいに持ち出すのやめてくれないかな」
木内が、唇を尖らせながらオレを睨んだ。
「ねぇ、木内さん。ここ、丁度指輪売ってるし、婚約指輪買いに行こっか。来年、結婚しようよ」
木内の元カレなんかより、オシャレで木内に似合うヤツを買ってやろう。
「来年?」
「別に今すぐでもいいけどさ、木内さんのご両親がビックリするっしょ。『悟さんじゃなくて俺なの⁉ つか、そもそもお前誰だよ』って。それに、俺もちゃんと木内さんの両親に挨拶したいし、自分の親にも紹介したいしね」
「……ありがとね、橘くん」
木内が、俺の両手に顔を挟まれながら泣いた。
初めて俺の前で泣いてくれた。
「……でも、指輪は要らない」
しかし、木内は泣きながら指輪を拒絶。
「……なんで?」
木内、俺と結婚してくれないの?
なんか、俺まで泣きそうなんですけど。
「来年結婚するなら、来年買って。新作が出てると思うし」
さすが、28歳・大人な女性、木内。こんな時でも超冷静。
「……お、おう」
リアルな木内に半笑いになった。
このロマンチックな空気に、容赦なくリアルをぶっ込むなよ、木内。
だったら俺もリアルをぶっ込むか。
「ねぇ、木内さん。なんでアイツの指輪、返品しちゃったの? 一応貰って売るか捨てるかすれば良かったじゃん」
「橘くん、鬼なの?」
「だって、今日まだ木内さん、売り上げゼロじゃん」
リアルに切実な問題で木内をイジると、
「言うな言うな‼」
さっきまでリアルを投げ込んでいた木内が、両耳を押さえながら現実逃避を図った。
そんな木内の両手を耳から剥がす。
「ハイハイ。これ以上言うと、またひとり寂しく夜泣きしちゃうからねー、木内さんは」
「しつこいな‼ もうしないわ。これからは、これ見よがしに橘くんの前で号泣してやるわ」
「可愛げねぇぞ、桜。大好きだ」
もう、ひとりぼっちで泣かせない。
人知れず、夜泣き。
おわり。