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『双子の交差線』  作者: 鳥藍
第一章 集え、交差点へ
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第二十七・五話 バイオ最前線 



 

 ——助けを求める者を、全員救う。

 

 それが、椎羅黎真の、犠牲であり絶対であった。




 * * *


 

 

 嵩陽凛賀が自由度愚者に詰められていた頃。黎真の姿は、街の中央付近で破壊を撒き散らす巨人の頭上にあった。頭上といっても、頭の上に立っているわけではなく、翼もない生身の体で宙に浮いていた。

 

 黎真だけではない。他にも、飛行可能な特殊能力を持つ選りすぐりの者たちが三十名ほど、巨人の上でばらばらに待機していた。巨人の瓦礫投擲による被害を減らすための、バイオのお偉いさん方が編み出した苦肉の策であった。


「策といっても、力押しだよなあ、これ。絶対、聖者が指揮系統にまわるべきだと思うんだけど……どこにいったのやら」


 黎真は手をひらひらさせた。巨人の上、上空百メートルほどの場所では、さすがの黎真でも地上の様子を詳しく知ることはできなかった。


 大地を震わす巨人が現れて、街中に避難勧告が発令されてから六時間弱。

 初めは数千本の繊維——それも、破壊しても即座に再生してしまう——で辛うじて体を形作っていた巨人も、長い時間をかけてようやくしっかりした人体のようになっていた。だが、未だ繊維の集合体であることに変わりはないらしく、さらに体の大きさも相まって、現状バイオに存在する火力ではどうしようもなかった。


(僕が切り刻んでも回復しちゃったし……愚者だったらどうにかできるかもだけど、この巨人自体が愚者みたいだし……はあ、面倒)

 

 巨人について、未だにほとんどわかっていない。しかし、巨人の体が変化し続けていることは事実。そのため、繊維の集合体でなくなるタイミングを探るべく、バイオ側、つまり黎真達は、一方的な防戦を強いられていた。


 しかし……。

 

「いい加減、疲れてきた……」

 

 終わりの見えない防戦、冬場の空の寒さ、眠たくなるほどに緩やかな巨人の変化、そして頻度は低いが、たまに暴れる巨人への対処。それだけでも疲れるものだが、それ以上に疲れる要因があった。


「そんな長時間、飛んでいられないって。あ、また一人落ちてった……ああ、もう! おーい、助けてって言えよ!」


 虚空に愚痴っていた黎真は、視界の端で誰かが落下を始めたことに気付き——少しの苛立ちを吐き捨て、全速力でそちらへ向かった。


 人は本来、生身で空を飛ぶことはできない。できないことをしているのだ、何も犠牲になっていないはずがない。


 黎真が腕を伸ばし、やっとの思いで落下中の誰かを受け止めた時……黎真は初めて気付いた。それがすでに死体であることに。


「……」


 ぎりり、と奥歯を鳴らし、黎真はただ、脱力した。目をとじ、息をゆっくり吐き……小さな不快感が耳の奥を撫でるとすぐに、黎真はあたりを見回した。怪しい者はいないか。いや、者呼ばわりももったいないと、目元の刃を滾らせて。


 黎真だけではない。緊張が空気を振るわすほどに、宙に舞う全員が、自己保身のための正義感に燃えていた。今やるべきではない、と全員が知っていながら。


 特殊能力には、犠牲がともなう。そんな当たり前のこと、赤ん坊から死者まで、皆知っている。

 何かを犠牲にし続けると、いつかは狂ってしまう。そんな事実も、知識の中には存在している。


 全員の顔を見て初めて、その場にいる全員が能力狂いかそれに近い状態なのだと、黎真は気付いた。

 

(……はあ。やっぱり、聖者が指揮とるべきじゃないの、これ)


 一触即発の閉じた世界。怒りと憎悪の混合物が流行する、自由なはずの空の上。綺麗な空気が、暗い感情を核に雲を作って、視界を遮っていく。狭くなっていく。

 ほんの少しの瞬きを挙動不審ととらえた心が、黎真を瞬時に動かした。あたりの気温が上がっていく。

 

 そんな世界にも、咲いていようとする花がひとつ。


「ねーえ!?」


 虚を突かれた。黎真は反射的にそう考えた。

 声の方を向き、黎真は目を疑った。声を張り上げた、一対の翼を持つ人間は、誰よりも体を震わせていた。顔を隠したフードの下で、確かに唇を震わしていたのだ。


「もう、どうして急に人狼ゲームを始めたので!? そんなことしてる暇ないでしょう!!」


 黎真は目を伏せた。また、息をゆっくり吐いて……たしかに、とつぶやいた。


 だが、一輪の花が咲いていれば、踏みつぶそうとする者もいる。長時間に及ぶ緊張の渦が、炎を纏って、脆い花弁を焦がしつくさんとした。

 

「はあ? うるさいのよ!」「そういうお前がやったんだろ!?」「ぶつぶつぶつぶつ……!」


 怪物の頭上で始まった、新たな怪物生誕の儀を、黎真はただ、黙って見ていた。まるで第三者、その場にはいない観測者を装って、静かに、事の成り行きを見守っていた。疲れがたまったことで思考が単調になっている自覚と、声をあげる者たちへの共感が、黎真の足を掴んでいた。

 

(やっぱり、みんな疲れてるんだ……僕は、どうすべき?)


 ヒートアップした多数を鎮めるのは、相当に難しい事である。同時に、多数から責められている少数を救うのも、これまた人には難しい。黎真が知る限りでは、すべてを覆すような強大な力か、あるいは刀傷沙汰になるほどの忠誠心かが無ければ、場を正すのは実質不可能である。

 

 ……そして黎真には——傲慢な考えだが——この場にいる中でも最強だ、という自覚があった。

 

(どうしよう、どうしようか)


 張り付いたようなにこにこ顔を浮かべたまま、黎真は腕を組んだ。黎真が悩んでいる間にも、怒号と疑心暗鬼が感染し、集団行動を破壊していく。

 このままでは誰かが死ぬ。そんな確信が思考を侵略して、それでも黎真の額には、汗一粒浮かばない。いや、汗ひとつ残らない。黎真の心情の内側が、辺りの空間を熱しているのだ。

 

(……やっぱり、僕がなんとかするしかない、よな。ああ、そうだ、どうにかするしか……どうにかって、どうやって?)


 こうしている間にも、風の隙間から誰かがこぼれ落ちようとしている。それでも黎真は、動き出せなかった。


(なにを……どうすれば……どうすれば、皆……)


 焦燥感は、人を惑わせる。焦っていると、思考と行動の繋がりが複雑になってしまう。


 黎真の頭の中に、数人の顔がどこからともなく浮かび上がった。忘れたい顔。恐ろしい顔。黎真に、『失敗』させた人間達。長年優秀な者として生きてきたからこそ、犠牲が容赦なく降りかかる中、直近で一度も『失敗』していないからこそ、黎真には、ひとつの致命的な弱点があった。

 それは、にこにこ顔の裏に隠された、黎真の本当の姿。『失敗』するのが怖いと言う、極々平凡な人間らしさであった。


(どう動けば、皆落ち着いてくれるのかな……どうすれば、うまく……ああ、もう!)


 焦りは、不安と苛立ちの混ざり物となって、そしてあっという間に激情となってしまった。


 ……人の感情と体の間には、深い結びつきがある。怒りが体温を上げ、不安が体を縮こませるように。そして、何らかの方法で感情が体に出ないようにしていても、心から湧き出た感情は、須く体の中で暴れまわる。生きている者ならば誰でも知っているようなことであるが……黎真の場合は、勝手が違った。


 黎真から溢れた激情は、荒れ狂う熱風となって、袋叩きする集団を、被害者ごと吹き飛ばした。

 

 これほどの危険な任務を任されている選りすぐりの者達なだけあって、多少の火傷はあれど、熱風に煽られて落ちた者はいなかった。だが……だからこそ、彼らは視線を、警戒を黎真に向けた。何をされたのかは、誰も説明できない……が、黎真が原因だということは、暴風が起こった方向から全員が理解していたのだ。

 ただひとり、声を上げた一輪の花だけは、戸惑った様子で黎真を見ていた。


 黎真の特殊能力、その詳細を知っている者は、ほとんどいない。黎真が信頼をおいている聖者でさえ、黎真の力の全てを知っているわけでは無い。能力の真髄まで知っている者から、ほんの少しだけ知っている者までを数えても、おそらく両手の指で足りてしまうだろう。

 つまり、今、上空には、黎真の特殊能力を知る者は一人もいなかった。


 黎真は戸惑った。黎真自身でさえ、何故皆が吹き飛ばされたのか、何故敵意や畏怖を向けられているのか、わからなかったのだ。平常時だったら確実に気付けただろう。だが、疲れた頭で答えを探すのは、至難の業であった。


 ——体の延長となった空気の内側を、感情の渦が迸ったのだ。などと、黎真自身が気付けなければ、果たして誰が気付くのだろうか。


(なんで、どうして、こっちを見る!?)


 視線を向けられるたびに、にこにこ顔が歪んでいく。吹き荒れる熱風が、力を増していく。視線の理由はまだ、わかっていない。ただ、その視線が怪物に向けられる物だということだけは、黎真にも、わかっていた。何度も何度も、向けられてきたからだ。


 多対一の膠着状態。果たして、これまでの六時間と、何が違うのだろうか?

 

 視線を向ける物達は、何も言わない。何も言われないこと自体が、黎真にとって不快であった。実際は、風に煽られない様に必死で、何かをいう余裕もないだけなのだが。それさえも、目の曇った怪物には、わからなかった。


「なんで、そんな視線を向けるんだ!?」


 堪忍袋の尾を切らし、黎真はようやく、怒りのままに叫んだ。と同時に、熱風が弱まった。


「そ、そりゃあ、お前がこんなことをするから!」「そうだ、そうだ!」「あんたのせいで!」


 風の脅威から解放されて、ようやく声を上げた小物達。だが、その声は明らかに震えていた。


 怒号を一身に受ける黎真には、それらを受け流せるだけの、余裕がなかった。だから、叫んでしまった。


「うるさい、うるさい、うるさい! 気に入らないなら、帰れよ! 僕一人で十分だ!」


 呼吸を荒くして、黎真は視線を向けてくる者達を睨み返した。にこにこ顔を完全に崩して、暗い気持ちを叩きつけた。すると、視界が開けていき……黎真はようやく、視界を塞いでいた雲が、黎真の暗い心情そのものだったと気付いた。


 気持ちの発露というのは、大抵は心地良いものである。罪悪感や自己嫌悪の程度によっては、悪い方向に働くこともあるが……基本的に、心の中をクリアにする。

 

(……! そうか、僕の心が荒んでいたから……)


 危害を加えていたのは、自分自身だった。そう気付いた黎真は……。


(……謝るべきだ、でも)


 ……一度言ったことを撤回するのは、『失敗』を認めることと同義だ。


(どうしよう、どうしよう……)


 そうやって黎真は……いつも、逃げを選択する。幸い、今回は明確な敵がいた。


 黎真は意図的に、大人でも吹き飛ばされるほどの風を作り出した。熱を持たない、乾いた強風を体に巻き付けて……言い放った。


「同士討ちするくらいなら、帰れよ! 命が惜しいんだろ? 愚者に対抗するために集められたんだ、嫌になったなら、文句があるなら、地上に戻れよ!」


 堪えようのない強風という、絶対的な力の演出を。事態を収集するために熱風を放ったのだという、嘘で固められた正当化を。


 黎真の本心に気付いた者はいたのだろうか。

 怒り狂う者も、黎真の言葉にはっとした者も、だいぶ前に正気を取り戻した者も、黎真の意図を汲み取ったと思い込んだ人々は、皆同時に行動を始めた。

 ある者は一目散に地上へ向かい、ある者は怒り狂う友人を宥めて黎真から距離をとり、ある者は息を呑んで空中に残り……そんな中で一人だけ、黎真の方へ向かった者がいた。


 まさか誰かが近づいてくるなどと思ってもいなかった黎真は、どうにかバレないようにとにこにこ顔を貼り付けて、息を吐いた。


「あのー、感謝、しますわ」


 黎真に近づいてきたのは、大多数と言い争っていた一輪の花……フードを被った女性だった。


「あ、うん。大丈夫大丈夫……」


 黎真はさっと、顔を背けた。何が『大丈夫』だ。助けられて感謝すべきなのは自分じゃないか、と自己嫌悪して、しかし本音をいうことはできなかった。


「ええっと、そっちは帰らなくてもいいの?」


 目をきょろきょろさせながら、黎真はどうにか言葉を紡いだ。

 その様子は、女性を前にどぎまぎする少年そのものだった。空に残り、黎真を観察していた幾人かが、そんな黎真をみて嘲っている。


 恥ずかしさに心を震わせている最中に、更に周囲から笑われた。それは黎真にとって屈辱とまではいかなくとも、悔しいことだった。だから黎真は、空気で辺りを囲った。体を広げるように、薄く、二重三重の膜を作った。邪魔な音も、余計な光も、できる限り入ってこないように。


 奇しくもこの自己防衛は……フードの女性の目には、別の意味でうつったらしい。


「……帰れない事情があるのですわ。ねえ、黎(・)真(・)さん?」


 黎真は目を白黒させた。


(えーっと、会ったこともない、はずだよね? うーん……誰かが教えたのか? 脅迫、はないだろうし)


 黎真はじいっと、フードの女性を見た。身長差が殆どなく——女性の方が明らかに数センチ背が高いが、黎真はそんなわけがないと文句を言うだろう——、そのため、真っ先に黎真の目に入ったのは、大きめのフードで隠された目元だった。果たしてそれで見えているのかという疑問が浮かんだと同時に……結んだ唇の端が、少し震えていることに、黎真は気付いた。


(……なんか不安そう。確信はない? じゃあ、人伝確定……? しらばっくれる? いや、誰から聞いたのか、聞き出した方がいいよね)


 短い沈黙の末、黎真は頬を掻いて、口を開いた。


「名前……だれから、きいたの?」


「あら、あっていましたの? よかったですわ。これで別人だったら、どうしようかと……」


 女性は穏やかに口角を上げた。そして勢いよくフードを外して、弾性のある螺旋状の髪を揺らした。フードの陰から表れた女性の目は、半目びらきで光がなく、黎真をぎょっとさせた。


 やはり見覚えはない。しかし、どことなく誰かに似ている気がする……と、黎真は首を傾げ、身構えた。次に女性の口から出る言葉によっては……親しい誰かへの、信頼が崩れてしまう恐れがあったのだ。


「私(わたくし)の名前は佳輝(かてる)。バイオ東区筆頭研究者、或居おばあさまの孫ですわ。貴方の名前も、おばあさまから聞きましたの」


 数秒、黙り込み……黎真はポンと手を叩いた。


「ああ、この街の……いや、それでも名前を教えるのは……」


「あら、それは、おばあさまが勝手なことをしてごめんなさい。おばあさまも、おばあさまなりに、孫の私(わたくし)が心配だったのでしょう……それと」


 黎真は唇を噛んだ。……家族を想う心など、黎真には分かりようがなかった。また、心配だったから教えた、という理由もだいぶ不審で、黎真は目を細めた。

 

「私(わたくし)、聖者様に頼んで、連れて行ってもらおうと思っていますの」


「……はあ?」


 何を言っているのか、黎真は、すぐには理解できなかった。


「ですから、お仲間にいれてもらいたいなと思っていますの」


 胸元に手をあてて、そう言い切った佳輝。本気で仲間になるつもりなのだと知った黎真は……この人は頭がおかしいのだと、心の底からそう思った。黎真自身のことを棚に上げていることに気づけないほど、黎真は戸惑っていた。恐怖すら感じていた。


「……死ぬよ?」


 聖者一行に加わる、それは、愚者と戦う、と同義だ。

 黎真は一瞬下を見た。街の中央付近を一瞬にして破壊した巨人……彼、または彼女も、愚者なのだ。


 愚者はただの人間ではない。人の姿をした、災厄。黎真はそう、認識していた。


「ええ、わかっておりますわ」


 本人が決めたなら、それでいいじゃないか。せっかくだし、口添えをして、借りを返せばいい。黎真は一瞬そう考えて、首を振った。


(……本人が助けてって言わなくても、助けられるタイミングが、あるでしょ? ねえ、僕)


 どうしてそう考えたのか。その理由は、黎真にはわからなかった。


「いいや、わかってないでしょ。真下、見てみなよ。僕ら、聖者一行が相手するのは、こういうのだよ?」


 そう言って、黎真は真下の巨人を指差した。


「……ええ、心得ておりますわ」


「でも……」


 そこまで言って、黎真は目を伏せた。


(……どうして、僕はこんなにムキになってるんだろう? 相手の意思を尊重すべきじゃないのか? 助けを求められるまでは、自由に……)


 口元に手を当てた時、黎真は気付いた。それは、今の黎真にとってあり得ないことで……人間にはよくあることだった。


(震えてる……僕が? 何故? ……何故? 何故、何故って、由逢みたいだな……いや、そうじゃなくて)


 黎真は、まるで手を動かせることに気付いたばかりの赤ん坊のように、自らの手を観察した。やはりその手は、黎真の意思とは関係なく、小刻みに震えていた。

 そして、黎真の手に呼応するように、外の景色が揺らいでいた。


(うん。確かに、震えてる)


 黎真は、怖いもの知らずではない。どちらかといえば繊細な心の持ち主だ。誰かを取りこぼしては数日落ち込み、愛着のある物が壊れては薄く涙を流す、いたって普通の人間だ。体が震えていても、何も不思議なことはない。


 ……ただ、今回ばかりは、思い当たる節が無かった。

 

(……助けを求められるまでは?)

 

「いくつか、理由がありますの」


 佳輝の声にはっとして、黎真は顔を上げた。人と話している最中に考え込むのはよくなかったな、と頭を掻いて、黎真は真剣な——というには口角が上がり過ぎている——表情を作った。


「理由?」


 わざと低い声を出して、黎真は首を傾げた。


「ええ。ここ、バイオで迷惑をかけてしまったお詫びとしての、或居おばあさまからの人材と物資の進呈。それが表向きの理由ですの」


「表向きの理由?」


 黎真は目を細めた。途端に辺りが薄暗くなり、風の隙間から入り込んでいた小さな雑音が消えた。

 佳輝が一瞬口を結んだのを、黎真は見逃さなかった。


「あの……本当の理由は、バイオの権力のバランスに関わることでして……」


「……権力?」


 黎真は口を尖らせて、腕を組んだ。風が轟轟と唸り声をあげ、暗い光景が佳輝を威圧した。


 ……黎真自体には、迫力など一切なかった。


「……ここは、マッドバイオロジストばかりの街ですわ。それも、みなさんタチの悪い。下手な相手に中枢を任せれば、途端に街が社会実験の施設に変わってしまいますわ。そんな街を取りまとめるには、千本の論文よりも、思想と実績が必要ですの。聖者派、愚者派、中立派……バイオが街として存在するために、必要なシステムですわ」


 人が寄り集まって社会を作る限り、権力争いは終わらない。……少なくとも、地球では。


 黎真も、いつまでも理想を語っているような子供ではない。


(権力、かあ。面倒だけど、確かに存在する、もんなあ……なぜ聖者に支援したら権力に繋がるのかとかわかんないけども。僕の管轄外だし。名(めい)がここにいたらよかったんだけど……)


 それでも、割り切れないことはある。

 

「……そのために、死にに行くの?」


 胸に何かがつかえている。その何かが何なのかがわからない。ただ、手の震えが酷くなっていることに、黎真は気付かなかった。


(……なんで、僕はここまでムキになっているんだろう? やりたいならやらせればいいじゃんか)

 

 もやもやを抱えたまま、黎真は腕を緩めた。周囲の景色が光を帯びて、半分赤くなった空を映し出した。

 

「……ええ」


(なら、仕方ないよ、ね。まったく、僕らしくないぞ?)


「……わかった。口添えくらいはするよ。あ、戦力にならなさそうだったら別ね。足手纏いはもう募集済みだから」


「足手纏い……? え、ええ、感謝しますわ」


 そう言って、佳輝はフードを被った。


(会話はこれでおしまい。さて、警戒に戻るか……)


 黎真は腕を振って、風の障壁を吹き飛ばした。その時だった。大地が大きく音を立てて、揺れていることに気付いたのは。


 黎真は見た。轟音と砂埃をあげて、巨人の体が徐々に地面に沈んでいく様子を。異常事態だ、黎真がそう思うよりも前に、黎真の口は動いていた。


「! 僕は一瞬地上に戻る! 待機しておいて!」


「わ、わかりましたわ!」


 佳輝の返事を聞く前には、黎真はもう地面スレスレの場所、それも揺れる大地に這いつくばる、仮面をつけた人間の側にいた。よく見れば、仮面が顔の前で浮いていることに気付けるだろうが……黎真は、まずその仮面に興味がなかった。


「大丈夫?」


「だだだだだだだ、大丈ぶぶぶぶに、見えるかかかかかかか?」


「あっはは、面白いね、聖者。その話し方、どうしたの?」


 黎真が笑うと、少しの沈黙ののち、仮面の人間……聖者の体が、地面の一部ごとほんの少しだけ浮かび上がった。


「……助けてくれ」


「了解了解! で、なんでここにいるの?」


 黎真が指を振ると、聖者の体がふわりと浮かび上がった。仮面の下で安堵の表情を作った聖者は、すぐに目を細めた。ちょうど聖者の視線の先で、半分ほど沈んだ夕日が赤く燃えていたのだ。黎真の悪戯であろうが、聖者は慣れた様子で仮面の目元に石を詰めた。……その全てが手足を使わずに行われているのだから、一見すると魔法以外のなにものでもない。


(うーん、あ、いたいた)


 悪戯を仕掛けた張本人はというと……聖者のリアクションも、悪戯への対処法さえも、気に留めていなかった。

 

「……愚者王が、あの巨人愚者を話し合いでどうにかしようと言い出したから、監視してたんだが……この揺れは人の攻撃判定らしい」


「というと?」


「要ぅするにぃ? 愚者王だけにゃこの揺れは効かねぇかったってことだなぁ?」


「……名もいたのか」


「あぁ。アタシ参上! はぁっはっは、全身に効いたぜぇ? この振動なぁ、医者も勧める健康機器だなぁ!」


「だってさ、聖者。一旦降りる?」


 口や腹から血を流して、内臓を露出させたまま高らかに笑う名と、にやにやしながら空を飛ぶ黎真。その様子に、聖者は頭を抱えた。


「……二人揃って能力狂いか。仕方ない、とりあえず中央に……ん?」


 ぴたり、と揺れが止まった。

 元々更地に近かった大地が、先ほどの揺れでさらに慣らされ……平面となった街で、天まで立ち昇った砂埃が巨人の影を写し、静寂の中でそびえ立っていた。


「揺れがとまったね」


「あぁ」


「黎真、遊んでないで降ろしてくれ」


 縦横無尽に飛び回る聖者がそう言うと、黎真はぶつぶつと小言を言って、二人を地面に降ろした。結構楽しいんだけどな、と言って黎真は口を尖らせた。


「さて、まずは情報収集だ。巨人が沈んでいったように見えたが、黎真、上から見てどうだった?」


 黎真は片目を閉じて、顎に手をあてた。


(うーん、はっきり言って、警戒さぼってたんだよね……怒られるかな……)


 一瞬で目に焼きついた景色に鮮度を吹き込んで、間違いがないことを確信してから、黎真は口を開いた。


「うん、上から見ても、少しずつ沈んでいっていたよ」


 目をキョロキョロさせる黎真は、信じてもいいのかと疑ってしまうほどに挙動不審だが……あいにく、悪戯に慣れている聖者には、黎真の本心などわからなかったらしい。日頃の行いに感謝して、黎真はぐっと体を伸ばした。


「そうか。どれくらい沈んだのか、なぜ沈んだのかがわかるといいのだが……ん? あれは……」


「あぁ? 黎真、わかるか?」


「んー?」


 聖者の視線の先を辿ると……そこには、暗くなった空と同化して翼をはためかせる、粒のように小さい、フードを被った人間の姿があった。黎真はポンと手を叩いて、説明しないと、と呟いた。


「あれは、佳輝だよ。ええっと、さっきまで話してたんだよね」


 そう言って黎真は、わざわざ降りてきたのならなにか情報を持っているはずだ、という直感のままに、二人を持って走り出した。目的地は佳輝が向かった建物……辛うじて残っていた、バイオの地上で最も頑丈な建造物、バイオ地下研究所の入り口を守る機密情報の砦である。

 距離は目算でおよそ五百メートル。巨人が現れる前に、黎真が狂人を吹き飛ばした距離と、ほぼ同じであった。


 聖者と名は、急に浮かばされたにも関わらず、特に驚きもしなかった。

 

「勝てる? 誰だ、それは。まず、名前を言ってもいいのか?」


「佳輝、ね。名前はいいんじゃない? 或居さんの孫で、聖者一行加入希望だって接触してきた。行動力がすごいよ」


「……また自殺志願者か……勝手に飛び降りてくれ……」


「聖者ぁ? そんなこと言うなよ、アタシ達が傷つくだろーがぁ?」


「……すまない」


 空気抵抗も大地との摩擦も無視し、空気の腕を伸ばして体を引っ張る黎真の移動速度は凄まじく、聖者が謝った頃にはもう、建物の中にいた。


 壁や床が淡い光を発して、建物の中は昼のように明るかった。もう日も沈み、薄明の明かりでここまで来ただけに、光の束に目を刺されて、黎真の視界が一瞬白くなった。


(眩し! うう、目も覆っとけばよかった)


 目を擦って、黎真は聖者と名をどさっと落とした。小さく抗議の声が発せられたが、その声は柔らかい声にかき消された。


「おやおや、いらっしゃいましたか。聖者御一行様」


 声の方へ黎真達が振り返ると、そこには或居と佳輝がいた。或居は相変わらずの柔らかい笑顔だったが、佳輝は頬を引き攣らせていた。


 立ち上がった聖者が、仮面の目元に詰まった石を外す様子をみて、黎真は顔を背けてくすくす笑った。鋭い視線を感じたが、黎真は気にしないことにした。


「……ああ。答えてくれ、或居ばあさん。地下研究所の下には空洞か何かがあったのか?」


「……本当は、秘密にしたかったのですが、仕方がありません。簡単に言うと、空気を浄化するための、強力な植物が多く植えられているのです。ただの空洞ではなく、格子状に配置したブロックで構成されていたので、相当強固なはずなのですが……」


 そこまで言うと、或居は言い淀んだ。深刻そうな、それで笑っているような、そんな複雑な表情をしていた。


「……どう言うことだ?」


 聖者は首を傾げた。すると、寝転がったままで血溜まりを作った名が、気だるそうに口を開けた。


「要するにぃ、巨人が重たくなった……繊維じゃねぇくなったってことじゃぁねぇのかぁ?」


 名が或居に目配せをした。或居は頷いて、ええ、と静かに答えた。


「ん? じゃあ、チャンスってこと? おっけー、倒してくる」


「ああ、頼んだ」


 能天気な黎真のセリフに、淡白に返した聖者。そんな様子を見て、驚きを発した者が一人。


「ええええ? ええっと、少し待ってくださる? わ、私(わたくし)の持ってきたとっておきの情報を……」


「……誰だ?」


 聖者は目を細め、首を傾げた。まるで、黎真の説明など聞いていなかったかのような仕草。黎真はこつんと、聖者の背中をつついた。


「あ、ええと……申し遅れました。私(わたくし)、或居の孫の、佳輝ですわ」


 戸惑いと焦りを隠しきれないまま、フードを被り直して、佳輝はそう自己紹介をした。


「そうか。情報は?」


 聖者のあっさりした返答に、途端に挙動不審になる佳輝。

 

 佳輝がとにかく戸惑っている。原因は言うまでもなく、聖者の淡白で奇妙なペースに呑まれているからだろう。黎真はそう分析して、目を閉じて頷いた。


(うん、わかるわかる。聖者って本当に聖者らしくないもんね。聖なる者とは単なる呼称だってさあ、慣れたけど。僕も、最初はあんな感じだったなあ……)


 英雄とされる者に降り注ぐ、誰かが作り出したに過ぎない幻想。それを正面から受け止めて、かつ何もしない聖者の姿勢を、黎真は尊敬していた。


「え、ええ。地面に沈んだ後、巨人の体は、岩のような表皮に覆われた状態となりましたわ。即座の攻撃は殆ど通らず……私の翼でなら少し破壊できましたが、瞬きの間に直ってしまいましたの」


 佳輝は声を震わした。瞬きの間の修復、それ即ち、破壊しきれなかった繊維の体と同等、または頑丈になった分それ以上の脅威。間近で体験してしまったのだから、佳輝が恐怖するのも当たり前の話だ。


 しかし、体の変化を深刻と捉えるか、予想から外れていないとほくそ笑むか。それが、聖者一行と、バイオで生きる人々との、考え方の根本的な違いであった。

 

「……そうか。構造は、人だったか?」


「……え? ええ、人、でしたわ」


「体が重くなったのだろう。動きが、遅くなっていたりしないか?」


「それは……おそらく?」


 聖者が浮かべたのは、恐ろしい笑みだった。


 体がしっかりしていない、不定形の化け物ならば、殺す手段を考える必要がある。時には、防戦の中で手がかりを見つける必要がある。だから、六時間かかっても、黎真という特記戦力があっても、見守ることしか出来なかった。


 しかし、相手が人なら、どうだろうか。しっかりした体を持つ、人型ならば。


 ——歴史上、人が最も『殺すための研究をした』相手……それは、人間である。


「黎真。頼む」


「了解、さくっと……」


 行ってくる。そう、続けようとした時だった。爽快なBGMが流れ始めたであろう状況……それを食い止める、ある種の罠が炸裂したのは。


「あ、あれ……?」


 頭を抱えて、黎真はその場に座り込んだ。暖色系の光を放つ床までもが、黎真の目を鋭く突き刺したような、そんな錯覚に陥った。


 声が聞こえた。会話をしているらしい。……混ざる余裕など、黎真には、なかった。


「……聖者。アタシはちょぉっと、り、あぁ、嵩陽探してくるわ。由逢がまだ繋がってっからぁ? アタシが行くのが一番だろ?」


「ああ。名、頼んだ」


「或居さん、糸と針を使わせてくれ。できれば小型車も。移動しながら縫いたい」


「わかりました。では、名さんはこちらへ。佳輝、あなたは先ほど同様、黎真さんについていきなさい」


「ええ、わかりましたわ、おばあさま」


 それぞれが何をするかを決めたらしい。いや、黎真にも、やらなければならないことがある。しかし……震える体は、動こうとしなかった。


(どうして忘れていた? 今日のことじゃないか。助けられなかったのは)


 突如として黎真に吹き込まれた、嵩陽凛奈の最期。その、目に張り付いた、目の前で起こったバイオレンス。


(傲慢だった。いつでも助けられると思っていたから、放置した。やりたいようにさせた。……だから、取りこぼした)


 小型車に座った名が、薄暗い外へと進んでいった。黎真の側で、佳輝が戸惑っている。聖者と或居が、なにやら話し合っている。そんな周囲の状況をどれだけ汲み取ったところで、犯した『失敗』が取り消されることは、ない。


 危なくなったら助けを求められると、生の叫びを過信して、己の人望を過信して、そして『失敗』した。それも、つい数時間前に。


(どうして、僕は……なんで、なんでなんで! できるはずだったじゃないか、あの時、あの時……!)


 助けられたはずだった。様子がおかしいと、気付いていた。気付かないはずがなかった。黎真が石を投げて、少女の頭を飛ばしたのが、いちばんの原因だったのだから。気付いた上で、助けるべき相手を、助けられなかった。


(僕は、なんで……無力なんだろう)


 ぽろぽろと、涙が溢れた。歯の奥がぎりぎりと音を立てて、心音と混ざり合っていた。


 椎羅黎真は、最強であった。殺し合いに限った話ではない。日常生活の大抵の問題は解決できる特殊能力をもち、助けを求める者を助けなければならない犠牲も、そのおかげで人を助けることができる。成功が当たり前で、自己肯定感も上がり、そしてまた人を助ける。

 苦しい時や困った時に駆けつける、凄まじい力を持った少年。自信満々で、『失敗』の気配など微塵も感じさせない気迫を纏った、黎真という存在。


 椎羅黎真は、間違いなく英雄であった。否、そうではない。


(僕は、英雄じゃなきゃいけないのに……もう、道具じゃないのに……)


 英雄である必要があった。だから黎真は、英雄となった。


(なにが、なにが英雄だ。守ると決めた人、一人守れないで。救えないで。驕って騙して立ち止まって!)


 一人反省会がエスカレートして、黎真の頭が悲鳴を上げた。


(なのに……あれ?)


 黎真は気付いた。溢れんばかりの感情が、どんどん小さくなっていっていることに。


 ——声をかけられた、そんな気がした。


「……行かないと。だれかが、助けてって……」


 本人のちっぽけな感情よりも、遥かに優先されてしまう。それが、犠牲というものなのだ。

 黎真は顔をあげて、立ち上がった。真っ赤になった目も、まだ溢れて止まらない涙も、黎真の動きを邪魔することは出来なかった。


「き、聞いてますの? って、ちょっと、どこにいきますの!?」


 黎真の顔を覗き込んでいた佳輝の方を見向きもせず、黎真の足は進んでいく。誰のもとへ?


 ゆっくり進む黎真の前に、佳輝が立ち塞がった。


「一応、任されてますの。犠牲が暴走するかも、って聞きましたわ」


「どいて。助けないと……誰かが、呼んでる……」


「助け? それは、誰を?」


「……わかんない」


 それでも、助けを求める声がするのだ。早く助けないと、早く行かなければ。犠牲が、そう言って黎真を急かす。邪魔する者を蹴散らしてでも、助けに行かなければならない、そんな叫び声が、黎真の頭の中で響き渡った。


「緊急、ですの?」


 どこかで聞いたことがある質問だな。黎真はそう感じながら、犠牲の第六感のようなものを稼働した。


「……いや、緊急じゃない。でも、放置しておいたら……嵩陽みたいに、取りこぼすかもしれないから……」


「……わかりましたわ。やっぱり、聖者さんは頼りになるのね。ねえ、黎真さん」


 邪魔者は退かせ。そんな内なる声に導かれ、黎真は腕を振り上げた。真っ赤に染まった目には、まだ涙が浮かんでいた。


「どいて」


「嫌ですわ。……私(わたくし)は、肉体改造で骨も体もスカスカですの。あなたに小突かれたら、それだけで死んでしまいますわ」


 弱い不快感が、黎真の体を迸った。「攻撃をやめろ」と、人としての本能——情報の天秤が、黎真を非難する。

 しかし、黎真と佳輝の間にある圧倒的な差を埋めるには、不十分だった。


「それだけの情報じゃ、止まらないよ。手加減はする。でも、保証はない。だから、どいて」


 黎真はゆっくり、腕を振り下ろす。

 天秤の非難と手加減が、黎真の動きを遅らせて……佳輝の重症を、少しだけ遠ざけた。


「……いまだ、佳輝!」


「感謝しますわ、聖者様。黎真さん! 私(わたくし)を、助けてくださいます?」


 丁度、黎真の手が佳輝の頭に当たった時だった。黎真の動きが、ぴたりと止まったのは。


 束の間の沈黙。佳輝の心音と浅い呼吸音が、徐々に大きくなっていった。


「……ねえ、黎真さん。今、この街で一番危険なのは、私(わたくし)でしょう?」


 佳輝が黎真の犠牲をどこまで知っているか、黎真にはわからない。わからないが、しかし確かに、黎真の犠牲は、佳輝を優先した。

 頭から腕を離して、黎真は一歩、体を引いた。


(……あぶな、かった。でも、その手段は……いや、仕方ないよ、ね)


 黎真は助けられた。それは正しい。実際、犠牲の暴走から救われたのだから。


 黎真は奥歯を鳴らして、こぶしを握り締めた。壁や天井が欠けた室内には、肌を焼く熱と、骨の髄まで凍てつかせる冷気が渦巻いていた。

 

 助けを求める者を救う。全員ではない。同時に助けなければならないのは、一人。それが、黎真の犠牲だった。ならば、助けるべき相手を、書き換えてしまえばいい。


 ——それが、黎真にとっての地雷だとしても。

 

「……あ、ああ、ありがと」


 黎真は頬を掻いて、俯いた。

 黎真の地雷を思いきり踏み抜く行為だったのだと、佳輝はわかっていないのだろう。頬を膨らませて、胸を張っていた。


「ええ。存分に感謝すると、いいですわ」


「う、うん。……いこっか」


 言いたいことは沢山ある。破裂しそうな爆弾を心に抱えて、そのまま死地に行くのはどうかしている。……でも、吐き出すのは身勝手でしかない。黎真には、わかっていた。黎真は、欠けた壁の一部から飛び出した。


(次に犠牲が暴走する前に、殺さないと。安全になってから……この街を、救ってから、助けるんだ)


 余裕もなく、黎真は気付いていなかったが、佳輝を助けるという犠牲は、まだ続いていた。今の黎真の思考が、果たして本当に黎真自身のものなのか。それとも、理性を抑え込む犠牲が見せた、幻影なのか。その答えを知る人間は、どこにもいなかった。


「ちょっと、待ってくださいます!?」


 佳輝の声を無視して、黎真は腕を伸ばした。巨大な不可視の手で、未だ晴れ切らない砂埃の向こうの頭を掴み、少しずつ腕をつぶしていく。引き寄せられるのは体重の軽い黎真の方で、淡い光を発しながら空をすすむ。

 黎真の描いた軌跡は、超古代の人々が魅了された、『流れ星』というものに酷似していた。


「僕、何も考えるな。誰の声よりも先に、殺せ!」


 黎真に気付いたのだろう。固い鎧で覆われたような体を俊敏に動かして、黎真を睨みつけ、巨人は腕を振り上げた。


「聞け、愚者! 僕の特殊能力は、空気を体の一部とする! 僕を止める方法は……君が助けてと叫ぶことだけだ!」


 天秤ががたりと傾き、巨人の動きが遅くなった。それだけではない。一瞬、ぴたりと止まった。巨人は口を開けて、何かを叫ぼうとした。しかし、巨人の口からは、擦れた音さえもでなかった。


「叫べないよねえ! 空気は僕なんだから!」

 

 天秤が、さらに傾いた。与えられた者が、不快感を感じる程度に。

 

 黎真は風を操り、自身の体を巨人の口に向かって吹き飛ばした。

 黎真が何をしようとしているのか、すぐに理解したのだろう。巨人は即座に、口を閉じ始めたが……黎真の目的を理解してしまったからこそ、情報の天秤が巨人の行動を許さない。黎真の邪魔をすることを、天秤は許さない。


 口が閉じられる直前、黎真は間一髪で上下の歯の隙間を通り過ぎようとした。しかし、巨人の持つ巨大な歯は厚さ一メートル弱もあり……黎真の体を捉えた、はずだった。


「歯並びきれいだなあ! でも残念、僕の体も、空気だとおもえ! じゃあね!」


 もはや巨大な構造物である口の中を走りぬけ、黎真は気管へ、そして肺へ向かった。


 人を殺す方法は、いくつもある。頭をつぶせば、首を飛ばせば、心臓をえぐり取れば、人間は簡単に死ぬ。

 しかし、外傷では、瞬時に回復してしまう巨人を倒すことは難しい。それこそ、街ひとつを吹き飛ばすような爆弾が必要だ。


 ならばどうするか。外傷を与えずに人を殺す方法は、ふたつある。片方は、能力をずっと使っていない者にしか効果のない、毒殺。そしてもう片方は……。


「肺、広すぎないか!? 家が縦に六つくらい入りそうだ……さて、遮殺(しゃさつ)の時間」


 黎真の最も得意な殺し方。窒息させる殺し方。黎真はそれを、『遮殺(しゃさつ)』と呼んでいた。


 人は、たとえ下半身が吹き飛んでも、激痛と喪失感が起こるだけで、死には至らない。どれだけ血を流しても、苦しいだけで死には至らない。

 しかし、呼吸を遮ると、コロリと死んでしまう。原因は解明されていない、人体の不思議だ。

 

 肺から気管支まで、黎真が空気を固定するとすぐに、巨人の体内を、振動が支配し始めた。大方、巨人が自身で体を殴っているのだろうと考察しながら、黎真は振動に負けないよう、空気の層を形作っていった。


 肺の中は、当たり前のように暗い。が、黎真から漏れ出る興奮が、辺りを明るく照らしていた。

 これだけの巨体なら、代謝と呼ばれるもので高温になっていてもおかしくないのだが……巨人の体内は、ひんやりしていた。


「……どれくらい時間かかるのかな? 体が大きいと、その分時間かかるって聞いたことあるけど。この巨人の体って、特殊能力でできた物でしょ? うーん、考えてもわかんないか」


 黎真の懸念を裏切り、変化はすぐに起きた。肺の内壁が、ぽろぽろと崩れ始めたのだ。さらに、肺の大きさも、急激に小さくなっていく。


「んえ!? ああ、特殊能力が切れたのか? それにしても……これ、体の残らないの!?」


 黎真が驚いている間にも、巨人の体はどんどん崩れていく。


「だ、脱出、脱出!」


 本格的にこれはまずい。そう考えた黎真は、速やかに気管へ向かい……勢い余って、巨人の頭を縦に貫いた。すでに真っ暗となった空に浮かぶ、たったひとつ光を放つ存在となって、黎真はバイオを見下ろした。

 

 黎真の視線の先で、巨人が藻掻くように腕を振り回しながら、どんどん縮んでいった。地震も音も出さず、まるで風船がしぼむように小さくなっていき……そのまま地下の深淵に飲まれて、巨人の姿は見えなくなった。


「……終わった? こんな、あっさり……いや、まて。まさか、地下研究所に?」


 すぐに地下へ向かうべきか。それとも、一旦報告に行くか。唸る黎真の元へ、翼をはためかせた佳輝が駆けつけた。


「黎真さん! 倒しましたの?」


 黎真は顎に手を当てて、目を伏せた。


「いや、たぶんまだ生きてる。能力を解除したんじゃないかな」


「そ、それは……わかりましたわ。まずは、或居おばあさまの元へ、報告に行きましょう?」


 黎真は少し黙って、頷いた。

 

「そう、だね。でも、急いで地下探索に行ったほうがいい。すぐに能力を使われたら、また六時間。しかも、月明りしかない」


「ええ」


 黎真たちは、そこそこの速度で、先ほどの建物へ向かった。


 

 

 

 黎真たちが案内された部屋に入ると、そこには、椅子に座って優雅に何かを飲む聖者がいた。酸っぱい花の香りが充満した会議室のような部屋で、老いた人間が数人、喜びを分かち合っていた。

 

 呆気にとられる黎真へ、聖者が声をかけた。

 

「早かったな。何の用だ?」


「ええっと……まだ終わってないよ?」


 聖者は首を傾げ、辺りを見渡し、手をたたいてなるほどと呟いた。


「わかっている。あの老人どもは、頭は良いんだろうが……何も分かってない。気にするな」


(いや、聖者も大概でしょ……なに呑気にお茶を堪能してるの?)


 黎真はいまにもこぼれだしそうな言葉を飲み込んで、首を振った。


「いや……はあ、言っても無駄でしょ。わかったわかった」

 

「で、戦況は?」


「愚者が、特殊能力を解いた。もしかしたら、地下研究所でまだ生きているかもしれない」


 黎真は言い切って、気付いた。室内が静まり返り、老いた人々が黎真を見ていた。


「き、きみ! それは、本当か!?」


 老いた人々の中でも、リーダーのような、モノクルを付けた太った男が、汗を吹き出しながら黎真に詰め寄った。


「え、うん」

 

「そんな……聖者! どういうことだ!?」


 太った男は、聖者を怒鳴りつけた。鬼のような形相をしていたが、黎真からは見えなかった。


「どういうことも、なにもないだろう。なぜ思い込んだ、低能が」


「き、貴様こそ、優雅に茶を飲んでいたではないか!」


 そうだそうだと声をあげる老いた人々。


(そりゃあ、勘違いするよね……聖者だし、仕方ないか……)


 黎真は息を吐いて、やれやれと首を振った。


「唾を飛ばすな、茶と混ざるだろう? 勿論仕事はやっている。まともな指揮も取れない、君たちと違ってな」


 机にコップを置き、聖者は立ち上がった。太った男が聖者に噛みつこうと声をあげていたが、邪魔だと一蹴して、聖者は腕を組んだ。


「黎真。すでに、灯りと人員は用意してある。だが……地下の様子がわからない。愚者がいる可能性もある。人は選んでおいたから、少数精鋭で偵察をしてきてくれ。巨人愚者を見つけても、無理だと思ったらすぐに引くんだ。いいな?」


「……やっぱり、聖者はおっそろしい」


「行ってこい。隣の部屋に、或居ばあさんと物資がある。聖者として、愚者王に手出しはさせないから、背後に心配はするな。ああ、今回の騒動の原因、青辛も、監視しておく」


 黎真は口角をあげて、頷いた。

 

「わかった」


 黎真は颯爽と部屋を飛び出した。





「で、佳輝も来るのか」


「ええ。私(わたくし)も、いきますわ」


 黎真は、少数精鋭として選ばれた者たちを連れて、先ほどまで巨人が埋まっていた場所へ向かっていた。月明りに照らされた、均された地面には、巨人がいた場所を中心に亀裂が伸びていて、まるで黎真たちを誘っているようだった。


「……偵察だけど、いまだに見つかってない加速愚者がいるかもだからね? 気を付けてよ?」


「え、ええ。加速愚者なら、すでにこの街にはいませんのよ?」


「え?」


 黎真は素っ頓狂な声をあげた。地下研究所の偵察において一番危険だ、と黎真が危惧していた相手が、加速愚者とその私兵だったのだ。


「創命(そうめい)の愚者王との契約は、もう果たしましたもの。愚者王はまだいるかもですが、加速愚者はすでに、装置を持ち帰りましたわ」

 

「そ、そっか……そういえば、愚者王の予告状で来てたんだったっけ」


「ええ。バイオにとっては、借り物を返す感じですもの……それだけで脅威の一人がいなくなるなら、予定よりも一日早いですが、まあ仕方ないですわ」


「へ、へえ……」


(そんな大事な情報があったなら、出発前に聞きたかったな)


 黎真は頬を掻いて、すこし肩の力を抜いた。


「まあ、仕方ないか。ずっと空にいたし……疲れた」


 体を伸ばして、黎真は空を見上げた。


 巨人がいた場所には、ぽっかりと大きな穴が開いていた。

 

「んー、だいぶ大きいな……」


「ええ。直径、四十メートルはありますわ……おかげで、月明りも下までとどいていますのね」


「とりあえず、降りるか」


 黎真たちは、なにやら淡い光を発するランプを手に、一層ずつ降りはじめた。穴はすり鉢状になっており、降りるのがとても楽だった。


 敵の気配もなく、降りるのも楽だった。そして、この仕事が終われば、今回の巨人騒動の全ての片がつくというのに、その仕事がとにかく順調に進んでいた。談笑を始める者までいた。

 とにかく、彼らは油断していた。


 それは、突然だった。


「あ、あれはもしや!」


 そう叫んだのは、誰だったのだろうか。


「え、あの転がってるのって、もしかして愚者じゃないか!?」


 全員の注目が、最下層に向いた。最下層、巨大な足跡のちょうど真ん中に、人が転がっていたのだ。

 足跡がある場所だというのに、潰れていなく、流血の類も見えない。そして、ピクリとも動いていない。


 転がっている人間が、あの憎き巨人の死体だと、だれもが確信した。そこからは早かった。

 

「俺が見つけたんだ、俺の手柄だ!」


 冬だというのに上半身を露出させた大男が最初に走り出した。階層構造になっている地下研究所が、すり鉢状に削られている。そのために、多少体が丈夫な者であれば走りぬけることができてしまった。


 このままでは手柄を取られてしまう。そう思ったのだろう、大男に続いて男女数名が、それぞれのもつ最速の方法で、最下層への突撃を開始した。


「……ね、ねえ、黎真さん。止めなくても、良いんですの?」


「まあ……危険がないなら、いいんじゃないかな。後ろからついていこう」


「わ、わかりましたわ」


 とにかく、彼らは油断していた。


 異変に気付いたときには、もう遅かった。


「! 止まれ!」


 黎真がそう叫んで足を止めたのは……足を止めることができたのは、黎真よりも後ろにいた、佳輝だけだった。


「っちぃ、ダメだ、死ぬな!」


「な、なにがおこっていますの!?」


「佳輝、そこから動くな」


 それは、空気を操る黎真だからこそ、気付くことができた、恐ろしい罠。いや、バイオの研究者たちなら、ここまで疲弊する事件の後でなければ、確実に気づけたであろう。


(或居さんが言ってた。この下にあったのは、空気浄化用の場所だって。ってことは)


 二酸化炭素、というものが存在する。二酸化炭素濃度が高いと人は死ぬと言われており、そして、二酸化炭素は低いところにたまっていくことも、解明されていた。浄化装置のない今、この大穴の下は、二酸化炭素で満たされているのだ。


 黎真は腕を振り、風を送り込んだ。出来る限り新鮮な空気と入れ替えて、まだ生き残っている者を生かすために。


「……くそっ」

 

 ……努力も虚しく、空気を入れ替えた時には、誰も呼吸をしていなかった。黎真は膝から崩れ落ちた。


(……走り出したとき、止めておけば。油断しなければ、僕がもっと早く気づいていれば!)


 助けられたのに。


(……今日だけで、何回失敗した?)

 

 助けられなかった。


 助けたい時には、いつも遅くて。取りこぼす時には、瞬きの間に消えていく。


「……な、なにが、おこったんですの?」


 ——縮こまって震えている気配を、すぐ側に感じた。助けてと、呼ばれている気がした。

 

(……後悔するのは後だ、まずは死体を回収して、佳輝だけでも、安全な場所に)


 これは黎真の本心か。それとも、助けろと叫ぶ犠牲が、黎真の心を抑え込んでいるのか。それは誰にもわからない。


「ねえ、佳輝」


「ど、どうしましたの?」


 助けるべき相手が戸惑っている。ああ、なんて……愛おしいんだろう。


「ねえ、助けてって、言ってよ」


「ええ?」


 黎真の精神性は、とうの昔に狂っていた。

 

 助けを求める者を、助けなければならない。いつ、いかなる時も、人の社会で生きていく限り、平和であればあるほど、助けを求める者は増える。小さなことで助けを呼ぶ者が増えるからだ。

 だから黎真も、常に人を助けていた。助けを求める存在が、常に黎真の傍にいた。助けを求める存在、助けてと叫ぶ無数の人……ゲシュタルト崩壊の果てに助けを求める存在は、いつのまにかひとつになっていた。


「助けが、必要でしょ?」


「え、ええ。わかりましたわ。助けてくださる? 黎真さん」


 大きめのフードをかぶった、助けるべき存在に、頼られている。黎真はにいっと、口角をあげた。


「安心して。助けを求めてくれさえすれば、助けられなかったことないからさ」


 黎真は、だれよりも、傲慢であった。……人助けをしなければならないと強制されている者が、傲慢な性格に育つのは、おかしなことではないだろう。


 黎真は指をぱちんと鳴らした。それだけだった。それだけで、黎真の姿は、月明りの下、遥か上空にあった。佳輝を小脇に抱えて、少し離れたところに死体を浮かばせて、黎真は不敵に笑っていた。


「ちょ、ちょっと……」


「……なんか、すっごく軽くない? さっき言ってた、肉体改造?」


 黎真は、体が空気でできているかのように軽い。空気ほど軽いわけではないが、それでも相当に軽い。そんな黎真よりも、佳輝の方が軽かったのだ。

 

「……秘密ですわ。それよりも、はやく帰してくださいます?」


「あ、ごめん。ちょっとまってね」


 風圧で飛びそうなフードを押えて、頬を膨らませる佳輝の様子にはっとして、黎真は手を離した。そのままもう一度、黎真が指をはじくと……次の瞬間には、彼らの姿は、建物の中にあった。丁度、聖者の目の前に。


「……お、おお。驚いた。天井を破ってくるのは、流石にやりすぎじゃないか?」


「えへへ、ごめんね。ちょっとだけテンションが上がっちゃって」


 黎真が頭を掻くと、聖者は腕を組んだ。


「で、状況は?」


「おそらく、愚者の死体を回収したよ。それと……佳輝以外は、地下に二酸化炭素がたまっていて……僕が、あの時止めていれば……」


 思い出してしまった。途端に、心の隅に寄せられていた気持ちの渦が、あふれ出した。


「そうだ、僕が、僕なら、助けられたのに……僕なら……!」


「……そうか。今日はもういい。休め。そして、しっかり泣け。大事なものがあるうちにな」


「……う、うう……わかっ、た。あとは、おねがい」


「任せろ」


 黎真はふっと、息を吐いた。


(ああ、頼もしいなあ。どうして、どうしてぼくは……だれでも助けられる力があるのに、こんなにも弱いんだろう……)


 もうすでに人がいなくなった会議室は、無機質な愛情で黎真を包み込んでいた。

 

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