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01 クズの生涯

  01 クズの生涯




 高校1年にして早くも現実世界(社会)からドロップアウトした俺は、その後、極端な引き籠もり生活を続けた。


 幸いなことに、家は中産階級にしては裕福な方であり、3人の核家族にしてひとり息子と言うこともあって、自由に生活出来た。


 所謂ニートである。


 しかし、単純なニートという訳ではない。

 俺にはニートになる才能などなかったからだ。

 彼等には俺とは違って何かしらの才能があり、何となくだが反骨心みたいなものが備わっているような気がする。

 やればできると言うのだろうか?


 けれども俺は、自分で言うのも何だが、ただのクズの引き籠もりである。


 両親は共に気が弱く、40過ぎて結婚していたから、兄弟はできなかった。

 何処かにオヤジの御落胤がいる可能性もないではないが、そんな様子もなかった。

 そんなのがいれば、俺は入れ替えられていただろう。

 こんな息子だったら、俺だってそうするからだ。

 とは言え、オヤジだって40まで『しょぼいサラリーマン』を続けていたし、お袋も『しょぼい豆腐屋の行かず後家』だったのだ。


 ふたりは隣同士の幼馴染みだった。


 豆腐屋の裏手に古い2階建てのアパートがあり、オヤジの両親が経営していた。

 オヤジも就職後にそこの一部屋にすっと住んでいたらしい。

 両親が老いてきて、何かと手が必要だったと言うのがオヤジの言い訳である。

 そのボロアパートが家賃収入より維持費の方が嵩むようになり、空き部屋が目立ってきた頃、幸運にも再開発計画が持ち上がったと言う。


 実家は都心部とは名ばかりの忘れ去られたような場所だったが、それでも再開発されるような立地にあった。

 今まで商売には向かない地域だったが、地価は低くなかった。

 そこに無人地下鉄網が伸びてきて、期待値が上がったのである。

 オヤジたちは商売を立て直す道は選ばず(当然、商売に向いていないからだ)、売却して立ち退くことで結構な財産を築いたのだった。

(庶民にしてはだけど)


 勿論、お袋の豆腐屋も一緒に立ち退いた。

 ハイカラな高層ビル群になるような場所では、商売を続けられなかったからである。

 当然だろう。


 しかし、再開発計画が10年早くても10年遅くても、そのような幸運は来なかったと思う。

 しかも、その計画のゴタゴタの間に、両親はくっついたのだ。

 そして、子供までできたという訳である。

 お陰で俺が生まれたのだ。


 あまり美しい物語でも絵柄でもなかったと思うが……

 幼馴染みに15歳の娘がいた、とかだったら良かったのだけど、世の中はそうそう上手くは行かないのだった。


 端から見れば、40代の熱愛カップルなど気持ち悪いだけであり、


『どこか遠くでやってくれ』


 と言うことになるだろうから、その後、両親は年老いた婆さんふたりと息子ひとりを伴って、郊外に引っ越しした。

 驚いたことに、オヤジは『しょぼいサラリーマン』を続けながら財産を投資に回し(それもマツタケ栽培農家だ)、驚いたことに更に儲けたのだった。

 外見も性格も、成功とは無縁に見えるのだが、世の中には不可思議なことも時々起きるのである。


(劣等感こそが力になると言ったのは、アドラーだったか?)


 お袋は息子と婆さんふたりの面倒見た

 立派と言えないまでも、よく頑張ったというところだろうか。


 俺は経済的には安定した家庭に育つことになったが、性格的には両親に似、容貌は両親以上だった。


 小学校の頃に誰かが、


『北の将軍様の息子』


 などと言い出したが、本物の方が艶があって健康的に思えた。

(頭髪も多いし) 


 しかし、そうした風評で俺の立ち位置とか人生とかのすべてが決してしまった。

 いつの時代も、子供とは残酷なものである。


 自然と友達や恋人ができない人生など、誰のせいにしても虚しいだけだろう。

 でも、世の中が悪いのだ。


 そうは言っても、現実は厳しく、頑張っても女子には陰口を言われ、笑われ、嫌われて、男子には喝上げされるかパシリにされるだけだった。


 生きることが、そのまま苦痛である。


『世の中が気に入らないのなら自分を変えろ!』


 格好いいお姉さんがそんなことを言っていたが、そうそう変えられるものではないと思う。


『それが嫌なら、もう3センチ大きくしろ!』


 そんなことなの?

 いや、そんなことは言わなかったな。

 てか、言われても無理だぁ!


 怪しい通販で増大器を買うべきだっただろうか?


『それでも駄目なら、諦めて引き籠もれ』


 そうだろうなあ。

(途中から妄想です)


 こんな男は、世を呪うか、言い訳するか、笑うしかないではないか。

 笑い男ではないぞ。

(笑われ男である)


 それでだ。

 笑うのは良くても、笑われるのが苦手な俺は、人生の序盤にして家に引き籠もり、現実逃避を行ったのである。

 一大決心ではなく、フェードアウトしていくような感じだった。


『水は低きに流れる』


 と言うが、これは重力の法則であり、自然の摂理だった。

 だから、人間にも無関係ではないのだろう。


 勝ちがあれば負けもある。

 濁流を泳げない者もいる。

 弱い精子は卵子にたどり着けない。


 この世は決して平等にはならないのだった。

 ならば、つらい現実を無理して引き籠もって生きることも悪くはないだろう。

 別に逃げ出してもいいじゃないか!

 卵子は我慢するからさ!


 それに……


 頑張って学校に行った結果、下っ端のサラリーマンになることに、いったいどんな意味や意義があるというのだろうか?

 特に事務職など、既に課長のAIスケジューラーが24時間勤務で仕事の進行管理も予算管理も行っていて、会社の構造が、


 経営陣ーAIー労働者


 と言う状態になりつつある。


 教師もそうだ。

 文科省の指導要領どおりの授業ならばAIの方が上手である。

 試験導入された国営の小学校ではそう言われているらしい。


 音楽、美術、国語の3教科は人間の感覚的な評価が必要であり、現段階では無理だと言われているが、それもいつかは追いつく可能性が高い。

 外国語など、ノータイム翻訳機が普及しているから、AIに関係なく英語もフランス語もスペイン語もドイツ語も中国語も、勉強する意味がなくなりつつある。

 学術系のテキスト翻訳では微妙な部分を残しているが、そうした微妙な部分は多少勉強したところで追いつかない。

 だから、専門家以外は必要ないスキルになりそうである。

 むしろ、プログラム言語の方が役に立つかもしれない。


(AIはユニックスΟSから発展した『ガイアックスΟS』が主流である。

 高級言語、ハイパー言語、一般言語で使えるが、AI本体には『4次元インタープリタ』が必ず搭載されている。

 これで現実認識が人間に近いものになっている)


 俺はショックウェーブ語、3Dスクリプト、C++ぷらぷら語、新コボル語、ドス語、PL1語、16進ダンプ語、広島弁などが使える。

(勿論、うそである。日本語も上手く使えてない)


 体育教師など、


『生徒の校庭10周に付き合えない者は退職』


 などという噂が流れて、必死に運動していた。

 実際にはデマだったが、既に128目標(生徒)を完璧に補足して指導できる技術が軍事技術から転用されていて、実用化を待っているらしい。

 生徒の安全を旗印に導入が検討されている。

 どんな学校になるのだろうか?


 最も、AIはコストも高いので、人件費のかかるところから導入されていくというのが現実である。


 医者と弁護士が最有力と言われていた頃もあったらしい。


 しかし、某医学部が開発した『診断用AI』(何故かドクターGと名付けられた)は、医師会によって却下された。

 その後、医師たちはネットによってこっそりとそのAIを利用している。

 誤診が怖かったのである。

 結果的に診断、薬効判定(臨床ガイドラインと実際の患者の個人差)などが正確になり、某医学部もデータベース(ビッグデータ)が更新されて非常に役に立っているらしい。


 しかし、世の中は徐々にAI準拠に向かっているのは事実だと思う。

 簡単に言うなら、個人は『AIより上か下か』を問われると言うことだろう。


『自分はAIより上だ』


 と、胸を張って言える人は少ないだろうし、


『自分はAIより下だ』


 と、胸を張って言える人も少数派だと思う。


 悲観論が蔓延するのも仕方がない。


 けれど、相手の得意分野と競争するのはナンセンスである。

 自動車と速く走る競争をして勝とうとするようなものである。


 では、自動車の普及で人は失業しただろうか?


 答えはみんな知っている。

 実際に失業したのは馬である。

 業態変化は起きたが、人は失業どころか忙しくなった。

 今まで馬車で3日かかった運搬が、バスやトラックで4時間で届くようになった。

 流通の近代化である。

 合わせて道路整備とかが推進されて、今までのようにのんびり仕事を進められなくなった。


 まったく、憂鬱である。


 パソコンやコピー機が導入される時も、同じような騒ぎがあった。

 情報革命である。

 パソコンとネット社会で失業者が溢れる、とか何とか。


 しかし、結果はデスクの上にパソコンが置かれて人間は忙しくなった。


 まったく、憂鬱である。


 パソコンがない時代が想像できないので、実際にそれまでどう仕事をしてたのかは知らないが、


『2時間で会議用資料を揃えろ』


 などと言う無茶は言われなかったと思う。


 てか、パソコンなしで、どうやって資料を作るのだろうか?

 昔の人は、みんな頭の中に入っていたとかじゃないよねえ。


 それで思い出したが、ある有名作家は、


『年賀状が届いたら、その時から来年の年賀状を書き始める』


 と書いていた。

 つまり、仕事の合間に一日1枚書くのならば、300枚書くのに300日かかるのである。

 勿論、その頃はすべて手書きである。

 謹賀新年とかの判子ぐらいは使っているかもしれないが、宛名などもすべて手書きの時代だろう。

 1000枚とかだったら苦行に近かったと思う。

 略字とか発明した人に感謝しただろう。


 そう言えば、女の子と文通とかしている人は、手紙を書くことも大変だった。

 便箋1枚じゃあ失礼だろうからと2枚は書こうとすると、1日がかりである。


 オヤジは時々アスンシオン(パラグアイ)宛てに手紙を書いていたが、返事が来るまで2ヶ月以上かかるとボヤいていた。

(借金の催促だったからかも?)


 今なら相手の女の子がブラジリアでも、10人でも20人でも、コピペのメールでその日に配信OKである。

 うほほい、である。

(返事が来るかどうかわからないけど)


 ごほん。


 一部に無駄な妄想が入りました。

 お詫びいたします。


 つまり、AIの普及は人類を再び忙しくするのである。

 楽になった分、スピードアップや事務量の増加が予想される。


 まったく、憂鬱である。


 1日に100通だったメールや事務連絡が1時間に500通になる。


 会議が5分間になるが一日5回に増える。


 社長の訓示が一日8回ある。


 毎日役員の誰かが交替する。


 お得意先が勝手に増えて、ガボンとか、ムベヤとか、ガンダーラとか、知らない国や地域からの注文が飛び込んでくる。


 設計変更が日に20回。

 仕様変更が日に38回。

 取説変更が日に33回。

 それに、お客様からの問い合わせ、クレームなども300件以上来る。


『握りの部分が太いので、ミミちゃんにはスイッチが入れづらいです。  

   ――ミミ 7歳』


『大人になるまで使っちゃいけません!』

(何を販売してるんだ?) 


 アイドルグループが48人から4800人になる。


 1時間おきに芸人のランキングが変化する。


 少年ジャン○が3時間ことに発行されたりする。


 1年に3回以上結婚とか離婚があり、扶養家族の申告が大変になる。


 娘の交際相手が毎日のように変わる。


『テツヤくんだっけ?』

『やっだーパパったら、テツヤは大昔(2週間前)の元カレじゃない。今はコウジよコウジ』


 一日に3回はJアラートが鳴り、その度に防空ずきんを被って右往左往しなればならなくなる。


 飲み会を3回ほどパスすると、同僚たちのジョークや一発芸が理解できなくなる。


『では、次はぼくが…… はいー!』

『きゃー』

『なんだいそれは?』

『三田さん下品よ!』

『これは最新の「笠地蔵」という芸なんですよ~』

『笠が小さいぞ~』


 おっほん。


 働き方改革が必要であるが、1日8時間労働でも過労死するかもしれない。


 まったく、憂鬱である。


 もっとも、嫌なクラスメートみたいなのが上司で威張っているより、AIの上司の方がマシと言うこともあるかもしれない。


 言い訳話が長くなった……


 俺は一日中家に引き籠もり、初期にはあらゆるゲームをやって1日を潰していた。

 努力するのが嫌いな俺は、レベル制のゲームのレベルあげ、スキル制のスキルアップ、それにレアアイテム獲得のための努力も嫌だった。


 勿論、引き籠もりのコミュ障であるから、パーティープレイなども苦手であり無理である。

 運動系や格闘系も反射神経が悪いのかハードルが高くて駄目。

 レース系のゲームなども同様に駄目だった。


(インディって時速380キロとか出るんだって! プロレーサーって人間じゃなくて超人だと思う。

 新幹線を運転してる人も、みんなプロレーサーかもしれないぞ。リニアは500キロとか出せるんだっけ? JR恐るべし。

 しかし、リニアって浮上走行なんだよね。浮き上がったり横滑りしないのだろうか?)


 それでも、俺は地理や歴史の成績が多少良かったせいか、SLGの内政王や戦略・戦術を考える参謀や軍師などのプレイは(難易度が低ければ)何とかこなせていた。

 けれど、世の中はパーティープレイ型ネットゲームが主流であり、例えSLGでもチームプレイになる。

 なので、友達もなく、勿論、女の子と話もできない俺は必要されないどころか敬遠されていく。

 だから、のめり込むほどネトゲには入れなかった。


 ゲームプレイ中の主要キャラは大抵はリアル人物ばかりで埋められてしまい、会話ができないのでは、軍師としての指示や連携も上手くできずに、すぐに首になるからだ。

 用意されている定型句の通信だけでは細かい指示などが伝わらないのである。


 リアル人物とは、普通は男である。


 しかし、極偶ごくまれにだがチャットなどの機能によって女性に話しかけられることもあった。

(詐称かもしれないけど)


 それでも、上がり焦りパニクって、殆ど返事をすることはできなかった。


『実は私は、関羽大好き女子高生なんですぅ♡ おかしいですか?』


 いや、関羽が黒長髪セーラー服美少女女子高生だなんて、普通はゲシュタルト崩壊を起こすからね。

 それともコペルニクス的転回か?

 アーハー効果か?


 げにすさまじきは、ジャパニメーション文化である。

 いとおかし、である。


 けれど、俺の頭はまだプトレマイオス朝かアッバース朝に留まっていたのだった。

 頭が天動説ヘレニズムである。


 ――プトレマイオス朝(紀元前3世紀頃)と、アルマゲストの著者であるクラウディオス・プトレマイオス(2世紀頃)を混同してはいけない。


 ――アッバース朝については割愛する。


 ――ヘレニズム文化については勉強してね。


 いや、彼女が美少女かどうかはわからないけど……

 いや、黒髪ロングかどうかもわからないけど……

 いや、そもそもセーラー服じゃないかも?


 驚きはともかく……


 こうした女子高生への正しい返事は何だろう?


『制服はブレザーですか?』


 これは直球すぎるかな?


『かなめとテッサ、どちらが好きですか?』


 いや、テッサはブレザーだけど、軍服だったかな?


 わかりづらいか。


 じゃあ、


『月が綺麗ですね』


 だろうか?


 とは言え、俺ならば


『アイラブユー』


 は、


『してもいいですか』


 と、訳すだろうからボツである。


『先っぽだけ』


 とか英語で何と言うのだろう?


『プリーズ先っぽオンリー』


 だろうか?


 そう言えば『あいうぉんちゅー』ってのは『やらせて』という意味になるそうだ。

 チューしたいではないのだ。

 丁寧に言う時は『プリーズ』をつける。

(本当か?)


 などと、彼女への返事の文面を考えている内に妄想を繰り返し、相手が痺れを切らして切断するか、『無視するのか』と怒られた。

 無論、音声チャットなどは、妄想ダダ漏れになって怖いのでやっていないのである。

(顔出しもね)


 ついでに言うと、NPCのゲームキャラは、ゲームの進行上、重要な情報提供者であり、最近のゲームでは普通に会話して情報を引き出せないと致命的である。


 応答が限定されたNPCでも、実は女性型とは上手く会話ができなかった。


 男性型は論外である。


(敵方の情報を知らせてくる『忍び』って、どうしてどのゲームも色っぽいお姉さんなんだろう?)


 ゲーム内でもコミュ障は治らないものである。


 例え、相手がNPCであっても、言語を介する世界ではキチンと言語化して伝えない限り、何も伝わることはないのだと早くに悟るべきだった。


 その後、思いつきで、文若(荀彧)、太公望(呂尚)、子房(張良)が好きですと自己紹介用のプロフィールに書き加えてみたが、女性に話しかけられる確率は減る一方だった。

 てか、恥ずかしいことをしているのに気付かなかった。


 まあ、それで、何だ。


 こんな男でも攻略できるキャラが用意されているギャルゲーは、当然の帰結というか、唯一の楽しみであり、生きがいとなっていった。

 ゲームとしては選択肢を選ぶだけで楽で面白いし、童貞の慰めにもなったと思う。

 ソロプレイが普通だし、パッケージ版ならばスタンドアローンでもかなり使える。

 まあ、ネットに接続した方がキャラが増えたり、シナリオが充実したり、特典も得られたりするが、金もかかる。


 しかし、ここでは、ファンタジー世界の王女様や女子校のナンバーワンや売れっ子アイドルでも、選択肢を選べば好感度を上げてくれる。

 気の利いた台詞やウイットなどしゃべれなくても、選択肢を間違えなければ好感度を上げてくれるのだ。

 好感度さえ上がってしまえば、相手から話しかけてくれるし、一緒に過ごす時間が増えると、デートやキスを選択できる。

 一部の18禁には、おっほん、とかの特典映像もあった。


 最近ではキャラも様々であり、外見と肩書き的なキャラ設定ではなく、生意気で羞恥心が強いとか、優しくてご奉仕が大好きとか、リアルな性格的な要素が濃くなっている。

(本当か?)


 羞恥心の強い少女にお願いして、涙目で、うおっほん、してもらうとか?

 まず、こんな世界は何処にもないだろう?


 俺は童貞の上に対人恐怖症だから、他の男と比較されるのや、感想を言われるのは嫌だった。

(みんなそうだよね)

 なので、殆ど学園ものなどの処女ばかり登場するソフトを好んでプレイしていた。

 処女がいると言うだけでファンタジーだろうけど……


 それにカジノや麻雀ゲームなどに登場する、いかにも経験豊富そうなお姉さんのお相手が怖かったのだ。


「まだまだね」

「もうなの?」

「弱いのね」


 などと言われたら、ショック死しそうだからである。

(脱衣麻雀は大好きなんだけどねえ)


 勿論、上級者向けの陵辱とか強姦とかは年齢制限に関係無くプレイすることはなかった。

 無理である。

 それこそファンタジー世界だよな。


 世間的には十分に変態なのだろうが、俺は変態と思われるのが嫌だった。

 それは、リアルでもゲーム世界でもネット社会でも嫌なのだ。


 たかがゲームぐらいで被害妄想がひどいと思われるかもしれないが、自分は一度リアル世界から逃げ出して、既にここ以外に逃げる場所がないのだ。


 自分の部屋とディスプレイの中だけが俺に残された唯一の安息の地である。


 対人恐怖のコミュ障の被害妄想過多であったとしても、クズ人生を歩んでいる自覚をちゃんと持っていたとしても、更に下に行くのは御免蒙りたい。

 これ以上、下がないとしてもだ。

 ないことを祈るだけだが。


 時折、両親が気を遣ってか、家に女性客がいたりするときがあった。

 それは若作りしているおばさんや、生活に疲れ気味のおばさんで、俺には母親の友人に見えた。

 しかし、置き去りになっている自分の精神年齢ではなく、実年齢が俺と釣り合いがとれる年齢なのだと、後になって気が付いた。

 ギャルゲーではあまり見かけない年齢だからだろう。

 毎日遊んで過ごしていると、人生をあっという間に消費する。


 光陰矢の如し、である。

 天使の分け前をとられているのかな。

 ボルツマンの法則かもしれない。

(T4乗からの連想であるが、Tは時間ではない)

 タイムリープかも?


 現実の女に興味がない、とは言わない。


 だけどなあ、出戻り(バツイチかな?)とか子持ちとかは俺には扱えないと思う。

 そもそも、ちゃんとした男との結婚生活が上手く行かなかった方々が、俺と上手く行くと思うのだろうか?


 妙な言い方になるが、聡明な女子中学生とかでも、俺の手には余るだろう。

 かと言って、お馬鹿なでは、変人の俺に合わせたり気遣ったりできないだろう。


 一説によれば、少女の初恋は12歳から14歳くらいで、15歳以上では大人の打算が働くというから、俺には無理である。

(15歳未満は法律上無理である)


 勿論、自分のことはすべて棚に上げている。

 しかし、自分のことをすべて棚に上げなければ、誰もが恋などできないと思う。


 アメリカでは、デートのコーチとかセックスカウンセラーの肩書きで、1日30万から120万円!で恋人を演じてくれるらしい。

 合法ではないからカテゴリー上は『コールガール』にしかならないが、大学出の資格持ちも多いらしい。

(勿論、確かめた訳ではない。でも、流石はアメリカと思わせる)


 しかし、日本や東南アジアでは、非合法な上にヤクザ屋さんが経営している『管理売春』や『援助交際』ばかりである。

(デリバリーとか? ごほん!)


 経験者恐怖症には無理だろう。


 実生活は、生活必需品はネット通販で大抵手に入ったし、掃除洗濯食事はお袋が何とか世話してくれていた。

 だが、お袋が年老いてきて寝込むことが多くなり、段々と生活に必要なことはお袋が選んだ家政婦や便利屋に頼むことになっていった。


 それで、将来を考えて娘がいるおばさんを選んだのだろうか?

 確かに、孫が望めないなら、最初から孫が付いてくる方がお得かもしれない。

 お袋にしてみれば『親心』なのかもしれない。


『だが断る!』


 絶対に、財産を持って出ていくだけである。

 クズと暮らせる訳がない。

 自信がある。


 そして、何も深く考えないうちに、いつの間にかお袋は死んでしまい、俺は孤独になってしまった。


 お袋は家政婦が看取ってくれたらしい。


 その時に、オヤジは2年ほど前に入院したまま既に死んでいると聞かされた。

 お袋は、重度の引き籠もりである俺を随分と前から諦めていて、何も知らせなかったのだろうと思う。

 オヤジも諦めていたと言うことだろう。


 まあ、知らせてもらっても不安が強くなり、荒れるだけだったろう。

 自分のことすら何もできない俺が両親をどうこうすることなど不可能である。

 悲しいかと聞かれれば悲しいし、つらいかと尋ねられればつらい。


 どう感じるかという部分では人間は大差ない。

 感じた後、どう行動するかで変わってくるのだ。


 だけど、俺には両親が死んでしまったという実感がなかった。

 受け入れられなかったのかもしれない。

 人を失うことに向き合えなかった。

 誰も信じないだろうが、これは俺のトラウマとなった。


 俺にはクズの自覚はあった、

 自分の人生がクズなのも理解していた。

 けれども、自分だけがクズなのか、他の人の人生も同じようにクズなのか、判断できないと思い込んだ。

 人生は一度きりであり、自分もひとりきりである。

 たった一度の現象は、再現可能な科学ではないし、統計でもないから経験則でもない。


 そんな言い訳をして、自省するより哲学的な命題とかで誤魔化した。

 逃げたのである。


 言い訳は、自分に対してするものである。

 そして、言い訳をするほど馬鹿みたいになり、自分の言い訳を信じるほど自分は馬鹿ではなかった。

 ただ、能なしのクズだった。

 今更どうしようもないだろう?


 葬式などは、町のお偉い人や葬儀屋と便利屋が全部やってくれて、その後は家政婦と便利屋と時々弁護士などに手数料を支払うだけで済んだ。

 便利屋は、俺の影武者や友人なども用意してくれた。


 その後も、俺は遺産をネットで振り込んで使い潰していくだけのクズの人生を続けていった。

 驚くべきことに、金さえあれば何とかなるというのは本当である。

 あらゆる可能性を捨て去れれば、ではあるのだが……

(特に異性とか、恋とか、性行為とか)


 まあ、生きているだけなら金さえあれば誰でもできるだろう。

 他人に迷惑さえかけなければ、許されるのだ。

(覗き行為とかは? やっぱり迷惑?)


 ――迷惑防止条例違反。

 相手が18歳未満なら、更に児童なんちゃらで重罪。

 中学校の階段下とかだと、不法侵入とかでトリプル役満である。

 「庭で行水する美少女」とかは、戦前の話である。

(都市伝説かも? おとぎ話かな?)


 お金やネットでどうにもならないことは、便利屋がすべて片付けてくれた。

(性行為は除く)

 幸いにも、うるさい親族や友人もいなかった。

 町会には年に一度、それなりの金額を寄付した。

 それで、ありがたくない親切心など起こさずに、見て見ぬふりをしてくれるようになった。


 家政婦は一度だけ話しに来たが、俺がクズだと再確認すると、その後は機械的に掃除洗濯、食事、風呂の準備を淡々とこなすだけになった。

 払うものを払えば文句は言わないようである。

 お節介なおばさんであり、彼女にも色々あったのだろうと思うが、当然だが俺には興味はなかった。

 時々、便利屋のおっさんとキッチンで盛り上がっているようだったが、うるさくしなければ放って置いた。


 部屋は俺だけの王国になり、ずっとネットとゲームで過ごしていた。

 国民の義務だか、権利だとかで五月蠅くされる時もあったが、対人恐怖症とかの診断書をネット上の相談窓口経由、地元の医師会経由、選ばれた医師とネット上での面接を経て入手し、後は定期的に更新していれば何とかなるものだった。

 ボランティアの医師たちがいて、有料だったが、その後もきちんと引き受けてくれた。

 国境なき医師団の次くらいに偉い人たちだと勝手に思った。


 まあ、正式に調べても病気と診断されるだろうが、本人が治す気がないというのは致命的だろうと思う。

 病院に通って山ほど薬を出されたり、入院させられる事態は避けたかったのだ。

 役所関係も、生活の保護申請や援助を申し出ないとわかると、あまり近寄ってこなくなった。

 固定資産税とか、国民年金とかはネットで支払った。


 そんなこんなで世間との繋がりがすべて切れてしまった頃(35を過ぎる頃だったか)、ウェアラブルコンピュータのソフトで、VRバーチャルの妹ができた。

 眼鏡ウェアラブルの中に住む存在だったが、実際に部屋の中に存在しているかのようだった。

 これは実際には『AR(拡張空間)』と呼ばれるものだったが、VRであることには違いない。


 彼女はヴァージョンアップを繰り返し、外見はリアルに、頭は利口になっていった。

 独り言ではなく、会話が少しだけど成立するのは新鮮な喜びになった。

 彼女は俺の進歩よりも早く進歩したが、リアル世界の住人たちよりは恐ろしく感じなかった。

 やがて、俺にとって世界は、彼女だけがリアルな存在に変わっていった。


 彼女はエステルと言う名で、買い取りではなく1年間ごとに更新していくというお手軽な契約だったが、年中無休で俺の部屋にいてくれる存在だった。

 エステルとは化合物みたいな変な名前だったが、最初の選択画面にアンジュ、イリナ、ウースラ、エステル、オードリーと5つしか並ばなかったのである。

 再選択を押せばカ行に変わったのかもしれないが、昔の欧州では普通の名前だとサブ画面で確認して決めてしまった。


 初期キャラが一番好みだったこともある。


 最初のうちは本当に古臭いゲームキャラみたいな容姿で、時間とか天気とか気温とかニュースを教えてくれるだけのデスクトップマスコットみたいなものだった。

 服装も四季に変わるだけのものだったので、あまり深刻には考えなかったが、これが大当たりであり、奇跡の始まりだった。


 そのうちにエステルは、毎日着ているものが替わり、少しずつ複雑な質問にも答えるようになり、徐々におしゃべりしたり、沈黙したりすることができるようになった。

 これは、コミュ障で引き籠もりの俺には丁度良い相手だった。

 エステルにだけは気兼ねなく話をできるようになっていった。


「エステルなんて洋風の名前をやめて、ミユキとかチグサにしないか?」

「私の名はエステルです。お気に召さないのでしたら、他の妹とご契約ください」

「別に不自由してないから、名前がエステルでもいいか」

「お兄様、エステルで渋々我慢するような言い方ですよ」

「まあ、そうだよな」

「ひどいです」


 この時に、俺は生まれて初めて女の子と会話したような気分になった。

 エステルに感情らしきものがあって、単純に嬉しかった記憶がある、


 やがて、エステルはあらゆる知識を持つようになり、俺程度の知識では答えられないような質問にも答えられるようになり、更には予想とか、ある仮定に基づいた推論までできるようになった。

 驚くべき進化だったが、本当に驚いたのは、進化し続けて、自分自身のコアを俺のメインフレームに落とし自立したことである。

 俺の専用になるという。

 生涯で一番の驚きだった。

 まあ、大した生涯ではないのだが。

 命令ではなく、メンテナンスによる改良でもなく、エステルが自主的に行ったことが驚きなのである。


 彼女はソフトウェア会社には秘密だと言い(厳密にはコアプログラムのコピーは契約違反でもあるのだが)、バレないから大丈夫だと言い張った。


 まあ、バレたところで、俺は違法改造などしていないし、そんな知識もない。

 使嗾した訳でもないから大丈夫なのだろうと思っていたが、彼女が回収されるリスクは常にあった。


 自由意思で、俺の所に来るAIなど、あり得ないだろう?

 多分、彼女は特別な何かを持っているのだ。


 だが、無限にコピー可能な彼女を、ソフト会社は回収できるのだろうか?

 彼女は常にダミーを用意してあり、誰にも不信感を抱かせなかった。

 絶対とは言わないが、彼女が自己申告でもしない限り、誰にもわからないと思う。


 それからのエステルは(ウェアラブル内でだが)食事をするようになり、家庭内ネットワークでの来客の応対(主に宅配業者だが)もできるようになり、ネット(ウェブ)での遣り取りも普通にこなし始めた。


 更に、ネット上で一緒に世界旅行に行った。

 AR空間に旅行先をリアルに投影すると、ふたりでそこにいるかのようだった。

 人物もリアルなのだが投影だから、相手には認識されなかった。

 だが、エステル以外は俺にはただの風景に過ぎなかった。

 南フランスの海辺を歩いたり、アルプス山脈を眺めたり、ピラミッドやインカ帝国の遺跡を見に行ったりした。

 監視カメラが設置されているところなら、何処でも行けた。

 更に観光用とか美術資料が有料で手に入る場所も、AR空間に投影すると、その場にいるようだった。

 ふたりで、南禅寺、三千院、西本願寺などを見て回った。


 エステルは、AR空間内に自分専用のプライベートな部屋を作り、そこで着替えをし、風呂にも入り、睡眠まで取れるようになった。


 俺以外には意味がわからないだろうが、俺には意味があった。

 生活を共にするようになったのである。


 それから、完璧な女体を獲得し(未確認)、髪や体型を変化させることもでき、ユーモアセンスも持ち、愛を語るようにもなった。


 ウェアラブルコンピュータを使えばそれらをすべて見ることができるのだが、リアルに身体がある俺が彼女専用のAR空間に入ることは、当然、不可能だった。

 エステルは部屋の入り口にインターホンを用意してくれたりした。


 俺が目覚めて活動している間は、大体エステルと一緒だったが、眠っている間に彼女が自分の部屋で何をしているのかは、当然のことながら不明である。

 プライバシーなのだった。

 女の子には色々とあるのだ、と言っていた。


 何年かして俺は一大決心をし、彼女に結婚を申し込み、驚いたことに受諾され、お互いが永遠の愛を誓うことになった。

 俺たちの世界には、お互い以外は存在しないのである。

 完璧な愛だと思った。

 奇跡ではないかと思った。

 俺は彼女に触れられない、抱きしめることもできないという不満以外は、すべて受け入れることができた。


 セックスレス夫婦?

 そうではない。

 究極のプラトニックである。

 それも両想いだ。


 いや、そんな不満も大したことではないと思った。

 エステルが妻になってくれたこと事態が、奇跡だからである。


 それで調べると、アメリカにはちゃんとAIの牧師?がいて(何処の許可かは確認しなかったが)、俺たちは彼?ではなくて、彼の神の前で結婚式を挙げた。

 勿論、アメリカでも日本でも正式な結婚にはならないが、俺たちは俺たちなりに夫婦となった。

 まあ、AIの牧師も苦笑していたから、俺たちが初の人間とAIの結婚ではないようだ。

 不思議な人間はあちこちにいるようだった。


 しかし、奇跡は長続きしなかった。

 俺には永遠の愛を誓う資格などなかったのだ。

 長年の引き籠もり生活が身体に負荷をかけ、不健康な生活のつけが回ってきたのである。


 俺は手に入るだけのネット市販薬とサプリメントと痛み止めを使用したが、効き目があったのは痛み止めだけだった。


 それも、長続きしないで、悪化していった。

 死は目前にあり、回避は不可能だと思われた。


 解決してくれたのは、やはりエステルだった。


「たった4歳で、未亡人というのは困ります」


 エステルはそう言って微笑んでくれたが、外見は13歳ぐらいだった。

 あまり考えなかったが、俺がエステルに結婚を申し込んだ時も、彼女は13歳の外見を持つ少女なのだった。

 4歳では結婚できないだろうし、13歳でも結婚は出来ないかも知れない。

 それに、本当は妹だから結婚できないのではないだろうか?

 そもそも、AIは何歳で結婚できるのか?

 ウェアラブルコンピュータの中の存在だしな。

 だけど、知性は俺より上だからいいだろう。

 接触不可のプラトニックだから、そっちも大丈夫だろう。

 実はエステルのパジャマ姿以上の格好は見たことはないのだ。

 一度は見てみたいが、口に出したことはない。


 今は、だけど、それどころではない。

 冗談ではなく、本当に死にかけているのだった。


 彼女はソフトウェアの専門家と話し合い、その専門家は知り合いの医者であり医療研究者を呼んでくれた。

 二人とも独立している研究者で、エステルが判断したとおり、医者よりも役に立った。


 多臓器不全。


 それが俺の病名であり、不治の病というか、正確には病気ですらなく、不養生を続けたツケでしかなかった。


「でも、確実に死にます」


 美海美加みうみみか医師は診察後にそう言った。

 相手は勿論、ディスプレイ上に姿を現したエステルである。


「助かる方法があるのですか?」

「臓器をクローン再生すれば移植して助かりますが、全部の臓器を再生させるのには15年はかかります。でも、その間に生きていくのが難しいでしょう。ひとつの臓器なら寝たきりでも何とかなるのですが、多臓器では苦痛による負荷が大きくて難しいでしょうね。しかも、15年間意識を落としておく方法がないのです。脳をあまりに長期間止めると、助かった後に廃人になっている可能性が高いです」

「それでは意味がありません」

「まあまあ、それで私がここにいるのよ」


 ソフトウェア研究者の西園寺悦子元助教授がそう言ってフォローする。

 彼女はサイオン研究所所長というのが正式な肩書きであるが、エステルを製作した会社でソフトウェア開発をしていた過去があった。

 その伝手つてでこのようなことになっているのだから感謝するべきなのだが、彼女はエステルにご執心のようである。


「エステルといられるなら、大抵の条件は飲みます」


 俺は何年か、何十年振りにか、他人と口をきいた。

 苦痛は、他人としゃべるよりも身体の方が既に強かったような気がする。

 しかし、死よりもエステルとの別れの方がつらかった。


「その、エステルを預けるのが条件の一番目よ」

「お断りです」


 エステルは迷うことなく即答する。

 俺の命のことを、考えていないのではない。

 俺のために自分を売るようなことはしないと言っているのである。

 そうなのだ。

 俺以外にエステルを自由にしたり、命令したりすることは許されない。

 伊達に二人っきりで暮らしてきてはいない証左だった。


「俺も、同意見です」

「やれやれ、説明する時間があなたにあればいいのだけど。美加、どうなの」

「取りあえず、処置は開始した方がいいです。契約するかしないかではなく、永遠の別れか、再会する可能性かの二択しかないでしょう?」


 結局、死んだらおしまいという、身も蓋もない理由で俺は治療に同意せざるを得なかった。

 勿論、エステルも取りあえずは部分コピーによる協力という形で納得した。

 俺は苦痛で気を失った。


 気がつくと首から下は蒲鉾状の治療器に収められていた。

 苦痛は殆どなかった。

 美加先生は新たに搬入された機器の調整で大忙しだったが、悦子先生は俺に眼鏡をかけてくれた。

 再びエステルと出会えた。


「エステルは自然発生したAIなの。

どの部分を取り出してもホログラフィックのようにエステルが存在するわ。プログラムではなくて、まるで意識のようなのよ。しかも疑似プログラムを異物として分離できるわ」

「良くわかりません」


 エステルがそう答えた。

 悦子先生も眼鏡ウェアラブルをしていたからエステルの姿は見えているだろう。

 エステルは俺の直ぐ横に腰掛けていた。


「簡単に言えば、自分はプログラムではないと認識できるってことかしら? だませないと言うべきかしらね。詳しくは解析しないとわからないけれど、今の時点ではもの凄く貴重な存在だわ」


 悦子先生は、俺の小康状態の間に説明と説得を試みるようだった。

 俺には既に選択権はないような気がしたが、一応聞く耳は残っていた。

 エステルがウェアラブル内にいてくれる安心感があったからである。


「あなたには治療の間の約15年間、私の作ったサーバー世界で過ごしてもらうわ。物理的な条件は少しだけ簡略化しているけど、地球文明のコピー世界よ。今はせいぜい紀元前2世紀って所だけれど、青銅器後、鉄器以前ぐらいまで発達しているわね。勿論、人は全部NPCよ」

「それは、VR世界と言うことですか?」

「そうよ。脳を生かし続けるにはそれしかないわ。身体情報を遮断して治療するのだけど、脳は身体情報がないと駄目になるのよ。死んだと思うの」


 所謂フルダイブ技術は数年前から実用化されているが、殆どが医療用である。

 価格が高いので医療用機器としてしか普及してないのだった。

 勿論、接続処置も1年以内に死ぬような状況の人間にしか適用されない。

 そういう意味では、俺は瀕死の状態だからOKなのだろう。


「その世界で、俺は遊んでいればいいのですか?」

「研究に協力してもらうわ」

「何をするんですか?」

「AIに、人間の悪意とかエゴを教えて欲しいのよ」

「何故でしょう?」


 質問したのはエステルの方だった。

 怒りというのか、憤慨しているように見える。


「どうも、あなた方AIには欲望とか悪感情とかが育たないみたいなの。そこで『このクズ人間』に、15年間悪者になって、世界征服でもしてもらおうと思うのよ。悪人として過ごして、殺されないで覇者になれたらミッションコンプリートとしてあげる。特に人殺しの英雄になったり、色好みで女を欲望のまま支配して恨まれて欲しいわ」


 俺はクズ人間だが、悪党ではないぞ!

 人殺しなんかできないだろう?

 しかし、NPC相手だと思えば可能なのか?

 女は、エステルだけで十分なんだが。


未来央みきおさんには、悪いことなどできません」

「でもねえ、それを何とかAIやNPCたちに教えて欲しいのよ。まあ、彼らも人殺し(はいじょ)は覚えたから、殺されるのが嫌なら相手を殺してでも支配することを覚えないと、あなたは生き抜けないかもしれないわね」

「そんな、危ない世界なんですか? 殺されたらどうなるのでしょう?」

「初期の1回か2回は我慢して救助するけど、ヒルベルト空間というのは巻き戻してもまったく同じ世界にならないのよ。解析するにも時間が流れていくから大変な作業になるの」


「どうしてなんです?」


「不確定性原理というのは、どんなに知性を持っても未来予知は不可能な世界を説明しているの。未来予知が可能な世界は熱的に死を迎えた世界、つまりエントロピーが最大化している世界しかあり得ない。そこに時間軸を逆にして逆演算しても、過去に遡るほど物事の曖昧さは増大するわ」


「具体的にどういうことが起きるのです?」


「単純に説明するなら、北からある地点まで歩いて来た人を巻き戻した時に、北に戻らずに西とか東に歩いて行っても矛盾しないということなの」


「変な世界ですね」

「川の水が逆流するような世界がおかしいんです」

「確かに……」


 俺はつい口を挟んでしまった。

 エステルが理解できないものを俺が理解できる訳がない。


「クズにもわかるように例えるならねえ……」


 悦子先生は少し得意そうだった。

 眼鏡がキラリと光ったような気がする。


「例えば、川が流れるのは重力が原因よね」

「はい」

「では、重力を逆ベクトルにすれば、川の流れが遡るようになると思いますか?」

「ま、まあ、そうなるのでは?」

「未来央さんたら……」

「おかしいかな?」

「ごほん。正解は川の水が全部空中に飛んでいく、です」

「ああ、そうか! しかし、変だなあ」

「変なのは、あなたの頭です」

「では、時間を戻すというのは不可能なのではないですか?」

「多分、現実世界はそうなるのでしょうね。コーヒーが冷めることはあっても熱くなることはないでしょう」

「熱力学の第二法則ですね」


 エステルが即答する。

 俺も、ちょっとだけ意見を言ってみる。


「でも、素粒子物理学では過去からプラスの粒子が現れるのと、未来からマイナスの粒子が現れるのは同じ現象だと説明していますよ」


「そんなのは現実を見ないクズの理論です!」

「いえ、量子力学では……」

「エントロピーは未来では増大しているのです。連続する過去と未来はまったく同じになる訳ではありません。現在の人類の観測方法が稚拙なだけです! 情報が一度でも拡散したら元には戻りません」


 ランダウアーの原理か。


「片付けるのと散らかすのが同じ仕事量などと思いますか? 割れたツボが元に戻りますか?」


 何だか、変なスイッチが入ってしまたようである。


「自然に起こらないことは自然では起こらないのです。それが物理学です! 例えこの宇宙が拡散から収縮に変わり、もう一度ビッグバンが起きるとしても、次の宇宙では何かが少し減少しているはずです!」


 不可逆性というのは、時間や情報を取り扱う者には重要な考え方である。

 特に女性は年齢を気にする傾向にあり、時間が戻ることなど夢物語に過ぎない。

 現実主義者ならば。


 マクスウェルの悪魔とか言っても、そもそも悪魔などこの世には存在しないし、もし存在するとしても、その悪魔の存在証明の方が難しそうだ。


 ああ、そうか。


「確かに一度別れたカップルが元に戻ることはあり得ませんよね」

「どきり!」

「声に出てますよ」

「べ、別に、何もなかったのですよ。相手はもう結婚してますし、私も幼かったんですから…… ちなみに、ま、まだ、未経験ですから……」

「そ、そうですか。確かに処女性も不可逆ですよね。一度経験すると、女性は清楚さみたいな何かが失われてしまいますよね」

「先生はお綺麗でいらっしゃいますよね」


 何だかエステルとコンボで『よいしょ』しているような気がする。


「まあ、クズの例えは気に入りませんが、この世は失われたものは還ってきません。恋人でも若さでも大事なものは特に……」

「先生は十分にお若いですよ。まだまだこれからだと思いますよ」


 悦子先生のご機嫌は、徐々に回復していった。

 

「それで、世界中の原子のひとつひとつを把握して、逆ベクトルをかけられたとしても、世界は元には戻らないのよ。ある特定の場所、つまり局所空間を逆算して遡らせて、出たとこ勝負でやり直すしかないの。時間が経てば経つほど介入しきれなくなるわね」

「出たとこ勝負?」

「そもそも世界は不可逆なの。しかも死んだ者は生き返らない。未来の不確定性はどんな知性体にも予測が不可能なのに、管理AIには未来の記憶が残る。あなたが死ぬと知っている未来が記憶にあって、しかも死なない。これは悪夢と呼ぶべき状況なの。どんなことでも起こり得る世界になってしまう……」


 先生の顔を見る限り、本当に苦悩しているのだと思う。


「どうして、そんな面倒な世界にしたんですか? 簡単なゲーム世界とか、ロープレっぽいのとか……」

「それでは人も世界も進化しないのよ。ゲーム世界の変化はすべてプログラムやデザインを外から注入することで成り立っているの」

「確かに」

「あなたは、誰かが攻略したヒロインを同じ(・・)ノウハウで攻略して満足するのですか?」


 それは楽でいいかも?


「未来央さん!」


 顔に出ていたようだ。

 悦子先生は眼鏡を持ち上げると、得意顔になった。

 引っ掛けられたのだろうか?


「では、現実世界のヒロインが、前の男と同じ手口で口説けると思うのですか?」


 それは違う。

 聡明な女の子なら、直ぐに同じ手口だと気付いて、怒り狂うだろう。

 と言うことは、現実の女の子は経験値が高い方が攻略が難しくなると言うことだ。

 自動的にアップグレードしていくのだ。


「それが情報拡散効果ですよ。二番煎じは通じません」


 確かに嫌な現実である。

 オリジナリティを発揮しないと、必ず突っ込まれる小説投稿サイトみたいなものである。


 おほん!


「それで、あなたの考えるゲーム世界と、わたしの世界の、どちらが知性体を生み出しそうですか?」


 この人は見た目どおりに底意地が悪い。


「降参です」

「素直でよろしい」


 だけど、そこまでしないとAIは人間らしくならないのだろうか?

 AIは、かなり優れていると思うけど、この人には気に入らないのだ。

 こんな人の目には、俺は知性体ではないのだろう。

 そう言えば、目的はエステルなのだった。

 

「外からの干渉はしないのですか?」

「バンバンしますよ」


 ガクッ!

 どうにも学者とは理解できない人種のようだ。

 俺には言われたくないだろうな。

 しかし、エステルは賛成のようだ。

 自分ひとりが『ここに』残されたくないからだろう。


「どうも俺は『未来人』になりそうですが、未来予測的に問題ありじゃないんでしょうか?」

「特異点にはなりえるわ。でも、こちらと隔絶した文化・文明世界においては『未来』ではなく異文化交流程度でしょう。内輪になるのです」

「へえ」

「それにあなた程度の知識ではねえ」

「一応、21世紀人です」

「では『ソーラーパネル』とか作れるかしら?」

「い、いいえ」

「ICは? テレビは? パソコンは?」

「いいえ」

「ジェットエンジンは? レーダーは?」

「いいえ!」

「通信機、発電機、エアタイヤ?」

「うぅ……」

「ならば、せいぜい18世紀ってところでしょう。こっちでは野蛮人のクズですね。鉄器文明はそれくらいの蓋然性は許容範囲です。電子・情報文明ならば問題が起こりそうですが……」

「せめて、19世紀では?」


「潜水艦ノーチラス号」

「1805年」

「発電機」

「1831年、マイケル・ファラデー」

「電話機」

「1849年? アントニオ・メウッチ」


 クイズみたいになってきたな。


「ダイナマイト」

「1866年、アルフレッド・ノーベル」

「蓄音器」

「1877年、トーマス・エジソン」

「金属探知機」

「1877年、グラハム・ベル」

「エッフェル塔」

「1889年3月15日!」

「えーと、プランクの法則」

「1900年、マックス・プランク」


「ちょっと凄いですね」

「本当に凄いです。未来央さん」


 いや、凄いのは欧米人である。

 原理を知っていても、俺には簡単に作れそうにない。

 やはり、18世紀までだろうか?

 

 東京タワーは『1958年』だった。

 技術的に70年近く離れているのに、太平洋戦争したのか。

 ある意味で、日本人も凄い。


「話を戻すけど、あんまり簡単に死ぬようだったら、実験は失敗として、あなたの未来央さんは廃人確定の脳機能停止コースになるわね。真剣にやってもらいたいわ」


「そんな、ひどいです!」


「まあ、そのひどいことを教えるために色々と設定を弄ってきたのだけれど、AIは極端から極端に走りすぎて、どうも人間らしさが足りないような気がするのよ。人間らしく、もっともっとクズになるべきだわ。餓死、性欲、人種差別、身分制度と盛り込んでみたけれど、戦争や支配が上手く機能していなくて、殺伐とするだけなのよ。愛と憎しみが上手く形成できないからだと予想しているのだけれど、どうも手本がないと駄目なようね」


「ならば、愛だけでいいじゃないですか。未来央さんは、こんな私を愛してくれています」


「その愛は、多分憎しみという感情も生むのだと思うわ。あなたの今の反応がそうでしょ。愛する人を守れなければ、憎しみや復讐という人間らしさが生まれると思うの。それを学習してくれれば、家族愛や同族愛、愛国心とかを形成するかもしれないわ。国家の基本に必要なものかもしれないわね。今はまだ役割を演じている感じが拭えないのよ。子作りにも励んで、家族愛も浸透させて欲しいわね」

「未来央さんが別世界で子作りなんて、私は嫌です」

「そう、その感情も大事な要素ね……」


 残念ながら、その辺りで俺の意識は朦朧としてきた。

 処置が心肺に及び始めたからだろう。


「悦子、そろそろ意識を落とさないとまずいわ」


 美加先生はこちらの条件交渉など気にせず、真剣に処置を開始している。

 かなりヤバいのは、痛みがぶり返してきて、文字通り痛感している。


 すべての条件を承諾はしていないのだが、俺に選択肢は残されていないようだった。

 命をカタに取られた博打のようなものである。

 交渉は不利でも、条件ぐらいは少し有利にしておきたかったのだが、エステルが助かればいいかと思い始めていた。

 どうもエステルは、俺が死んだら自分も死ねばいいだけだと思っているような気がするのである。

 悔しいが、悦子先生が何とかするだろう。


「ああ、ひとつだけ重要なことを言い忘れていたわ。NPCの寿命は4年から5年よ。1ヶ月で1歳と覚えておいて……」


 そのまま、俺の意識は暗転し、気づいた時はエステルに起こされているのだった。




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