光の中へ
まるで風のような出来事だった。
自分の身に何が起こったのか理解できないまま、私はひたすらに彼の腰にしがみついていた。
やがて森は終わり、いつしか真っ直ぐに伸びる白く乾いた道を進んでいた。彼が今どのような表情をしているのか、背中からではわからない。ただ規則的な蹄の音が、沈黙を埋めていた。
私は少し躊躇った後、口を開いた。
「……どこへ向かっているの?」
「とりあえず僕の屋敷へ。領土線を越えれば、多少は安心でしょうから」
どことなく、すべての事情を知っているかのような口ぶりだった。彼の声は妙に落ち着いており、少し怒っているようにも聞こえた。そこでようやく私は、彼に謝らなければいけないということを思い出した。
「……ごめんなさい」
「……なぜ?」
訊き返されて、私は口をつぐんだ。
なぜ、何を、彼に謝るのか。
騒動に巻き込んでしまったことか。冷たく突き放したことか。それとも未来が視えることを、黙っていたことか。
ひとしきり思考を巡らせたが、そのどれでもないような気がした。
目の前にいる彼の髪はひどく乱れ、上等な上着もところどころ切り裂かれていた。その隙間から、傷付けられて血の滲んだ肌が覗いている。私も似たような状態だったが、幼いころからしょっちゅうこのような目に遭っている私とは違い、今の彼の姿はひどく不自然だった。
罪悪感が胸の底から湧き出してくる。
そもそも彼と私は、出逢ってはいけなかったのだ。
領主の息子と「魔女」。あまりにも不釣り合いだ。今日のような出来事やこれから彼に降りかかるであろう災厄のことを思うと、私は自分の身を呪わずにはいられなかった。
私のせいで、私などと関わったせいで、彼はきっとひどい命運を辿ることになる。
やはり「魔女」である私は、誰かと関わるべきではなかったのだ。
私は震える唇を、どうにか開いた。
「私みたいな『魔女』のせいであなたは――」
「やめてください」
背中越しに、ぴしゃりと遮られる。
「あなたが『魔女』かどうかなんて、僕は知らない。たとえあなたが何者であっても、僕には関係のないことなんだ」
それはまさしく私が、最初に彼に言った言葉だった。
「あなたは、僕の人生に光を与えてくれた人だ。色を与えてくれた人だ。僕にとっては、それ以上の意味なんてないんだ」
強く、迷いのない声。彼は相変わらず、背を向けたままだった。しかし私は自分の瞳に、彼の真摯なまなざしを感じた気がした。
そうだ。思い返せばいつも、彼は真っ直ぐに私のことを見ていた。
お互いの身分だとかくだらない噂話とか、そんなことはいっさい関係なく、彼はただ私自身を見つめていた。
本当は知っていたはずだった。気付いていたはずだった。傷付くのが怖くて、見えないふりをしていただけだ。
私が謝らなければいけないのは――きっとそのことだ。
顔を上げると、見慣れない風景の中にいた。
辺り一面には豊かな草原が広がり、穏やかなそよ風が緑を揺らす。空は抜けるように澄み渡り、あたたかな太陽の光が降り注ぐ。瑞々しい土の香りが鼻腔をかすめていく。鳥たちは歌い、どこかからか牧童の声が響いてくる。
世界は――美しかった。
私は思わず、彼の背に顔をうずめた。日に照らされたその背中は、私をやさしく受け止めてくれた。
不意に、私の頬を一筋の滴がこぼれ落ちていった。その涙の理由はやはりよくわからなかったが、彼から伝わるぬくもりだけで、私には充分だった。
―了―




