ゲルコーストの歌詞
大学生になれば恋愛をするものだ。高校生もするし社会人だってする。何故かって? そこに魅力的な女性がいれば反応するように男は作られているからだ。こと高校生は外見の魅力で相手を選び、大学生になれば居心地のよさとか会話力なんかが求められ、社会人になれば生活力が加算される。もしもとても素敵な女性を見つけたのだとしたら、早く家族という契約を結んでしまったほうがいい。年を経れば経るほど目に見えないハードルが加えられていくのだから……。
僕は新聞を畳んでテーブルに放り投げた。薫ちゃんのアルバイトが終わるまで珈琲でも飲んでいようと喫茶店に向かい、無聊を慰めるために駅前で新聞を買ってきたが、見えない手が僕に圧力をかけている気がする。朝、家を出るときには二羽の雀がくちばしでつつきあい、通学路の柴犬が向かいのリボンをつけたマルチーズを見て切なげに鳴き、大学のベンチにはカップルが堂々と弁当を広げる。
「はぁ、そうなんすか」
悶々とした感情を水野くんに打ち明けてみたが、返ってきたのは間が抜けたため息だった。
「つまり、彼女が欲しいってことっすか?」
「そういうことじゃない。まあ、つまり、もう少し慎みをもってほしいってことだ」
「そおっすかね」
納得できないとでも言いたげに水野くんは首を傾げた。店内に他の客はいない。レジの前では店長らしき仏頂面の男がイヤホンをはめて音楽を聴いている。
「恋愛に対してゲルコーストの……ヴォーカルの…………」
「コージっす」
「そう、コージは歌で表現してないかな?」
「奴隷であれ!」
水野くんは突然拳を握って叫んだ。店長らしき男が気だるげにイヤホンを外してこちらを見たが、眉を顰めただけで再びイヤホンを耳に戻した。
「愛の奴隷になれ! 愛を飼い馴らすことなんて不可能だ。俺たちはいつまでたっても愛に苦しみ愛に溺れる。おぎゃあと生まれてがくがく爺さんになってもそれは変わらない。愛を知った? 愛をわかった? そんなものは幻想だ。愛が与えたちょっとばかりのリップサービス。それとも身を焦がすほどの愛に出会っていない悲しい末路。身を焦がして身をやつして愛の奴隷になってみろよ。愛を知ろうともがいて悩んで苦しんで、悲哀を抱えて空を駆けようとも奴隷であれ!」
「……それが歌詞?」
「そうっす。賛否両論多い歌だけど俺は好きっす。恋愛について高飛車に話してるやつに限って独身とか女に飽きたなんて言うじゃないっすか? そんな上澄みすくって満足するような安い人間になるなってメッセージを込めてる、最高の歌っす」
「理想だね」
「そおっすか? 理想追っかけなきゃ理想だとわからないっすよ」
水野くんの言葉が浸透するまでいくらか時間がかかり、浸透しても僕は水野くんの言葉をしばらく繰り返した。
「……君からそんな言葉がでるとは思わなかった」
「俺じゃないっすよ。コージが言ってたんす」
とはいうものの水野くんは照れて頭を掻き、はにかんで幼い笑みをみせた。
「ゲルコーストに、ますます興味が湧いてきたよ」
「早く新譜買うべきっすよ。ライブのチケットも、一番近いのはもう無理だけど……」
あーあ金残しとけばなー、と呟きにしては大きな声で後悔を公開した。運悪く店長らしき男が、いつまでもテーブルから動かない水野くんに訝しげな視線を向けだしたころだった。眉間に皺が寄り、忌々しげに鼻息を荒げた。僕のせいではないがこれで水野くんが怒られたら少し可哀想だ。
僕の携帯が震え、画面に『花井薫』と表示された。後悔が再燃したのか肩を落とす水野くんをかわしてレジに向かった。この間に携帯の震えは止まり、また震え始めた。
僕の姿を認めると、店長らしき男はすかさずありがとうございます、と言って笑顔を見せた。先ほどの表情はおくびにもださない接客力は見事だ。会計を済ませ、まだ後悔に支配される水野くんを横目に見ながら、「彼」と僕は言った。店長らしき男も笑顔のままで水野くんを見た。
「なかなか話が面白いですね。おかげで退屈しませんでした」
「左様でございましたか」
「ええ」
ありがとうございました、と深々下げた頭に背を向けた。この後水野くんが叱られるかどうかは知らないが、良い結果になってほしいとは思っている。そして、そろそろ震える携帯をとらないと僕もお叱りを受けるかもしれない。そう思って携帯を取り出そうとしたら振動は止まった。カラオケ店の前で携帯を耳に当てながら仁王立ちする薫ちゃんの姿を見つけた。
ゲルコーストはこんな時どんな歌を歌うのだろうか。




