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『双子の交差線』  作者: 鳥藍
第一章 集え、交差点へ
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第二十話 思い出すから


 怪物を見た時。

 

 凛賀を襲った、ひとつの特徴。


 凛賀には覚えのない、そのセリフ。

 

 ——耳がとがった子供のようなやつ。


 気付いた時には、凛賀の拳は怪物に触れていた。


「……驚いた。本当に人間かな?」


 凛賀は答えない。動くことすらできない。見開いた目を真っ赤にして、黙ったまま拳を押し付ける。

 呼吸が速くなっていく。気持ち悪さと頭の痛さが混ざり合って、限界を超えた凛賀の意識を繋ぎ止める。


 凛賀の頭の中で息を潜める、消えかけていた隙間が、また存在を主張した。


「できたら、何か話して欲しいな。少しだけ居心地が悪いからね」


 凛賀の視界が鮮明になっていく。怪物の何気ない要求が、凛賀の本能を刺激して強制した。

 凛賀はただ、体を震わせる。小刻みな音を出すだけの装置と化して。


「お前は……お前は、」


 ひれ伏した天秤は、疑問を許さない。これ以上の格差を許さない。……命を優先するために。


「耳の尖ったやつ、それは……」


 十数年、凛賀を蝕み続け、理性から染み出した責任感が、凛賀自身を拒絶する。


「なんなんだ、お前は!」


 瞳を揺らして、喉から血を吹き出して。凛賀はそう、叫んだ。


 怪物が一歩、体を引いた。段差の上から凛賀を見下ろして、あからさまにつまらない表情をした。


「そっちも、一歩引いてくれないかな? 私もただの避難者なんだ」


「は、はあ? ふざけ」


「何か話してほしい、とは言ったよ。確かにね。でも、君の恨みをぶつけてくれとは言っていない。あるでしょ? いっていい事と言っちゃダメな事。 まあ、今回は態度の問題だけどね」


 凛賀は一歩、足を引いた。はずだった。視界は変わらない。


「今私を睨みつけている、避難所の皆さん。貴方たちもだよ? 私は君たちと一緒、あの巨人から逃げてきた。助け合おうじゃないか」


 怪物が腕を広げた。


「おっと、自己紹介が必要かな? ご存じの方も多いとは思うけれどね」


 凛賀は目を見開いた。目の横が裂けても、体の動きは止まらない。


 怪物はすこし口角をあげた。


「あはは、自分で言うのは照れ臭いな」


 凛賀の知らない、終わりのない過去があふれかえって止まらない。


 怪物が表情を消した。

 

「私が、愚者王と呼ばれている、一般人だ」


 愚者王。冗談でしか聞かない名称。そして、実際に存在する、災害。

 

 もし目の前の存在が、もっと陽気だったなら、もっと軽薄だったなら。避難所の空気はほどけていただろう。恐怖を和らげてくれる存在になっていただろう。笑い声のひとつやふたつ、あがってもいいじゃないか。凛賀は笑った。不自然に、声を殺して。


 当然のように、誰も動かない。だれも、怪物の戯言を笑い飛ばしてくれない。


 凛賀は一歩、体を引いた。そして。


「ぁあっ!」


 勢いよく、頬をたたいた。勿論、凛賀自身の。


「ああ、あああ、はあ、はあ……」


 視界がぶれる。ぱちぱちと、外の空を繰り返す。凛賀は倒れ込んだ。


 息を荒げる凛賀。その肩に何かが触れた。凛賀が顔をあげると、古枝がひきつった笑顔を浮かべていた。


「ね、ねえ、落ち着いて。ほら、えっと、その、あの。端っこまで、行ける?」


「あ、ああ」


 声とも言えないような、かすれた音を出して、凛賀は古枝の腕をつかんだ。

 そのまま引きずられるように、凛賀は避難所の端まで戻った。

 

「ど、どう? ええっと、落ち着けそう?」


「あ、ああ、なんとか……ありがとう、たすかった」


「えっと、その、無理に話さなくていいよ、息が、息が」


「りょ、了解……」

 

 凛賀は息を整える。少しずつ、怪物を意識しないように言い聞かせて。

 凛賀は首に手を当てる。そのまま、少しずつ力を加えていく……。


「え、ええ!? ね、ねえ、やめ、やめて!」


「あ、……あ」


 凛賀の意識とは裏腹に、手に力がこもっていく。

 クラクラする頭。それでも、凛賀の第六感は働かない。


(誰かの、特殊能力じゃ、ない)


 凛賀はまた血を吹き出した。食い込んだ爪が皮膚を裂き、喉を押しつぶす。


(天秤が……傾いて……)


 凛賀の意識が遠のいていく……。


「うう……ええっと、その。愚者王! 天秤の、その、直して!」


「うーん、おかしいね。傾いただけじゃ、人は死なないよ。勿論、自殺もしない。でも……そうか」


 暗転して……消えて、いく……。


 死にたくない、そんな激情に駆られることも許されずに。


「人じゃない、ということだね」


 怪物の侮辱さえも、今の凛賀には届かない。


(意識が、足音だ、今日で俺は、誰かが、)


 凛賀はただ、真っ暗の世界で涙を流す。


(ごめん、ごめんよ……誰か、誰に?)


 小さな、大事なはずの疑問だけが、凛賀の意識を呼び覚まそうとする。

 怪物に気を取られて忘れているぞ、大事なことがあったじゃないかと。


 そんな内側の声も、徐々に届かなくなっていく。


「……おっと、正義の味方が来てしまったみたいだ」


「……」


 凛賀は一人、消えていく意識に身を任せて……何かの気配と、頭を押しつぶそうとするような、それでいて心地よさも含んだ痛みを感じた。

 記憶の輪郭をなぞるとともに、手の力が抜けていく。


(どう、して? いや、今は……いい。息を、息を……)


 ようやく首から手が離れた時、凛賀は勢いよく息を吸った。どんよりとした新鮮な空気が凛賀の体に染み渡っていく。


 空気が染み渡ると、今度は記憶の輪郭が、隙間の虚無に色をつけていく。


 凛賀の内側で、蘇っていく。何か大切なことが。

 

「ああ、ああ、そうか」


 掠れた声。


「なんで、なんで俺は……!」


 掠れた……喜びに満ちた声。


 ちょっとだけ、不安を含んだ声。


 頭の中の隙間が埋まっていく。体を抱えたままの細い体が、凛賀の方を向いた。目を閉じたまま、にこりと笑った。

 浮き出た頬骨が、余計に強調された様子を見て、凛賀はほのぼのした。


「そうだった、そうだったよ」


 凛賀はゆっくり、目を開いた。


 凛賀の目の前に居たのは……。


「思い出したよ、姉貴!」


 像と化した凛奈の姿が、そこにあった。

 

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