第二話 姉貴の把握
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凛奈は体を起こした。
「うーん……」
凛奈は体を伸ばし、ゆっくり目を開いた。
「え、あれ? なに、どーなってんの? 体入れ替わってるし……だめだ、なんで入れ替わったんだろう?」
凛賀の体に入った凛奈はあたりを見渡し、そして鼻をつまんだ。
「うわ、生臭……うー、片付けろよ……あ、いつものだ」
いつもの、というのは凛賀が残す紙きれのことである。大抵、入れ替わった理由や指示が書かれているそれを、凛奈は拾い上げた。その腕は小刻みに震えていた。
「『まずは冷蔵庫を開けろ』とな? もしかしてサプライズ?」
凛奈は立ち上がり、扉に手をかけた。力強く押されたそれは半円を描き、壁に傷をつくった。液体がどくどくと溢れていく。あ、やべ、と壁を撫で……どうにもならないと察し、凛奈は口をとがらせて振り返った。
そして、何か悪い予感を感じながらも、冷蔵庫に近づいた。うっすら脈打つその冷蔵庫は、白い息を吐いていた。
凛奈は扉を開け……絶句した。
「きゃああああ、え、私じゃん! え、なに、凛賀が作ったん? いやでもそれなら面と向かって……」
姿かたち、髪の一本一本までそのままの凛奈像に驚きながら、凛奈は冷蔵庫と像の隙間に手を突っ込んだ。うねうねと動く冷蔵庫は像を優しく包み込んでいた。
凛奈が手を動かすと、冷蔵庫は小さな手帳を吐き出した。
「あ、やっぱり。ふふん、お姉ちゃんは何でもわかるぞよ」
床に転がった小さな手帳。それは凛賀が大切にしているものだ。いつもポケットに入っているはずのそれがなかったことに、凛奈は気づいていた。
「ええっと……」
凛奈は手帳の最後のページを読みだした。
* * *
「ははーん、なるほどなるほど……つまり、これが私……はあ? 弟よ、無茶しすぎ!」
凛奈は笑いながら、頭に手を当てた。像からあふれる凛賀の気配がいとおしく感じられた。
「見方によっては自殺だよ、それ……ありがとう」
凛奈はペンを走らせ、赤黒いインクで手帳に文字を書き連ねる。
「あ、でも、そっか、私が出てきたからこの像はまだ生きてる……いや、よそう。前例がない」
ぶつぶつつぶやきながら、凛奈は文字を敷き詰め続けた。凛奈が凛賀の体で受ける息切れと体の震え、そして鋭い頭痛は、すでに神経が狂ってしまった体で感じるものよりも、何十倍もリアルだった。四六時中体を蝕み続ける犠牲が、凛奈を止めようとしていたのだ。
それでも、凛奈はペンを走らせ続けた。
「……これでいいかな、弟。いつも通り、いつでも呼んで、って言いたいとこだけど……」
凛奈は目を伏せ、ペンを床にころがし、手帳をぱたんと閉じた。うっすら赤くなった頬は、はたしてカーテン越しの夕焼けによってだけだろうか。
「もう一度入れ替わったら……天国かもしれないもんね……」
凛賀の体がカタカタと揺れた。
「せっかくだし、もう一言書いておこう。……遺書だと思って」
凛奈は手帳を胸ポケットに入れ、生臭い部屋へ戻っていった。
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凛賀は勢いよく体を起こした。
(何だ、今、俺は……今は……赤い、ああ、そうか、成功したのか)
異物感を感じ、凛賀は胸ポケットに手を突っ込んだ。
「生きてる、生きてるんだ、まだ!」
凛賀は思わず、叫んだ。ひんやり冷たい、手帳の金具が、凛賀にはとても温かく感じられた。
手帳を開き、紙をめくり、凛賀は見た。ガタガタ、まるで寒さで震えているかのようなその文字たちは、間違いなく姉、凛奈の筆跡だった。
「とりあえず、読もう。一応、一人で読めるようになったんだから」
* * *
凛賀は最初の見開きに目を通した。
内容は、凛奈が特殊能力を使って調べた、周辺の情報がほとんど、残りは当時……凛奈が像にされたであろう時の周辺状況だった。
「俺以外みんな像になってて……当時三人が個別に旅人として来てたと」
凛賀が今いる村は、危険な森の中ではあるが、ふたつの大きな町の間に位置しているので、たまに旅人が寄ってくる。宿場町としてやっていけるほどではないが、旅人が来るのは別におかしな話ではない。……だが、今回ばかりは状況が違った。
凛賀は手を握りしめた。奥歯の下で、鉄の香りが広がった。
「村のみんなの特殊能力は知ってる。つまり……この三人のうちだれかが犯人」
凛賀は顔を上げた。その目は、真っ赤になった扉を映していた。端々から赤く染まっていく視界に、未だ知らぬ憎き存在のイメージが浮かび上がっていく。
「像のない奴が、犯人だ!」
証拠なんてなかった。それでも、凛賀は走り出した。
* * *
「なかったのは……こいつだな。残り二人はあった……いや、いた」
凛賀は手帳に赤い丸を書きなぐった。姿かたちまではわからない。だが、凛奈が残した、当時の全員の場所が書かれたページの中で、唯一、ひとりの旅人の像が見つからなかったのだ。
「……やっぱ姉貴はすごいな……旅人全員の特徴も、それどころか犯人が分かった後の行動まで書いてある。犯人は……そうか、耳がとがった子供のような奴か」
凛賀は、正常な判断ができる状況ではなかった。だから、凛賀は紙をめくった。最後のページには、励ましの言葉がぎっしり詰まっていた。少しにじんで変色したその文字列は、凛賀の心にも染み渡った。
「はは……姉貴、俺、ここまでぐちゃぐちゃだと読めねえよ……」
弟よ、まずは逃げなさい。そしてどこか遠くで幸せになりなさい。私のことはいいです。封印系だったら能力者本人に会えれば治せるかもしれない、とか思わないで。凛賀は凛賀の人生を歩みなさい。……そんなかんじのことがびっしり、手帳の見開き一ページを埋め尽くしていた。
「……わかったよ、姉貴……」
凛賀はまた涙を流しながらも、カバンに荷物を詰めた。
* * *
「まさか、姉貴の言う通りの、いい感じの車が近くにあるなんてね」
凛賀は、隣の家の倉庫の壁を壊しながらつぶやいた。車、というのは、直進しかできない代わりに重たいものを積みながら高速で移動できる、という高級な道具である。勿論、貧乏な嵩陽家に車などない。村長のへそくりである。
「……よし、動きそうだな。すこし焦げてるけど」
カバンと冷蔵庫を車に積み、凛賀は走って村の門を開け、そして車に戻った。いくら強い車であっても、外の化け物たちを食い止める村の門や壁に突撃したらただでは済まないだろう。
「……夜中に外を爆走か……こわいけど、姉貴の言う最も安全な方法だもんな……」
凛賀がレバーを引いた。ぐちゃ、と嫌な音を立てて、車は走り出した。




