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シェパーズパイ

直前に一話、投稿しています。それとセットの話です。

 商店街の中は、町内会主催の夏祭りで賑わっていた。

 町内会のテントが安価なフランクフルトや焼きそばを売る横で、商店街の各々の店も臨時の屋外の店舗を出し、客を迎えていた。普段の穏やかな人の流れとは異なる様子で、歩行者天国にしている車道にまで人が溢れている。

 夏休みの最後の思い出作りにと、甚平や浴衣姿の小中学生の姿も多い。親に手を引かれて歩く、幼稚園くらいの女の子の背中では、へこ帯がふわふわと蝶結びで揺れていた。


 そんな光景を横目に見ながら、彼女はいつもの路地へと逸れた。

 何十年前から変わらない定番となっている盆踊りの音楽を背中で聞きながら、角を曲がる。

 萎れたつぼみの色からして、赤紫の花だったのだろう朝顔の鉢の隣の扉に手を掛けた。


 がらんがらんという賑やかな鈴の音をたてて開いた扉を閉めると、盆踊りの音楽が途切れる。

 静かな空間に彼女はそっと息を吐いた。

「いらっしゃいませ」

 掛けられた声は、いつもの店主のものではなかった。

「あれ、珍しい。零さんだ」

「そうかも。あまりお店には出ないから、珍しいかも」

 ふんわりと柔らかな笑顔を浮かべていたのは、この店でスイーツとパンを担当している女性だった。こうやって店番をしていることはほとんどない。

 カウンターをさっさと陣取る彼女に向かい、零さんと呼ばれた女性は、慣れた様子でコースターとお冷やを差し出す。めったに店番をしないという言葉の反面、客あしらいに慣れた様子が窺えた。


「零さんかー……」

「なんか、残念そう。ごめんね」

「いや、零さんに会えるのは嬉しいんだけどね……」

 あれだけ大きな子どもが二人もいるお母さんとは思えないほどに若々しい零さんは、同性の目から見ても美人と言い切ることの出来る女性である。ほんわか美人は、眼福であり、癒しである。


「ありささん相手だと、我が儘聞いて貰えるからさ……」

「今日は二人とも、商店街の方で、出店開いているの。軽食とお茶のメニュー出しているはずだよ」

「あー……そっかー……」

 そういえばそんな話を聞いていたようにも思える。

 店主不在の期間を臨時休業にしていないでくれたことを、常連としては感謝するべきなのだろう。

「うちの子どもたちも、亜純くんと一緒にそっちに行ってて……だから私が留守番なんだけど……『我が儘』の内容によっては応えるよ?」

「今日はちょっと呑みたい気分だったのー……」

「暑いから、冷たいもの?」

「そう。それに、ちょっとお腹にたまる、がっつりしたおつまみな気分だったのー……」


 本当は、商店街の夏祭りを覗いて、生ビールと枝豆、もしくは焼き鳥にするつもりであったのだ。

 生ビールと焼きそばでも良いかもしれない。数枚のキャベツと、探すのが難しい肉の入った焼きそばである。何処かで見たことのあるような気のする町内会のおじさんが、汗だくになりながら、鉄板の前で焼くあれである。町内会主催とは、何よりもお安いのが良い。

 とはいえ、場所が商店街というのもあって、各店舗が臨時に並べる品を冷やかして歩くのも良い。

 テイクアウトや食べ歩きしやすいように、各店が工夫を凝らした商品には、お祭り騒ぎ特有のわくわく感がある。

 胡瓜の浅漬けを割りばしに刺しただけなのに、艶々した、緑が視線を奪う。

 紙カップに入った唐揚げは最近ではすっかり定番だけれども、本格的なカレー屋さんならば、紙カップに入れて売るのはタンドリーチキンであったりする。

 氷水で冷やされた缶ビールや缶チューハイは、コンビニで売っているものと同じはずなのに、何故あれだけ美味しそうに見えるのか。


 だが、人の多さに心が挫けた。

 そして暑さに負けた。

 暑い最中の生ビールは大変美味しいが、それよりも涼しい店内でゆっくり座って呑むビールの誘惑に抗えなかったのである。

 そして彼女は、いつも通りの定番の席へと座ったのだった。


「お腹にたまるもの……リクエストとか、食べたいものとかってある?」

「ビールに合うの」

「そういう感じかぁ……苦手なものってあるかな?」

「だいたい何でも平気ー……」

 適当な注文の仕方であるが、零は暫し考える仕草の後で、彼女の前に冷えたビールの瓶とグラスを置いた。それと同時に隣に並べたのは、薄く切ったライ麦のパンにクリームチーズとスモークサーモンを載せたカナッペだった。

「少し時間がかかるから、待っててね」

「これだけでも十分美味しそうー」


 お菓子作りの担当ではあるが、さっとこういったものを出してくれるところを見ると、零さんは料理の腕前も確からしい。

 そんなウキウキした気分で、国産クラフトビールの瓶を傾ける。

 今日の気分はピルスナータイプのビールである。

 日本人が『ビール』として脳裏に浮かべる澄んだ黄金の色が、グラスの中で涼しげな気泡を生み出していく。

 すっきりとした喉ごしと味わいは、暑い日には何よりの幸福感を醸し出していくのである。

「ぷっ……はー……っ」

 グラスの中身を一息で干す。渇いた身体に染み入る一杯だった。

 この一杯の為に、からからの喉であっても、お冷やには手を付けなかったのである。旨くないはずがない。

 カナッペに手を伸ばし、半分ほどを口中に収める。

 スモークサーモンの塩気とチーズの滑らかさの他に、爽やかな辛味がある。咀嚼しながらサーモンの下を確認すれば、香辛料が一振り忍ばせてある。こういったちょっとした一手間をさりげなく施すところが、『お店の品』である証であり、料理上手な人とそうでない人の差なのだろう。

 再びビールを口にする。

 口の中の余韻をすっきりと洗い流す魔の飲み物である。だからついつい、次へと手が伸びてしまうのである。


「ビール、おかわり?」

「うん、お願いー……」

 空になった瓶を名残惜しげに逆さにして振っていたら、零が次の瓶の栓を開けてくれた。そして、温かな湯気のたつ料理を彼女の前に置く。

「熱々だから、気をつけてね」

「うわ……グラタン?」

「少し違うの。『挽き肉とマッシュポテトの重ね焼き』って言い方した方がわかりやすいかな」


 肉、芋、そしてチーズ。更に熱々。これがビールに合わないはずがない。

 すぐにビールに手を伸ばせるように、グラスに注いでスタンバイを済ませておく。

 そしてスプーンを料理の中に入れる。

 表面のとろけたチーズの層から、更に奥に。想像していたよりも柔らかなそれは、最下層の皿の底まで簡単にスプーンを到達させる。

 そして持ち上げる。

「うわぁ……」

 視覚効果がヤバい。

 糸を引いて伸びるチーズに、見るからに滑らかそうなマッシュポテト。その下に隠れていたのは、トマトソースの色を纏ったミートソースである。更に暴力めいた視覚効果を生み出すのは、中から立ち上がったたっぷりした湯気だった。

 息を吹きかける。

 熱いに決まっている。急いてはいけない。だが、口に運ばずにはいられない。

「はふっ、ふっ」

 吐息と共に熱さを逃す。チーズの塩気とミートソースの旨味とほのかな酸味。それをマッシュポテトが滑らかさと共に全てを攪拌していく。

 そこで、ビールである。

 旨くないはずがない。ビール最高。


「ビールに合うねぇ……」

 しみじみと言えば、零さんは少しほっとしたような顔をした。

「このミートソースも手作り?」

 さっとありあわせのもので作ったにしては、とても手の込んだ味のような気がした。

「元々この料理をお昼に出す予定があってね、用意していた残りなの。こういう言い方しちゃうと、残りものみたいで申し訳ないんだけど……」

「いやあ、それは、タイミングが良かったとか、役得っていう奴なのですよ」

 本来メニューにない美味しいものを食べることが出来たのである。そういったポジティブな考え方でいた方が、人生は少し楽しく生きられるというものだろう。


『ポジティブ』の原動力は、美味しいおつまみと更に美味しいビールである。

 それがはっきりとわかる顔をしたまま彼女は、再び熱々の料理の中にスプーンを差し込んだのだった。

この間久しぶりにシェパーズパイを食べようと行った店で、品切れだったので、不完全燃焼中であります。

夏が終わるギリギリまでには、投稿したかった……間に合ったことにしておいてくださいませ。

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