森に咲く花
更に翌日、僕はまたあの森に来ていた。
なぜ三たび彼女を訪ねようと思ったのか、自分でもよくわからない。弁解しようだとか、許してもらおうだとかいう気はとうに失せていた。ただ彼女のあの瞳が、どうしても頭から離れなかったのだ。
空模様は相変わらずの曇天で、重く湿気をはらんだ風が足元にまとわりついていた。しぜん、馬の足もゆっくりになる。
どうして来てしまったのか、やはり引き返そうか。そう考えながら視線を巡らせていると、何か赤いものが見えた。目を凝らし、馬の鼻先をそちらに向け、歩み寄る。次第に明らかになるその赤色の正体に、僕は息を飲んだ。
それは、見事に咲いた野ばらだった。
静寂に沈む森の中で、それらはひっそりと群生していた。辺りには芳しい花の匂いが漂っている。真っ赤に燃え立つ花弁は惹き込まれそうなほどに美しく、この極端に色味を嫌った世界に唯一色彩を与えていた。そうして己を主張するかのように咲き誇る野ばらは、何にも染まらぬ気高い存在に思えた。
僕はふと、彼女の横顔を思い出した。あの白い肌や美しい黒髪に、この赤はきっと似合うだろう。
そう思うや僕は、野ばらの一輪を手折った。その瞬間指先に痛みが走り、花を取り落としそうになる。見ればその花の茎には、いくつもの鋭いとげがあった。
あぁ、こんなところも、まるで彼女みたいだ。
僕は茎をそっと布にくるみ、胸ポケットに挿した。
辿り着いた彼女の家は、やはり鬱屈とした雰囲気に包まれていた。僕はこれまでの二日間よりもぴんと背筋を伸ばし、息を吐いて、扉をノックした。こんこん、という音が僕の心音と一緒になって響いた。昨日や一昨日と同じだけ待っても、扉は開かれない。痛いほどに跳ねる心臓が少しだけ落ち着きを取り戻す。今日は彼女は不在らしい。僕はがっかりする反面、心のどこかでほっとしていた。
なぜなら、どんな顔をして彼女と会ったら良いのか、僕は今この時点でもわかっていなかったのだ。それにいったい、なんと挨拶すればいい? 僕の胸には、ただ一輪の野ばらがあるだけなのだ。
開かない扉を見て、胸元のばらに目を落とし、もう一度顔を上げて、僕は踵を返した。
そうだ、これで良かったのだ。これ以上の恥の上塗りをしなくて済んだじゃないか。
しかし一歩を踏み出したそのときだった。僕の背後で、きぃと音が鳴ったのだ。
驚いて振り返ると、開いた扉の隙間から彼女が顔を出し、眉根を寄せて僕を見つめていた。
「あ、あの――」
慌ててどうにかそれだけ口にしたものの、二の句が続かない。視線をあちこちに泳がせるうちにどんどん顔が赤くなっていくのが自分でわかり、僕は俯かざるを得なくなった。そのまま口ごもっていると、彼女の小さな溜め息とともに、きぃぃ、という長く軋む音が耳に届いた。
顔を上げると、扉を大きく開けた彼女が呆れ顔で立っているのだった。
「……入れば?」
彼女にそう促され、僕はやっとで首を縦に振った。