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Name  作者: 忍足香輔
4/10

煮え切らない男

 講義が終わり、昼食には少し早い時間で学食に着いた。メニューの豊富さと金額の優しさに力を入れている。本分は勉強だが、これほどの魅力を目の前にして抗うことなどできない。悩みぬいてデザートの付くB定食にした。


「みどりくん、こっちこっち」


 定食を手に席を探していると、絵莉が椅子から立ち上がって手招きしていた。同じ円卓には河野もいる。断る理由もなく同じ卓についた。


「いつもこの時間に学食に来るよね」と絵莉は言った。「一限の授業って辛くない?」

「早起きは苦手じゃないよ、二人の授業は?」


 今日の定食は玄米ご飯、きんぴらごぼう、揚げ鳥のから揚げ、トン汁、杏仁豆腐。バランスも良い。


「私は早く起きちゃって。なんとなく早めに来たの」

「俺は早めに走り終わったからだ」


 河野が大学に入ってからも、早朝ランニングを欠かしていないというのは本当だったのか。一仕事終えたような爽快感を河野から感じた。


「二人のご飯は?」

「俺はもう食った」

「私はダイエット中だから気にしないで」

「絵莉もダイエッ党か」

「え? なんて?」


 僕は気にしなくていいと片手を上げて答え、きんぴらごぼうを口に運んだ。心地よい歯応えの後に舌先が辛みで痺れた。そこに期待を込めて玄米を投入したが、玄米ときんぴらの相性が悪いのは残念だ。


「あのよ」と河野が言った。さりげなさを強調しているのが伝わってくるほど不自然だ。

「昨日のカラオケの後、何してた?」

「きのう?」


 そっと絵莉を見てみると、絵莉はなんでもなさそうに笑い携帯を取りだした。作為めいたタイミングに微かな違和感を覚えた。


「バイトだったよ」と言ってからこれは言葉足らずな気がしたので、「女の子をボディーガードする簡単なバイト」と付け足した。

「なんだそりゃ」


 河野は拍子抜けしたように口を開けた。自分でやっているアルバイトではあるが、人に話すと奇妙なバイトだ。正直に送りだと言えばよかったか。


「可愛い女の子?」と絵莉は携帯を弄りながら言った。僕は薫ちゃんの笑顔を思い浮かべてみた。

「可愛い子だった。女子高生だし」

「女子高生が可愛いなんておじさん臭いね。みどりくんもそんな人だったんだ」


 絵莉の冷たい視線に、僕は慌てて弁解の言葉を探した。


「そうじゃなくて、ただ純粋に薫ちゃんが可愛い子なんだよ。看板娘って愛称が似合いそうな子でさ、とびっきりに美人ってわけじゃないけど、愛嬌があっていろんな人から好かれるタイプだな」


 絵莉の視線が痛い。言い訳がましくなってしまい目を逸らすと、学食に備え付けのテレビが目に入った。

有名なアイドルグループの女の子が、今日の天気について解説していた。真面目な顔で天気を予想している彼女の年齢が、薫ちゃんと同い年であることを思い出した。ここで薫ちゃんを思い出すのが絵莉に対して不誠実な気がして、気を紛らわせるためにトン汁をすする。一汁として片付けるには申し訳ないほどの具が溢れていた。もしも株券を発行してくれたら、お財布の許す限り株主として社員になろう。厨房で働くおばちゃんたちに目礼して感謝を示した。


「でも、みどりくんにボディーガードなんてできるの?」

「ボディーガードって言っても、ただ歩いて家まで送るだけだよ。日給が良くなかったら断ってる」


 だったらよ、と河野が身を乗り出した。


「俺のほうが向いてるだろ。俺と代われ」

「河野のほうが危険だ」薫ちゃんの言葉を思い出す。「依頼人の希望は無害そうな人間だからな」

「無害ね」


 疑り深げな視線で河野は僕を眺めた。


「無害そうなやつのほうが危険なんだよ」

「偏見だ。鏡を見てこい」

「みどりくんは無害ってわけじゃないよね」


 二対一。民主主義的には敗北を喫した。大仰にため息をついて両手の掌を上に向けた。英語を喋れたならWhy! と叫んでいたことだろう。


「僕は何かしでかすつもりなんてないのに」

「でもね、不作為が害を生むこともあるんだよ」


 諭すような絵莉の言葉は静かに僕を貫いた。僕は両手を上げて恭順の意を示した。


「卓見だ」

「どういたしまして。ご褒美にこの杏仁豆腐はもらうね」


 最後に残しておいたデザートを絵莉にさらわれた。これではA定食になってしまう。せめてスプーンを確保して取引に使おうと目を向けるが、すでに河野の手中に収められていた。そしてそれは絵莉へと渡っていく。


「ダイエッ党はいいのか?」

「発音おかしくない?」

「気のせいだ。好きなだけ食べてくれ」


 諦めて残りのきんぴらごぼうに箸を伸ばした。甘さを期待していた口には残酷すぎる辛みが広がる。まるで人生のようだ。


 正面では絵莉が杏仁豆腐をこれ見よがしに口に運び、満足げに頬を動かす。僕が食べればただの栄養だが、絵莉は喜びに変えられる。それならば喜んで献上しよう。分けて食べると二倍美味しいというのはこういうことか。


「おいしぃ。学食なのに十分楽しめるね」

「河野は絵莉に甘すぎるな」


 たいして恨んではいないが恨み言を言ってみた。河野は腕組みし、勝ち誇った笑みをたたえた。


「男なら自分で守れ。セキュリティが甘いんだよ」


 山賊らしい言葉だ。残念ながらこの山賊は、ファイヤーウォール程度なら力技で突破しかねない。へこんだピンポン玉も力技で直すだろうし、MサイズのシャツもLサイズにする。生半可なセキュリティでは藁の楯のようなもので、まあつまり諦めるしかないということだ。


 気づけば絵莉の前から杏仁豆腐は消えていた。名残惜しそうにスプーンを咥えながら絵莉は上目使いで微笑んだ。


「ねえ、好きなだけ食べていいんだよね? だったらもう一つ欲しいな」

「食券を買えば好きなだけ食べれる」


 視線を券売機に向けたが、そこにはアトラクションの順番待ち並みに行列ができている。最後尾は見えない。食券を買えたとしても、料理を受け取るのに時間がかかりそうだ。空席はほとんどなくなり、トレイを持って空席を探す学生が増えてきている。僕が絵莉の物欲しげな視線に屈服するより早く河野が腰を上げた。


「俺が買ってくるよ。緑里が食ってるの見たら俺も食いたくなってきたし」

「チーズケーキよろしくね」

「杏仁豆腐を頼む」

「お前のは買わねえ」


 河野は悪態をつきながら財布を尻のポケットに突っ込み、行列に向かって行った。最後尾を探して首を巡らすと視界から消えていった。河野が戻ってこないのを確認してから絵莉を振り返る。絵莉は悪戯な笑みをこちらに向けていた。


「河野が可哀想だと思わないのか?」

「でもケーキが食べたかったのは本当だよ。それに、そう思うんだったらみどりくんが並べばよかったじゃん」

「僕はごめんだ」


 終わりが見えない行列に並ぶつもりはない。


「だいたい、行列に並びたくないから早めに来てるんだ」

「だと思った。だから私も早く来たんだよ」

「ご飯も食べないでなんのために?」

「みどりくんと話すために」


 絵莉の表情は笑みを作っているが、その笑みはおもちゃを見つけた猫のように妖艶な色を帯びている。幼い外見のどこを探せばその妖しさを見つけられるのだろうか。


「私の告白の返事はいつくれるのかな?」


 一か月前、大学の隣にある運動公園で僕は絵莉から告白を受けた。それはもちろんへそくりの隠し場所とか隠し子の存在が露呈した、といったものではない。異性に対して自分の気持ちを包み隠さず公開することで、それは絵莉から僕に贈られた。


 テニスコートを囲むように植えられた銀杏の木に、僕と絵莉は寄りかかっていた。健康を志す高齢者ランナーや野球着に身を包む中学生が走り去っていく姿を眺めながら、絵莉は僕に告白をした。


「好きです。みどりくんは、わたしのことどう思ってるの?」

「僕は……」


 走り去るランナーは誰も僕らに気を払わない。タイムを縮めようとしたりお腹の皮と内臓の距離を縮めたりすることに躍起になっている。その中で絵莉は僕との距離を縮めようとした。絵莉の告白で心臓が激しく脈打ち、体の内側から僕を駆り立てる。震える手に気づかれないよう拳を握った。


「……絵莉が好きだよ。でも付き合うことはできない」


 口から出てきた言葉は体の内側の意図とは違っていた。その証拠に、それまで激しく脈打っていた心臓は呆れたように脈打つ間隔を開けた。その時の絵莉がどんな顔をしていたのか僕は確認していない。僕の視線は正面を走るランナーを追っていた。


 一人、二人、三人……。十人ぐらいランナーが走り去ったころ、絵莉が口を開いた。


「……それは他に好きな人がいる?」

「いないよ」

「私のことを女として見れない?」

「きちんと女性として見ている」

「付き合えない理由は?」


 僕は口ごもり泳がせた視線がランナーを追った。一人、二人、三人目が露出の多い女性だったので目逸らした。


「付き合っていいのかわからない。僕にそんな価値があるように思えない」


 心臓の鼓動が再び大きくなった。罵るようなその鼓動に恥ずかしくなって僕は俯いた。


「私は待っててもいいのかな?」


 絵莉の顔を見られなかった。それでも言外に期待が込められているのが伝わってきた。僕はどう答えていいかわからずに頷いた。これが適切な答え方でないのはわかっていたが、その時はベターな答えだと思ってしまった。


「じゃあ」と言って絵莉が僕の顔を覗き込んだ。白いスカートを舞わして僕を見上げた。溢れるほどの嬉しさを頬にたたえて、僕に笑顔をみせた。


「とりあえず、今日はそれでよしとしようかな」


 僕は適切な言葉がわからず、ただ阿呆のように頷いたのだった。


 そして今でも適切な答えができずにいる。絵莉をまっすぐに見ることができず、視線は河野を探してさまよった。大柄な姿はすぐに見つけられたが、食券を買うのに時間がかかりそうだ。


「みどりくんって恋愛になると奥手っていうか、幼いっていうか。返事を待ってる私の気持ちになったことある?」

「……すまん」

「まあ、好きになっちゃったほうが負けだね」


 あーあ、とひどく様になったため息を零すと人差し指を立てた。


「でもね、みどりくん。あんまり考え過ぎないでよね。私だってお説教できるほど恋愛も人生も経験していないけど、一人で解決できることなんてたかが知れてるんだよ」

「言葉もないな」


 叔父さんの言葉が頭をよぎり絵莉の言葉と重なった。


 考えないで出す答えは不誠実だと僕は思う。自分の意見で誰かの人生が変わることもあるし、正しいと思っていてもどこかで間違っているかもしれない。僕には利益であっても、絵莉や河野には不利益に働くことだってきっとある。冬と夏が両立できないように、必ず誰かが傷ついてしまう決断があるのなら、僕は誰も傷つかない決断を見つけたい。それがどこにあるのか、まだわからないけれど。


「一応、確認なんだけど」


 絵莉が僕の顔を覗き込むように身を屈め、その姿を見て僕は我に返った。


「高校生の薫ちゃんはなんでもないんだよね?」

「神に誓ってない」

「私にも誓ってくれる?」

「もちろん」


 絵莉が満足げに頷いてから、僕は気になっていたことを聞いてみた。


「わざとらしい聞き方だったけど、河野は僕のバイトのこと知ってたんじゃないか?」


 ああ、と絵莉は気まずそうに視線を逸らした。


「怒らないでよね、河野も悪気があったわけじゃないんだよ。昨日河野からメールがあってみどりくんと高校生の女の子が歩いてるって教えてくれたの」

「そっか……。やっぱりどこかで見られてたのか」


 振り返ると河野はようやく券売機に辿り着いていた。文句を言わず行列に並ぶ姿は指示を全うする軍人のようにも忠犬のようにも見える。絵莉の告白を河野は知らないだろうが、僕の煮え切らない態度に気づいているのかもしれない。


『男なら自分で守れ』


 河野の言葉が僕の何かを刺激したけれど、僕はお茶を飲みこんで動揺も一緒に呑みこんだ。



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